第28章「逆拍の番獣」
螺旋の石段を降りきると、低い天井の回廊が横へ二叉に割れ、正面だけがわずかに開けていた。中央に浅い窪み、その縁に黒く艶のない破片が散っている。擦れた殻の匂い――乾いた、冷たい匂いだ。
「……来る」 シバが鼻先を上げ、短く告げた。
影の差す方で、岩肌が“こすれる”。のそのそと現れたのは、層になった甲殻を巻いた二体の異形。膝と肘の節だけが不自然に薄く、そこから黒い糸のようなものが内へ伸びている。
「殻持ち(からもち)だ」
アズラが視線で節の角度を測り、短く説明を添える。
「こいつらは逆拍で動く。こっちが“三”で踏めば、奴らは“二と四”で刺してくる。一定のリズムを見せるほど読まれる。だから、呼吸と足拍をわざと崩す」
「あたしが受ける。正面は任せろ」
ライカが四足で距離を詰め、跳ね上がり――着地の瞬間に背の双剣 (牙音) を抜く。白刃が手の内で鳴った。
「行きすぎるな、ライカ!」翠の声が飛ぶ。
「吸三・止一・吐三・止一。まずはそこに合わせろ」
殻持ちの一体が腕を振る。硬い縁が空気を裂き、石床に白い火花。ライカは半身で抜け、刃を交差させ節を叩く。鈍い音。割れない――反動だけは取れた。
「固ぇな!」 「節を狙え。そこだけ薄い」アズラが壁の線刻を一瞥して続ける。「逆拍の合わせは“均一”。こちらが不規則になれば、やつの計算が遅れる」
綺羅が指先で影をすくい、床の継ぎ目へ糸を走らせた。「“影縫い”、二針。右膝、固定」殻持ちの脚が一瞬沈み、節がわずかに露出する。
シバは滑り込んで二足で踏み込み、軍用ナイフで節の縁をえぐる。黒い糸がぶち、と切れ、殻の内側で痙攣。跳ね返りの爪が肩を掠め、熱い痛みが走った。 「っ……」 「動ける傷だ。吸って、止めて、吐け」 翠が背後から間髪入れずに呼吸を刻む。声に合わせるだけで胸のばらつきが収まる。
「次、左肘! 三拍遅らせて入る!」
アズラの指示。だが――
奥のもう一体が低く震え、広間全体にコツ、コツ、と“裏”を打つ。拍が一段速くなった。こちらのズラしを“上書き”する狙いだ。綺羅の影糸が震え、指先に痺れが走る。 「っ……針が弾かれる……!」
「呼吸、変更。吸二・止一・吐四・止一。伸ばして外せ!」 翠がテンポを切り替える。全員が合わせ――そこで不意に、殻持ちの平手が横から薙いだ。ライカの頬に浅い裂傷、綺羅の影が一本、ぷつりと切れる。
「くっそ、やるわね……!」 綺羅が舌打ち。
痺れの残る指を握り直し、影を点で打つ戦法に切り替える。「面じゃなく“点”で押さえる。右足首、針一本!」
アズラの耳鳴りが強まる。視界の端がわずかに色相を反転し、筆を握る指が震えた。
「代償、来てるぞ」
「わかってる。足下の“響き”を消す――遮音、薄幕」
床に薄い光の環が走り、足裏の反響が一瞬だけ消えた。殻持ちが拍を取り損ね、半歩だけ空を踏む。
「今!」ライカの双剣が弧を描く。
一本で節を押さえ、もう一本で裂く。牙が鳴り、甲が軋む。たわんだ瞬間を、シバの投げナイフ二枚が節の隙へ続けざまに入る。金属が肉を裂く乾いた音――だが割り切れない。殻持ちが逆拍をさらに速め、刃を噛ませてくる。
「噛まれた!」 ライカの片刃が“殻の溝”で受け止められ、腕に重い反力。肘が悲鳴を上げる。
「肘で受けるな、肩で逃がせ!」 翠の矯声。
ライカは肩を落として力の向きを斜めにずらし、拘束を外す。毛先が風に鳴った。
「右脚の糸、張りが弱い!」シバの鼻が黒い糸の“匂いの薄さ”を拾う。綺羅がそこへ針をもう一本。「固定!」
「決める!――牙音!」ライカが低く唸り、呼吸を吸二・止一・吐四に重ねなおして踏み込む。双剣が交差、三方の“ずらし”が一致。節の芯がぱきり、と砕け、殻持ちが片膝を落とした。
残る一体が前に出て、甲殻の表面に細いひびを走らせる。そこから“影”の靄がじわり。拍はさらに濃く速く――こちらの変化に学習してきている。
「しぶといな……」アズラが鼻血を袖で拭い、床の線刻へ目を走らせる。「やつの拍は“壁伝い”。壁の線で共鳴している。壁際を捨てろ。中央に寄れ」
「中央、薄幕維持。――“影縫い”一本、胸のひび割れへ」 綺羅の針が点で刺さり、殻持ちの体幹がわずかに沈む。
「シバ、左へフェイント、右から斜めに」「了解」 二足で切り込み、右足を軸に斜めへ。軍用ナイフの刃先が、胸の割れ目の下――糸の束の“結び目”を探り当てる。手首をひとつ、返す。ぷつ、ぷつ、と二度。黒い糸が解け、殻持ちの動きが一瞬止まった。
「今だ、叩け!」ライカの双剣が“押し”と“斬り”を同時にかける。鈍い割れ音。殻の重みが崩れ、内側の糸がふっとほどけて消えた。
静寂。全員の息が荒い。床に散った石片が遅れて転がり、乾いた音を立てる。
翠が手早く処置する。
「裂創二、打撲一。どれも浅い。吸二、吐四で落ち着け」 「……助かる」
シバは短く礼を言い、ナイフを拭う。赤布は首で静かに揺れるだけ――頼らない。脚と鼻で読む。
アズラが崩れた殻を膝で押さえ、割れ目を覗く。
「骨じゃない。編まれた板だ。節は“落とされる”前提で薄く作ってある。正面からの力押しは罠ってことだ」
「つまり、こっちの呼吸と拍を合わせさせられたら負け。合わせずにずらせば、勝てるって事ね」
綺羅が指を開閉して痺れ具合を確かめ、肩を回す。
「あたしたちが“揃った”から、ギリ勝てたって話だな」
ライカは双剣を背に戻し、白い息を吐く。耳がまだ立っている。
奥の通路で、空気がわずかに引いた。壁の線刻の一部が淡く光り、冷気の向こうに広がりの気配が濃くなる。
「先へ行こう」シバが言う。
尾が、ほんの少しだけ揺れた。
「拍はまだ“裏”で鳴ってる」
アズラが耳に指を当て、低く付け足す。
「誰かがこちらを見ている。半拍、逆で」
「なら、呼吸を切らすな」翠が全員を一瞥した。
「吸二・止一・吐四・止一。乱れたらすぐ言え」
「了解」綺羅が片目をつむり、影糸を指で弾く。
「行くわよ」
五つの影が、崩れた殻の間を抜け、奥の闇へと滑り込む。逆拍はまだ続いている。まるで、もっと深いところで、誰かが指先で石を叩いているように。待っていろ、と。




