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第十九話


 最悪だ。

 最悪に輪をかけた最悪だ。

 立ちはだかるのは賽ノ地町奉行近松景元ちかまつかげもととその隠密である朋香、そして烏組からすぐみの女と二匹のケモノ、そして頭の烏之介うのすけ

「困りますね、景元様」

 肩に一羽のカラスを携えた烏之介は、町奉行に向かってにこにこと目を細める。

「大将はお白州に籠って、面倒事を我々下民に申しつけていただければよいのですよ。それなのに、貴方ときたら」

 扇子の奥でため息をつき、3名の部下に待機を命じた。

 人の言う事などまるで聞きそうにない女と、二匹のケモノが素直に従ったことからも、この男の得体の知れなさが伝わってくる。

「こうして私まで部下を引き連れて参戦することになってしまうでしょう?」

「何がだ、もういいって言っただろうが。しばらく引っ込んでろ」

 急に不機嫌そうな顔になってしっし、と烏組を追い払おうとした町奉行の感情などお構いなしに、烏之介はすたすたとジジィの方へ向かった。

「この方が邪魔なのでしょう?」

 くすくすと笑いながら、烏之介はつい、と天を指差した。

 肩に止まっていたカラスが羽ばたき、俺たちの頭上を旋回した。

 くるくるくる、と回りながら、いつしか数を増やしていく。

 一羽、二羽、三羽、四羽……夕刻の空を黒で染め抜くように、黒い翼が点々と茜色の空に現れた。

 これはあいつの仕業なのか?

 ここのところ草庵を見張るようにして烏が多くいた事を思い出す。

「相変わらず気味悪いヤツだな、お前は……」

 多少表情を歪めた町奉行だったが、烏は増えるだけで特に降りてこないことを悟り、手にしていた刀を再びジジィへと向けた。

 その場だけ空気が張り詰める。

 背筋をぞくりと何かが走り抜けた。

 まるで町奉行とジジィが向かい合ったその空間だけ、別の次元にあるかのような気がして、酷く遠かった。

 その空気を愉しむように唇の端をあげた町奉行は、右足を退いた。

 臨戦態勢。

「悪いが待つのは性分に合わないんでね、先手取らせていただきます」

 町奉行の言葉にジジィが返答するより先に、町奉行は飛びだした。

 速い!

 しかし、ジジィは慌てなかった。

 手にしたでこぱちの刀を悠然と構え、町奉行の突進を待つ。

 ところが、町奉行を迎え撃とうとしたジジィがぴたりと動きを止めた。

「ジジ様?!」

 でこぱちが慌てて駆け寄ろうとするが、朋香に阻まれ、竹千代を抱えたまま退いた。

「……こりゃぁ……夜叉共の武器じゃねぇか」

 忌々しげに呟いたジジィは、不自然な体勢で縛られている。

 にこにこと笑う烏之介の肩に、烏が一羽、戻ってきた。

 いつしか空には無数の烏が舞っていた。

 あいつの仕業か?!

