はじまり
「ここが、はじまりの町ってやつか」
彼、サトルはVRMMO、つまり3D仮想空間を使ったネットゲーム自体が初めてだった。だから想像以上のリアルな世界に驚き、へぇぇと唸りつつ町を見物して歩いていた。
チュートリアル設備にもいかずにウロウロするプレイヤーはたまにいるので見た者も「ああ、またか」と思うがそれ以上は気にしない。強いて言えば、彼がクリエイト時の布の服とボロ靴だけなのには眉をしかめる者が多かったが。たいていはクリエイト時に基本的に衣服をもらうのだが。装備してないという事だろうか?
確かにこの町ならば問題ない。
このゲーム『ツンダーク』では町の中でも聖域というわけではない。むしろ町の中だろうとなんだろうとモンスターは現れるわけで、それがイヤなら城塞のある町に住むか各種神殿に逃げ込めとはよく言われる事。
しかし例外として、この『はじまりの町』だけは別になっている。街自体がもともと神殿だった場所あるとかで、モンスターと犯罪者は入る事ができない。つまり、ここだけはスタートの布の服とズボンでも大丈夫というわけだった。
とはいえ、明らかに今日始めたようなプレイヤーに注目する者はいない。初心者誘導を行う者が存在するゲームもあるが、まだ『ツンダーク』は公開されて日が浅く、そうしたコミュニティはまだ生まれていなかった。
「えっと、まずはやっぱり情報だろうな。地図はあるかな?」
サトルは武器を持っていない。戦いに使えそうなものというとナイフ一本だけなのだが、それでも武器も防具も買おうという気配がない。それよりも地図を求めているようである。
表通りを見て回った。そこには道具屋もあったので、とりあえず入ってみた。
「いらっしゃい」
なんとなく万人むけのニコニコ笑顔で店主が迎えてきた。とりあえずグルッと品物を見渡すが地図はないようだ。
この世界の『店』の特徴なのか、コマンドの記述されたウインドウがポンって浮かんできた。それで用件が選べるようになっているのである。
しかしそれをサトルはちょっと見ただけで無視すると、直接こう言った。
「すまない、ちょっと聞きたいんだけど地図はあるかな?」
「地図ですか?」
サトルの質問に、店主はなぜか不思議そうな顔をした。
この選択肢は本来間違いであった。というのも周辺地図くらいはメニューから見られるため、ある程度遠くまで遠征するプレイヤーでもない限りいきなり地図を求める事はなかったからだ。しかもその頃になるとギルドに所属するようになるのが普通で、そうなればギルド地図というものが存在するのだ。もちろんそちらは玄人むけなので、最初からあるシステム地図よりもずっと広い範囲をカバーしている。
では、サトルはどうして地図を求めたのか?
まぁ結論からいうと全世界を回りたかったのである。サトルは選んだ職業の関係で武器戦闘がほとんどできず、むしろ隠密行動や幻惑魔法の類に適正があったからだ。つまり修行がてら廻国の旅というわけだ。
だがしかし、この選択肢もまた一般的には間違い。遠い街では敵も強くなる。街道にいるから安全というわけではないのだ。
だから店主はこんな事を言った。
「遠くにいけば強いモンスターが出ますよ。お客さんの場合、当面は地図はいらないかと思いますが?」
「うんわかる。だけどテイマーなんで、修行に使えないかと思って」
この一言がおそらく、サトルのツンダーク人生を決定づけたといえよう。
「ほう、テイマーですか!なるほど修行のためにねえ」
「はい」
ふむふむと店主は頷き、「いやまてよ?テイマーなら……」と何か棚の奥を探しはじめたのである。
余談なのだが、テイマーが実装された時にやりこんで見ようとしたプレイヤーは実にたくさんいた。だが彼らはその全員がセカンドキャラとして選ぶか特定のギルドで活動すると最初から決めていたため、固有の地図を買いに来る者が誰もいなかったのである。そも、土地勘ができてしまえば地図はいらない。やりこんだ廃人たちは地図なんかいらないのだ。
そして、その違いが彼ら廃人とサトルの道をさらに分けていく。
「テイマーならこちらはいかがです?地図ではなく指南書ですが」
「指南書?」
「はい。作者は不詳ですが、おそらく過去にテイマーとなった者の研究書だろうと言われておりますです、はい」
「へぇ……いくらだい?」
サトルは買おうとしたのだけど、まてまてと思いとどまった。
あたりまえである。値段も聞かずに本を買うなど無茶すぎる。
だが。
「さしあげますよ」
