第11章「影との邂逅」
夜の村を包む空気は、異様に冷たかった。
北門を抜けて侵入した「それ」は、人の形をしていながらも、輪郭が常に揺らいでいた。
煙のように形を結びきれず、背丈はシバよりも頭ひとつ大きい。
顔の位置には「目」とも「空洞」とも呼べぬ黒の奥行きがあり、口の代わりに縦の裂け目が走る。
そこから漏れる気配に、村人たちの心臓は鷲掴みにされたように強張った。
「ひ、ひぃっ……!」
リョウが槍を構えながら後ずさる。膝は震え、声も裏返る。
「くそっ……昔の戦よりも怖ぇ……!」
背中の剣を握り締めたハルじいの額からは、冷や汗が流れていた。
「お父さん……守って……」
サクラが母の背に隠れ、祈るように両手を合わせる。
――北門から広場までは百メートル。
その間に三列の落とし穴が仕掛けられ、火種の藁束も準備されていた。
村人の一部は洞窟へ避難済みだが、残った者たちは槍や鎌を握りしめ、恐怖に抗っていた。
シバは最前線、四肢を地に突いて低く唸る。
綺羅は門の左手でナイフを構え、影の横合いを狙う。
翠は広場の中央で村人を守りながら負傷者を手当てし、アズラは後方に碑文を描き光の結界を張っていた。
---
「……立て! まだ終わってねぇ!」
翠の声が飛ぶ。
片手で布を縛り止血をしながら、もう片方の手で村人を叱咤する。
「恐れるな! 影に操られた死体は血が巡ってない! 動きは鈍い……狙うなら胸の右上だ!」
翠の医学的な分析が戦術となり、槍を持つ村人たちに勇気を与える。
だが――
地に崩れたはずの兵士が、黒い糸に縫いとめられるように立ち上がった。
その動きはぎこちなく、それでいて止められぬ確実さを孕んでいる。
「バケモンが……!」
綺羅が舌打ちし、ナイフを投げ放つ。鋭い軌跡が喉を裂く。
だが血を流しながらも倒れない。
影が肉を縫い、兵を無理やり歩かせていた。
---
「俺が行く」
シバは短く言い放つと、赤布を強く握りしめた。
瞬間、四足へ切り替え、地を蹴った。
獣の速さで駆け、跳躍と同時に二足へと戻る。
軍用ナイフが閃き、影の胴を狙って振り抜かれた。
「……無駄だ」
裂け目から漏れる声。
黒い靄が刃に絡みつき、軌道を逸らす。
手応えはなく、まるで霧を斬ったかのようにナイフは虚空を走った。
「ッ……!」
シバの足元に影が這い、犬の牙のように尖って噛みつこうとする。
「シバ!」
翠が叫ぶ。
シバは素早く飛び退き、土煙を巻き上げながら着地する。
尾が揺れ、影の牙を紙一重で掠めた。
---
「影は……形を持たん」
アズラが筆を振り抜き、地に刻んだ碑文が淡く光を放つ。
「――光こそが唯一の抗い……!」
白い光輪が広がり、影の靄を押し返す。
操られていた死兵たちが糸を断たれたように崩れ落ちた。
「アズラ! その光を絶やすな!」
翠の声。
だがアズラの額には汗が滲み、震える指先が筆を滑らせる。
「……持って、あと半刻だ……」
その言葉を聞き、村人たちの喉がごくりと鳴った。
東の空はかすかに白み始めている。夜明けまではあと一刻。
だが、この戦いが夜明けまで続く保証はない。
---
影が裂け目の口を大きく開き、声なき声を響かせた。
「ならば……光から喰らおう」
影が膨張し、村全体を飲み込まんと迫る。
シバは赤布を握り直し、獣の咆哮を上げた。
「俺が切り開く! 翠、綺羅、援護を!」
藍翠の羽織が夜風に翻り、赤布が闇を裂く。
獣と人の境を超えたシバの姿が、燃え残る炎を背に浮かび上がった。
戦いは――ここからが本番だった。




