第二十話
誰より信頼する相棒を、たった一人で先に向かわせてしまった。敵は賽ノ地町奉行なのだ。到底、一人で刃向える相手ではない。
すぐに追わねば。
武器を手にした3人の後ろの草庵へと続く坂道の上から烏之介が見下ろしていた。何かを企んでいるような目も、余裕を見せる口元も、のらりくらりと逃れるその口調も、何もかも気に喰わない。
傍を通り過ぎていったでこぱちを止めようともしなかったことも、何より、得体の知れぬ力でジジィを縛り付けた底知れぬ実力が怖ろしい。
女が手にした槍の輪がぶつかり合い、しゃん、と澄んだ音が鳴った。
「また遇ったな、盗賊」
「前から言ってるだろう、俺はもう二度と会いたくねぇよ、盗賊狩り」
細く息を吐き、急く気持ちを抑えて俺を囲む盗賊狩りたちをぐるりと見やる。
正面に槍の女、右手に大槌を肩に担いだ緋狐、俺の一撃が聞いたのか、咳き込む狸休が左手に立った。
一人ずつ殺るしかない。
かつてきさらがケモノたちを治療したことも、羅刹を前に共闘したことも、でこぱちに見舞いをくれた相手だということも、もはや関係ない。
こんなやつら、これまで何度も相手にし、その命を奪ってきた。
それなのに。
何故だ。
どうして――躊躇しそうになる?
「ぼーっとしてんじゃねぇよ!」
大槌を振りかざした緋狐が先陣切って飛び込んできた。
この大槌を相手にするのは初めてではない。
完全に槌の間合いを見きって横に跳んだ。
ところが。
俺の目測を越えて、大槌が迫ってきた。
明らかに先ほどよりも間合いの遠いソレは、正確に俺の顔面を狙って飛んできている。
「?!」
みるみるうちに距離を縮めた大槌が目の前に迫る。
驚く間もなく、顔面に衝撃。
ぽた、と地面に血が落ちた。
「……のやろ」
大槌を振り回すことしかできない馬鹿かと思いきや、小手先の細工なんぞ覚えやがって。
鼻血を腕で拭き、再び緋狐を睨みつけた。
にやにやと笑う緋狐の手に、柄の短くなった大槌がおさまる。
槌の柄が確かに『伸びた』。
一定の間合いで降り舞わす大型武器でこそ戦いやすいというもの。大槌の柄が伸縮自在となると、その戦いにくさはこれまでの比ではない。
ふざけたことしてくれやがって。
おそらくこれは緋狐の知恵ではない。
その背後に笑顔で佇む黒ずくめの男をぎりりと睨んだ。
あいつの入れ知恵か。
緋狐が槌を振り回すたび、槌の柄が伸縮し、目の錯覚を誘発する。
伸び縮みする様を見ているだけで、目が回ってしまいそうだ。
と、そちらばかりに気をとられてはいられない。
頭上から降りてきた殺気に、その場を飛び退った。
槍に全体重をかけて狙ってきた女は、そのまま槍の先を地面にめり込ませる。
武器を地面から抜く前に攻撃を――と思った瞬間、狸休の放つ小刀に掠められる。
「お前に個人的な恨みはねえし、あの紫の嬢ちゃんが泣くかもしんねぇけど、こっちにも事情ってもんがあるんでな」
「そうそ、大人の事情ってヤツや」
何が大人の事情だ。
そんなもの、知ったこっちゃない。
俺には――俺たちには、関係ない。
めんどくせぇ。
羅刹とヒトが和平を結ぼうが、賽ノ地に羅刹城が誘致されようが、盗賊が狩られようが、どうでもいい。
「……めんどくせぇ」
少しばかり懐かしい口癖を口の中で反芻して。
はあ、とため息をついたところでようやく、俺の中に余裕が戻ってきた。
急いてしまえば気ばかり焦る。
焦ったままではろくな考えも浮かばない。
考えずに戦うでこぱちと違って、俺は思考を止めた時点で負けなのだ。
危うく自分の戦闘を忘れてしまうところだった。
焦るな。
落ち着きを取り戻して刀を握り直せば、ようやく『元に戻った』気がして思わず口元に笑みを湛えていた。