 烏を集めるだけで何もしていないかのように見えた烏之介が、見えない何かでジジィを縛り上げたのだ。

 まるで罪人のように、刀を持ったままの左手を大きく上にあげ両足を拘束されたジジィは、全く身動みじろぎできない。

 動こうとするたびに、ぎしり、と金属が強い力で擦られる音がした。

 完全に封じられたジジィは、珍しく顔を歪ませた。

 咥えていた煙管がぽとり、と地面に落ちる。

 動けぬジジィの目の前に立ったのは、刀を手にした町奉行。

「あー、もうこれ完全に俺が悪者じゃねぇか」

 まさか。

「すまないな、奇妙斎殿。本当なら貴方には――味方としてお会いしたかった」

 町奉行の言葉にジジィは鼻を鳴らし、俺に何かを訴えかけるようにちらりと視線をくれた。

 これから自分の身に何が起こるか、分かっているはずだと言うのに。

 町奉行が刀を振りかざす。

 そして俺は一切動けず、目の前で、ジジィが町奉行の刀に貫かれるのを見た。

「……ぇ?」

 こんな間抜けな声が自分から出るとは思わなかった。

 まるで俺の周囲の世界がこれ以上時を進めるのを拒否したかのようだった。

 弾け飛ぶ猩々緋が俺の思考を止めた。


 澱の声を断ったとき、俺は覚悟した。

 たとえば、きさらが血の海に落ちる事があるだろうこと。でこぱちが力及ばぬ敵の前に倒れ伏すこと。その痛みを怖れ、生きていくことを覚悟した。

 しかし、一つだけ覚悟していなかったことがある。

 それは、ジジィが誰かに負けると言う事だ。


 きさらの、でこぱちの悲鳴が上がってはっとした。

 猩々緋によって真っ白になった頭は、すぐに回転し始めた。

 間髪いれず叫ぶ。

「全員逃げろ!」

 躊躇するでこぱちの背を強く叩いた。

 腰が砕けそうになったきさらを後ろから抱えて無理やり引きずり、俺は駆けだした。

 あの時、ジジィの目は確かに、俺たちに『逃げろ』と言っていたから。



 息を切らして荒れ地に駆けこんだ俺たちは、大きな杉の木の下で息をついた。

 いったい何が起きたのか分からなかった。

 全員の荒い息だけが響いている。夕刻の陽が差し込んで、視界を茜色に染めていた。

 誰も口を開かない。

 先ほど見た光景が事実だと思えなかったからだ。

 俺も混乱している。

 突然町奉行がやってきて、ジジィが逃げろと言って、烏組がやってきて、その頭が何か不思議な力でジジィを縛り付けて――

「なんで」

 ぽつりと言葉を零したのは、きさら。

「どうして……ジジ様、なんで……朋香さん……景元様も……」

 世界を拒絶するように両手を耳に当て、地面にへたり込んだ。いつも気丈な瞳からは光が消え、血の気を失った唇が震えていた。

「やめてっ……どうしてジジ様を……!」

 何体もの羅刹に囲まれても、でこぱちの大怪我を見てもうろたえなかったきさらが取り乱していた。

「ジジ様、置いてきちゃった」

 きさらは混乱した様子でふらふらと立ちあがり、歩きだした。

「すぐに戻って助けないと」

「きさらっ!」

 すぐにでこぱちがきさらを抑える。

「放して、ハチ」

「ジジ様でもかなわないのに、きさらが行ったら死んじゃうよ!」

「でもっ」

 霞色の目が俺を貫いた。

「青ちゃん、どうしてこんな事になっちゃったの……?」

「それは」

 答えられない俺を見て、きさらは悲しそうに眼を閉じた。

「教えてよ。青ちゃん。私の知らないところで、いったい何が起きているの……?」

「お前は知らなくていい。知らない方がいい」

 考えるより先に答えていた。

 羅刹とヒトの、政府と盗賊の、そして盗賊狩りの争いなど、きさらに知らせる事はない。

 また心痛めるくらいなら、知らせない方がいい。

 ところが、きさらはそれを赦さなかった。

「知らなくてよかった事なんて一度もないっ……!」

 大きな霞色の瞳に大粒の涙が浮かんで、弾ける。

 茜色の光を浴びて、まるで夕陽そのもののように煌めいたそれに、一瞬目を奪われた自分に驚いた。

 俺は、失った過去の悪夢に肩を震わせる少女を知っていた。

 だからこそ何も答えられなかった。

 知らないと言う事は、其れ即ち恐怖。それがよく知る人間の、ましてや大切なヒトの事ともなれば、知って後悔すると分かっていても知りたいと願うのだろう。

 その感情が痛いほどに伝わってきたから、答えられなかったのだ。

 どうしようもない感情が胸の内を渦巻いて、頭をがりがりとかいた。

 俺だって混乱してんだ。今だって、これからどういう行動を起こすのが最善なのか、考えようとしても考えがまとまらないくらいなんだ。

 目の前で刀に貫かれたジジィの姿が目の前に想起する。

 見れば隣でうろたえていた相棒が、つられて眉をハの字にして目をうるうるとさせていた。

 お前まで泣いてんじゃねぇよ。

 ああもう、めんどくせぇ。

 俺は大きくため息をついた。

「泣くなって」

 めんどくせぇから。

 いつも相棒にするように、ぽん、ときさらの頭に手を置いた。

 はっと大きな瞳が俺を見た。

「俺たちが行く。お前はここで待ってろ」

 結局俺は、きさらに真実を告げない。

 言わないまま、すべて終わらせてやる。

「玖音! いるだろ、出て来い」

 辺りに向かって叫ぶと、藪をかきわけ、紺青の忍び装束に身を包んだ玖音が姿を現した。

「あたしに命令しないでっていつも言ってるでしょ」

 いつもの台詞に力がない。

 どこかバツの悪そうな顔をしているのは、この襲撃の事を知っていたからか。

 政府に仕え、さらには俺たちの動きをすべて把握している玖音が町奉行の動きを知らぬはずはない。それどころか、俺たちの動向を探っていたのは玖音かもしれないのだ。

 そんな俺の疑惑が伝わったのか、でこぱちが困惑した表情を見せていた。

 今、それを問い詰めている場合ではない。

「玖音、きさらと竹千代を頼む」

 困惑を払拭するように、左手の刀を一振りした。

「……いくぞ、でこぱち」

「うん」

 腕で涙をぬぐったでこぱちに、何処に持っていたのか、玖音が刀を差し出した。

「……気をつけてね」

「ありがと、玖音」

 ジジィに獲られてしまった刀の代わりに、玖音から受け取った刀を背に差した。

 極彩色の着物を翻し、相棒と並んだのはずいぶんと久しぶりな気がした。

「必ずジジ様をとり返してくるよ!」

 きさらと竹千代、玖音をその場に残し、俺たちは草庵へと駆けた。

 陽が落ちるまで半刻ほど。

 真横から、目の奥を焼くような強い夕陽が脳裏に焼き付いた。



 刀に貫かれたジジィの姿が想起し、足が止まりそうになるのを必死でこらえて草庵への道を駆けた。

 陽は刻一刻と山の向こうへと消えていく。

 もしまだジジィが生きているなら、早くきさらの元に運ばねばならない。

 それさえも確かめずにあの場を逃げた自分が呪わしい。

 早く。早く。

 急く俺たちの目の前に、突如、3つの影が飛び出した。

「待ちやがれ!」

 俺は寸でのところで大槌をかわし、でこぱちは飛来する小刀を避けた。

 続いて突っ込んできた槍の先を、左手の刀で真正面から受け止めた。

「よく止めたな、盗賊」

「邪魔すんじゃねぇよっ……!」

 弾いた槍先の反対方向から、大槌が迫る。

「……のやろぉっ!」

 大槌の柄をひっつかんで逆に引き、体勢を崩したところに頭突きをかましてやった。

 緋狐の石頭で脳髄が揺さぶられたが、そんな事に構っている暇はない。

 そのままの勢いで狸休に突っ込み、刀の柄で腹に重い一撃をいれた。

「青ちゃん!」

 先を走っていたでこぱちが振り返る。

「先に行け! すぐ行く!」

 そう叫んでおいて、でこぱちを追おうとしていた狸休の背に当て身を喰らわせた。

 どぉっともつれるように倒れ込んだ俺の目の前に迫るのは鋭い槍の先。

 休む間など与えてはくれない。

 地面を転がって攻撃をかわし、少し距離を置いて息を整えた。


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