遠話の重要性(3)
ヒルネル、ほむらぶ、ミミの三人のつきあいは長い。何しろ古くはネットゲーム『ツンダーク』のβ版時代まで遡る事になる。出会った順番でいうとほむらぶとミミが最初で、次にほむらぶがひるねるに出会った。ペットを接点につきあいの深まった仲間なのは、サトル少年のエピソードからお付き合い頂いている皆様ならご存知の通り。
そんなほむらぶとミミの出会いは森の中。迷い込んだ見習い魔法使いのミミを当時男性キャラだったほむらぶが助けるという、よくある出会いだった……はずなのだが、ミミがほむらぶをボスモンスターと間違い悲鳴をあげ、フレンドコールで友達に助けを求めるというちょっと情けない出会いでもあった。
ちょっと解説しよう。
ほむらぶはネット友達の菜種油と共にツンダーク最初期に参入したプレイヤーなのだが、βテスト第二陣のミミと知り合った頃にはすでに初級狩人を終えかけるというありえない速度で成長していた。間違いなく異常なのだが、これにはもちろん理由があった。
『彼』は、拾った小猿にアメデオと名付け、共に過ごしていた。
『彼』は、錬金素材をかじり適当な水を飲み、森に埋没して戦い続けていた。
狩場に潜って戦い続けるというのは確かにネトゲ廃人ならよくある光景であろう。
だが、現実と区別がつかないほどのVRMMOでそれをやったらどうなるか?いくらレベルアップに有利だからって、本当に泥水すすり草を噛み、カレー粉もなしで蛇やカエルを捌いて喰い、汚れきった身体で毎日戦う者がどれだけいるというのか?しかも彼らは兵士でも何でもない、むしろインドア全開のゲーマーなのにである。
結論からいうと、いくら物好きのゲーマーでもそんな事のできる者はいなかった、というより、やろうとしなかった。あたりまえである。結局のところゲーマーは町に住む市井の人間に過ぎず、現実の強者などではないのだから。それでも挑戦した者は結構いたらしいが、ほむらぶ以外は食事で挫折してしまった。
ではなぜほむらぶは耐え切れたのか?それは、その盲目的なまでのキャラ愛のせいであった。
ほむらぶが愛し、名前にまで愛を語っているアニメキャラの少女。まさにダークヒーローとでもいうべき存在であり憧れだったが、彼女がとんでもない苦難の道を歩んでいる事もほむらぶは知っていた。ほむらぶは彼女を理解するためにリアルでわざわざ弓道場に行ったような人間であるから、彼女と同じ地獄は無理でも、それに匹敵するような辛酸をなめないと彼女を理解できない、ついていけないのだとほとんど強迫観念のように思い込んでいた。
その思い込みと強烈な意思が、ほむらぶをただひとり、耐えきらせた原動力だった。
……とまぁ、ここまで書けば美談なんだか馬鹿馬鹿しいんだかわからないが、とりあえず凄いねで終わっていたろうが、残念ながらこの話はそれでは終わらない。問題は容姿である。当時のほむらぶはヲタ系の男性アバターを使っていた。そしてドロドロに汚れ、ぼろぼろになった衣服をまとったその姿はもはや化物であった。本人は内心、半泣きながらもこれはゲームだから、ゲームなのよと強引に割りきっていたわけだが他人にはそうはいかない。初対面でミミの危ないところを助けたわけなのだが、そのミミは絶体絶命のこの時にボス出現かと間違い大絶叫……とまぁ、そんな次第なのである。
さて。
ヒルネルがコーヒーだけではあるが、久しぶりのお食事会である。とりあえず三人は楽しくもりあがっていた。
「それにしても面白いことになっちゃってるねえ」
「すみませんミミさん。そちらにも何か被害ありましたか?」
神殿・巫女関係にまで迷惑をかけたのだろうか。さすがのほむらぶも眉をしかめた。
「ほむちゃんのせいじゃないよ。どうも薬が効きすぎたみたいだねえ」
「薬?」
そうだよ、とミミは苦笑しながら話しはじめた。
「新住民の人たちが有能すぎたんだよ。一部の上層部の人たちが、わたしたち異世界組を人間でなく資源だと考えたみたいだね。どんな手を使ってもウチで確保しないとヨソに取られる、みたいな」
「うわ……それ洒落にならない」
「まったくだよねえ」
クスクスとミミは笑う。
「いやミミさん他人ごとじゃないですから。巫女って神殿の町から動けないですよね?」
それはミミの場合、かつてのはじまりの町から動けないという事でもある。
「ありがとう、でも大丈夫だよ。わたしたち巫女はそのすべてが神様と直結してるからね。巫女や神官に手を出すというのはつまり、神様に手を出すのと同じ事なの」
「……マジで?」
ほむらぶとミミのやりとりを横で見ていたヒルネルが、思わずボソッともらしたが、
「うん、マジで」
ミミは笑って大きくうなずいた。
「この世界って神様が近すぎるんだよ。だけど、そのおかげで神様の言葉を勝手に代弁して大金稼ぐような馬鹿な宗教とか全然できないし、わたしたちにも危害が及ぶ事はないの。つまり、わたしたち神職はこの世界の利害関係の外にいるんだね」
