蜘蛛の檻~ 俺が蜘蛛のはずが実は餌だった話
俺は住宅街の道端で、頭を抱えて地面を見ていた。 横には俺の突然の変更に動揺する女性がいたーー俺は彼女の名前を知っている。 いや、正確に言うと今思い出したのだった。
この状況はーー俺の前世で読んだ小説の冒頭じゃないか! 俺ーー中村颯汰はその内容を記憶の中から掘り出し始めた。
小説のタイトルは『蜘蛛の檻』。 ある日、女性ーー白石美咲が道を歩いていた時、曲がり角から突然中村颯汰ーーが飛び出して来て衝突。 彼女は彼に恐喝を受け、その後なかば強制的に家に連れ込まれ、彼の家の雑用をすることになった。
毎日彼の家に通う彼女に彼の要求はエスカレートしていく。 遂には彼女は彼と同居生活をするはめに、そして彼女の心は、まるで蜘蛛の糸に絡め取られた餌の様に、彼によって蝕まれていく。
最終的に彼女は彼のいい様に使われる人形ーーつまり奴隷になって一生を暮らすのだった。
駄目だ考えたくない、彼女がそうなってしまうのをーーそして、俺が彼女をそうさせるのも。 俺は彼女の方を見ると、彼女は心配そうにこちらを見ていた。 それもそうだ、さっきまで俺は彼女に罵声を浴びせていたのだから、顔を見た途端ーー前世の記憶を思い出した。 何故もっと早く思い出せないのかと自分を責めたいが、とにかくこの状況をなんとかしないといけない。 俺は彼女に話しかけた。
「あ、えっとちょっと動転してしまっただけだから、その⋯⋯突然大声で罵って申し訳ございませんでした」
「そうだったんですね。 こちらこそ申し訳ございません。 私、考えごとをしていました」
「そうですか⋯⋯お互い様ですね。 じゃあ俺は失礼します」
「いえ、心配ですので病院に行きましょう、私の名前は白石美咲と言います」
「病院!? 大丈夫ですから! なんの問題もないから!」
「いいえ、大丈夫じゃないです。 さ、行きましょ!」
こうして俺は彼女に言われるままに病院へ行き診察を受けたのであった。
「体や脳の異常なしですか⋯⋯本当ですか?」
「そう、だから大丈夫、じゃあ俺は家に帰るので。 もう会うこともないでしょう、さよなら」
「心配ですので一緒に行きますね~。 家族の方にも説明が必要ですから」
「え? ⋯⋯俺家族居ないので問題ないです⋯⋯」
そう今世の俺は一軒家に一人暮らしと言う生活をしていた、『中村颯汰』と言う人間の人生は中々のものだった、小説では特に書かれていないバックヤードを前世を思い出した俺は、考えこんでしまう。 すると彼女は、顔を悲しげな表情にして俺の両手を握りながら話しかけきた。
「⋯⋯そうだったんですね。 家に伺ってもよろしいでしょうか? あなたのことが心配で仕方ないんです!」
「いいよ⋯⋯白石さん。 無関係な貴方が俺なんかに関わる必要ないからさ⋯⋯」
「なんかって⋯⋯そんなこと言わないでください! 私は貴方のことを放って置くことはできません!」
何やってんだよ俺ーー小説を読んでいるなら彼女のことをわかっているはずなのに、彼女を寧ろ心配させることを言ってしまった。 これではやっていることは原作の中村颯汰と変わらないじゃないか! ーー結果俺は彼女に言い負かせれ、彼女と家に帰ることになった。
ーー後になって思う。 強引に、走ってでも彼女を振り切って家に帰れば良かったとーー
「散らかっていますね⋯⋯掃除します!」
「そんなことしなくていいから! ⋯⋯なにが必要な物かわからないだろ?」
「確かにそうですね⋯⋯じゃあご飯を作ります。 冷蔵庫の中は⋯⋯消費期限切れの物しか無いですね」
「飯ぐらい自分で用意するから、貴方が気にする必要はない!」
「そうですか⋯⋯すみません。 私突然押し掛けて、あれこれと言ってしまい迷惑でしたよね?」
そう言うと彼女は悲しそうに俯いた。 そんな彼女を見て俺は彼女に応えた。
「いや⋯⋯そうじゃない、寧ろ嬉しいんだ俺。 今まで親切にしてくれる人はいなかったから⋯⋯」
