表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/45

第12章「咆哮ー赤布の誓いー」




夜は深まり、村を覆う闇はますます濃くなっていた。

戦いが始まって既に半刻──東の空には、まだ夜明けの気配すらない。

疲労がじわじわと仲間たちを蝕み、汗と血と煙の匂いが戦場を満たしていた。


「……来るぞ」

シバの鼻先がぴくりと動く。森の奥から、重く湿った足音が十数重、確かに迫っていた。


広場に陣を敷く村人たちの間に緊張が走る。

「く、来るのか……!」リョウが槍を震わせる。

「怯むな! 孫を守るのは今夜しかねぇ!」ハルじいが剣を掲げ、声を張り上げた。

その声に勇気を得た若者たちが、農具を握る手に力を込める。


次の瞬間、森の闇が形を持った。

黒い人影──「影」だ。

その姿は人型でありながらも輪郭は揺らめき、顔には目も口もなく、ただ深い闇の裂け目だけが穿たれている。

まるで底知れぬ虚無が人の形を借りて立っているかのようだった。


「っ……!」サクラが思わず母の手を強く握る。

「お父さんが帰るまで……頑張るって言ったのに……!」

母は黙って娘を抱き寄せ、震える肩を支える。


影の周囲に横たわる死兵たちが、糸に操られるように立ち上がる。

裂けた傷口から黒い糸が伸び、死人を人形のように動かしていく。

「や、やめろ……!」リョウが槍を振るが、死兵は無言で迫ってきた。


「……吠えろ、シバ」

アズラがかすれた声で呟く。その額には汗が滲み、手にした筆はわずかに震えていた。


柴犬の小さな身体からは想像できない、狼のような遠吠え。

その声は夜を切り裂き、広場全体に響き渡った。


風に翻る赤布が、月明かりを受けて炎のように揺らめく。

その光景に、村人たちは一瞬だけ恐怖を忘れ、胸に熱を宿す。


「……犬、なのに……」

誰かが呟いた。


その姿は確かに柴犬。小柄で、耳は尖り、尻尾は巻いている。

だが今のシバは、ただの犬ではなかった。

赤布を纏い、仲間を導く戦士としてそこに立っていた。


死兵たちが一斉に軋む音を立てる。

影の糸に引かれたその身体は、シバの遠吠えにたじろぎ、一瞬だけ動きを止めた。


「……やるじゃない」

綺羅が息を整えながら、口の端を吊り上げる。

震える刃を握り直し、背を預けられる仲間がいることを実感していた。


アズラは額に汗を浮かべ、筆を杖代わりに立ち上がる。

「光は……闇を恐れない。君の声がそれを証明したな」

その目には、長年碑文を追ってきた学匠らしからぬ熱が宿っていた。


しかし「影」は退かない。

広場の地面に染み込んだ闇がさらに広がり、月光を覆い隠す。

呻き声と共に、倒れたはずの兵士がまた立ち上がり、影に操られてこちらへ迫ってくる。


「クソッ、死んでも立つなんて……!」

リョウが槍を取り落としそうになり、ハルじいが叫んだ。

「怯むな! 村を護るのは今夜しかないんじゃ!」


シバは振り返らない。

ただ赤布を握りしめ、己の誓いを思い出す。


──赤は誓い。藍翠は遺志。


燃え上がるようなその布が、彼の背を押していた。


「俺が必ず……終わらせる!」


咆哮に応じるように赤布が輝きを増し、影を焼く光となる。

死兵たちが苦悶の声をあげて崩れ落ちる一方で、影そのものはさらに濃くなり、裂け目の向こうから異様な気配が漂ってきた。


村人たちは、希望と恐怖の狭間で震えながら、その光景を見つめていた。


戦いはまだ終わらない。

夜明けまでは、まだ遠い。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