「あー、なるほど」
神と民の距離が近すぎて、変な宗教のはびこる余地がないという事か。しかし、鯖の塩焼き定食を美味しそうに食べつつも神様の話をするミミというのは、どうにもいろんな意味で不思議な印象があった。
「そうですか。ところでミミさん、例の件なんですが」
「うん、遠話を使いたいんだよね?」
「はい」
どうやら本題らしい。ヒルネルも姿勢を正して注目した。
仲間内でのチャットを何とか代替する方法はないか。その情報をミミが持っているという事だったのだが、さて。
「まず結論からいうとね、遠話はそもそもテイマー用スキルなんだよね。動物とかモンスターと意思疎通する技能からスタートしたわけ」
「えんわ……エンワ……艶話……」
「ネルちゃん、遠い話と書くんだよ。ツヤのお話にしたらエロトークになっちゃうよ?」
「む。なぜわかった?」
「いかにも漢字をあてはめてますって顔?」
「顔?」
「かお。フェイス。ツラ」
「ヅラ?」
「それは毛だから違うの」
「そっかー」
「なんなの、この会話……」
ほむらぶがためいきをつき、ヒルネルとミミがクスクス笑った。
「それでね、そんなわけでフレンド同士で自由に通話っていうのは難しいんだよね。残念だけど」
「そうですか……あれ?でも」
ミミの言葉を脳内で復唱しかけたところで、ふとほむらぶは思った。
「それってもしかして、通常は無理だけど手段はあるって事?」
ほむらぶの反応に、ミミはおおっと驚いたような顔をした。ちょっと演技っぽかったが。
「さっすが情報屋ほむちゃんだね。すぐ察してくれるだろうとは思ったけど、気づくの早っ!」
「ありがとう。それでミミさん、どういう手段があるの?」
「うん、それなんだけどね」
ミミは微笑んで頷き、そしてアメデオとロミ、つまりふたりの相棒を指さした。
「ペットが切り札って事?」
「あいにく、人間同士が直接意思で会話するとか、まんがみたいな方法はまだ発見されてないの。だけどゲームの頃だって、ペットと意思疎通しやすくするためにテイマーをサブ職につけてた人はいたよね?」
「はい」
「わたしのお友達のテイマーさんが言うにはね、テイマーの対話技能ってなんだっけ。えーと、パ、パ、パブリッシュ?パプリカ?パラッパッパー?あれ?えーと」
「……パッシブって言いたいの?もしかして」
「あ、それ!ごめん、専門用語ってよくわからなくて」
ヒルネルが少し悩んでツッコむと、ああそれそれとミミが苦笑した。
「とにかく、モンスターや動物側から『こいつと話したい』って一度思う事でチャンネルが開くらしいんだよね。人間側からこのチャンネルを開く方法がまだ見つかってないから、今はとにかくモンスター任せなんだって。で、お互いのモンスターとそれぞれ意思疎通可能になったら、そこを突破口にして通信可能になって……という感じらしいのね。
そこまでいっちゃえば後は簡単!使っているとだんだん使い勝手がよくなって、最終的にはチャットより便利になるんだって。単なる文字や音声でなく、その場の印象みたいなものも伝えられたりね」
「なるほど」
ふむふむとヒルネルが頷く。
しかし、ほむらぶはむしろ眉をしかめた。何か問題に気づいた顔だ。
「で、問題は?」
「さすがにほむちゃんにはわかっちゃうよね。
うん、もうひとつ問題があってね。ふたりともテイマー職つけてないでしょう?サブでいいんだけど」
「あー、それは……確かに」
「無理だねえ」
ほむらぶは現在、錬金術師がメインでサブが狩人。ヒルネルはサブ欄が空いてはいるのだけど、吸血鬼化してから職業欄自体が変更不能になってしまっている。おそらく「吸血鬼状態になった人間」なんてものをシステムが想定してなかった影響だろうというのがふたりの結論だが。
まぁつまり、二人とも無理という事だ。
「で、その点について、わたしのお友達からひとつ提案があるの」
「提案?」
うん、とミミは頷いた。
「その子が今、連れているウサギちゃんに通信特化の子がいてね。まだ低レベルなんだけど強制通信っていうものすごいスキルを持ってて、ある条件が揃えばテイマーみたいなスキルがない人にも強制的に通信を送りつけられるんだって。それが突破口にできるんじゃないかって」
「ある条件」
「一定量の魔力だって言ってた。特に幻惑や催眠みたいな対精神系魔法の使い手なら物凄く望みあるんだって」
「へぇ」
ヒルネルが目を剥いた。ちなみに言葉通りならヒルネルはもちろん対象だし、ほむらぶも錬金経由での行使とはいえ幻惑・催眠は扱えた。
「ミミさん、それって実験台って事?」
驚くヒルネルを尻目にほむらぶは冷静に対応する。
「うんそう。内容からして大きな危険があるとは思えないけど、日常に不便を感じてない人に突然、あなた動物と話す力いりますかって持ちかけられないもんね」