「中村さん⋯⋯。 じゃあ食事を買いに行って来ますね!」
「おい待てよ! 俺も行くから⋯⋯いい人すぎるだろ白石⋯⋯」
こうして白石美咲は俺の世話をする為に毎日俺の家に通い始めるのであった。
「中村さん美味しいですか? ⋯⋯ちょっと味付けを変えたから心配で⋯⋯」
「すごく美味しいよ。 白石さんの作るご飯はとても美味しいよ」
「本当ですか! ありがとうございます。 そう言って貰えてとても嬉しいです!」
「当然のことを言ってるだけだよ。 それより白石さん、こんなに毎日来てくれるけどさ⋯⋯貴方の家族の人たちになんか言われてないかな?」
「問題ありません。 しっかり説明してますから」
「そうなんだ⋯⋯でも貴方は、やりたいことがあるんじゃないかな? 家も綺麗になったし、俺の世話はもういいんじゃないかな」
「特にありません。 強いてあげるなら、私がやりたいことは貴方の世話をすることです」
そう言うと彼女は悲しげな表情をして、ついには俯いてしまった。
「⋯⋯そうですよね、私が居るのが貴方にとっては迷惑ですよね⋯⋯すみませんでした。 私は自分のことだけを考えていました⋯⋯」
そんなことを言われたら俺はーー。 落ちこむ彼女の両手を握り俺は応えた。
「そんなことないよ美咲! 君に会えるのはとても嬉しいよ⋯⋯ずっとそばに居たいぐらいだよ!」
「本当ですか! ありがとうございます、安心しました。 中村さんがここまで思ってくれるなんてとても嬉しいです」
彼女が満面の笑みでこちらを見てくるーー俺の心臓の音が彼女にも聞こえそうだ。 その後彼女は帰って行ったのだが、なんだか嫌な予感がするーー俺は不安になりながらも、寝床につくことしか出来なかった。
『ふん、今日からここが貴様の家だわかったな! ⋯⋯実家に逃げようと思うなよ?』
『はい、わかりました中村さん⋯⋯』
『おいおい中村さんだと? ずいぶん他人行儀だな! 今から颯汰と呼べ、いいな!』
『はい、かしこまりました、颯汰』
『ははは、愉快、愉快⋯⋯』
俺は目を覚ましたーーなんだよあの夢は。 朝から最悪な気持ちで目覚めた俺は、外を見て驚きすぐに玄関先まで駆け込んだ。 目の前にいるのは、大きなスーツケースを持った白石美咲だった。
「えっと、白石さんおはよう。 どうしたのかな⋯⋯その荷物は?」
「おはようございます中村さん。 今日からお世話になりますね」
「ここに住むつもりか白石さん」
「白石さん⋯⋯他人行儀で寂しいです。 美咲って呼んでくださいよ」
「⋯⋯美咲」
「はい、よろしくお願いしますね」
そう言って笑顔を浮かべ家の中に入る彼女。 ーー俺は彼女を止めることは出来なかった。
朝日が差し込む眩しい空を見て、俺は考えごとをしていた、美咲がこの家に住み初めて1ヶ月が経とうとしていた。 彼女は毎日、楽しそうに生活している。 俺はこのままではいけないと思いながら日々を過ごしていた。
どうすれば彼女の気持ちを変えられるのか、俺はある結論に至ったーー彼女に嫌われたらいいと。 俺はそう考えた時、自分の心が痛むのを感じた。 しかしこれも彼女為だと言い聞かせる。 ーーだって俺たちの関係は上手くいくはずがないのだから。
俺は部屋を出てリビングへ向かう。 そこには部屋着にエプロン姿の彼女がいた。 俺に気付くと笑顔になり挨拶をしてくれる。
「中村さん、おはようございます! 今日もいい天気ですね!」
「おはよう、美咲。 ⋯⋯そうだな、いい天気だ。 よし出掛けるぞ」
「はい、わかりました!」
笑顔で返してくれる彼女と楽しく食事をする俺。 彼女が片付けを終えエプロンを外すしたタイミングで俺は彼女に話しかける。
「よし、じゃあ行くぞ!」
「え? 待ってください中村さん! 着替えや準備が出来てません!」
「着替え? 準備? ははは、愉快、愉快。 別にいいだろう、美咲はそのままで可愛いから」
