第十四話
盗賊狩りとの鬼事は、毎朝、毎夜、続けられた。
その上、居待は俺を休ませまいと奇襲を仕掛けてくる。いったい何処に潜んでいるのか、完璧に気配を消して近づく居待に、俺は翻弄されていた。
しかしある日、居待が来ているいつもの躑躅色の着物の裾に切れ目が入っていた。よく見れば、袖にも破れた痕がある。
それを誰がやったかなど、聞くまでもない。
あいつだ。
この山に入った当初は全く相手にもならなかった居待を捉えるだけの力がついてきているらしい。
きっとでこぱちも毎日、盗賊狩りに追われながら、居待の奇襲に遭いながら、立待に言いつけられた稽古をこなしているのだろう。
しかし数を増す盗賊狩りたちが休む場所も暇も与えてはくれない。
いつしか、東山へ分け入ってから半月ほどが経っていた。
その日は朝から落ち付かなかった。
久しぶりの晴れ間、と言っても湿気の多い靄がかった山の空気の中に、一筋の違和感が差しこんでいた。他者を狩る何かが、藪の中へと静かに分け入ったかのような。
逆に、昨日まで見つけるなと言う方が無理な数配置されていた盗賊狩りの姿が見当たらなかった。不自然な静寂に、浮足立ってしまう。
落ち付かない気配がこの付近を探っている。狩るモノの視線を周囲に巡らせているのはいったい何者だ?
何が来ても反応できるよう、神経を張り巡らせた。
光が、音が、空気が感覚に触れる。
山全体の雰囲気がざわついている。
この感覚には覚えがあった。
そして静寂を破った大声は、盗賊狩りのものではなかった。
「見つけたっスよ! 衝さん! 剥さん!」
無意味な音量に、図らずも声の方向を向かざるをえない。
そこに在るのは、思いつく限りで最悪の状況だった。
「探したぜぇ、片腕。よもや未だこの辺りをうろついていたとはな」
目の前に立っていたのは、いつか山中で遭遇した羅刹たちだった。
俺とでこぱちが山に籠ってちょうど半月、今日は二度目の『羅刹検分』の日だ。通りで朝からずっと盗賊狩りの姿を見かけない筈だ。今日は東山へ近寄るな、という御触れが賽ノ地町奉行所から出ているはずだ。
「あのチビどこよ? 俺の背中にでっけぇ傷つけやがったあのくそチビ!」
でかい声が耳に刺さった。
背の痣を目立たせたがる羅刹には珍しく、きっちりとした瑠璃色の着物を着こんでいる。目の辺りを濃い色の硝子のようなものが覆っていて、表情は分かりづらかったが、かなり苛立っているようだ。
あまり見覚えはないが、言葉から察するに前回の邂逅ででこぱちが倒した羅刹なのだろう。
「見つけた暁には、俺の刀のサビにしてくれるわぁっ」
でかい声でそう宣言し、ぎゃはははと笑った羅刹。
俺に言われてもどうしようもない。
目の前には三体の羅刹が各々の手に武器を構え、俺に殺気を向けていた。
「怪我は治ったか? 片腕」
「……お陰さまで」
鬼の角を持つ体格のいい褐色肌の羅刹は衝。両手の大鎌を振り回して戦うこの羅刹に、俺は瀕死の重傷を負わされた。
その隣の、黄丹色の髪をした隣の男は剥。血の色をした鎌を持ち、きさらを狙っていた男だ。相変わらずにこにこと顔に笑みを張り付けていた。
「あの子はいないんですね。今日こそはと思っていたんですけど」
「残念ながらな」
自分の位置を確認し、逃げる方角を定める。
相手にすることはない。
戦闘では無理だろうが、半月の間、盗賊狩りから逃げ回った庭とも呼べるこの土地でこいつらを撒くだけならば難しくもないだろう。
逃れる隙を窺っていると、背後の藪ががささ、と鳴った。
新手か、と振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、鮮やかな向日葵色だった。
「あ、青ちゃん」
気の抜けるような声を出して。
約半月ぶりの再会がまさかこんな状況だとは、予測できなかった。
ぼさぼさになった飴色の髪を無理にてっぺんで結んで。手足も頬も、泥まみれだ。それでも、ぽかんと俺を見たでこぱちの表情はよく見慣れた間の抜けるような笑顔で、少しほっとした。
そのまま羅刹たちに突っ込みそうになったでこぱちは、寸でのところで気づいて俺の隣に戻ってきた。
「あちゃあ……どうしよ」
「どうしようもこうしようも、見ての通りだ」
「あのさあ、実はさ、おれも」
でこぱちが身振り手振り説明しようとした時。
藪の中からさらに3つの影が飛び出してきた。
「待ちやがれ、このチビ!」
「待っちやがれぇ」
「無暗に追うな! 羅刹どもに見つかったら、今度こそ烏之助さまに殺され……る……」
ケモノが二匹と、槍の女。
俺たちを探していたのだと思うが、なぜわざわざこの日だと分かっていて東山へ分け入ったのか。
本当に、馬鹿なのか?
