狩られる猟師(2)
色々書き直ししていたのですが、きりがないので。
吸血鬼という言葉を聞くと、あなたはどういう印象をもつだろうか?
おそらくだが、吸血鬼というイメージはあまりにも半端に使いまわされすぎていて、これが吸血鬼であるというイメージがボケてしまっている部分がある。たとえば陽光に弱い、にんにくが苦手、水に近づけないという有名な欠点すらも真正面から否定している物語があったりするわけで。そんなものだから、もし誰かが「これが吸血鬼」という勝手なイメージを前提に物語を語ろうものなら、多くの人は肩透かしを食らってしまうだろう。「それが吸血鬼?何か違わないか?」と。
そこで、ここツンダークにおける吸血鬼について一度整理してみよう。
簡単にいえば、ツンダークにおける吸血鬼は「人間を魔改造した何か」である。その主目的は『不老不死』。ただしその改造に用いられた技術は古代アマルトリア帝国における魔科学というものに依っており、一種のロスト・テクノロジーの産物ともいえる。さらにそれを実現したのはたったひとりの天才の成し遂げた事であり、その意味でも第三者が理解するのは根本的に難しい。
まぁ、あえて簡潔にぶっちゃけるなら……昔、ひとりの天才が「長い時間が欲しい。だけどミイラになるのはイヤ」というだけの理由で、自分を極力変える事なく長い時を過ごす方法を編み出した。これがツンダークにおける吸血鬼のはじまりと思えば、ほぼ間違いない。
そんなツンダーク式の吸血鬼であるが、特徴的なのは以下を覚えておけばいい。
陽光が苦手なのは事実。ただそれは例えれば、ひきこもりが陽光を眩しい、不快だと考えるレベルの話ではある。まぁ本当に陽光の下では落ち着かないので、あなたの友達に吸血鬼がいたら気をつけてあげてほしい。
水がダメという事はない。ただしこれは、彼女が泳げるという事を意味するわけではない。
あと、揃いもそろって運動音痴だという奇妙な報告がある。これは人体が本来もつべき高い運動性能の部分をすべて魔力生成や延命のための生命活動に使ってしまっているせいといわれているが、詳細はわからない。ただ、吸血鬼の物理戦闘職というのは過去に全く実例が知られていないそうなので、本当にそうなのかもしれない。
それから吸血。吸わなくても命に関わる事はないのだけど、あからさまに欠乏すると、だんだん麻薬中毒のように執拗に欲しがるようになる。特に連れが吸血鬼の場合、問題ないと吸血できないのを放置するのはおすすめしない。なぜなら……以下略。
まぁ、扱いに難しいという事はないが、そこそこ注意すべしといった感じであろうか?特に運動音痴と吸血の部分は、共に行動するなら気をつけたほうがいいだろう。
そんなこんなで、本編のもうひとりの主役、ヒルネルの物語がここにスタートする。
ヒャッ、という小さな悲鳴が響いたのは、とある地下の施設での事だった。
施設といっても、おそらくこの場に来た者はそれを古代遺跡と呼ぶだろう。未だに全システムが生きているものを遺跡と呼ぶのはどうかと思うが、現在のツンダークには存在しないロストテクノロジーの塊。しかも主人の認めた者以外は入れないようになっている。
つまるところ、ここはこの場を仕切る女主人ディーナ・デワ・ハル・アマルトリアの私邸であった。
まぁ、個人の家としてはかなり奇妙である。何しろ地上設備が一切なくて、外に一番近い出口でさえ洞窟に開口しているのだから。他人を寄せ付ける気がないどころか、この世から隠れる気まんまんというべきか。実際、ディーナを中で眠らせたまま、この施設は何千年もひっそりと稼働を続けていた。
