北へ行こう(1)
切れ目の関係で短いです。
北部大陸。
ゴンドル大陸塊に属する最大の大陸だが、そのほとんどは無政府地帯の草原、およびその北にある氷原からなっている。
言い伝えによると、古代のゴンドル大陸塊はアマルトリア帝国の中心であり、その首都ナバールは今の北部大陸にあったという。実際、北部大陸には未探索の遺跡が大量に存在する。この事から当時は今よりツンダーク全体が暖かく、今の中央大陸エリアはむしろ暑すぎる場所だったのではないかと言われている。
ほむらぶたちのいる中央大陸から北部大陸に向かうには、まず大陸縦貫道にそって北上、中央大陸最北の町『ソーヤ』に向かわねばならない。ここまでがモニョリ周辺から馬車で一週間。ただし大陸縦貫道自体が旧帝国の遺物であり異様に平坦かつ滑らかな道であるため、普通の馬車旅のイメージとはかなり異質の高速馬車の旅となる。
『一週間って日程に騙されがちだけど、縦貫道のおかげでかなりのハイペースなのよね。東京から中国地方に高速で行くイメージに近いかしら?』
『しみじみ思うけど……マジ広いよねえツンダーク』
『ええ。地球より広いんじゃないかって言った人もいるわね』
そんな話をして、ふたりでためいきをついたものだ。
町もダンジョンも街道も全部シームレスでしかもリアルな世界。で、そのリアルなままに馬車に一週間乗り続けても、たかだか小さな大陸の上をちょろっと移動した事にしかならないのだから恐れ入る。しかも、ゲーム時代はこの馬鹿げた広さの大地のあらゆる場所に、無数のモンスターがひしめいていた。
まぁそれだけの数がいたからこそ、常に万単位以上のユーザーが狩りまくっても全滅しなかった、とも言えるのだろうが。
だがしかし、どう考えても無茶苦茶としかいいようがない。
いったいどこのネットゲームで、判明している土地の西の端から東の端まで馬を走らせたらゲーム内時間とはいえ月単位の時間がかかるゲームがあるのか。転移魔法があるからいいようなものの、それだって仲間に転移魔法の使い手がいなきゃ使えないし、行ったことのない場所には当然飛べない。しかも運営が用意していた転移ゲートは各大陸にひとつだけで、その場所は公表されてなかった。とどめに、長いツンダーク公開年数の間に新しく発見されたゲートはわずか3つだけ。
地球より広いんじゃないか、というそのユーザーの愚痴はネットサイトの評価にも現れた。次々と新ゲームが現れてくるネトゲの世界においても、ツンダークの馬鹿げたワールドマップの巨大さだけはどんな辛口サイトも手放しで褒めていた。
実際同じ考えの者は多かったようで、これが異世界説の元になったという説もある。こんな広い世界をどうやって電子の世界に押しこむのか、どんな圧縮理論を用いてもあり得ないだろうというわけだ。
もっとも今さらの話ではある。
ヒルネルのように世界の謎に挑んでいる者が今、この世界に何人いるのかは知らない。だけど今は皆もここの住人なのだ。ここに魅せられ、ここに骨を埋めると決めて住人になってしまった以上、今さらここの『実態』が巨大な電子の庭園であろうと時空体の彼方の異世界だろうとあまり意味はない。そういうメタな男らしい謎解きはヒルネルに任せ、自分はこの世界の現実に生きよう。そう彼女は考える。
さて。
食料や薬の素材を買い込んでいるうちに時間が遅くなってしまった。乗合馬車乗り場に行ってみるとそこには三台の馬車がいて、ヒルネルが御者たちとあれこれ話している。
「おまたせ。待たせて悪かったわね」
「大丈夫、おはなし聞いてただけだからー」
にこにことヒルネルは楽しげだった。まだ昼間だというのに。もしかして食事でもしたのだろうか?