とりあえず、前回の羅刹検分で自分たちが東山へと入ったことは棚に置く。
飛び出してきた3人は、取り囲むように並ぶ3体の羅刹の姿を目にして、空気を変えた。
「羅刹どもっ……!」
でこぱちを追っていた盗賊狩りは、一瞬にしてその矛先を変えた。
『元』とはいえ、彼らは羅刹狩り集団の一員なのだ。目の前に羅刹が現れれば、そちらに武器を向けてしまうのだろう。
命令で追っているはずの盗賊が、羅刹と対峙しているこの状況を、女はいったいどう解釈したのか。
眉間にたっぷりとしわを寄せたが、判断は速かった。
「緋狐、狸休!」
「がってん」
何の相談もなく、その一言で散開した。
槍の女が俺の隣に立つ。
武器を向けるのは俺ではなく、目の前の羅刹。
「俺たちを殺しに来たんじゃないのか?」
「予定は予定だ。盗賊風情がごちゃごちゃ抜かすな。こちらにもいろいろ事情があるんだっ」
「事情?」
「貴様には関係ない!」
そう言って、女は槍を羅刹に向けた。
問答無用で喧嘩を売ってきた盗賊狩りと、まさか共闘する日がこようとは。
女は吐き捨てるように言う。
「最悪の気分だ」
「俺もだよ」
隣に立つのは何故か敵対しているはずの盗賊狩りの女。背を預けるのは相棒と、二匹のケモノ。
あり得ない編列に、何故か笑みが零れる。
それを見た女はますます眉間にしわを寄せた。
「何が可笑しい?」
「いや、何も」
そう答えておいて、左手の刀を強く握り直した。
目の前に立ち塞がるのは3体の羅刹。
耶八にやられたはずの、声のでかい瑠璃の上着をきっちり着こんだ羅刹は、背に負った刀を抜き放ち、でこぱちに切っ先を向けた。
「俺の愛刀のサビにしてくれるわ!」
それはさっき聞いた。
同じ台詞を二度繰り返した、頭の悪そうな羅刹のことはさておき、俺は衝と剥に向き直った。
「おい、そこの盗賊。貴様は羅刹に刃を向けるだけの策でもあるのか」
羅刹から目を離さず、槍の女は問う。
無論、策などあるはずがない。
答えずにいると、女は鼻で笑った。
「巫山戯た奴だ。命を捨つる気か」
「そういうお前はどうなんだよ、盗賊狩り」
「あるわけがなかろう」
「そっちこそふざけんな」
言い返すと、女がものすごい形相でこちらを睨んできた。
とりあえず無視しておこう。
そろそろ羅刹たちも痺れを切らすころだ。
「お前ら、見たことあるぜ? 以前に天音たちと戦ったヤツらじゃねぇか?」
大鎌を両肩に乗せた衝の言葉で、剥も小首を傾げた。
「ああ、確かに」
剥はとんとん、と軽くその場で地面の感触を確かめるかのように数度、跳んだ。
来る。
意識を集中した。
ふっと剥の姿がかき消えた。
左目の視界の隅に赤い線が走る。
反射的に引いた刀は確実に血色をした鎌の根を捕え、手に衝撃で痺れる感触が広がった。
「おや」
武器を合わせ、動きを止められた背後から槍の女が神速の突きを放つ。
剥の頬を掠めた槍の切っ先はそのまま俺の眼前に迫ってきた。
慌てて身体を捻ってかわしたが、一歩間違えれば串刺しだ。
「……ちっ」
舌打ちした女は、隙を見せれば俺をそのまま殺る気だ。
一瞬でも味方だと勘違いした俺が馬鹿だった。
さらに女の背後から迫りくる衝に向かって、刀を薙いだ。
紙一重で避けた女の花緑青の髪が一房、切れて宙に待った。
避けたか。
左手の刀を肩に担ぎ見下ろした俺を、女が睨みあげる。
「ふざけるな、この盗賊! 殺す気か!」
「それはこっちの言い分だ、盗賊狩り」
言い争っている場合ではない。
女の背後に血色の鎌。
「避けろ、馬鹿」
避けるついでに蹴り飛ばしてやる。
地面に落ちた女は恨めしそうな顔で見上げてきたが、次の瞬間、眉を跳ね上げてこちらに突進した。
「阿呆がっ! 背を向けるな!」
右肩に衝撃。
その直後、俺のいた場所には大鎌が深々と突き刺さっていた。
