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第27章「衝(はかり)の間」




前室を抜けると、円形の広間に出た。天井は低く、壁一面に淡い線刻が走っている。床の中央には厚い石の輪――秤輪ひょうりん。その外周に三つの踏板が等間隔に埋め込まれ、壁には〈導光〉〈導気〉〈遮音〉〈均衡〉の印が四象限に刻まれていた。天井からは親指ほどの“音石”が三つぶら下がり、風もないのに、かすかに同じ音で震えている。


「……施設の制御室だな。物理で合わせる類だ」

アズラが筆ケースを抱え、目だけを走らせた。


「どう合わせるのよ、これ」

綺羅が肩をすくめる。壁の印に触れても手応えはない。


「踏板で重さ、姿勢で呼気。音石は基準のはくだ。輪を正転させれば扉が開くはず」

「で、何からやるんだ?」

翠が短く問う。煙草は口の端、火は点けない。


「まずは試す。シバとライカ、踏板に乗れ。綺羅は“遮音”側の影幅を最小で補正。翠は呼吸のカウントを」


シバは左の踏板へ、ライカは右へ跳び乗る。最後の一枚はアズラが踏んだ。秤輪がわずかに浮き、石の擦れる音が広間に広がる。


「吸って四、吐いて四。合わせろ」

翠の声に合わせ、全員が息を揃える。

シバは二足で立つ足裏にわずかに重心を預け、尾でリズムを刻む。ライカは体幹で重さを調整し、膝を柔らかく抜いた。


――ぎし、と輪が回りかけ、次の瞬間、ぶるりと逆に跳ねた。

胸を内側から押されるような不快な波が来る。

視界が一瞬ゆがんだ。


「止めろ、外れた!」

アズラの声で全員が踏板を離れる。

翠はすぐに手首の脈を確かめた。


「乱れてる。座れ。頭は下げるな。吐いて三、今合わせろ」  命じる声は淡々としている。

シバは指示通りに呼気を吐き、喉のざわつきを追い出した。ライカも額の汗をぬぐい、息を整える。


「原因は?」 綺羅が短く問う。


「音だ。三つの音石のうち、一つだけ半音下がってる。外から“余計な拍”を拾わされてる」

アズラが目を細めて天井を見上げた。


「どこから混ざってる」

ライカの耳がピクリと震え、壁の一角を指す。

「あそこ。“遮音”の板がわずかにズレてる。隙間だ」


「見せて」 綺羅が走る。

板と板の合わせ目に、髪一本ほどの影の線。

彼女は短く息を吐き、指先で影をすくい、細い縫い目のように滑り込ませた。

「影縫い、幅最小……固定。――よし」

指先がじんと痺れる。だが顔には出さない。


「もう一度いくぞ」

アズラは音石の一つをそっと指ではじいた。

澄んだ小さな音が広がる。

「これが基準。今度は呼吸を変える。吸って三、止め一、吐いて三、止め一。翠、カウント頼む」 「了解。勝手に倒れるなよ」


二度目の挑戦。

シバは踏板に足をかけ、足裏で“トン、トン、トン、止、トン、トン、トン、止”と拍を刻む。尾も同じ拍でわずかに揺れた。ライカは最初の三拍を“七・三”で前足側へ、吐きで“五・五”に戻すよう体重を移す。無駄のない大きな身体運用――さすが傭兵だ。


「今だ、維持」 翠の声が落ち着いたテンポを刻む。


秤輪が、今度は滑らかに回り始めた。床下から石が噛み合う低い音。壁の〈均衡〉の印がほのかに光り、音石三つの音がぴたりと揃う。


「いいぞ、合ってる。あと数拍」 アズラが頷く。


「縫い目、生きてる。行ける」

綺羅は影縫いを保ちながら息を整える。


シバは胸の鼓動と輪の音が同じ線に乗るのを感じた。赤布は黙って首にある。何もしない。

――自分の脚と呼吸で回している。


ごう、と中央が沈む。秤輪の中心が筒状に下がり、黒い縦井戸が開いた。内側に沿って螺旋の石段。下から冷気が上がり、耳の奥で、心臓とはわずかに逆を打つ“トン、トン”が混じって聞こえる。


「……開いたな」 翠は煙草を抜き、指で弾いてポケットに戻す。 「落ちるなよ」


「待て」 アズラが秤輪の座に残った薄い灰白の欠片に気づく。紙片ほどの小さな板だ。

「導位片だ。座標媒体の逆位相……記録用かもしれない」 「素手で触るな」 翠が布を差し出す。アズラはそれで包み、巻き紐でくくった。


「解析は後。今は降りる」

綺羅が縦井戸を覗く。下は暗い。

だが風が、向こう側に“空間”の広がりを告げていた。


「シバ、どうだ」 ライカが問う。シバは鼻先を上げ、冷気を吸い込む。血と鉄の匂いではない。乾いた石、古い油、そして――どこかで擦れる“殻”の匂い。


「……いる。下に“動くもの”」

「拍もだ」 アズラが耳に指を当てる。

「こちらの心拍と、半拍だけずらされてる。意図的だな」 「嫌な趣味ね」綺羅が口元だけで笑った。


「降りる順を決める。先行は――」 翠が仕切る。

「一番手、シバ。鼻で異変を拾え。二番手、ライカ。万一の重石役。三番手、私。四番手、綺羅。最後尾がアズラ。足を滑らすな。息は“吸三・止一・吐三・止一”のまま維持。乱れたら即申告」


「了解」アズラが頷く。

「あたしはいつでも行ける」

ライカは双剣の柄に軽く触れ、すぐ手を離した。

ここは刃の出番ではない。


シバが一段目に足をかける。

石は冷たいが滑らない。尾が短く揺れた。 「行く。」


続いてライカ、翠、綺羅、アズラ。五つの影が螺旋の内側に沿って、石段を一歩ずつ降りていく。天井の音石の調べは遠のき、代わりに下からの“拍”が強まった。トン、トン――こちらの胸と、あえて逆に。


十数段降りた頃、上から閉じる音はしない。秤輪は開いたままだ。呼吸を合わせれば戻れるよう設計されているらしい。


「戻り道は塞がない理性はある」翠がぼそりと呟く。

「試練の場、ってことね」綺羅が前を見据えた。


踊り場に出る。

低い天井、四方の壁にはさきほどの四つの印が再び現れ、中央に細い通路が奥へ伸びている。通路の先で、乾いた殻が石をひと撫でしていくような音が、一拍だけ混ざった。


シバは立ち止まり、耳と鼻をそろえる。仲間の呼吸が背で揃っている。赤布は、静かだ。

(光らなくていい。――俺の脚で、嗅いで、進む)


「……進もう」 短い一言に、四人がうなずく。

通路の暗がりの先、拍はなおも心臓とわずかに逆を打っていた。まるで、待っているかのように。






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