「本当に巫山戯た野郎だ」
余裕の笑みととった女が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
顔の横で輪を作るように結いあげた花緑青の髪が揺れた。
あいつは俺と違って、考えるより先に行動できる。
しかし、俺にはどうしてもそれができない。
その代わり、俺は考えながら戦うことが出来る。
そう、簡単な事だ。
冷静になればあの武器の弱点などすぐに見えてくるのだから。
「死に曝せ!」
一度に飛びかかってきた3人との距離を測り、大きく上に跳躍した。
標的を見失った3人が躊躇する間に、頭上からまずは狸休を狙う。
羅刹と、羅刹を手玉にとる居待とばかり戦闘を繰り返してきた俺にとって、こいつらの動きは、こいつらの反応は遅すぎると言っていいくらいだ。
気づいて頭上を見上げる頃には、もう遅い。
背後に滑るように降りるついでに、狸休の後頭部を刀の柄でしこたまうちつけてやった。
声もなく地面に崩れ落ちた狸休。
「てめぇっ」
大槌を振り回す緋狐からは距離を置く。
3人を一度に相手するのが無理なら、一人ずつ倒せばいい。
簡単な論法だ。
俺が思考を挟む隙もない。
と、次の瞬間、大槌の柄がこれまでの比にならぬほど伸びた。
「?!」
避けきれない。
左手の刀で受け止めようとするが、勢いのついた大槌を止めきることは出来ず、そのまま横に吹き飛ばされてしまった。
杉木に右半身を打ちつけ、息が止まる。
咳き込みながら膝をつくと、頭上からさらに殺気が迫ってきた。
そちらに視線を向けず、刀だけで斬撃を逸らした。
「……よく避けたな」
怖ろしく近くで女の声がした。
耳元に囁かれているような感覚に、思わずその場を飛び退る。
「馬鹿が、それで避けたつもりか! 潰れちまえ!」
大槌が空をきる音がした。
それを察した俺は、ほとんど反射的に強く地を蹴る。
大槌から離れる方向ではなく、その逆へ。
「馬鹿はお前だ」
刀の鎬が、がりがりと大槌の柄を抉った。
勢いが殺された大槌は停止。
「な……んで……っ」
同時に蹴りあげた右足が、槌を振り下ろした勢いと相まって鳩尾に深くめり込んだ。
「いくら伸びようが、いくら縮もうが、手元は一緒なんだよ、阿呆」
俺の言葉を最後まで聞いたのか。
気を失った緋狐の体が地面に縫い付けられる前に背後で鋭い殺気が弾けた。
最後の一人だ。
いや、二人なのか?
槍の女と俺が向き合うすぐ傍で、ただ成り行きを見守る烏之介がいったい何を考えているのか分からない。
今は胡散臭い笑み張り付けてを見ているだけだが、あいつが戦場に出てきたとしたら、戦局は一変するだろう。
そうなる前に決着をつけてやる。
強い意思を秘めた翡翠の瞳を真っ直ぐに睨み返した。淡い色の着物が映える漆黒の衣を翻し、身の丈より長い槍を構えて。
すべてが始まったあの日と同じだった。
この女に襲われたあの日から、何もかもが始まったのだ。
ならば俺は、再びこいつをうち負かして先に進めばいい。
何度でも向かってくると言うのなら――何度でも、完膚なきまでに叩きのめしてやればいい。
「これで終いだ」
女は槍をひき、身体を捻る様にして構えた。
武器を納めたその体勢からくりだされるのは、おそらく一撃必殺の神速の突きだ。
槍の先に括られた輪がぶつかりあい、軽く澄んだ音が響き渡った。
余韻を残し、辺りの空気に紛れたその音は耳に残る。痺れの様な耳鳴りと成って。
真正面から迎え撃つ気で、俺も左手の刀を引いた。
鞘のない納刀。
双方の呼吸が聞こえないほどの静寂に包まれた。
はるか右手の山の向こうに、太陽が沈んでいく。最後の一筋を残し、今まさに消えんとする光の粒が辛うじて残存している状態だ。
