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妹とは、一体全体、どのような生き物なのでしょうか。
母親に抱かれた小さな塊が、声を限りに泣きじゃくっている。その姿を眺めながら、三歳だった私は、そんなことを考えていた。
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この世界の懐の深さとは、いったいどれほどのものなのだろうか――。私はよく、そう考える。はたして、この世界は、私と妹を、受け入れてくれるのだろうか。
その問いに対する、私なりの答えは、おそらく、こうだ。
もしかしたら私は、むしろ、この世界が、私と妹だけしか受け入れてくれなければいいのに、とさえ願っているのかもしれない。
時代は、もしかすると前に進んでいるのかもしれない。だが、人の心に巣食う偏見は、そうやすやすと薄れてはくれないものだ。
倫理や道徳という枠から外れたものへと向けられる、世俗の眼差しは、なんと痛ましいほどに熱く、そして重いことか。
あの頃、三歳だった私は、まったく気付いていなかった。母の腕の中で声を枯らしていたあの小さな存在が、やがて自分の人生にとって、かけがえのない人になるだなんて。
そして同時に、この上なく恐ろしく、胸を焦がすような、戦慄の源になるだなんて。
ある夏の午後、寝ぼけた妹が、ふと私の肩に寄りかかってきた。そのとき、彼女の髪の先から立ち上った、シャンプーの甘い香りが、私の心に焼き付いて離れなかった。
もしかしたら、あのとき、私は間違ったのかもしれない。その、ほんの僅かな過ちが、その後の私という人間を、形作ってしまった。
私は時折、想像するのだ。もしもあの午後が訪れなければ、今頃の自分は、どんなだったろうかと。
おそらく、どこにでもいる、普通の兄になっていたのだろう。
試験の前には「頑張れ」と声をかけ、遅く帰ってきた日には、小言のひとつも言って。そして、いつか来る未来の日、笑顔で彼女を、他の誰かの腕へと託す。
なんて模範的な、出来レースの人生だ。なんて穏やかで、悩みのない日々だろう。
なのに、運命は意地悪だ。よりによって、あの午後は訪れた。よりによって、彼女は寄りかかってきた。よりによって、私は、彼女を押し退けられなかった。
いや、違う。押し退けられなかったのではない。
押し退けたくなかったのだ。
私は知らず知らずのうちに、いつしか「恋」という名の病に侵されていた。だが、その病の行き先は、ただひとつ。「妹」という名の、その人だけを指していた。
禁じられた恋だと、わかっていた。世間が決して許すはずがないことも、わかっていた。わかっていながら、私は、間違いを重ねた。これが最大の過ちだ。すべては間違っている。そう、自分に言い聞かせて、洗脳しようとした。
でも、もしこれが過ちだというのなら、なぜだろう。思い返すたびに、どうして私の口元は、自然と緩んでしまうのだろう。
どうして私は、この過ちという檻に閉じ込められたままでいることを、むしろ望んでしまうのだろう。
私は思わず、この問いの答えを、深く、深く考えてみる。けれど、いくら考えても、答えは出ない。
答えが出ないまま、時は過ぎ――そして、妹が再び、私の目の前に現れたあの瞬間、私は、ようやく理解したのだった…
あどけなさの殘る、どこか間の抜けた可愛らしい顔が、満面の笑みを浮かべて、私に向かって真っ直ぐに飛び込んでくる。両腕を広げて、私に襲いかかるようにしてくる妹を、私は、まるで抗うことを忘れたかのように、ただ、その胸の中へと招き入れた。
私は、妹の顔を見つめた。その顔は、幸せという言葉そのものが形になったかのような笑顔で溢れ、ふたつの瞳は、嬉しそうに細められて、まるで三日月のように、美しく輝いている。私は、ただひたすらに、妹を見つめた。その瞳の奧には、抑えきれない愛情の滲みが、溢れていた。
