[4]うさぎの軍団
夢を見ている。長いような短いような、わけのわからない夢だ。
深い森のある世界。どことも知れない世界に僕はいて。そして僕のまわりはいつだってウサギがいて。
「よしよし、ちゃんと食べてるな」
頭と背中をなでてやると、その白黒ぶちのちびウサギはうっとりと目を閉じて、ぷうと鳴いた。
ウサギを抱きしめるのって実はよくないんだよな。彼らは基本的に草食動物なわけで、抱きしめられると捕獲されたように感じるらしい。だから捕まえる、抱きしめるようなやり方はしないで、頭や背中をなでてあげたり……ってまぁ、どこが気持いいか、なんていうのは見てると大抵わかるもんだけどな。特に──。
「……あれ?」
今、とても大切な事を思い出したような気がしたんだけど?
うーむ、わけがわからない。
残念だけど、森はあまり平和な世界ではない。いや、森自体は平和なんだけど、外から侵入してこようとする者がいるんだ。それも悪意をもって。
僕らはもうずっと、それと戦い続けている。いつからそうしているのかも忘れてしまったくらいに。
「戻りました」
「お疲れさん。どうだった?」
「はい。森の外にはあいかわらずの魔物です。何とか拮抗を続けていますが」
振り返ると、そこには巫女姿のウサギがいた。
え?ウサギが巫女ってどういう事かって?
簡単にいうと、ウサギが人間のように二本足で立ち上がって巫女服を着ていると思ってくれればいい。ちゃんと背中に回ると小さいしっぽが存在感を主張していてだな、これがまた可愛いんだ。うん。なでたら怒られるけどな。
え?人間サイズのウサギとか不気味?そうかぁ?
まぁいいか。人それぞれだもんな。
さて。
「すまないな。俺に戦う力があれば何とかできるんだが……」
僕はテイマー。
テイマーってのは仲間のおかげでタフになったり素早くなったりはするけど、残念、自力で攻撃する手段がないんだ。こうやってちびたちの面倒を見たりする事しかできない。
でも、そう言うと目の前のウサギ巫女さんは心外ですと言わんばかりの顔をした。
「■■■様が後ろを固めてくださっているから、わたしたちは全力が尽くせるのです。ご自分を卑下なさるのはよくないかと……!」
そんな会話をしていると、また何か爆音がした。
「む、もしかして、またか?」
「今日は妙に襲撃が多いですね。■■■様、ここをお願いいたします」
「任せとけ……ところで忙しい時にすまない、ひとつ質問があるんだけど」
「あ、はい?何でしょう?」
この後の発言は、自分でもちょっと意味がわからなかった。衝動的に質問してしまったんだ。
「今じゃなくていい。あとで良かったら後で教えてほしい事があるんだ。頼めるか?」
「はい、それはかまいませんが。重要な事ですか?」
「あー、俺には重要かな。実はさっきから気になってたんだが」
「?」
「君、俺のことなんて呼んでる?そこだけどうしても聞こえないんだ」
「え……!?」
巫女さんはその瞬間、フリーズした。ものすごいショックを受けているのが、ありありとわかった。
「あ、いや、その、ごめん。失礼な質問だと思うんだけど、その」
「いえ、いえ!いいんです、そのような事、■■■様が気になさる事ではないのですから!……むしろそれは」
「それは?」
「いえ」
それだけ言うと、巫女さんはうっすらと微笑んだ。ウサギの顔なのに、なぜかわかった。
「わかりました。戻った時に■■■様がよろしければ、少しお話しましょう。では」
「あ、うん。いってらっしゃい」
なんだろう。
彼女、笑いながら泣いてるみたいに見えた。……僕は、知らずに彼女を傷つけてしまったのかな?