よし決まった! 原作の中村颯汰の口癖『ははは、愉快、愉快』が。 原作の俺は彼女が困った顔をするときにいつもこのセリフを言っていたーーこんな男幻滅するだろう。 俺は自己満足して彼女を優しく外へ連れ出した。
「中村さんこれは⋯⋯」
「はぐれない様に手を繋いでいるんだ」
「そうなんですか、えへへ⋯⋯中村さんの手の温もりを感じます」
「所で何処か行きたい所はないか?」
よし、ナイスだ俺。 女性に着替えや準備もさせずに連れ出し、体を常に密着させられる。 そして予定も立てずに強引に連れ出したとすれば、彼女は幻滅するだろう。 俺は彼女の方を見て表情を確認する。
「いいえ、特にないです⋯⋯一緒にお出掛け出来るなら、気にしません! 中村さんが行きたい場所が、私の行きたい場所ですから」
「じゃあそこのベンチに座ろうか!」
「はい、わかりました。 ⋯⋯あの、もっと近づいてもいいですか?」
「⋯⋯ああ、いいよ」
「ありがとうございます。 ⋯⋯はぁこうして近づくと、貴方の心臓の音が聞こえて来ます!」
そう言って彼女は笑顔を俺に向けてくる。 俺の作戦は失敗したようだーー俺は彼女の顔をじっと見つめた」
「中村さん? 今日は朝から様子が変ですよ?」
「あのさ、俺たちの関係を考え直した方がいいんじゃないかな?」
「⋯⋯どうして? そんなこと言うんですか!」
「俺たちは一緒にいたら、お互いに良くないんだ」
「ずっと一緒にいたいって言ってくれたじゃないですか!」
「いや、その気持ちは変わってない、俺は美咲のことが好きだ」
「だったら何故? ⋯⋯あ、そうか、そういうことなんですね。 わかりました、帰ります」
そう言って駆け出して行く彼女ーーそうこれでいいんだ、これは俺たちの為だからーー
家に帰ると彼女の靴があった。 俺は片付けをしているであろう彼女に声をかけに行く。 彼女の部屋に入ると誰もいないーーおかしいな、リビングにはいなかったし、お手洗いかなと思い、一旦自分の部屋に戻るとそこに彼女がいたーー全身に毛布を被った彼女が。
「おかえりなさい、中村さん」
「え! 美咲? 何故ここに? その状態は?」
「大丈夫です。 安心してください、私⋯⋯ここから出ませんから。 だから心配しないでください」
「心配? 美咲⋯⋯どういうことか、俺にわかる様に説明してくれるか?」
訳がわからない、何故こんなことをーーと言う俺の視線を受けてなのか、彼女も真剣な表情をこちらに向けた。
「はい、わかりました。 中村さんは心配してくれたのですね⋯⋯私が外に出たら、周囲の影響を受けて気が変わり、私の選択を後悔することを。 でも大丈夫です、安心してください。 私はもう外に出ませんから。 これで周囲と関わることが無くなり、今の私のままであり続けることが出来ます! だから中村さん。 怖がらないで、そして私を離さないで⋯⋯中村さんがいないと私はもう駄目だから⋯⋯」
彼女の発言を聞いた俺は床に崩れ落ちた。 俺の考えが甘かったーー彼女は既に手遅れだったんだ。 ⋯⋯いつからだ? 今日? それとも同居することになった日? ーーまさか初めて会った日か。 しかし今更そんなことを考えても仕方がない。
「それとも中村さんは、そんな私のことが嫌い? ⋯⋯そういうことなのかな? でもその場合でも大丈夫! 私は何時もここにいるから、何時でもきが向いたらでいい⋯⋯その時になった時だけ私を見てくれたらそれだけで、私は幸せだから⋯⋯」
「そんなことないぞ! 美咲! 俺はお前が好きだ⋯⋯この気持ちは変わらない」
「本当! よかった! じゃあこっちに来て! さっきの続きしよ〜」
俺は彼女に寄り添った。 微笑む彼女ーー後から聞いたら、「外に出ない」は嘘だと言われたが、あの時の彼女の目ーーあれは本気の目だった。 俺は鉛を飲み込んだ気持ちになったのだった。
『颯汰様⋯⋯おはようございます。 朝ご飯が出来ております』
