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第六話

 先ほどの道を逆に辿るように、月明かりの山道を駆け抜けていった。

 一体の羅刹を相手にすることさえ難しいというのに、一度に四体も。とても勝ち目などない。このまま生きて逃げられるかさえも分からないのだ。

 ともかく、山を降りるしかない。

 先宵さきよいの月が照らす山道を只管ひたすらに駆けた。

 ただ、玖音に手を引かれて走るきさらに大きな怪我はない様子だった。

「もう、世話焼かせないでよ!」

「ごめんね、玖音くのん。青ちゃんもハチも、来てくれてありがとう」

 ぎこちないながらもきさらが微笑んだ時だった。

 その背景の暗黒に、ふっと血鎌が出現した。

「避けろ、きさら!」

 叫ぶと同時に、きさらをその場から突き飛ばした。

 手をつないでいた玖音も巻き込まれて悲鳴を上げながら転がったが、この際、仕方がない。

 二撃目が襲ってきたところで、左手の刀を振った。

 手ごたえなく、刃は文字通り空を切る。

「あれ、うまく刈れませんでしたか。いけると思ったんですけどねぇ」

 追いつかれた。

 あまりにも速すぎる。

 目の前には、闇に目立つ黄丹色おうにいろの髪と衣を纏った羅刹の姿があった。手には血色をした鎌を持ち、袖から覗く腕の皮膚にはまるで接ぎをしたように不調和な色が混ざっていた。

 にこにこと目を細めるそいつの後ろから、残り三体の羅刹も追ってくる。

「速ぇよ、はぎ! 一人で突っ走ってんじゃねぇ!」

 最初に追いついたのは、先ほど盛大に転ばせてやった大男だ。

 続いて紅髪の羅刹女が続いた。

「そうそう、獲物独り占めってのはないんじゃない?」

「ほんと、ここのところ、大っぴらに無族を狩るのが禁止になってんスから、ちっとは互いに協力したってよくないスか? ほら、ひぃふうみぃよ……数ぴったりだし」

 最後に追いついてきた声のでかい羅刹が勝手にこちらの数を勘定し、自分の相手を選び始めた。

 その間に羅刹たちから逃れる術を求めるが、さっぱり思いつかない。

「じゃあアタシ、あのチビっちゃいの~」

「ボクは女性がいいです」

「と、いうわけで俺様の相手は、さっき転がしやがったあれな」

 最悪だ。

 大男が俺を指さし、腕の太さに似合う大鎌を両手に振りかざした。

 くそ!

 玖音ときさらを庇うように、四体の羅刹と対峙する。

 地面に座りこんでしまった二人を挟んで、自分の背を預ける相棒が今は驚くほど頼もしかった。

つぎ、ボクの邪魔、しないでくださいね」

「お前が俺様の邪魔にならなかったらな」

 俺の側には血鎌の男と鬼の角を持つ大男。

「間違って無族じゃなくてアンタの事殺したちゃったらごめんねぇ~」

「はぁ?! ふざけんな、天音あまね、お前何言ってやがんだ!」

 でこぱち側に紅髪の羅刹女と声のでかい男。

 明らかに格上だと分かっている相手と戦うのは久しぶりだった。

 感覚を研ぎ澄ませ。

 些細な動きも見逃すな。

 俺が戦闘態勢に入ったのを感じ取ったのか、つぎと呼ばれていた羅刹はにんまりと口元を緩めた。よく見れば、その口の端は大きく横に裂け、無理やり縫い付けた痕がある。

「いい度胸だ。久々に楽しめそうだぜ」

 甚だ巨大な二本の鎌は切れ味鋭く、月の光を受けて怪しく煌めいた。

 それに対し、はぎと呼ばれた血鎌の男は、にこにこと笑いながらさらに面倒な事を言い放つ。

「さっき、ボクの攻撃に気づいたのは貴方ですよね。今度は邪魔しないで頂けます? ボク、どうしても彼女が欲しいんですよ。ね?」

巫山戯ふざけるな」

 一蹴すると、はぎはそれでも笑顔のままに手にした血鎌をこちらへと放ってきた。

 何の予告もなく、戦闘開始。

 鎌を放つと同時に自らも凄まじい速度でこちらへ飛び込んできた。

 速い!