「お金はふたりぶん払ってあるよ。あとでもらうね?」
「そう。ありがとう、わかったわ」
ほむらぶは頷くと、話し込んでいる四人の御者に話しかけた。
「お世話になります。この娘の連れでほむらぶといいます。もしかして皆さん東部大陸の方ですか?もし言いにくければ葉月でも結構ですが」
「おや、東の名をお持ちかね。東の者には見えないが……」
「錬金術師なのですが、お師匠様のお知り合いに東方の方がおりまして。ツンダーク裏千家の今代様をご存知ではありませんか?その方にお名前をいただきました」
「ほほう裏千家の、それはそれは。では葉月様で宜しいですかな?」
「はい。様はいりませんが」
「お客様ですからなぁ」
にこやかに談笑をはじめるほむらぶと御者たち。
ちなみに、ネトゲによくある似非東方設定は本来ツンダークにはない。なのに東方風の何かが何故存在するのかというと、東に住み着いたプレイヤーたちが勝手に錬金術の応用で茶を作り、茶の湯をはじめたのがきっかけだった。プレイヤーの中に分家とはいえ本物の裏千家がいた事がさらにこれを後押しし、そのプレイヤーの指導の元に東部大陸の一角に茶の湯の里が完成。農業プレイヤーの助けもあってとうとう現地の地場産業にもなってしまったのである。
ちなみに日本の茶と違うのは、生成に初級の錬金術を使う事。薬草の変種みたいなものだがコストも安く誰でも楽しめ、美味しく、さらに体力も微回復して気分もよくなるというオマケ付きだった。元々あったお茶の習慣と混じりながらツンダークの嗜好品のひとつとして急速に普及しており、もちろん東部出身で里帰りもする御者の彼らは全員がそれを楽しんでいた。
……まぁ、そこまではいいのだが。
「本当にその人にもらった名前?」
御者たちと離れてから、ヒルネルは小声でほむらぶに質問した。
「そうだけど、どうして?」
「ネコミミモードじゃないの?」
「……あー。知ってるんだソレ」
ほむらぶは、ちょっと困った顔で微笑んだ。
「もらったのは本当だよ?……その、ほむ愛のお話で盛り上がったんだけどさ」
「なるほど。ネトゲ好きの茶人さんはアニメファンでもありましたと」
「内緒だよ?まぁご本人は居残り組じゃないからもういないけどさ、やっぱり色々と。ね?」
意味がわからないという方のために説明しておくと、いわゆる声優つながりであった。ほむらぶの愛してやまぬアニメキャラの声優さんが過去に演じた別の作品の女の子なわけだ。つまりそれがわかる時点で、今はもういないという茶人のえらい方もほむらぶの同類だったという事になる。
「まぁ、いいけど」
やれやれとヒルネルはためいきをついた。
「葉月様、ヒルネル様もそろそろ行きますよ?用意はよろしいですかな?」
「あ、はい。今乗ります」
これまた珍しい事にモニョリ発ソーヤ行きは夕方発である。
なぜそうなっているかというと、モニョリ北側の平原には近くに町がなく、朝に出ると次の町のモスタルに陽のあるうちに着けないからだ。野営という手もあるが、近郊の平原は魔物が狩り尽くされて普通の動物しかおらず、しかもここの縦貫道には結界も張られている。とどめに今は満月期で明るい。
ここまで条件が揃っているからこそ、明るいうちに向こうに着けるよう早く出るという選択肢もありえた。
「さて」
ほむらぶは空を見上げ、そして、うーんと背伸びをした。
錬金術師にとり北部平原は豊かな土地とはいえない。つまり北部への旅は本当に久しぶりの「未知への旅」でもあった。
しかも、このところ物騒な話や変な大人の事情ばかりだったのだ。たまには原点にかえり、純粋な探求の旅というのも悪くない。
力をぬき、限界まで身体を伸ばす。買い物でゴチャゴチャと動いていた身体がゆっくりと軋み、心地よさを訴える。
「ふう」
そして一気に脱力する。
「……」
そんなほむらぶを、なぜかヒルネルは優しげな目で見ている。
「さ、行こうほむちゃん」
「ええ、そうね。行きましょう」
ふたりは目配せしあい、真ん中の馬車に乗り込んだ。それを確認すると後ろの馬車の御者が声をはりあげた。
「ソーヤいき、出るぞぉっ!乗り遅れの人はいるかぁっ!」
しばらく見渡して反応がないのを確かめて、そして一番前に手で合図を出す。
「ハイ、行くぞぉ。出発!」
先頭の御者が掛け声をして、そして馬車が動き出した。先頭から順番に、ゆっくりと。
ツンダークの馬車は飛ばすだけあってベアリングの概念を持っている。本来ベアリングは高い精度の加工ができないと作れないのだが、鍛冶師のプレイヤーが旋盤やフライス、ボール盤の概念を持ち込んだ事で工作精度が上がったのが原因だった。電気や蒸気を使っておらず大量生産もせず、あくまで魔法と手作業ではあるのだけど、ツンダークの鍛冶師たちは工夫をこらし、異世界生まれの概念をこの世界に根付かせようとしている。
そのひとつの成果が、軽くて頑丈でスピードの出る馬車というわけだ。良いサスペンションがないので一般の道ではまだまだ使えないが、縦貫道や横断道で飛ばせるだけでもまさに革命的だろう。
「うん、なめらかだねえ。馬車も進化したねえ」
「昔の馬車に乗った事あるの?」
「あるよぅ。お尻痛くて大変だった……」
思い出して嫌そうな顔をするヒルネルに、ほむらぶはクスッと小さく笑った。




