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おわり


 翌朝、きさらはでこぱちと竹千代におつかいを申しつけた。

 引率に玖音をつけて。

 買ってきてね、と頼んだ品が、どう考えても遠出用の品なのは、何かの嫌味だろうか――きさらはすでに、なにもかも知っている気がする。

 3人の姿を見おくったきさらは、俺の方に向き直って言った。

「……青ちゃん、話があるの」

「俺はねぇよ」

 逃げようとする俺の上着の裾を捕まえ、きさらは縁側へと戻った。

 仕方がない。

 俺は観念してきさらの横に座った。

「朋香さんに聞いたよ。青ちゃんたちは、江戸に行くの?」

「ああ」

 もう隠すこともないだろう。

 はっきりと答えた俺に、きさらは微笑んだ。

 やっと答えてくれたね、と。

「……どこまで聞いた?」

「私が聞いたのはそれだけ。朋香さんは、あとは本人に聞きなさいって」

 あのあやかしは、俺たちに猶予を与えたのだろうか。

 それとも、俺のようにきさらに争いを告げる事を躊躇したのだろうか。

「お前がどこまで知ってるか分からないが……羅刹と和平が結ばれたろう。そんで、なんか賽ノ地全体がごたごたするらしいから、町奉行が手伝えって言った。その手始めに江戸へ行って来いって言われたから行くだけだ」

「羅刹のお城がこの場所に造られるからだよね」

「ああ、そうだ」

 きさらは視線を落とした。

「じゃあ景元様は、もう青ちゃんたちを狙ったりしないの?」

「あれは、俺と賽ノ地町奉行所が対立してると中央政府に思わせる為の芝居だ。俺たちは表向き、賽ノ地を見張る隠密として江戸政府に雇われるんだ」

 さらりと告げた言葉に、きさらは息を呑んだ。

 それはつまり、中央政府を完全に敵に回すことと同義だからだ。

「どうしてそんな大事なこと、教えてくれなかったの?」

 ああもう、めんどくせぇ。

「俺も昨日になって知ったからだ。ジジィのやつ、町奉行と結託してやがった癖に何も言わねぇし、羅刹の一件も下手したらあいつらが仕組んだことだ。烏組がどうかはしらねぇが、緋狐と狸休の様子からみたら知ってるんだろうな。全部嵌められた。ったく……」