遠くで、誰かがざわめくのが聞こえたような気がした。
◇ ◇ ◇
普通なら、小さな女の子の一人旅は目立つもの。
だがフーの旅はちっとも目立たなかった。少なくとも最初は。
理由は、フーが街道でも何でもない荒野や草原を、しかもテクテク歩いていた事。よほどの事がない限り旅人は街道をいくものだから、この時点で既に普通の人にはまず見つからなかった。
ただし、途中までだが。
「……」
歩いているフーに、どこからともなくウサギが近づいてきた。フィールドラビットだ。
「……くる?」
フーは足を止めるとそれだけ言い、そしてまた歩き出した。ウサギはフーに続いた。とはいえフーの足は速くないので、進んだり休んだりであったが。
そうしたら、またウサギが現れた。またしてもフィールドラビットだが、今度は家族連れだ。
「……」
「……くる?」
フーの言葉に、代表らしいウサギがぷー、ぷーと答えた。そして旅に加わった。
ウサギはやってくる。次から次へと。
大きな岩の影だったり、丘の上だったり。いろんなところで。
「こんにちは」
「……くる?」
「はい」
しまいには二足歩行の上位種まで現れた。当然のように会釈すると、その上位種はぷー、ぷーと誰かを呼んだ。
「……お」
耳が小さく巨大。北方の大型種が、なぜ中央大陸にいるのか?
「乗ってください」
「……いいの?」
「その方が速く着きますよ?」
「のる」
即答すると、フーは上位種に手伝ってもらい乗った。
「行こう」
「ええ、行きましょう」
大型種も走るわけではないが、フーの足よりは断然早い。一行の速度は少しあがった。
群れが大きくなると、さすがに街道を外していても目立つ。少したつと、噂が流れはじめた。
いわく、女の子を先頭にした大きなウサギの群れが北西に移動している、と。
第六期の初期と比べると、今のツンダークは復興や進歩がやたらと早い。理由は謎とされているが、歴史学者たちは仮説をたてている。つまり、第六期に異世界よりたくさんの住民が渡ってきたが、彼らの影響が今も続いているのだという。とはいえ、多くの資料が失われている現在、その事実を確かめる術はもうないのだけど。
そのいい例が道路と馬車だ。
限りなくまっ平らな道路。サスペンションを搭載し、二重窓や魔道による冷暖房を駆使して快適性を保つ馬車。さらに高速馬車の場合は高速走行のためのゴーレム馬まで使用されていた。これらの技術はガラス同様、天変地異をも生き延びた。流通が早いという事は物資のやりとりも盛んという事で、世界はゆるやかに、しかし止まる事なく進歩を続けていた。
そんな彼らである。飛行機や飛行技術はまだ未発達であったが、超小型のグライダーゴーレムというユニークなものも作られていた。地球でいうところのバルサ材の超軽量飛行機に似ていたが、違うのは強度と機能。軽さの中にも強化魔術で強度が出されているうえに、魔道カメラまで搭載しており、これが音もなくフワフワと上空を飛び回っては、フーたちの画像を撮りまくっていたのだ。……後で群れに参加した魔道ウサギが、残らず破壊してしまうまでは。
百羽を越えた。小型のフィールドラビットでも人間の子供より大きかったりするのに、それが百以上。もはや威圧感までも放ちはじめていた。
五百羽を過ぎた。進行方向に猛獣がいても、次々逃げ出すありさまだった。
千羽を越えた。一匹くらいと狙ってくる馬鹿な冒険者以外は、誰も近づかなくなった。
その頃になると、もう誰も女の子の群れには近づかなかった。ただ、行き先と目的だけは誰もが知りたがった。
だが、奇跡のような確率で女の子に話す事に成功した記者は、さらに悩まされる事になった。
なぜなら。
『深海の女王様に会いに行くの』
なんの冗談かと思った。
だがテイマーとは特異な存在。彼らは個人でなく、群れ全体で一人なのだ。この時点で既に二千を越える群れだったため、その記者は考えた。本当にこの子なら、会いに行ってしまうかもしれないと。
しかし、深海の女王に逢って何をするというのか?
『会いに行くの』
女の子はただ、それだけを繰り返したという。
◇ ◇ ◇
かつて、はじまりの国と呼ばれたあたりを支配する国。その王宮。
「なに?少女テイマーの群れに異常が見られるだと?」
「はい。現在の頭数は推定で五千を超えておりますが……その、奇妙な事が起きておりまして」
「奇妙なことだと?」
「はい」
テイマーとはいえ、小さな女の子の率いる群れが五千羽を越えたというだけで充分に異常だというのに、いったいこのうえ何が起きたというのだろうか?
