北へいこう(閑話・モスタラー隧道1)
ガタゴトと馬車は揺れる。
少し前までの滑らかな、そして素晴らしい速さだった移動とは大違いだった。だがこれについては馬車や御者たちのせいではない。つまり、道が悪いものに変わっただけの話だった。
高速馬車は確かに素晴らしい。
車軸にベアリングを装備し、原始的とはいえサスペンションを装備したこの馬車は馬たちに大きな負担を与えない。使っている馬が長時間の走りに耐える大型種という事もあるのだが、それを差し置いても何より、車体の牽引の際に摩擦の重さがない、という事が馬車の走りを劇的に変化させていた。
だが、本体の進化に足回りが追い付いていない。
車輪が軽くなれば速度は上昇する。だがそれは路面の凸凹が大きなダメージになるし、下り坂では自重で加速がついてしまうという事でもある。単純にベアリングを取り付け車輪を軽くしてしまっては、大惨事になりかねない。
幸い、馬という動物の抜群の機動性とくらべて馬車の性能は低い。登坂力も知れているので、いわゆる馬車道はそれまでの人道に比べると信じられないほどゆるくできていた。でないと登れないし、降りられないためだ。
このアンバランスな技術の進化はもちろん、プレイヤーの持ち込んだ技術のためだった。
基本的にプレイヤーは、合理精神または善意で技術を持ち込む。それは素晴らしい貢献をするのだが、技術というのはいい事ばかりではない。西洋医術と人権思想の導入の結果、アフリカで人口爆発が起きておそろしい数の子どもたちが餓死していく事は矛盾していない。進歩するという事は何かを得、そして何かを失うという事なのだから。万能の特効薬などありはしないのである。
だが、当たり前だがツンダーク世界の者たちだって黙ってはいない。
プレイヤーがもたらした異界の技術は、この世界の者たちの手で再度練り直される。淘汰される技術もあれば、この世界のものと合わさってさらなる進化を遂げる技術もある。彼らは親交のあったプレイヤーから概念的な発想をもらい、居残り組の鍛冶師と協力してその技術の実用化に取り組んだ。
そうした『進化』は、このツンダーク世界をゆっくりと眠りから覚ましつつある。
かつて星まで届いた文明をもつというこの世界。しかし、ある時代から新しい技術も、新しい魔法も作られる事がなくなっていた。巷には進歩や変化を嫌い現状維持こそ正しいという風潮がはびこり、世界のトップを目指し続けるような技術屋魂は嘲笑の対象となった。
『一番になどなる必要はない。我々は充分に素晴らしいではないか』
その言葉は、確かに一見正しく見える。
だが、人間が知恵を求めようとするのは、それが人間の唯一の武器だからだ。いかに賛否あろうともその現実は変わらない。
知恵の研鑽を捨ててしまえば、その先に待つのは平坦ではなく下り坂だ。当たり前だろう。なんの苦労もなくゆるやかな平坦を保てるというのなら、そもそも人類の歴史は苦難に彩られてはいないのだから。
それでもその未来を選ぶというのなら、それもよいだろう。それが人類の意思だというのなら、どこぞの古いアニメに出てきた慈愛に満ちたマゼラン星雲の青い惑星のように、争って生きるくらいならと自ら穏やかに滅びていけばいい。
だが、少なくともツンダークを統括する『神様』は、穏やかに滅びに向かおうとしたこの世界の人間たちがお気に召さなかったようだ。
ベアリングやサスペンションの再発明。それは単なるひとつの要素にすぎない。だが同じような事が今、ツンダーク中で起きている。熱意にあふれた居残り組の異邦人や、異界の知識こそ持たないが元気でエネルギーに満ちあふれた新住民たち。彼らの活発な活動はこの世界に刺激を与え、再びツンダークの人類社会を前に進ませようとしている。
おそらく地球と同じにはならないだろう。何より魔法の存在が大きい。魔法は決して万能ではないが、やがて火の時代に突入した時、ゼロエミッションとは言わないまでも、汚染の多い内燃機関に頼り切る事なく進めるのかもしれない。
いやそれどころか。
もしかしたらこの世界は「火の時代」でない文明を手にするのかもしれない。
「ネル」
「ん、なに?」
のんびりと思索に浸っていたヒルネルは、そんな言葉で唐突に現実に還った。
見れば目の前に小さな男の子がいる。もちろん先ほどの老女の連れだ。どうやら孫らしい。
小さな子といっても、かなり発育が良いようで少年といってもおかしくない。またヒルネルの肉体年齢が少女、しかも非常に小柄なのもあって、実は体格等にはあまり差異がなかった。さすがにヒルネルの方がお姉さんではあるものの、かなり肉体派の元気そうな男の子でもある。ヒルネル側が全く肉体労働に向かないという事もあり、もしかしたら純粋な体力勝負では敵わないかもしれない。