ちなみに、よくそんなエネルギー保ちますね、動力源はなんでしょうかと好奇心にかられたヒルネルが尋ねたのは無理もない話なのだが、そのヒルネルもすぐに絶句する事になった。この施設のさらにずっと下、大深度地下に動力システムがあるそうだが、ディーナの説明だけでも頭痛がしてくるような凄まじい超技術の塊だったからだ。一応これでも理系だったヒルネルでも、いや、そんなヒルネルだからこそ、その技術のとんでもなさに気づけたというか。
いやまぁ、今は動力システムの話をする時ではない。
さて、先ほどの奇声の主はもちろんそのヒルネル。ベッドの上でなぜか全裸。さらにいうと、赤子のように脚を広げさせられている。そこだけ書くと十八歳未満お断りの危険なシーンが展開されているようにも見えるが、ヒルネルの股間を覗きこみ、ふむふむと弄ってみたりしているディーナの方には一切の邪気がない。強いて言えば、赤ちゃんのおむつ交換をするお母さんっぽくはあるが。
「今のところ成長の気配はないわね。うん、服着ていいわよ」
「はい……」
心底くたびれた顔でヒルネルは脚を閉じると、のろのろと畳んであるドレスに手を伸ばした。
「ひどい」
「重要なことだから仕方ないでしょう?」
クスッとディーナは笑った。
「異世界人の妹なんて初めてだもの。しかも、その異世界との接続も切れてしまったわけだものね。今までは神様の加護で歳をとらず『プレイヤー』を続けられたのかもしれないけど」
「この世界の住人になってしまったのだから、当然、歳をとりはじめるはず……だよね?」
「ええそうよ普通はね。だけどネルちゃん、貴女はわたしと同じだから立場が違うはずで、だから診察は絶対必要。そうお話したわよね?」
「はい」
答えつつも服を着込んでいく。
ヒルネルの愛用するのはゲームシステム経由で地球から持ち込まれた黒のゴスロリ衣装。だがこのゴスロリ服というのは基本的に、見た目最優先で着用者の利便性はほとんど考慮されていない。女性用の服にはしばしばある事だが、仮に男性用なら間違いなく全く売れないだろう。そんな服である。
それを手間暇かけて着こみつつ、ヒルネルはディーナとの会話を続ける。
「あのねお姉さま、医療設備あるよね。どうしてそっちを使わないの?」
そもそも、そちらを使えばヒルネルが全裸になる必要なんてないはずである。
だがそれを言うと、ディーナは「何言ってるの?」とキョトンとした顔で言った。
「そんなの、わたしがそうしたいからに決まってるでしょう?」
「……さいですか」
言うだけ無駄だと再確認したヒルネルは、思わずためいきをついた。
ヒルネルはディーナに信頼を寄せている。ただの遊び場だったはずのツンダークが今や第二の人生を送る場所に一変してしまったのも、そもそも彼女に出会ったからなのだから。こんな場所に彼女が封印されていたのは事実だが、それは別に彼女の責任でもなんでもないし、それに彼女は悪い人物というわけでもない。
だが、お気に入りのおもちゃか仔猫のように扱われるのはやっぱり変わらないようだった。どう転んでも対等の存在とは見られていないらしい。
それはちょっと寂しい、そうヒルネルは思った。
だが自分たちには時間があるのだから、一歩一歩進めばいいとも思っていた。
さて。なんとかとりあえず軽く格好をつけた。もちろん調整は本来、鏡に向かってしっかりやらねばならないのだが、ここにヒルネルが自画自賛する最強スキルが発動する。
「……告げる」
両手をあわせ、その微妙に間抜けな文句を唱える。
「今日もよい日でありますように。『美の精霊の祝福』」
その瞬間、ヒルネルの全身を光が駆け巡る。適当にあわせられたドレスがきちんと整えられ、少し汚れてくすんでいた金髪が明るいベビーブロンドの輝きを取り戻す。ちょっと歪んでいたヘッドバンドが可愛く整えられ、しまいには微かに花の香りまで漂い出す。
その名もなんと『美の精霊の祝福』。美しさとカリスマにボーナスポイントがつくという、とても素敵な祝福である。しかも効果は丸一日続き、その間、どんなに汚れても自動的に元に戻る。こういうとネタっぽいのだが、ツンダークでは泥や埃で汚れると重くなったり切れ味が落ちたりするので、そういうのを嫌う者にはよい祝福ではあったりする。