女のおかげで命拾いしたのは明白だが、感謝を述べる気はさらさらない。
険悪な空気が漂った。
先に折れたのは女の方。
「おい、盗賊」
「何だ」
武器を構えたまま背を合わせるように寄り、囁いた。
「手を貸せ。あっちのでかいのを先に殺る」
「どうするんだ」
「私が動きを止める。お前はその隙にヤツの腕を落とせ。もう一人は何とかしろ」
それだけ言い残すと、女は速力を上げて衝の方へ向かった。
一人で突っ込んで、いったいどうしようと言うのか。
槍の女を追おうとした剥を切っ先で牽制し、その一瞬を逃さぬよう、女の動きを追った。
大柄な衝と並ぶと、ますます小柄な身体が目立つ。何より、彼女手にした槍は衝が弾いただけでも折れ飛んでしまいそうに細かった。
「俺様は剥と違って、無族の男だろうと女だろうと関係ねぇ。だが、俺様は寛大だ。死に方に望みでもがあれば、その通りにしてやるが?」
「抜かせ。羅刹どもは私が一匹残らず狩りとってやる」
和平の世に在ってはならない言葉を吐き、羅刹狩りの女は槍を構えた。
間合いが違いすぎる。
如何に間合いの遠さと速さを武器に戦う女とはいえ、力任せに大鎌を両手に振りまわしてくる衝の相手をまともにできるとは思えないのだが。
自分の倍ほどの間合いをとった女は、何か探るように衝の周囲を摺り足で移動した。
「女性の相手はボクがするといつも言ってるでしょう?」
耳元で囁き、俺の横を今にも通り過ぎて飛び込んでいきそうな剥の武器を狙って弾き、慎重に留める。
間合いの遠さと剥自身の速度にさえ気を付けていれば、致命的な怪我を負う事はない。
血鎌の柄部分から伸びる縄は縦横無尽に飛び回るが、気をつけて見れば繰り返すその動きに一定の拍と軌道を見つけるのは簡単だった。
「邪魔をしないでください。前回から、本当に苛立たせるのが得意ですね、貴方は」
うまく邪魔をしながら攻撃を避ける俺に苛立ったのか、剥の細めた目がすぅ、と開いた。
その途端、隠していた殺気が漏れ出して思わず距離を置く。
じわりと額に汗が滲んだ。
剥と距離を置き、ちらりと女の方を見れば、今まさに幾度目かの攻撃を仕掛けるところだった。
ちらりと俺の方に合図をくれた女は、間合いよりも多く距離を置き、わざとゆっくりと槍の先を突き出した。
それまでどういった布石を置いていたのか、緩やかな速度で衝に向かった槍が衝の手に捉えられた。わざと速度を緩めている事を、こうして槍の先を手にさせる事を目的だと気づかれぬように。
「これで、俺様たちを狩る? ふざけた無族の女だ」
槍を引き寄せられ、体勢を崩した女の頭上に大鎌が迫った。
俺と戦った時と同じだ。わざと相手の返し技を望み、結果的には完全に読めている返し技を打ち破ることで活路を見出す。
おそらく『その瞬間』は近い。
俺は剥から距離を置き、隙を見て衝の背後に回り込んだ。
狩人が最も無防備になる時。それは、攻撃の瞬間だ。
大鎌が女を分断しようかと言うその瞬間、女は懐から取り出した何かで鎌の刃の軌道を変えた。
あれは……扇子?
避け損ねた分、上着の裾が弾けたが、大鎌は相手を失って地面へと突き刺さる。
命を狙って振り下ろした勢いで突き刺さった鎌は、簡単には抜けない筈だ。
ぱぁん、と扇を開いた女は俺に向かって叫んだ。
「落とせ!」
言われずとも。
鎌が地面から抜かれるのとほぼ同時に、俺は渾身で刀を振り下ろした。
肉と骨を断つ感触が左手に伝わる。
俺は記憶のある限り最初からこの感触を知っていた。
「羅刹族の血は赤いんだな……」
ぽつり、とそう呟いた。
断面に赤と白の円が浮かぶ。
名残惜しさもない、羅刹から距離を獲った瞬間、その断面から真っ赤な液体が噴き出した。
断末魔の様な叫びが衝の喉から迸った。