8話~センジョウの都市伝説~
カルテの作成も終盤に
さしかかったとき、コール音が鳴った。
珍しい。
訪問客だ。
小型スクリーンには
門の前に立つA棟担当者の姿。
そういえばA棟の教官は先週
受け持ちのアンドロイドを出荷して、
いま休養期間中だった。
A棟の教官は彼より少し先輩だ。
研修期間中に知り合いになり、
訓練所教官としてのコツのようなものを
教えてもらった。
仕事の愚痴をきいてもらったことも
何度かある。
彼はブラックコーヒーを
A棟教官の前のテーブルに置くと、
注入プログラムの進み具合を確認して、
自分もソファに座った。
「今回の出荷も滞りなくいきましたか?」
「うん、まあ。
1体だけ出荷できずに
スクラップ行きになってしまったが。」
「スクラップですか?再起動ではなく?」
「うん。最近は増えているようだ。
1体まるごとのスクラップが。
町外れの小屋の横に、スクラップ車の回収を
待っているものが置かれているようだ。
たぶんうちのと、F棟のヤツとM棟のも1体あったかな。」
「そうですか。そんなに。
再起動の限界がきているんでしょうかねえ」
「いや」
A棟教官が渋い顔をしたのは
コーヒーの苦さではなかった。
「噂だが」
カップを両手で抱えるようにもったまま、
黒い液体をじっとみている。
「あくまで、噂だが、
覚醒をおこしているんではないかと言われている」
「覚醒?」
彼は背筋にすうっと冷たいものが走った。
「ははは、噂だよ。
アンドロイドが目を覚ますなんて。
人間じゃあるまいし。
ただ、そういう噂があるんだよ。
裏の裏では。
わたしは昔、回収部隊に籍をおいていたことがあってね。
その時から都市伝説のような話がいろいろ。
血を流して死んでいたアンドロイドがいたとか、
回収しようとしたら 助けて と
ウデをつかまれたとか、
まことしやかに話す、
くだらない奴等もいたもんだ。」
A棟教官は
まるでウィスキーをあおるように
コーヒーカップをぐいっと空けた。
「そろそろ引退を考えている」
疲れてきた、という。
センジョウを意識しなくていい仕事につきたいと。
彼だってそう考えるときはある。
でもそれがどんな仕事なのか
自分では思い描く事ができない。
自分のすること。
昨日も今日も
そして明日も、
永遠に同じ繰り返し。
自分からレールをおりる事ができない。
大きな箱庭を覗き込んでいる別の世界の住人が
自分という人形を動かさない限り
どこへもいけないような気がしている。
もしかしたら、
この世界はアリスという女の子が見ている
ただの夢に過ぎないのかもしれない。
自分はただ夢の中の登場人物で
アリスの目がさめない限り
自分はずっと永遠にこのまま。
彼はぼんやりと考えた。
決して口には出せない意見だ。
考えていても言えない。
考えもせず言えもしないアンドロイドと
どっちが楽なのだろうか。
「何を考えている?」
A棟教官が唐突に聞いた。
「いや、別に。ただ・・」
「ただ?」
「私のところにも1体、
気がかりな個体があるものですから」
「どれ?」
彼は机のファイルから
一枚のカルテを取り出して手渡した。
A棟教官は黙ってカルテに目を通した。
「何も変わったところはないな」
「はい。でも・・」
「何かがひっかかる?」
「はい」
ふっとA棟教官はタメイキをもらす。
カルテを机の上にぽいっと戻した。
「気にしないことだ。
気のせいだと思い込んだほうがいい。
結論は最終チェックで決められる」
出荷したアンドロイドたちは
「ファーザ」と呼ばれる
チェックコンピューターにかけられる。
微細な不具合はここで篩にかけられるというわけだ。
ただし、この業界では「ファーザ」ではじかれるような
アンドロイドを出荷したということは
不名誉であり管理者として失格だ。
だったらいまここで篩にかけたほうが
自分の成績の為ではないだろうか。
「違う」
A棟教官はきっぱりという。
「これに気付いたということが問題になるんだよ。
カルテになんと書く?なんとなくヘンです、か?
理由付けができないものに
気がつくことが
誉められるべきこととは限らないんだぞ」
彼は、その通りだと思った。
でも、そうすべきなのか
そうすべきでないのか、
箱庭の外の住人が決めてくれればいいのに、と
思った。