あの瞬間から、私の視線は、決して妹から、離れることはなくなった。
屈辱。そして、苛立ち。
今の自分の心情を言い表すなら、この言葉以上に適したものはないだろう。
俺は、目の前にいる「妹」という名の生物を見つめた。彼女もまた、大きな瞳をこちらに向けて、まじまじと俺のことを見つめ返している。
どうやら互いに、目の前にいる存在を、まだよく理解できていないらしい。
一週間前、俺の妹が生まれた。俺は遠くから、産着に包まれたその生き物を眺めていた。これが、彼女との初めての対面だった。
妹に対する第一印象は、不安だった。この新しい家族の一員が、両親がくれる愛情を、自分から奪ってしまうのではないか――そんな恐れが、俺の中にあった。
その第一印象のせいだろうか。俺は初めから、妹を敵対する生き物だと決めつけていた節がある。
母は、そんな俺の様子を察していたのだろう。一週間もの間、兄であるはずの俺は、一度も妹に近づこうとはしなかった。食事の前の祈りの儀式でさえ、不満げな態度を隠そうとしなかった。
俺は、妹が嫌いだったからだ。
状況が変わったのは、それから一週間後のことだ。母が、無理難題とも言える、しかし理に適ったある提案を持ち出した――彼女は、妹の産着を俺の部屋に運び込んだのだ。そして、自分たちには手が回らないから、と言い訳をした。田舎の日本では、幼い頃に兄妹が同じ部屋で暮らすのは珍しいことではない、などという美名を掲げて。
大人になった今でも、母のあの行動の真意は理解できずにいる。にしても、あの母は、とてつもなく図太い神経の持ち主だったのだろう。彼女に宿る母性の輝きは、思っていたほど眩しいものではなく、むしろ、その強引さと大胆さが、彼女という人間の本質だったのだ。
生後一週間の乳飲み子を、幼稚園に通う兄の元へ預けるなどという行為は、ただ単に度胸があるとか、腕が立つとか、そんな次元の話ではない。いくらか、神経の図太さを形容する言葉を付け加える必要があるだろう。
だが、俺は母を尊敬してもいる。もし、あの最初の一手がなければ、おそらく、俺の未来は、こんなにも軌道から逸れることはなかったのだから。
母の行動は、すべて兄妹の仲を深めるためだったのだと、今ならわかる。だが、それは、後の祭りというものだ。
時は経ち、今、俺は妹を見つめている。その目には、うんざりした感情がありありと浮かんでいた。
ずっと一人だけの空間だと思っていた部屋が、今では、別の侵入者に占拠されている。
しかし、この状況も長くは続かなかった。三日と経たないうちに、妹は、俺に何度泣かされたかわからない。
泣かせた、というのも語弊があるかもしれない。ほとんどの場合は、ただ無視を決め込んだだけなのだから。
子供の俺が、唯一できる反抗の手段が、それだった。
母は、俺のそんな行動に、何度ため息をついたことか。もしかすると、彼女自身も、自分の取った行動は間違いだったのではないか、と思い始めていたのかもしれない。
だが、あの図太い神経の母は、決して行動をやめようとはしなかった。未来の俺は、そのことに感謝することになるのだが。
母が初めて、真剣な表情で俺を叱ったのも、あの頃だった。母は、いろいろなことを話してくれた。けれど、三歳の俺には、そのほとんどを理解できなかった。大人になった今ならわかる。あれは、懇願するような口調だったのだ。妹を、どうかよろしく頼む、と。
俺は折れた。そして、初めて、妹をじっくりと観察した。
彼女は、口をへの字に曲げ、大きな瞳を潤ませていた。まだ幼いためか、髪の毛はまだらにしか生え揃っていない。それを見た三歳の俺は、なぜか、町の商店街にいる、あの薄毛のおじさんを思い浮かべてしまった。同じように、髪が少ないのだ。
俺は思わず、吹き出してしまった。ぷっと漏れた笑い声が、妹の耳に届いたらしい。
嘲笑われたことを悟ったのか、再び、部屋中に泣き声が響き渡った。