まぁ、むしろ逆に全身汚して迷彩にしたいユーザーにはものすごく不評だったのだけれど。
「ネル、あなたそれ好きよねえ。確かに便利だけど、いつもそれに頼るのはよくなくてよ?」
「うん。でも便利だし」
「ふふ、そうね。困った子」
そう言いつつ、ディーナはヒルネルの鼻先をツンツンと指でつついた。
「ところで、確か今日からおでかけよね?北の発電所にいくのでしょう?」
「うん、ごめん。しばらく帰れないかも」
「それはいいんだけど……大丈夫なの?」
ディーナの心配はもっともであった。
吸血鬼になる前のヒルネルはネタ用のサブキャラだったので、敵を何とか足止めできる程度の軽い幻惑と催眠以外はなんの能力も持っていなかった。そして吸血鬼としての特殊能力も似たようなもので、現時点でもヒルネルは物理戦闘力を全く持っていないのである。
このありさまで、強力なモンスターがウヨウヨしている中央平原を抜けて北方エリアにいこうというのだから、心配しないほうがおかしいだろう。
「うん、ほむちゃん……前に話した、ほむらぶって友達が一緒だから。彼女は錬金術師だけど狩人兼業で、弓や罠の腕前もとびっきりだし」
「ええ、それは聞いたわ。でもその娘、先日襲われたんでしょう?」
「うん。無事だったけど」
確か予定通りなら、今は森で戦力調整をしている「はず」だった。連絡方法がないので確認がとれないが。
グループチャットは使えなくなってしまっている。サービス停止以来、ゲームシステム関係で生きている機能はアイテムボックス、それにスキルとジョブ関係のみになってしまっているのだ。それだけでもチートな能力といっていいが、通信関係が軒並み使用不能というのは地味に痛かった。
ちなみに、テイマーが遠距離通信の方法を知っているというのでほむらぶに調査を頼んであるが、そちらの返答もまだもらっていない。
(直接連絡できないのがこんなに不便なんて)
ネット時代より前の時代なんてヒルネルは知らなかったが、その不便さは想像を絶していた。
日本では常に携帯なりデジタルガジェットが手元にあった。どちらかがよほどの超田舎にでもいない限りは即座に連絡可能だったし、ダメでもメッセージが残せたから、相手が通信可能域に入れば少なくともデータは届けられた。全くの通信途絶なんて経験は、ネット時代生まれで、大規模災害も未経験のヒルネルにはない。
発電所行きを考えたのは、そのためもあった。
メニューシステムの完全復活とは言わない。居残り組のフレンド間通信だけでも復活させられないか?という事である。たったそれだけでも、とんでもないレベルのメリットがあるだろう。
「確認する事、やる事だらけだよ。ほんと大変」
「うふふ、ほんっとネルは真面目で勤勉よね。こんなに可愛いのに」
「可愛いのは否定しないけど、見た目とお仕事は関係ないと思う」
ツンダークサービス終了以来、よく言われるようになったやりとり。
可愛いを否定しないのは別にヒルネルの性格がアレなのではない。自分の容姿を自分自身で詳細までデザインするという、いろんな意味で奇異なプロフィールを持つがゆえだ。ヒルネルのこの容姿は、彼女自身の『作品』でもあるのだから。
そして、ここにいる保護者はヒルネルのそういう事情さえも面白がっていた。
「移動方法はどうするつもりなの?距離もあるし、普通に移動したら大変でしょう?」
「うん、そこは大丈夫」
この点は、ほむらぶにおまかせである。
ほむらぶの行動力には定評がある。最先端の攻略組しか行ってないような危険な地域にも出没しているし、そもそも公式にはプレイヤー未踏破のはずの深海エリアなんてところにも行った事があるらしいのだ。およそ、探索という行動をするにおいて、ほむらぶは間違いなくプロフェッショナルといえるだろう。
