15話~過去・あるいは伝説~
涙。
ぼくがアンドロイドではなくて
チャーリーという名前の子どもだったとき、
涙は一日の締めくくりだった。
枕に頭をのせて天井の模様をみていると
それがだんだん涙でぼやけた。
「アリス」
チャーリーは暗闇に向かって
姉の名をつぶやく。
チャーリーを産んだことで
亡くなってしまった母親のかわりに
自分を抱きしめて愛してくれたアリス。
もう彼女はチャーリーを
抱きしめることはできない。
たくさんの管につながれて、
切れそうな命の糸をこの世に繋いでいる。
「ぼくにはどうすることもできない」
チャーリーの涙は枕に吸い込まれていく。
夢は、よく見る。
それが幸せなころの思い出だったりすると
朝、よけいにつらくなる。
木陰で本を読んでいるアリス。
優しく頭をなでてくれるアリス。
「お父様には、内緒」と
ポケットからキャンディの包みを
そっと握らせてくれたアリス。
やがて歩くことが辛くなってきて
車いすに座るようになったアリス。
車いすを押すのが上手だとほめてくれたアリス。
「大きくなったわね」と
笑っていうけれど
違うよ。
ぼくが大きくなったのと同時に
アリスが軽く細くなっていっているんだ。
それがわかるから、ぼくは
褒められると、困った顔になってしまう。
「優しいチャーリー。
短い時間だけれど、あなたと過ごせる
お散歩はわたしの楽しみなのよ。
見て、チャーリー。
雲が形を変えていくわ。
世界がちゃんと動いているってことを
わたし、自分の目で見ていたいの」
けれど、
日に日にアリスは細くなっていく。
雨の日は外に出られない。
風の強い日も無理になった。
お天気すぎても、太陽に負けてしまう。
やがて
部屋の窓を開け放っておくことも
体にさわるようになってきた。
父親はアリスの部屋に
チャーリーを入れないようにした。
「お前はアリスを疲れさせるだけだ。
お前がアリスを擦り減らしているのが
わからないのか!
お前が散歩になんか連れて行かなければ
もっともっと
アリスに時間が残っていたかもしれないのに」
父親はアリスのために
たくさんの治療を試した。
家から離れさせたくないと、
多額の財産をつぎ込んで、屋敷のなかを
病院さながらに作り変えた。
それでもアリスの頬がバラ色に
戻ることは無い。
父親の人脈・財産・知識をもってしても
衰弱していくアリスにできること。
チャーリーにはもう、何も無かった。
眠るチャーリーの頬には
いくすじもの涙の痕が残っている。
それでも
アリスの頬よりはずっと、
ましなのだ。