双方、未だ動かない。
黄昏がすぐそこにまで迫っている。
陽が隠れる。
闇の時刻がやってくる。
最後の一筋が、山の向こうへと消えた。
空に残るのは、俺の髪色と同じ紺碧。
女と俺は同時に地を蹴った。
互いに距離をつめれば、一瞬にして敵の間合いへと入る。
槍の方が長い分、有利だった。
だから、女は勝利を確信していたのだろう。
何の迷いもなく俺に向かって切っ先を突き出した。
全体重、全速力、すべての力を込めた一撃を。
正確に喉元を狙ってきたその攻撃も、ひどくゆっくりと見えた。
時の流れがせき止められたかのようだ。
音はない。
色もない。
その中で、ただ身に染みついた感覚だけが俺の身体を突き動かした。
無意識に刃を裏返した事にも気づいていなかった。
駆け抜けた刹那、喉元に鋭い痛みが走る。
槍の刃でぱくりと割れた傷は、ぱっと鮮血を散らした。
刀を地面に差してから傷を確かめたが、大した傷ではない。
背後からはどさり、と何かが地面に落ちる音。
首の傷を抑えて振り返った俺が見たのは、地面に倒れ伏す女の姿だった。
最後に刀を逆刃に持ち替えたから命まではとらないだろうが、肋骨の数本くらいは折れた筈だ。
「何故殺さない」
「……羅刹の時の、礼だ」
ただの誤魔化し言葉を吐いたが、女は納得しなかっただろう。
もちろん、俺もそんな理由じゃない事くらい心のどこかで気づいている。
女は痛みに震えながらも顔を上げた。
「羅刹は嫌いだっ」
「……俺も嫌いだよ」
「盗賊も大嫌いだっ!」
「ああ、そうか。俺も盗賊狩りは嫌いだ」
悔しさにうち震える盗賊狩りの女は、射殺さんばかりの目で俺を睨みつけた。
「貴様も次に遭った時は、殺してやるっ……!」
「だから言ってるだろうが」
荒くなった息を整えながら、俺は幾度目になるか知れない台詞で返答した。
「俺はもう二度と会いたくねぇよ」
そこでようやく俺は、短い戦いのすべてを見守った烏組の頭に目を向ける。
結局、手を出さずに部下が最後までやられるところを見守ったコイツがいったい何を考えているのか、俺はさっぱり見当もつかなかった。
絶対的な信念を持って俺たちと向かい合った近松景元とは正反対、烏之介から感じるのは、信念が見えない恐怖だった。
相変わらずにこにこと、感情の読めない男はすぃ、と身体をずらして俺に道を開けた。
「早く向かわれた方がいいと思いますよ? 彼は、私と違って不器用で、手加減がとても苦手ですから」
「お前は戦わないのか?」
足を止め、訝しげに見た俺の視線に、烏之介は小首を傾げる。
「貴方が私と戦うことで得られる利益はないでしょう? 合理的な考え方をする貴方ならすぐに分かるはずです」
意味は分かるが理解しがたい言葉を吐いて、烏之介は肩を竦めた。
じゃあなぜジジィを、と言いかけてやめた。
無駄な問答だ。
「私はこれから部下たちの怪我の治療をしないといけませんから。でもきっとまた会うでしょうね」
「俺はもう会いたくねぇって言ってんだろ」
くすくす、と笑った烏之介は、当たり前のように殺気も何もないまま俺の傍を通り過ぎていく。
しかし、最も近づいた時、ふいに何かを口にした。
「――」
聞き取れなかったその言葉は、夢の中で少女の声が呟いたのと同じ響き。
はっと振り向いた時にはすでに、男の姿はなく、地面に転がっていた筈の3人もいなかった。
この一瞬で、いったいどうやって……?
それに、最後の言葉は。
――赤は嫌いなの
猩々緋色の過去にとらわれそうになって、はっとする。
こんな事をしている場合ではない。
地面に刺していた刀を抜き、草庵への坂を駆け上った。