母が慌てて駆けつけると、そこには、慌てふためく俺の姿があった。おろおろと妹の頭を撫で、手にしたティッシュを、妹の顔中にこすりつけている。
入口の気配に気づき、汗だくの顔を向けて、俺は母に助けを求めるような目を向けた。これが、俺なりの、精一杯のSOSサインだった。
母は、一瞬、呆気にとられた顔をした。しかし、すぐに、心配そうな表情から、安堵したような、どこかほほえましげな表情へと変わった。母の表情の変化を、俺は初めて目の当たりにした瞬間だった。
あの日から、妹は、なぜか、まとわりつくようになった。そして、気づけば、妹の髪が、ゆっくりと、萌え出る若草のように、伸び始めていることに気づいた。
そのとき、初めて気づいた。妹の髪は、紫色をしているのだ。
「俺と同じだ。やっぱり、母さん似なんだな」
気づけば、俺は、「妹」という生き物に対して、より親しみを感じるようになっていた。血の繋がりという絆が、その役割を果たし始めていたのだ。
これは、血の奧底で結ばれた、確かな繋がりなのだろう。
時間は、南へと渡る雁の群れのように、静かに、そして確実に、遠ざかっていった。
三年が過ぎ、俺は、小学校に上がる年齢になった。
慣れない制服に袖を通す。幼い俺の頭は、さほど大きくない。それなのに、学校指定の帽子は、やけに大きくて、それを被った俺の姿は、ひどく滑稽に見えた。
大きな帽子が、俺の紫色の髪をすっぽりと覆い隠す。玄関先で家族に別れを告げようと振り返ると、妹の目に、一瞬、見知らぬ人を見るような、よそよそしさが浮かんだ。
俺は、一瞬、言葉を失った。だが、次の瞬間には、帽子を脱ぎ捨て、妹のもとへと歩み寄っていた。そして、そっと手を伸ばし、妹の頭の上に置いた。俺と同じ、紫色の髪を、そっと、何度か撫でた。
そうだ。妹はまだ三歳だ。帽子を被った俺の髪は、すっかり隠れてしまっている。だからこそ、妹は、一瞬、よそよそしさを感じたのだろう。
俺の考えが正しかったことを証明するかのように、妹の顔に、ゆっくりと笑みが広がっていく。俺は、慌てて家を飛び出した。
それからというもの、学校へ行くたびに、俺は帽子を脱いで妹に別れを告げるようになった。それは、いつの間にか、体に染みついた習慣となっていた。
三歳になった妹は、幼稚園に通い始めた。学校で退屈な時間が流れるたびに、俺は、いつも妹のことを考えていた。
小さな妹が、幼稚園に通っているかと思うと、自然と口元が緩んだ。だが、その幸せな気持ちは長くは続かない。すぐに、妹の安否が気になり始める。
何しろ、妹は女の子だ。俺は、いつもそう思って、深くため息をつくのだった。
そして、一日中、心配でたまらなくなった俺は、夜になると、いつもより長く妹のそばにいてやる。妹は、そんな俺に、柔らかな声で「お兄ちゃん」と呼びかけるのだった。
すると、俺の気持ちは、たちまち晴れやかになる。英語で言うなら、まさに、delighted、といったところだろう。
そんな日々が、いつまでも続くように思えた。しかし、いつかは、その平穏を打ち砕く石が投げ込まれるものだ。
だから、その石はやってきた。まるで、運命づけられていたかのように。
その日、俺は、家へと小走りに向かっていた。待っているのは、妹の笑顔と、あの「お兄ちゃん」という声だ。
だが、扉を開けて、目に飛び込んできたのは、母に抱かれた妹の姿だった。妹の目尻には、涙の跡が殘っている。鼻を、すんすんと啜る音が聞こえる。
俺の姿を見るなり、妹は、再びこらえきれなくなったように、大声で泣き出した。震える声で、「お兄ちゃん」と呼びながら。
俺は、呆然とした。俺が望んでいたのは、あの、嬉しそうな「お兄ちゃん」だった。震える「お兄ちゃん」なんかじゃない。
呆然としたのは、ほんの一瞬だった。その感情は、すぐに、怒りへと変わった。
俺は、視線を素早く動かし、両親の方へと向けた。答えを求めて。
