第23章「聖域の兆し」
岩場を抜けると、東に幾重もの丘陵が重なり合い、朝靄に霞んで白くぼやけていた。振り返れば、崩した岩斜面が尾根を塞ぎ、追手を遠ざけている。
「……追っ手は?」
シバが問う。
ライカが耳を立てて答える。「距離を取ってる。でも完全に諦めたわけじゃない」
綺羅が肩をすくめて笑う。「ほんとしつこいったらないわね」
翠は煙草を指で転がし、火を点けずに口にした。「歩きながら考えろ。止まれば喰われる」
少し進むと、アズラが岩肌の苔をそいだ。そこには浅い彫り跡が残っていた。
「……碑文の欠片だな。方位標だ。東北に“門”がある」
「また怪しい道?」綺羅が眉をひそめる。
アズラは筆を傾けながら淡々と答えた。「だが進む価値はある。聖域に近づく証拠だ」
シバは無意識に赤布へ指をやる。布はただの冷たい布切れに戻っている。(なぜ、あの時だけ……)
「布に頼るな」翠が低く告げる。「お前は脚と鼻が武器だ」
シバは曖昧に頷いた。
「まぁ光らなくても」
ライカが牙を見せる。
「あたしの牙と爪で十分さ」
「前に行きすぎないでよ、狼さん」
綺羅が苦笑する。
「行きすぎなきゃ狩れないんだよなぁ!」
短いやり取りに、張り詰めた空気が少し緩んだ。
その後も進みながら、アズラは古い陶片を拾い上げた。黒ずんだ破片に細い刻みが残っている。
「導光盤の破片だ。赤布と同じ時代の遺物だろう」
「難しい話は三行でお願い」綺羅がすかさず言う。
「門が近い、危険も近い、だから急げ」
「それなら理解できる」翠は短く返した。
日が高くなる頃、視界の端に黒い柱のようなものが立ち上がった。煤を束ねたような影。
風は逆向きなのに、冷たい匂いが届く。シバの背筋に寒気が走った。
「見えるか?」アズラが声を落とす。
「……あれが聖域?」綺羅が目を細める。
ライカが唸る。「皮膚が逆立つ。嫌な気配だ」
翠は短く告げた。「夜までに越えるぞ」
シバは赤布に触れず、前を見据える。(光らなくていい。俺は俺の脚で進む)
尾がわずかに揺れ、足取りが強くなる。
「行こう」
短い一言に、仲間たちが頷いた。
朝靄の向こう、影の柱が確かに空を汚していた。聖域は、もう目前だった。