「へ?タダ?どうして?」
サトルの不思議そうな質問に、店主は苦笑いした。
「いやぁ、全然売れなくて山積みなんですよこの本。そもそもテイマーは今、不人気の職業のようでして」
「へ?そうなの?なんで?」
テイマー不人気というのはサトルも知っていたが、詳しい話まで知っていたわけではなかった。
なので、この世界の人が語る事情をまず聞いてみたいとおもった。
「いえね、テイマーってほら、武器も魔法もイマイチって印象あるでしょう?そのへんで嫌われてるようですねえ」
「それだけ?だけどモンスターをテイムできるって凄いと思うけど?」
「確かに凄いですね。だけどテイムするためには、自力でそのモンスターを手懐けなきゃならない。ご存知ですよね?」
「もちろん」
召喚獣と違ってテイムするモンスターは、あくまでも自分で集めなくてはならない。
だが、相手を倒せるだけの力がなくてはテイムも何もないだろう。
だからこそ、サトルもまずは修行をしようと思ったのだから。
テイマー職の主力である隠密やら幻惑魔法は、直接敵を殺すためのものではない。それは直接殺すよりも戦力的には不利なのだが、裏返すと戦わずとも修行し、経験点を稼げるのである。
だが。
「貴方のように異世界から来た方々は、誰ひとりとしてテイムする事ができなかったそうで」
「え?ひとりも?なんで?」
それはさすがに意外すぎた。どうしてだろうかとサトルも気になった。
だがその問いかけには店主は答えず、
「たぶんですがおそらく、テイムの考え方がそもそも間違ってるんだと思いますよ。あの方々は我々の話なんて聞きませんしね。
そして、自分たちだけで頭をつきあわせ悩んだ挙句、答えが出なかったのかと」
「ずいぶん間抜けな話なんだね……」
「ええまったく。わからなければ識者に尋ねればいいと思うんですがね」
サトルは初心者ゆえに知らないが、それは確かに真理だろう。
一般的なゲーマーは、どうしても既存のゲームの知識を元にする。テイムについても同様で、何らかのアイテム、あるいは戦闘での勝利、あるいは幻惑魔法で敵対関係を解除して……などなど、ありとあらゆる方法を試されたのだろう。
だがその探究心が逆に「現地のひとに事情を説明して意見を求める」という、よくよく考えれば当たり前の試行錯誤を忘れさせていたらしい。
なんとも情けない。
(まぁ、まだ公開されたばかりだしな。いずれ解明されるんだろうなぁ)
サトルはそんな事を考えると指南書をもらった。
「あ、でも読む場所がないな。図書館とか借りられるかな?」
「この時間だと図書館はもう使えませんね。うちの奥でもかまいませんが?」
「え、いいの?」
道具屋の裏なんて入っていいのだろうか?あくまでイチゲンの客にすぎないというのに。
だがそんなサトルに道具屋は笑った。
「ははは、兄さんがテイマーやるようになれば、指南書を買ってくれる人も増えるかもしれないだろ?そのくらいは投資のうちだよ」
「なるほど……。すみません、お世話になります。あ、僕サトルです」
「サトル殿ね。わしはこのガラム道具屋の主人で、ロル・ガラムだ。まぁじっくりやりなさい」
「ありがとうございます」
ゲームでも人の縁か。面白いものだなぁ……サトルは頭をさげつつ、そんな事を考えていた。
余談ではあるが、道具屋は宿ではない。だからゲーム的にいうと特殊イベントなのだが、道具屋に泊めてもらうなんて公式なイベントはツンダークには存在しなかった。単に道具屋のおやじがサトルを気に入った、それだけである。
サトルがもし筋金いりのゲーマーなら、道具屋のおやじが泊めてくれたという事実に驚くか首をかしげたろう。どんなVRMMORPGであっても、ここまで柔軟なNPC運営なんてされていないものだ。
それはこの『ツンダーク』ならではの特徴といえた。
実はこの『ツンダーク』の世界構築や運営・維持をしているのは多数のAIなのである。
もう少し具体的にいうと、人間のプログラマーでは人手不足でとてもデザインしきれないVRMMO世界を作成するために、まず神としてのコアシステムをAIベースで作成。ここから手を広げる形で世界自体をデザインさせ、これに人間スタッフが注文する形で構築されたのである。ひとも、風景も、町も、果ては武器戦闘や魔法のシステム、そして職業までも。つまり、異様に人間臭い道具屋のおやじもまた『神』である巨大AIが生み出した存在であり、杓子定規のプログラムされた物体ではない。
この事が何を意味するか。知る者はまだいない。