「たしかに」
一瞬、その状況を想像したのだろう。ほむらぶは眉をしかめ、こめかみを押さえた。
「大きな危険はない?でも、強制的に通信を送るんでしょう?」
「ネルちゃん、人間の精神はそんなに脆いものじゃないの。だから通信での問題はないのよ。むしろ問題なのは」
「泳ぎを知らない人間を強制的に泳がせるようなもの。だから、いくら害がないといっても刹那的には何が起きるかわからない。そうでしょう?」
「うん、あたりだよほむちゃん。やっぱり頼りになるねえ」
「はいはい」
にこにこと親しげなミミに、ほむらぶは内心ちょっと苦笑した。
出会いが悪かった事と、それから初期にはヲタ然とした態度で徹底していたほむらぶは、ミミに思いっきり忌避されていたものだ。接近のきっかけになったのはオープン初期にあったテイマー事件だと思うが、その後、ほむらぶが本来の性別である女キャラを主体にしていった事もあってか、ミミの態度が豹変していくのにさほどの時間はかからなかった。
それが今やこれである。頼りにされるのは嫌いじゃないが、これでいいのか悪いのか。
微妙なのである。実をいえばミミのようなタイプは可愛いから愛でる対象としては大好きなのだけど、リアルな女としては苦手な部類に属している。離れて愛でるからいいのであって、あっちから来られると対処法がわからない。
だからどうしても態度が微妙になる。
なのに、そんな複雑なほむらぶをますますミミは面白がり、会うたびに露骨にじゃれつくようになっていったのである。「ほむらぶさん」が「ほむちゃん」に変わったのもほむらぶに確認などせず唐突だったし。
わかってやってるだろ、とほむらぶは言いたい。だけど、それでしょんぼりされたり嫌われるのは悲しいので言えない。
そして、そんなほむらぶを知ってか知らずか、ますます弄りにくるミミ。悪循環ここに極まれりだ。
「で、ミミさんがそんな話をしたって事は先方は準備ができてるって事?」
「うんそう。これからふたりとも北にいくんでしょう?そしたらグリンダ平原を通るよね?」
「正しくは危険回避のため近くの街道を通るつもりだけど……ああ、そういう事」
ふむふむ、とほむらぶはうなずいた。
「なに?ほむちゃん、ひとりで納得してないで教えてよ」
「ミミさんの言ってるテイマーの事。たぶん『ウサギの大将』ね。そうでしょ?彼の群れがグリンダ平原にいるのね?」
「うんそう。サトルくんだよ」
ほむらぶの言葉にミミが答え、ヒルネルが「ああ、なるほど」と納得した。
そう。この三人はかつて、サトル少年の事件に関わった者たちなのだ。
「って、ウサギの大将ってなに?」
しかしヒルネルは、彼の2つ名の方は知らなかったようだ。
2つ名というのは色々あるが、大抵は中二病的というか、お子様目線むけに強そうだったり凄そうだったりするものだ。なのに『ウサギの大将』ではちっとも凄くないではないか。
だが、ほむらぶの言葉でヒルネルは納得する事になる。
「彼はね、弱い生き物の象徴であるウサギを主体とする群れを構成しているの。にもかかわらず、その群れで高位ドラゴンとすら戦い、倒したり退けているのよ。中枢のウサギは高レベルの戦闘職プレイヤーなみの強さの者もいて、それが単に強いだけでなくサブの指示塔としても機能している。知能の高さに加え、仲間の高レベルモンスターとの連携をもって迫ってくる。特にツンダークを単に楽しい狩場と考えていた一部のプレイヤーにとって、彼の群れと接触する事は全滅を意味していたの。
それでついた名前が、ウサギの大将。ウサギが多いとナメてかかったら皆殺しにされるって意味を含んでいるのよ」
「へぇ……」
「とにかく、グリンダ平原でサトルくんを訪ねてくれるかな?彼がうまくいけば、ある程度の問題が解決すると思うから」
「わかった。ありがとうミミさん」
「ううん、お礼なんかいいよ。それより」
「?」
「ごめん、お行儀悪かったね、ごちそうさま」
「あ、いえいえ」
ミミはよく噛むタイプなので時間がかかる。話しながらも鯖の塩焼きをまだ食べていたのだ。
「んーおいしかったぁ!やっぱりここの定食は美味しいねえ。はじまりの町にあればいいのに」
「ミミさん、くちびるがテカテカしてるよ?」
「え、うそ」
「はいこれ」
「ありがとー!」
ほむらぶがフキンを渡そうとすると、ひょいとミミは唇をつきだした。
「?」
「ん」
拭いてと言いたいらしい。
当たり前だが、ミミは元来こんな事をする女性ではない。明らかにほむらぶを面白がって悪乗りしているようだ。
(横から見てるぶんには眼福なんだけど……)
ふたりともやたら美人だったり美少女だったりするもので、異様に絵になる。まるでほむらぶの好きなアニメのいちシーンのように。
そんな事を思い、内心苦笑いしつつも心のシャッターを押しているヒルネルだった。