 反応するのが精一杯、避けたところへ今度はつぎが待っていた。

 大気ごと両断する大鎌が、頭上すれすれを走り抜けていく。

 あんなものに少しでも触れたら、皮どころか肉まで裂けてしまう。

 足元を狙ってきた大鎌を避け、空に飛び上がった瞬間、喉にひやりとしたものが巻きついてきた。

「……ぐ」

 頑丈な鋼の縄が喉元を締め付けた。

 途方もない力で引かれ、一瞬意識が飛びかける。

「……の、やろっ……!」

 刹那、半歩後退する。

 一瞬縄がたわんだ隙に、首元に手を突っ込み、全身を使って逆に引いた。縄の先にいた相手が体勢を崩し、完全に縄が緩んだのを見計らって何とか縄を抜け出し、咳き込む。

 ほんの短い戦闘の間に、息が上がってしまっている。

 血鎌の柄から長く伸びた鋼の縄をくるくると回収し、はぎは首を傾げる。

「あれ、また抜けられちゃいました。おかしいですね」

「おい、はぎ、お前手加減してんじゃねぇだろうな?」

「違いますよ。つぎこそ、無族の子供如きを相手に手こずらないで下さいよ。いつまでたってもボクがあの子に近づけないじゃないですか」

「あぁ?! それは俺様の所為じゃねぇだろ」

 くだらない口喧嘩をする二人には、まだ余裕があるように見える。

 たのしんでいる。

 羅刹族である彼らにとっては『無族』と呼び蔑む俺たちヒトとの戦いでさえ、娯楽となってしまうのだ。それは、彼らが戦闘種族と呼ばれる所以でもあるのだが。

 ならば、本気になる前に決着をつける以外にない。

 標的を、血鎌のはぎに絞った。

 速度と間合いにさえ気を付けていれば、まだ相手になるはずだ。

 先手必勝。

 瞬間飛び出した俺を見ても、はぎは全く慌てなかった。

「あれ、やる気ですか? ボクの方を抑えても――」

 笑顔を崩すこともなく、彼はふっと右方向を指さす。

「衝を抑えなかったら意味がないと思いますけど?」

「?!」

 視力のない右側から、殺気。

 巨大な気配が襲いかかってくる。

 俺が剥に狙いを絞る事が読まれていたのか。本気になる前に決着を焦りに来るのも読まれていたのだろうか。

 それともただ俺の失った右を最初から狙っていたのか。

 大きく両手を交差させ、大鎌を構えたつぎを左目の隅に捉えた。

 回避する道は左しかない。

 と、体重をかけた瞬間、右足に激痛が走った。

 治りかけの傷口が開いた。

 無茶な登山をしたせいだ。

 重心が右に傾ぐ。

 体勢を崩したところに、両側から交差した鎌が迫っていた。

 目の前を死の影が過った。



 助けてくれたのはこれまで幾度も積み重ねてきた死線を越える戦の経験だった。

 無意識に反射的に、鎌が交差する根元に自らの刃を指し込んでいた。

 がきり、と鈍い音がして鎌の動きが止まる。

 が、止めきれなかった勢いで鎌の刃が肉に食い込んだ。

「ぐぁっ……」

 腹の両側に鋭い痛みが走ったが、分断されるよりマシだ。

 その隙に刀を捨て、衝と距離を置いた。

 獲物を失った二本の鎌は、一瞬の楔として挟んだ俺の刀を真っ二つにへし折った。

「命だけは守ったか。賢明だな」

「……これで命を守れたなんて言わねぇよ」

 ぼたぼた、と地面に鮮血が散る。

 腹に当てた手に、生温かいものがぬるりと触れた。

 これは相当ヤバいな。

 息をする度、灼熱の痛みが襲う。かなり深くやられている。下手に動けばはらわたが飛び出かねない。

 そして手元に武器もない――万事休すか、と思った時だった。

 背後で玖音くのんの悲鳴があがった。

 気を取られ、視線を遣った衝が、息を呑んで硬直する。

 何だ、と痛みをこらえて振り向くと、そこには向日葵色の衣を翻して立つ、相棒の姿があった。


