第7章「牙と焔」
山岳地帯へ続く細い街道。
昨夜の村の温もりを残したまま、三人は冷えた空気を切り裂くように歩いていた。
途中ですれ違った農夫が震える声で噂を語る。
「……牙が来る。獣みたいな兵隊長だ……」
「焔も……焔も現れたんだ。村が、笑い声と一緒に燃えていった……」
綺羅は鼻で笑い、アズラは眉を潜めた。
だがシバの耳だけは、ぴくりと動き、赤布を風になびかせた。
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峠を越えた瞬間。
灰色の旗が並び、兵がずらりと立ち塞がった。
「赤布の犬……ようやく見つけたぞ」
獣じみた声と共に現れたのは、鋭い牙をむき出しに笑う大男。
腕には碑文の刻印が絡みつき、灰徴兵団の兵を従えている。
シバは応えるように赤布を握り締めた。
「……来たな」
牙が地を蹴り、突進してくる。
衝撃で岩が砕け散り、シバもまた四足へ切り替え、素早く回避。
赤布が風を裂き、刃と刃が火花を散らす。
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その時だった。
「ねぇねぇ……遊んでくれる〜?」
無邪気な声と共に、山肌が炎に包まれた。
現れたのは焔。少年のような無邪気さを宿した青年で、その笑みは子供そのものだった。
彼の指先から赤い炎が散り、灰兵も村人も区別なく呑み込む。
兵士たちが叫び声をあげる。
「止めてください! 焔様!! 私たちが──!」
叫びは炎に呑まれ、途切れた。
「あははは! だって燃えちゃったんだもん〜。
壊れたら、新しいのを探せばいいよね〜」
そして焔は誇らしげに付け加えた。
「灰王さまが言ったんだよ〜。好きに遊んでいいって!」
その名を耳にした瞬間、兵士たちの顔色が変わった。
恐怖か畏怖か、言葉にできぬ沈黙が広がり、誰一人として灰王の名を口に返す者はいなかった。
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「焔ッ!」
牙が怒声を放ち、拳で焔の炎を打ち払う。
「貴様、俺の獲物を横取りする気か!」
焔は首を傾げ、幼子のように笑った。
「え〜、だって遊びたいんだもん〜。
ねぇ、牙も一緒に遊ぼうよ〜?」
牙の目に、一瞬だけ恐怖が浮かんだ。
巨躯がほんの半歩だけ退いた。その事実が、焔の異常さを際立たせる。
「……チッ。お前と組まされるとはな」
牙は吐き捨てるように言った。
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シバは混乱の隙を逃さず、綺羅とアズラに声をかける。
「退くぞ!」
三人は炎の熱風を浴びながら岩場を駆け抜けた。
焦げる匂いが鼻を突き、背後では兵士の影が炎に呑まれていく。
岩が崩れ落ち、炎の渦が夜空を赤く染める。
シバの胸には、かつて燃え落ちた村の光景がよみがえった。
――同じ惨劇を、二度と繰り返させない。
綺羅は舌打ちしながらも、胸の奥に微かなざわめきを覚えていた。
助けるためじゃない……そう思い込もうとしながらも、足は止まらなかった。
アズラは震える手を隠しつつ、筆を杖にして進んだ。
代償で削られる身を悟りながら、それでも背を向けることはできなかった。
背後で焔の声が響く。
「また遊ぼうね〜! 壊れない君たち、楽しみだよ〜!」
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夜風の中、シバは息を荒げながら赤布を握りしめた。
「……赤は誓い、藍翠は遺志。
村を焼き、師を奪った灰徴兵団を……俺が必ず終わらせる」
綺羅は黙って視線を逸らし、アズラは目を閉じて深く息を吐いた。
暗闇の奥。
新たな影が揺れる――。