母は、すぐに察したらしい。彼女はいつもそうだ。わずかな変化も見逃さずに、状況を読み取る。
母は、すべてを話してくれた。
犯人は、妹と同じ年の、幼稚園の先生も手を焼いているという、手に負えないガキだった。
そいつが、真っ先に妹に向かって石を投げつけ、紫色の髪を引っ張っては、嘲笑っていたらしい。
母は、その後もいろいろと話し続けていたが、俺の耳には、もう何も入ってこなかった。怒りが、頭の中を占めていた。握りしめた拳に、力がこもる。
母が、相手の親に話をつけに行ったが、追い返されてしまった、ということも、後に聞いた。
それを聞いた瞬間、俺は、相手の家の住所を尋ねずにはいられなかった。偶然にも、その家は、我が家の近くだった。俺は、母の言葉も最後まで聞かずに、怒りに任せて家を飛び出した。
後になって、ようやく母の真意に気づいた。考えるたびに、あの母の、底知れぬ知恵に、感嘆せずにはいられない。
相手の親がああいう態度なら、やり返すしかない。しかし、大人の自分が、子供に手を上げるわけにはいかない。ならば、その役目は、自分の幼い息子が最適だ、ということか。
途中まで走って、ふと、足を止めた。相手の家の前まで、辿り着く前に、偶然、そのガキを見つけたからだ。そいつは、近所の同い年くらいの男たちと、路上で追いかけっこをしていた。田舎のことだ。顔見知りばかりだからこそ、すぐに見つけられたのだろう。
俺は、怒りに任せてそいつに殴りかかった。拳を振り上げ、力任せに、そいつの顔面を打ち据えた。妹を泣かせたあの時の、あのふてぶてしい顔を思い浮かべると、ますます怒りが込み上げてくる。
どれだけの時間が経っただろうか。何発、拳を振るっただろうか。泣き声が響く中、道の向こうから、両方の親が駆けつけてきた。俺は、引き離された。最後に目にしたのは、恐怖に顔を引きつらせた、あのガキの顔だった。
気持ちが、少しだけ晴れた気がした。俺は、母の方へと向き直った。すると、そこには、母にしっかりと抱かれた妹がいた。その瞳は、キラキラと輝いている。
俺と妹は、目が合った。けれど、決して逸らさなかった。俺は、誇らしげな表情を、妹に向けた。妹は、満面の笑みで、それに応えた。
後始末は、すべて、あの賢い母がやってのけた。母は、かつて相手に追い返された時のあの言葉を巧みに利用し、何事もなかったかのように、事件を収めてしまった。
こうして、また、穏やかな日々が戻ってきた。しかし、この小さな出来事は、俺と妹の絆を、大きく深めることになった。
その時、俺は六歳で、妹は三歳だった。
この作品について話すなら、これが私にとって、初めて軽小説というものに挑戦した作品になる。皆さんは、もうお気づきかもしれない。どこかぎこちない、和洋折衷というか、和風でありながら中華風の味付けが混ざったような、そんなスタイルになってしまっていることを。おそらく私は、他国の文化に対する理解が、まだまだ浅いのだろう。それでも、それでも私は、自分の想いを、どうしても形にしたかった。
私はよく思うのだ。小説というものは、ひょっとすると、作者自身の、人には言えないような嗜好を、陽の光の下に晒す行為なのではないか、と。
そして、妹系の物語を紡ぐということは、まさに、そのような行為の、集大成なのかもしれない。
この作品に、私はこれといった期待を抱いているわけではない。ましてや、世に出るようなことなど、あるはずがないと思っている。それでも、それでも私は、この物語を書かずにはいられなかった。そう、何かに取り憑かれたかのように、私は、この物語を紡ぎ出していた。
私は、決して大きなことを言えるような人間ではない。ただ、願うのは、これからも、自分の中にある想いを、すべて吐き出せる日まで、書き続けていけることだけだ。
最後に、皆さんにとって、新しい一年が、素晴らしい日々でありますように。




