表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/45

第26章「静かに沈む廊」




聖域の中は静かだった。

足音は石に吸われ、声は少し遅れて返る。冷たい空気に石灰と古い鉄のにおいが混じっている。


「水の匂いがする。遠いけど、どこかで溜まってる」

シバが小声で言う。鼻先がわずかに動いた。


「風向きは合わないのに湿気だけ来る。通路が折れてるな」

アズラが壁目地を指でなぞる。「新しい目地の下に古い線が残ってる。後から塞いだ跡だ」


「正面は囮ってことね」

綺羅が肩をすくめる。


「左が空いてる音だ」

ライカが耳を立てた。「こっちの方が響きが軽い」


五人は肩を触れ合わない間隔で左へ寄る。中央の一枚だけ、石が異様に冷たい。シバが手を当て、力をかける。動かない。


「押すな。縁を引け」

翠が指先で石の角を示す。


ライカが爪先で縁を引くと、砂の重い音がして石が数ミリ浮いた。黒い隙間から冷たい風が抜ける。


「当たりだ。戻りの印を付ける」

アズラが隙間の脇に小さな印を描き、先頭の交代を合図する。


通路は二人並ぶのがやっとの細さ。床の砂が薄く積もり、靴底が軽く鳴る。十数歩で、床色が線を引くように変わった。灰から濃い灰へ。


「待て」

シバが足を止める。「ここだけ粉の匂いが新しい。誰かが触ってる」


アズラがしゃがみ、粉を指でこすった。「石灰だ。固め直して浅い刻みを入れてある。通行の“合図”だな。…罠というより、儀礼の手順を問うタイプ」


床に浅い三つの円。ひとつは欠け、ひとつは重なり、ひとつは薄い。天井の梁にも微かな違いがある。


「まずは音で確かめる」

アズラが顎で合図。ライカが短く吠える。反響は左が遅く、右が軽い。


「右梁に空洞。導気孔だ。こっちから操作する仕掛けがある」

アズラが右梁の小凸部を押し下げる。床の円がうっすらと明滅した――が、すぐ消える。


「外れね」綺羅が苦笑する。「一発クリアは無理か」


「視線の交差も条件だ」

アズラが簡潔に続ける。「碑文建築にある“導光・導気・遮音”の合わせ技だ。見る角度で線が繋がる。位置を入れ替える」


「命令形、雑ね」

綺羅が立ち位置を右へ一歩。ライカは左へ。翠は後ろ、アズラは最後尾、シバは前。


床の円が再び灯り――今度は半分だけ点いたまま止まる。


「あと一つ足りない」

アズラが短く息を吐く。「影を細く。輪郭補正だ。綺羅」


「了解。薄くいく」

綺羅が足元の影を細く伸ばし、円の欠けた部分に重ねる。影縫いの簡易。代償が少ない程度に抑えた使い方だ。


微かなうねり。今度は床の三つが全部点いた。奥の壁が一寸ほど沈む。

同時に、皮膚の裏を撫でるような圧が通り過ぎた。


(……見ている)

シバは首の赤布に触れかけて、手を止める。(今は頼らない)


「これで進めるな」

アズラが灯りを上げる。「ただし長居はするな。ここは“音を殺す”構造だ。呼吸が乱れやすい。四歩で吸って四歩で吐け」


「はいはい。わかりやすいのは助かる」

翠が頷く。「息が上がったら即言え。無理はするな」


開いた隙間の先は広間だった。壁は煤で黒く、床は硬い。香の匂いが薄く漂う。

白い粉で描かれた線が四方の壁から中央へ向かっている。線は中央の黒い円盤で止まっていた。


「導線が集約されてる。参道のような扱いだ」

アズラが円盤の縁を指差す。「ここは“通す”か“閉じる”かを決める板。碑文術の文字は見当たらない。構造式だ」


「つまり、まだ続きがあるってことね」

綺羅が周囲を見回す。「視線の次は、重さ?」


「可能性はある。順番を外すと戻るだけだろうが、兵がいじった跡はない。灰徴兵団はここを破壊して通ってはいない」

アズラは短く断じる。


「誰か、聞いてる感じはするけどな」

ライカが肩をすくめる。耳がピクリと動く。「音の“途切れ”が不自然だ」


エイ……か、聖域そのものか)

シバは鼻で空気を切った。遠い水の匂いと、金属を冷やした匂いが、ごく薄く重なっている。


「ここで一度、段取りを決める」

翠が全員を見渡す。「先頭はシバとライカ。アズラが灯りと解析。綺羅は薄く影でマーキング。俺は体調監視と時間管理。三十呼吸で区切る。異常があれば戻る」


「了解」

全員の返事は短い。


まず円盤の周囲を一周。段差、隙間、割れなし。

次に壁面の白線を一本ずつ追う。右の線だけ、足元の石がわずかに浮いている。


「ここに荷重」

アズラが示し、ライカが片足で踏む。ぎし、と鈍い音。円盤の縁がまた一寸だけ沈む。


「次。反対側は軽い荷重で反応しそうだ」

「私が乗る」

綺羅が体重を半分だけ預ける。今度は沈まない。


「じゃあ、軽い方はシバだな」

翠が目で合図する。


シバが指定の石に静かに足を置く。カチ、と乾いた音。

中央の円盤が三寸ほど沈み、奥の壁に縦のすき間があらわれた。冷たい風がこちらへ流れ込む。


その瞬間、耳の奥にノイズが走った。言葉ではなく、意味を持たない圧。心拍が半拍だけ乱れる。


「吸って、四。吐いて、四」

アズラが即座に号令をかける。数拍で乱れは収まった。


「……今の、誰かの“手”だ」

綺羅が目を細める。「直接じゃない。場を叩いてる」


「遠い。だがいる」

ライカが短く唸る。


「結論は同じだ。進む」

翠がまとめる。「ここで止まっても消耗するだけだ」


シバは赤布から手を離し、前を向く。

(光らなくていい。俺は走れる。嗅げる。やれる)


「行こう」

短い一言に、皆が頷いた。


開いたすき間の向こうは、さらに奥へ続く廊。

音は薄いが、足取りは揃っている。

次の仕掛けがあるなら、ここで終わらせる。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