「陛下は、大将の残り火と呼ばれるモンスターたちをご存知ですか?」
「ああ、一応な。かの大英雄が率いていたモンスターたちだろう?主人のおらぬ今もかつての戦場にとどまり、誰にも懐かず、しかし世代交代を繰り返しつつ平和に暮らしているとか。一説には、力尽きた主人の帰りを今も待っているのだとか」
「実は、その残り火たちが動き出しているとの情報が」
「どういう事だ?……まさか」
「はい。そのまさかです」
「……そんな馬鹿な。今まで、どれだけの者が接近を試みたと思っているのだ?」
「私もそう思います。しかし事実、少女の群れに合流を開始しておりますれば」
「……ひとつ聞く」
「は、なんなりと」
「仮に、全ての残り火が少女の群れに合流した場合……その規模はどれだけになる?」
「はい……推定ですが、総数八十万を越えるかと。しかもその群れの中には、天災規模の竜種も含まれます」
「八十万だと!?」
見渡すかぎりの大地の隅々まで埋め尽くす、おびただしいモンスターの群れ。
王の顔がハッキリと今、蒼白になった。
「……ありえん。もしそんな規模の群れが本気で戦闘を開始したら」
「わが国どころか、この大陸が終わる勢いですな。まぁ、テイマーが人間国家を襲うなど、こちらから手出しでもしない限りありえませんが」
「……確かにな」
テイマーは人間国家を襲わない。それどころか争い自体を好まない。
それは経験則や信念などではなく、事実だ。そういう性格の者しかテイマーになれないのだから。
「しかし、それほどの規模となると二次被害の心配がある。何かあがっているか?」
「はい。群れを見かけた散歩中の老人が転んだ件のほか、数件ですが上がってきております。この点はさすがというべきですが」
さすが少ないという意味である。人間でも十万単位が一気に動けば多少のトラブルは避けられないのだから。
「そちらは補償してやれ。あと中央神殿の方にも情報共有の依頼を。何かあるかもしれぬ」
「はっ!」
だが。
では、その八十万という途方も無いモンスターの群れを率いた娘は、いったい何のために?
「とにかく情報収集を続けるのだ。何が起きても見逃さぬように。よいな?」
「はっ!」
◇ ◇ ◇
世の人間たちのあれこれな憶測をよそに、フーの群れは果てしなく巨大化を続けた。
ある時には巨大な魔獣が。
ある時には竜が。
そして。
「……ついた」
中央大陸、その北西の突端。
名もない岬周辺に、その巨大な群れは辿り着いた。
それは、この世界でも数百年ぶりにみる絶景だった。
見渡すかぎりの、うさぎ、うさぎ、うさぎ。まず、五十万はくだらない数のウサギで、しかもその十分の一程度の上位種を含んでいる。遠くの個体はもはや、かすんで区別もつかないほど。
次に、雑多な魔獣種。中にはかつて、小型種の拠り所となった巨大なツンダーク・マンモス種もちらほら見える。
そして竜種。中には西洋式でなく、本来ツンダークにいるはずのない、胴の長い『龍』種の姿まで見える。
その数、実に九十七万八千!
神話時代の再来ともいわれた、最盛期のサトル青年の群れがここに再現されていた。
「ぷー!」
「!」
突如、海に近いところにいるウサギたちが警告を発した。くるぞ、と。
凪いでいた海の一角が大きくゆらぐ。下から巨大な何かがあがってくる、それを誇示するかのように。
「……くる」
海が裂けた。
巨大な海は次の瞬間、見渡すかぎりの、ひしめく巨大な蛸と烏賊の魔界へと変貌した。
「うわぁ……」
フーは困ったように頭をかいた。巨大イカ・タコは苦手なのか、ちょっと腰が引けていた。
そして。
「……」
その巨大タコの上には、黒い水着姿の女がひとり、不機嫌そうな顔で腕組みして立っていた。