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第18章「砂猫亭の席で」




ベルンの喧噪が遠のいて、一行がたどり着いたのは北街道沿いの交易都市――リーネだった。

人と獣人が肩を並べる活気の中にも、どこか張り詰めた空気が走っている。数日前、白衛団が黒い外套を翻して通過し、北門近くには簡易検問まで敷かれた――そんな噂が、通りを渡る風に紛れていた。


宿屋**「砂猫亭」**の食堂は、夜刻の灯にやわらかく照らされ、香草の効いたシチューと焼いた肉の匂いが鼻をくすぐる。

丸卓に腰を下ろした四人は、木皿を囲みながら次の進路を地図で確かめていた。


シバは腰の軍用ナイフに触れ、首元の赤布を無意識に指先で整える。先の戦いで燃えるように輝いた布は、今は静かな布切れに戻っている。

「……次は、北だ」

低く言うと、綺羅が黒パンをちぎりながら肩をすくめる。

「検問を抜けるの、面倒くさくなきゃいいけどね」

翠はタバコを咥え、淡い煙を吐いた。

「面倒なら回り道だ。命が軽くなる近道は選ぶな」

アズラは頷き、紙束の角を揃える。「物資は街道沿いで補給できる。墨も紙も、この町なら手に入る」


そのとき、背中で音が止まり、影が卓上に落ちた。

「――へぇ、ここにいたのか」

振り向けば、銀の瞳を細めた狼の獣人の若い女が立っていた。背丈は綺羅とそう変わらないが、しなやかな筋肉が衣の下で動く。肩越しには、二本の双剣。鍔に刻まれた銘が月明かりをはねた――《牙音ガオン》。


「狼のライカだ。……いや、名前なんてどうでもいいか。あたしは腕で覚えられる方だしな」

豪快に笑い、空いている椅子へ勝手に腰を下ろす。

「仕事が切れちまってな。白衛団に荷を卸してる商会の護衛だったが、**獣人は“見栄えが悪い”んだとよ。契約を切られた上に、“危険で粗暴”**って悪評までおまけさ。笑えるだろ?」


綺羅が目だけでシバに合図する。要注意の合図だ。

だが翠が先に口を開いた。

「ライカ。……生きてたか」

「おう、センセ。あの時は世話になったぜ」

ライカは片手で剣の鞘を軽く叩く。「毒矢、覚えてるか? 白衛団の依頼で辺境の道を掃除してたら、どこぞの野盗の残り火にやられてな。死にかけたところをこのセンセが繋いでくれた。借りは、まだ返してねぇ」


翠は火を指で弾き、短く言う。

「借りを返すなら、軽口より結果だ」

「言うじゃねぇか。――だから提案だよ」

ライカは身を乗り出し、低く囁いた。

「“赤布の聖域”って遺跡、聞いたことあるか? 古い碑文と、赤い布にまつわる伝承が残ってるらしい。ここ数日、その手の話を白衛団も嗅ぎ回ってる。北門の検問も、多分それ絡みだ。……で、あんたらは?」


シバはわずかに目を細め、赤布に触れた手を静かに離す。

アズラが慎重に言葉を選ぶ。「情報の正確さは?」

「酒場三軒、荷車隊二つ、行商の姉ちゃんの噂で裏を取った。場所は北――街道を半日、それから東へ外れて丘陵の先。白衛団の連中も同じ地名を口にしてた。賭けるなら、今だ」


綺羅が息を吐く。「で、あなたは?」

「決まってんだろ。同行する。……次の契約が見つかるまでな」

ライカはにやりと笑い、双剣の柄に指をかける。

「この**《牙音》**、振ればうるさいぜ。金が鳴るみたいにカンカンと。敵の耳に残る残響――そういう嫌な音を、あたしは“勝ち音”って呼んでる。道中で必要になるはずだ」


「勝ち音ね」綺羅が片眉を上げる。「自信満々ってのは嫌いじゃない」

アズラは苦く笑い、筆を胸に当てた。「助力が必要なら断る理由はないが、条件は合わせることだ。勝手な突出は――」

「分かってるさ。隊列は守る。命は捨てない。センセの教えだろ?」

翠はタバコを灰皿で潰し、「なら、文句はない」とだけ言った。


短い沈黙。食堂の隅で楽士が弦を爪弾き、皿が重なる音が波のように寄せては返す。

シバは立ち上がり、椅子を静かに押し戻す。

「……案内はできるのか?」

「任せな。鼻も耳も、狼は利く」ライカは立ち上がり、尻尾を一振りした。「出るなら夜明け前。検問の巡回が手薄になる時間がある。そこを抜ける」


綺羅が黒パンの最後の一切れをシバに放る。「腹、入れときな。走るんだから」

シバはそれを受け取り、こくりと頷いた。赤布は静かだ。だが胸の奥で、微かな鼓動が早まっている。

――赤布の聖域。白衛団も向かう場所。

そこに、師の遺したなにかがあるのかもしれない。


「決まりだな」翠が椅子を蹴って立つ。「各自、道具の確認。寝るのは短く、歩くのは長くなる」

アズラは帳面を巻き、綺羅は荷を軽く整える。ライカは双剣《牙音》の鞘を鳴らして笑った。

「よし、銀の牙――ってのは、あいつら(他人)が勝手に呼ぶ通り名だが――その看板に恥じない働きを見せてやるよ」


夜は深い。だが扉の向こう、北門の先には薄く冷たい風が巡り、日の出前の静けさが広がっている。

四人に新たな足音が加わった。

リーネの灯が背に遠のき、明け方の街道が、静かに彼らを待っていた。






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