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第34章「縫い目の向こう」




内核の最奥、灯りが吸い込まれるような薄闇の中に、それはあった。

壁と壁の境を走る一本の黒い縫い目。結び目が鼓動みたいにふくらんではしぼみ、半拍遅れの足音を呑みこむ。


「……三つ数えるたびに、緩む」

アズラが低く告げ、筆先で空をなぞる。「ここも“拍”で動いてる。開く瞬間を突けば通れる」


翠は鞄から小瓶を出した。「耳栓代わりだ。囁きが入るのを鈍らせる。——つけろ」

冷たい薬草の匂いが鼻に刺さる。シバは赤布へ伸ばした指を引っ込め、代わりにチョークをつまんだ。(頼るな。脚と鼻で行く)


「しびれ、前より強い」

綺羅が指先を揉みながら、苦笑を浮かべる。「でも“影縫い”は打てる」


「通りゃいいんだろ」

ライカが背の双剣に手をかけ、牙をのぞかせた。「斜めに噛ませれば、裂かずに滑らせられる」


翠は一人ずつ脈をとる。「拍は合わせる。乱したやつから崩れる。——行くぞ」


段取りは決まっている。

綺羅が影糸で“結び目”を一拍だけ留め、アズラが遮聴の符で囁きを落とす。

ライカが斜行で刃を噛ませ、シバが“口”にチョーク印を打って楔になる。

翠は号令と応急の待機。


「試す」

アズラが床に細線を引いた瞬間、縫い目の拍が半拍だけ早回りした。低い軋みとともに、結び目の下から殻持ちがひとつ、ぬらりと起き上がる。


「っ来る!」

ライカが受け、綺羅の影が脚を絡める。殻持ちは倒れた。だが縫い目はまだ閉じたまま。


「回りが速い。延滞をもう一本」

アズラは額の汗を拭い、線を重ねる。鼻筋に赤が一滴、落ちた。

「無理はするな」翠が嗅ぎ薬を当てる。「あと二回分、持たせろ」


シバは砂の流れと匂いを嗅ぎ、縫い目の匂いが薄い箇所に小さく印をつける。(ここが“口”。視線を寄せる)

振り返り、仲間の顔を見る。尾が、かすかに揺れた。


「——いち、に、今」

遮聴符が淡く点り、囁きが一段落ちる。綺羅の影楔が結び目を噛み、ライカの双剣「牙音」が斜めに入る。

シバがナイフを“口”へ押し込み、体重を預ける。呼吸がぴたりと重なった。


乾いた音。結び目が一拍だけ開く。


「押せ!」

ライカが肩でこじり、綺羅が糸で縁を留める。アズラが調速の点打ち、翠が拍を刻む。


「今、通れ!」

シバ、綺羅、ライカ、アズラ——最後に翠。全員が滑り込んだ刹那、背後で縫い目が音もなく噛み合った。


静けさ。けれど空気はさらに冷え、湿る。

……そこで彼らは、見た。


壁際に散った黒い粉が、風もないのに一定の方向へ渦を巻く。

岩面には、内側から引っかいたみたいな浅い爪痕が、同じ幅・同じ間隔で並んでいる。

そして——縫い目のさらに向こうで、無数の細い影糸がこちらの“拍”に合わせて伸び縮みしていた。音ではない。胸骨に触れる低い振動が、鼓動と“共鳴”する。


「……囁いてやがる。言葉じゃなく、拍で」

翠が淡々と結論を置く。「長居は毒だ。進む」


アズラは短く息を整え、壁の刻みを指でなぞる。「『赤は誓い、藍翠は遺志』——分け合う意志が鍵になる。誰か一人の力じゃなく、合わせた拍だ」


「なら、合わせようぜ」

ライカが刃の柄を二度、小さく鳴らす。「背中は任せな」


綺羅がシバの首元の赤布を、そっと指で整えた。「光らなくても——あんたはあんた。前だけ見な」


「お前は倒すな、救え」

翠が短く、しかしはっきりと言う。「それが医者の都合で、今の最善だ」


シバは頷き、拳を握って開く。影痕が薄く疼いたが、足はぶれない。

(赤は誓い。藍翠は遺志。——俺たちは、分け合ってここまで来た)


「行こう」

一言に、三者三様の「おう」「任せて」「了解」が重なる。足音が揃い、半拍遅れの響きがいつしか同じリズムに乗った。


闇は、わずかに薄い方向へ退く。

その先で、影糸の束がこちらへ顔を上げた。爪痕と同じ間隔で、ぴたりと揃った“目”のような空洞が、四つ。

笑いもしない。だが——確かにこちらを測っている。


到達の実感が、喉の奥を熱くした。焼けた村、光の廊下、循環する回廊、いく度の拍合わせ——すべてが、この先に繋がっている。

シバは首の赤布に触れず、前だけを見た。


(ここで終わらせる。——皆で)


影糸の束が、一歩分だけ前に出る。

五人は、同じ拍で一歩、踏み込んだ。






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