 手にした何かをずるり、ずるりと引きずっている。

 いつも軽快な歩みが、まるで地を這うようになっていた。

 きろりと睨みつける瞳の色に、全身の血が逆流した。

「次、誰?」

 にぃ、と口が笑みの形に歪み、手にしていた何かをどさりと地面に落とした。

 先ほどまで大声でわめいていた筈の羅刹の躰だった。

 さぁっと背筋が凍る。

 顔の半分に返り血を浴び、ふらりと立った耶八が、刀を振りかざす。顔だけではない。刀も、手も、上着も、履物さえ赤の飛沫が飛び散って、壮絶な様相を呈している。

 もはや耶八自信の血なのか、返り血なのか、判別がつかないほどに。

 俺は、『これ』を知っている。

 失ったはずの右目が疼く。

 耶八が羅刹を手にかけ、次の獲物を求めた視線が辿り着いたのは、最も近くにいる相手――

 息を吸うだけでも走る痛みに耐え、腹の底から声を絞り出した。

「やめろ!」

 反動で激痛に襲われ、思わず地面に膝をつく。

 その声に反応し、耶八の目がこちらを向いた。

 標的を玖音たちから俺に変え、ふらふらとした足取りでこちらに向かってくる。

 その敵意を自分に向けられたものだと思った衝と剥が臨戦態勢に入る。

 が、ふっと姿を消した耶八が地面に伏せたのは、俺の方だった。

 傷が開き、全身が悲鳴を上げる。

 息が出来ない。

 必死で声を絞りだした。

耶八・・!」

 その名に、ほんの一瞬だけ力が緩む。

 今しかない。

「目ぇ覚ませっ!」

 左腕の力だけで背に乗った耶八ごと体を浮かせ、全身のばねを使って逆に地面に叩きつけてやった。

 ごん、と大きな音をたてて頭から地面に突っ込んだ耶八。

 そのままぴたりと動きを止めたが、ほんの数秒でがばっと起き上った。

 頭を打ったせいか、ゆらゆらと左右に何度か揺れた。

 それを吹き飛ばすかのようにぶるる、と頭を振って。

「……青ちゃん」

 きょとん、とした目がこっちを見ていた。

 ようやくでこぱちが落ち付いたのを見て、全身の力が抜ける。

 もう駄目だ。これで立ち上がる力も残ってねぇ。

 腹の傷から流れ出す血がもはや許容量を越えている。

「俺まで殺す気か、馬鹿野郎」

 最後にそう吐き出して、地面にどさりと倒れ込んだ。

 灼熱のようだった痛みが少しずつひき、代わりに全身が急激に冷えていく。

 このままではかなり危険だろうことはわかったが、指一本動かせそうになかった。

「青ちゃん!」

 でこぱちの悲鳴が遠ざかっていく。

 このまま意識を失ってしまえば、もう二度と目覚める事もなくて楽だろうか。

 もう意識を保つのも面倒だし、きさらと玖音の事はでこぱちに任せてしまって――

 と、そこまで考えてはたと我に返った。

 あの二人は、どうしている?

 心臓がどくり、と脈を打った。

 それに合わせて、傷口からどろりと血が流れ出た。

 いかに敵が羅刹と言えども、あの短い時間ででこぱちが『あれ』になるはずがない。

 でこぱちの理性を飛ばすような決定的な『何か』が、在ったはずだ。

 いったい、何があったんだ?

 重力に任せて首を横に向け、薄眼を開けた俺は、目の前の光景に息を呑んだ。

 熱を失ったはずの体の中心がかっと熱くなった。

 無意識のうちに、喉の奥から咆哮があがった。

 痛みは、完全に遠ざかっていた。

 なにしろ、血溜まりの中に倒れていたのは、きさらだったから。


 心の奥で、鬱積した澱みが嘲笑する。


――だから、何か求めてもロクなことないって忠告しただろ?

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