ちなみに、ネットゲームに慣れている諸氏ならおそらく「何年も公開されていたのに、どうして未踏破エリアが存在するんだ?」という当然の疑問があると思うが、この理由は簡単である。
まず、深海エリアには海に潜らないと行けないのだが、そもそも深海に至る方法が存在しないのだから仕方ない。ゲームとしてのツンダークでも深海には何もない事になっているわけで、潜る方法も提示されていない。釣り糸をたらす事くらいはできるが。
そして第二に、ツンダーク世界のあまりの広さがあった。
この世界には世界地図がない。中世レベルの世界である事と、モンスターが多数徘徊していて世界中回った者が誰もいないという二つの理由からである。ツンダークサービス中にプレイヤーがかなりのモンスターを討伐し、また世界地図もガンガン広げてきたのだが、それでもヒルネルたちはディーナに旧帝国の世界地図をみせてもらって思わず脱力した。そこには未知の大陸がまだしっかり残されていたからだ。既知の大陸にすら白地図のままのところがあるというのに。
やるべき事は多い。そうヒルネルは思う。
さて。ひとの食事をとらないヒルネルは、身だしなみさえ整えれば準備完了である。スッと右手を宙にあげると、ちょいちょいと招くようなポーズをして、
「ロミ、おいで」
その瞬間、天井の方でパタパタと小さな羽音がしたかと思うと黒い影が舞い降り、ヒルネルの背中に着地、そしてモソモソと左肩に移動した。
「ロミ。準備はいい?」
そこにいたのは、まるで狐に翼が生えたような不思議な生き物だった。
日本では、いわゆるオオコウモリは一般に馴染みが薄い。超音波を使ったり吸血したりするのはごく一部の特殊な種族だけで、むしろ一般には雑食または肉食なのも事実。それは、空飛ぶキツネ(flying fox)というオオコウモリの英語名も示している。
ちなみにこのロミは、こんなスペックになっている。
『ロミ』種族: フォーミンバット Lv8 性別:female
ロミは元々、ひるねるのペットであるコウモリの群れの中の一匹だった。当時は肩乗りでなく洞窟で飼われていたのである。よくいる普通のツンダーク・コモンコウモリで、もっと簡単にいえば、虫などを食べる本当に普通の小型コウモリだった。
しかし、自宅がペット狩りに襲われた際に群れのほとんどが死滅した事がロミの運命を変えた。生き延びようと足掻いたロミは元々の適性が発動、モンスター化して生き延びた。ツンダークの野生動物はその全てが少なからず魔素を持っているものだが、たまたまロミはそれを濃厚にたくわえていたらしい。
そして今は洞窟でなく、ヒルネルについて回るようになったという次第。
「蝙蝠って爪がするどいでしょう?ドレスが痛まない?」
現実的な立場からディーマが疑問を呈したが、
「お友達の魔織士に、見た目を変えずに爪のあたるとこ強化してもらってるから」
「あら、そういうお友達もいるのね……」
「言っとくけど巫女さんだよ?妹にはできないと思う」
「あら残念」
くすくすとふたりは笑いあった。
「それじゃあ行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい。気をつけるのよ」
「はーい」
にこにこと手を振り、そして見送る。ヒルネルはあっというのまに通路の向こうに消えた。
「ふむ」
ひとりになったところで、ディーナは少しだけ考える。
「北部の発電所ねえ。いいけど、関係者じゃないのに入れるのかしら?」
もっともな意見なのだが、ではなぜヒルネル本人にそれを告げないのだろうか?
「うんよし、ちょっとお姉さんも頑張っちゃおうか。さて、じゃあ服と靴を……」
なぜかにこやかにそう笑うと、奥にある倉庫に向って歩き出した。