まぁ肉体面の問題はともかく。
「チロ。何かあったの?」
チロというのは男の子の事だ。本当はチワルなんたらかんたらと長い名前らしいのだが、当人がチロと自己紹介したのでヒルネルもチロと呼んでいる。
「なんか見えたから」
一緒に見ようぜという事らしい。
こちらを同格の相手だと思っているのだろう。ヒルネルは内心ちょっと苦笑したが、それを顔には出さなかった。
「窓の外?」
来いよとピッと指をさす。その仕草がまた微笑ましいのだが、そこで微笑ましいなと笑う事なく、ウンとうなずいてヒルネルは席を立つ。
「!」
「おっと!」
そのタイミングでぐらりと揺れて、あっさり転びそうになる。だが、何かに力強く受け止められる。
「……」
見ると、チロがしっかりと捕まえてくれていた。
「あぶねーな。ほれ」
「ありがとう」
内心、小さな男の子に助けられた事でショックを受けつつも、にっこり笑ってお礼を言うヒルネル。
「お、おう」
「それで、なぁに?わたしにも見せて」
「おう」
背後でほむらぶが気持ち悪い笑顔になっているが無視。あらあらと楽しそうな老女も無視である。そして言われるままに馬車の窓から顔を出す。
「どれ?」
「おかしいな。さっきは見えてたんだけど。あっちに」
少年の指差す方を見た。どうやら何かが見えていたらしい。
馬車はつづら折りの登りにさしかかっていた。馬車交通の時代にはありえないほど綺麗な道だが、やはりそれでも平坦とはいかない。道はうねって蛇行しつつ、ゆっくりと高度を稼いでいた。
(ふむ)
吸血鬼であるヒルネルには暗視能力もある。月夜の山道など昼間と変わらない。
そしてヒルネルには他人にない『道路や交通に関する知識』があった。
リアルでの友達の趣味で、ツンダークにハマる前はヒルネル自身もよくつきあった趣味『旧道・隧道探索』。当時の記憶がヒルネルの脳裏を駆け巡る。
(ただの馬車道にしては広い。大型馬車を意識したもの?興味深い道路規格ね)
道というものは必要性で作られる。
徒歩ならば徒歩用、馬車を通すなら馬車用。通行したいものの大きさや幅、速さ、その他いろいろな特性にあわせて道は作られる。もちろん上で触れた坂道の問題もしかり。
これらの原則は地球だろうが異世界だろうが変わらない。つまり同じような乗り物を使うなら当然、同じような道ができるという事だ。
その蓄えた知識をもって、チロの見たというものを素早く計算するヒルネル。
(ははぁ、もしかして)
「もしかして、大きな暗い穴が見えた?」
ヒルネルの言葉に少年が驚く。
「うんそう!真っ暗な大きい穴!知ってるの?」
「たぶん」
それはおそらく隧道の入り口だろう。道が曲がっているから、見えたり見えなかったりするのも無理はない。
「この馬車で中を通るんだよ」
ええ?とチロが露骨に眉をよせた。わかりやすい。
「ふうん?」
「な、なんだよ」
「こわいんだ?」
間違いなく怖がっている。真っ暗な穴なのだから無理もないが。
にへらぁ、と口元を押さえて嘲笑するふりをしてみる。実際は微笑ましくて笑っているのだが。
「こ、こわくない!」
「そう?」
こてん、と首をかしげるヒルネル。その幼女くさい反応がチロをさらに追い詰め、そして女ふたりを面白がらせているのだが、さすがにそこまでは気づかない。
「大丈夫だよ。窓の中までは何もこないよ。……たぶん」
「なにか出るのかよ!?」
「え?でないよ?……たぶん」
「出るんだな?出るんだろ?」
「きっとだいじょうぶだよ、……うん」
「おぉぉぉぉいっ!」
露骨に怖がるのが可愛い。
とはいえ、ヒルネルの中の人はさすがに大人である。少なくとも本人はそう思っている。
だから、きちんとフォローも忘れない。
「大丈夫だよ」
にぱぁ、と笑ってみせるヒルネル。
もともとの人形めいた、というより「デザインされた」という意味では人形そのものの美しい顔からこぼれる笑みである。別にそれ自体に特殊能力があるわけではないのだが、とりあえず子供には効果がある事をヒルネルは経験則で知っていた。
ただし、その効果のもつ意味まではヒルネルは知らないのだが。
「……」
さて、その無自覚の笑みを至近距離で食らったチロ。なぜか赤くなりつつもプイと顔をそらす。
「ん?」
そして、自覚なく「どうしたの?」と首をかしげるヒルネル。
「ん、それより見えたよ?」
「ほんとか、どこだ?」
「ほら、アレでしょ?」
「そうだ。……ほんとにアレに入るのか?」
「たぶん。この馬車ごとね」
「ほんとかぁ?」
「ほんとだよ?」
ちょっとビビリぎみのチロ。そしてクスクスと楽しげなヒルネル。
『自覚なしなのかしら?』
『ないですね。彼女、ちょっとワケありで男女のあれこれには凄く鈍いですし』