 珍しい長い台詞を聞き終えて、きさらはくすくすと笑った。

「めんどくせぇって言わないんだね」

「言わねぇだけで思ってる」

 ため息をついて答えた。

「でもまた、争うんだね」

 ぽつりと言ったきさらはほんの少し寂しそうな顔をしていた。

「羅刹のヒトたちは怖かったけど、本当はもっと仲良くなれるはずだよ。きっと将軍様もそう思って和平を結んだに決まってる」

「お前、自分が殺されそうになったこと忘れてないか?」

「忘れてないよ。すごくこわかったことも、青ちゃんとハチに大怪我させたのが羅刹だってことも分かってる。でも――」

 きさらはそこで言葉を切った。

 何か言おうとして、やめたようだった。

「大丈夫だよ」

 それでも、きさらは微笑わらう。

「いつか、来るよ。竹千代ちゃんも、羅刹族も、朋香さんも緋狐くんも狸休くんも。みんなが一緒に、争わずに暮らせる日は来るよ」

 霞色かすみいろの瞳に、迷いはなかった。

 優しく強いその光は眩しい。相棒と同じ、俺が求めた暖かな太陽の光だ。

「お前はすごいな、きさら」

 俺はきさらのようには信じられないから。

 いつかくる、なんてそんなの待ってもいられない。

 ただ目の前の大切なモノを守ろうと決心するだけで精一杯なのだ。

 だから、お前は知らなくていい。

 知らなくてよかった事なんて一度もない、と叫んでいたが、知らせる方にだって事情はあるんだ。

 どうしても、知られたくないことだってあるんだ。

 たとえば、俺が江戸へ向かうのがお前の為だって事なんかも。

 倒れ込むようにしてきさらの膝の上を占領した。

「どうしたの、青ちゃん?」

 ふわりと優しい手が頭を撫でてくれる。

「頼む、このまま……」

 甘い香りがする。

 芥子とは少し違う花の匂い。

 それでもその香りは、俺の中の焦燥を残らず奪っていった。

 この場所なら、澱の囁く声は届かない。

「きさら……お前、いい匂いするな」

「そう? 紅花の匂いかな?」

「ん、すごく落ち着く」

 今日の昼寝の場所はここにしよう。

 きっとすぐ、やかましい相棒がやかましい忍の少女とやかましい鬼の子を連れて帰ってくるはずだが。

 それまではこの穏やかな時間を堪能しても赦されるだろうか。


「青ちゃんっ」

 耳元で大音量の目覚まし。

 きさらの膝ででうつらうつらと惰眠をむさぼっていた俺は、案の定だと思いつつ薄く目を開いて声の主を見た。

 くすくすときさらの笑い声が聞こえた。

 めんどくせぇ。

 見慣れた顔が見えたので、そのまま瞼を落とす。

 どうやらそれが不満だったようで、再び大音量。

「あーおーちゃん!」

 ああもう、これ以上放置する方がめんどくせぇ。

「何だよ」

 ゆるりとした動作で頭をあげ、半分目を開ける。

 俺を起こしたのは、どうせ驚くほどくだらない理由に違いない。

 うるさいから向こうへ行け、という言外の感情は伝わらない。

 広いでこに皺を寄せ、むっとした表情の相棒は、不平不満をまき散らし始める。

「あのさー、あのさー、竹千代がさー、おやつに取っといたおれの芋、食べちゃったんだ!」

 ああもう、極限にめんどくせぇ。

 案の定、心の底からどうでもいいことだった。

 楽しそうに笑うきさらが、またふかしてあげるから、となだめていた。

 置いてかないでよね、と不満をもらしながらも竹千代を連れた玖音が向こうから駆けてくる。

 驚くほど平和だな。

「どうでぇ、青」

 縁側に続く部屋からジジィの声。

「大切なモンがあるってのも、悪くねぇだろ?」

 煙管を咥えた口に笑みを湛えながら。

 俺はため息をひとつ。

「そうスね」



 世の中すべてに興味のなかった自分。

 そんな自分が、初めて自ら選んで、努力して、手に入れたものだから。

 手に入れれば、失う。

 それは当たり前だ。

 それでも俺は生きていくと決めた。


 この救いのない世界で、大切なものを手にして、護っていくと決めた。


 だからきっと、俺はこれからも「それ」を恐れ続ける。

 その恐怖は、生きている限りにおいて消えはしないだろう。


 それでも、俺は――






 旅立ちは、日差しに夏が混じってきた朝だった。

 梅雨入り前のあの日、盗賊狩りの女が俺に喧嘩を吹っ掛けてきたところから始まった物語は、ここでいったん幕を下ろす。

 酷く長い雨の季節、俺は様々な感情を経験した。

 絶望もした。

 諦める事もした。

 怖くてこの場所を逃げ出した。

 でも、最後には此処へ戻ってきた。

 だからきっと、俺はまた戻ってくる。


 お見送りする、と言って聞かない竹千代ときさら、そして玖音を引き連れて道場への道を往く時、あの女が正面から歩いてきた。

 輪を作る花緑青。先日の怪我が完治していないのだろう、袖から覗く腕には痛々しく、幾重にも布が巻かれていた。

 町奉行からなにかきいているのか、喧嘩を売ってくるようなマネはしなかった。

 それでも、相変わらず真っ直ぐに前を向き、挑むような視線で俺たちに向かって真っ直ぐ歩いてきた。

「……影元様の命を受けたらしいな」

 すれ違いざま、囁く。

「お前には関係ない」

 返すと、ふんと鼻で笑われた。

 挑発的な翡翠色の瞳が見上げていた。

「精々江戸でもがくがいい。この地を失いたくなくば」

 去っていく毅然とした後ろ姿を見送り、俺は再び歩き出した。

 俺たちが江戸へ行くのはあの町奉行の為なんかじゃない。まして、賽ノ地全体の為だなんて死んでも言わない。

 でも――

 いつの間にか、きさらと竹千代の足元を転がるように二匹のケモノが駆けまわっていた。

 団子屋の前を通れば、やかましい岡っ引きがでこぱちを呼ぶ。

 いつの間に俺たちは、この地へ根を下ろしたのだろう。

 ずっと根無し草だった俺たちは、何故かこの地の為に江戸へ向かおうとしている。

 不思議と不快ではなかった。

 面倒は否めないが、その面倒さですべてを捨て去る気にもなれなかった。

 道場の前では、立待が大きく手を振っていた。



「行ってらっしゃい、青ちゃん。ハチも、気をつけてね」

「うん、すぐに戻るよ!」

 大きく手を振るでこぱち。

 俺たちを先導するのは浅葱鷺之丞あさぎさぎのじょうと立待、そして居待。

 先達になると言った居待はきっと、中央政府お抱えの隠密だ。要するに、俺たちの先輩にあたるというわけだ。

 躑躅色つつじいろの着物を翻す少女の後ろ姿を見て、これからを思いため息をついた。

「青殿、耶八殿。出発いたしましょう」

 居待の親父が号令をかけて、立待と居待がそれに続く。

 そして俺たちも手を振るきさらたちに背を向けた。

 俺たちは、江戸へ向かって一歩、踏み出した。



 きっといつか、辛い別れが来るだろう。

 大切なモノを失って、悲しむ日が来るだろう。


 それでもその時は、俺の目を持っていったお前が泣いてくれ。

 俺の傷を塞いでくれたお前が泣いてくれ。


――きっともう俺は、泣かないから。






おしまい



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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