第10章「カザル村防衛戦」
夜は深く、冷たい風が村を包んでいた。
月明かりの下、カザル村は静かに戦の時を待つ。
村の入り口から広場まではおよそ百メートル。
その一本道に、三列の落とし穴が交互に仕掛けられている。
落とし穴の間には乾いた藁束を敷き詰め、油を染み込ませた藁が火種として隠されていた。
狭い坂道を抜けて村に入るしかないこの地形が、村人たちにとって唯一の盾だ。
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シバは赤布を結び直し、耳をそばだてる。
「……もうすぐだ」
翠は口の端にタバコを挟み、鋭い目を村人に走らせた。
「よし、布陣につけ! 女と子供は裏山へ! 男衆は槍を構えろ!」
広場の中央では、農夫マサが鍬を両手で握りしめて震えている。
鍛冶屋ジロウは改造した槍を仲間に配り、声を張り上げた。
「ビビんな! これで戦える!」
背中に古びた剣を背負ったハルじいは、前列に立つ若者へ肩を叩きながら笑う。
「わしはまだ剣を振れるぞ。お前ら、腰を引くな!」
その笑みは深い皺に刻まれているが、声だけは若々しく、仲間を鼓舞する。
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森の奥から重い足音が近づいてくる。
枝を踏み砕く音、鎧の打ち鳴る音。
やがて鬨の声が夜を裂いた。
先頭には盾を構えた重装兵、後方には槍兵が続き、さらに後ろには弓兵の影。
列を組み、統率の取れた動きで進軍してくる。
「敵襲だ!」
リョウが叫ぶ。
「かかってこいよ!」
綺羅がナイフを指先で弄び、挑発的に笑う。
「防ぐんじゃない。削ぐんだ」
アズラは冷静に筆を構え、闇に目を凝らす。
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敵兵が落とし穴に足を取られた。
「罠だ! 退け!」隊長らしき男が叫ぶが、既に遅い。
悲鳴と怒号が交錯し、後続の兵が混乱に飲まれる。
翠の合図で火矢が放たれ、藁束が一斉に燃え上がった。
「今だ! 突け!」
火の壁を背に、村人たちが一斉に突撃する。
ジロウの槍が重装兵を貫き、マサの鍬が盾を叩き割る。
怯えていた娘サクラは、仲間を守ろうと鎌を振り上げ、敵兵の腕を裂いた。
「やれるぞ!」
ハルじいが剣を振り抜き、村人たちを鼓舞する。
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戦闘開始からすでに一刻(約30分)が経っていた。
村人たちの額には汗が滲み、息は荒い。
だが確かな手応えがあった。
「……勝てるかもしれない」
翠が低く呟いた。
しかしその瞬間――
炎の向こうで、闇が蠢いた。
黒い靄が地を這い、落とし穴に沈んだ兵士の死体に絡みつく。
次の瞬間、血まみれの兵士が黒い糸に吊られるように立ち上がった。
目は焦点を失い、影に操られる傀儡と化す。
「……嘘だろ」
リョウの手から槍が滑り落ちた。
影は炎の壁に触れる。
しゅるり――音もなく、炎が呑み込まれて消えた。
煙が冷気に変わるように、赤い光が夜に溶けていく。
「……光など無意味だ。闇に還れ」
低く響く声。
炎の残り火が消え、そこに「影」が立っていた。
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シバの毛並みが逆立ち、低く唸る。
「……あいつが、“影”か」
赤布が月光を受けてひらめき、緊張が村全体を支配した。
希望は一瞬で凍りつき、胸を締め付ける絶望が広がる。
翠は唇を噛みしめ、吐き捨てた。
「ちっ……ここからが地獄か」
夜風が炎の残り香を吹き散らし、村は闇に呑まれた。
――交戦は、まだ始まったばかりだった。