『あら、そうなの?』
『はい』
その後ろで複雑そうな、しかしニマニマ笑いを浮かべる老女と小娘。
まぁ、そりゃ鈍いだろう。ヒルネルは確かにれっきとした女の子だが、それはツンダークで与えられたいわば第二の人生なのだから。ヒルネルが過去の自分をあまり語らないのだが、かつてのヒルネルは以前のメインアバターだった『ひるねる』が示す通りの男性だったのだから。
もっとも、ヒルネルという人間を語るとき、そこに性別問題を持ち込むと間違いなく人物評価を誤ってしまうのだが。
ミミ・ほむらぶ・ヒルネル。かつてのペット愛好者グループの生き残りのひとりにして唯一の元男性であるヒルネルなのだが、ヒルネルの本質は、その可愛らしい外観や種族・属性からは全くわからない。重要なのは、それらすべてを目的達成のためのリソースと割り切り、おのが目的のためにひたすら邁進するという彼女の思考回路そのものなのである。
もしかしたら、この男の子とのフワフワな時間すら、ヒルネルにとっては布石なのかも、とほむらぶは考える。
(そう。でも違うの)
そう。ドライな行動原理もまた、彼女の本質ではない。なぜならヒルネルは、それを無意識にやっているからだ。
職業病で知らずにおかしな行動をとる人は悪人ではないだろう。実際、ヒルネルは単に気に入った男の子と遊んでいるにすぎず、それ以上の認識は本人にもない。ただ彼女の無意識のどこかで、男の子が大商人の孫であると認識しているだけだ。
眠れる旧帝国のお姫様が彼女を気に入って引き込んだのは、おそらくこれなのだろうとほむらぶは考える。ヒルネルと会話するうちに彼女の裡にある歪みか才能か、何かのニオイを嗅ぎ出した。そしてヒルネルに力と制約を与えたと。
まったく、余計な事をしてくれる。
そんな時だった。
『おかしいわね、この隧道』
唐突にヒルネルがつぶやいた。チロに聞こえないように魔法を使ってだ。
『なに?どういう事?』
『技術レベル高すぎなのよ。石積みや構造に騙されがちだけど、これ変よ』
『そうなの?わたしにはよくわからないけど』
実際、ほむらぶもちょっと覗いてみるのだが、黒い円形の入り口しか見えない。
『丸いトンネルが難しいって事?』
『違う。中で換気システムが動いてるの』
『なんですって?』
ほむらぶはポケットから丸薬をひとつ取り出し、確認して口に入れた。
『ちょっと待って。一時付呪「探知」……ほんとだ、何かあるね』
なるほど、近くに魔力システムが感じられる。
『どうしてわかったの?』
『魔力の流れからするとこの隧道、細い隧道が横を並走しているの。これは作業坑っていって、巨大トンネルを掘る時の工事用の穴で、完成後も事故発生時の避難とか、いろんな用途に使われるものなの。日本だと、埼玉県と山梨県を結ぶ雁坂トンネルと、高知県と愛媛県を結ぶ新寒風山トンネルなんかがそうだよ。どちらも二十世紀末から二十一世紀はじめに作られたトンネルなんだけど』
『そ、そうなんだ』
いきなり異様にマニアックになってきて、さすがのほむらぶもちょっと腰が引けた。
『でも、それがどうしたの?たまたま似たような構造になってるってだけじゃ』
『違うと思う』
ほむらぶの言葉をヒルネルはあっさり遮った。
『中に入ったら壁に注目してて』
『壁?』
『妙に滑らかっぽいの。わたし、この世界ではじめて打ちっぱなしのコンクリート見ても驚かない自信あるよ』
『……』
いや、それはさすがに驚くだろとほむらぶは内心思った。
そのとき、
「隧道ー、ずいどうー!これよりモスタラー隧道にかかります!」
「危険なのでお顔を出さぬようー!繰り返します、危険なので顔を出さぬようー!」
「ずいどうー!ずいどうー!」
突然、御者たちが大声をはりあげ始めた。どうやら注意喚起らしい。
馬車の前後で気配が動いた。どうやら前の馬車も後ろの馬車も客は眠っていたようだが、外を見ようとした者が馭者の「顔は出さんでくだせえ。暗いし狭いんで危険ですんで」などと注意を受けているのが聞こえる。
そのどさくさにまぎれ、ほむらぶもちょっと窓から隧道入り口を見たのだが、
「……なるほど」
ヒルネルの言いたい事は、たしかにほむらぶにもわかった。
難しい事はほむらぶにはわからない。建築の知識は彼女にはないからだ。
だけど、その隧道入り口は確かにおかしい。
『なんか、工場で加工して運んできましたって入り口よねえ。職人さんが切って掘りましたって感じがしない』
『うん、そんなとこかな。コンクリ型枠に流し込みましたって感じだよねえ』
『よくわかんないけど、そんなとこね』
ヒルネルは理性的な分析で。ほむらぶは直感で。
これは何か違う、と。
三台の馬車はゆっくりと、その謎の隧道にゆっくりと入っていこうとしていた。