『毎日、毎日。同じ言葉しか喋らねぇ⋯⋯つまらない奴だな人形かお前は!』
『はい、わたしはつまらない人形です』
『⋯⋯ッチ、俺は出掛ける⋯⋯お前は人形らしく家で主である俺の帰りを待っているんだいいな⋯⋯外に出ようなんて考えるじゃねぇぞ』
『はい、わかりました、颯汰』
また嫌な夢を見た、目を覚ます為に俺は窓を開けて空を見上げるーー空はまるで今の俺の心をうつす鏡の様だ。
「颯汰! 起きてる? 朝ご飯だよ!」
「あぁ⋯⋯すぐ行く」
不意に聞こえた声に意識が戻るーー今日も元気だな彼女は。
「颯汰~美味しい?」
「美味しいよ⋯⋯何時も、ありがとうな美咲」
「よかった! 嬉しい! ねぇ、今日はこれからなにしよっか~」
「え⋯⋯水族館とかどうだ? 雨が降りそうだからな」
「わかった! じゃあ着替えてくるね」
彼女はそういうと部屋に戻って行った。 あの日以来、距離が近くなったのか、彼女の口調が変わった。 俺はそのことが嬉しいはずだが、怖くもあった。 俺の中の何かが囁くーー逃げるならいまだと。 俺は最低限の荷物を持って逃げる様に家から飛び出した。
俺は何故こんなにも焦っているんだ? 最初は歩いていた。それが早歩きに、それから小走りに、そして今では全力疾走だ。 すれ違う人達が不思議そうにこちらを見てくる。 どうしたんだ俺? 明らかにおかしいーーまるで捕食者から逃げようとする獲物見たいじゃないか!
「ははは、愉快、愉快、まるで俺が蜘蛛じゃ無くて餌じゃないか、相手は美咲だぞ?」
その時雨が降って来た⋯⋯俺は走りながらも、雨宿り出来そうな場所を探す。 あれ?この場所は⋯⋯気が付けば、以前美咲と来た公園にたどり着いた。 この公園には横向きの大きな土管が設置されている。 雨宿りする場所を探していた俺には、とてもありがたい場所のはずだがーーそのとき、更に雨が勢いをました。 俺はまるで導かれる様にその土管へ入った。
「なんで⋯⋯よりにもよってここなんだ!」
俺の叫び声は雨によってかき消されたーーここは『蜘蛛の檻』の終盤に登場する場所だった。
原作の白石美咲は中村颯汰の家に監禁され、家族とは会う何処か、連絡さえ、させて貰えなかった。 外出も中村颯汰と同伴で行われる。 ある日、中村颯汰が外出中、白石美咲は家からの脱走を図った。 その時彼女が隠れたのがこの場所だ。
『美咲⋯⋯ッチおい! こんな所にいたのか! ⋯⋯ははは、愉快、愉快。 さあ鬼ごっこは終わりだぞ~。 さあ帰ろう⋯⋯俺たちの巣に。 こんなに汚れてしまって⋯⋯仕方ないな~、今度はもう逃げられない様にしっかりと教育しないとな~』
白石美咲の最後の抵抗も虚しく、彼女は中村颯汰に引きずられる様に家に戻され⋯⋯そこから白石美咲を見た者は誰もいなかった。
俺は何故か震えが止まらなくなった⋯⋯これは原作と同じ流れだ。 しかし役者が違う、俺が逃げる側で彼女が追う側になっている。 その時俺の目の前に影がさした。 俺は顔を上げたーーそこには満面の笑みを浮かべた白石美咲がいた。
「颯汰~見つけた! ここにいたんだね。 鬼ごっこは終わりだよ~。 さあ颯汰、雨は止んでるよ~。 あれ颯汰⋯⋯ビショビショじゃない、早体を温めよ! 帰ろう⋯⋯私達の巣に」
美咲の声に従うように、俺は美咲と家に帰る。 ーーわかっていた、最初から俺には逃げ場がないことを。
雨上がりの空は何故か明るくて俺はとても、憎かった。 隣を見ると美咲が笑みを浮かべているーー?
あれ? なんで俺、彼女から逃げていたんだ? こんなにも俺のことを思っている彼女から? まあ、もういいか、考えても仕方ないことだーー俺は彼女から逃げられない。
一目惚れだったーー初めて彼を見た時に何時も、霞がかっていた景色が綺麗に見えた。 このまま彼と別れたら、元に戻ってしまいそうだからーー私は決して貴方を離さない。
それにしても颯汰ーー勝手に逃げ出すなんて、もっとしっかり教育しないといけないな~。




