4.米と銭と、城下町
柴田勝家に案内され、信長は清州城の一角にある米蔵へと向かった。
兵糧庫――戦国において、これほど重要なものはない。
兵を動かすのにまず必要なのは、刀や槍ではない。米であり、物流である。
(戦は、始まる前から勝敗が決まっている。……現代も戦国も、それは変わらない)
米蔵の前で、番をしていた中間たちが、信長の姿に気づき、慌てて地面に平伏した。
「ほ、ほほ、恐れながら、お館さま……!」
「案ずるな。お主らを責めに来たわけではない。中を見せてくれ」
腰に差した刀の柄を軽く持ち直し、信長は蔵の戸口に立った。
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◆ 城の米蔵にて
米蔵の中は、思った以上に粗末だった。
湿気がこもっており、天井から落ちる結露のしずくが、ところどころ米袋に染みを作っている。
信長は膝をついて、一袋を開けた。
中には白米ではなく、雑穀が混じっていた。赤米、玄米、砕けた麦。
そして――鼻を近づけると、微かな酸味と、かすかな動き。
「……虫が湧いているな。保存管理がなっていない」
勝家が顔をしかめる。
「このような粗末な備蓄で、戦になるとは……思いもよりませなんだ」
「いや、そもそも“米蔵を知らずに戦をする”こと自体が問題だ。数字と記録だけでは、何も見えない」
そう語る信長の姿に、勝家は言葉を失った。
(“うつけ”と呼ばれた殿が……なぜ、こんな理屈を……)
信長はさらに続ける。
「今日から、蔵の中身はすべて帳面につけろ。米の種類、産地、保管日数。水濡れの有無、虫害の状況もだ」
「帳面……でございますか?」
「そうだ。“見える化”するのだ。誰が、いつ、どれだけの兵糧を納め、どこに、どう保管したのか――それが分からなければ、戦も治政もできぬ」
それは、まさしく在庫管理システムの原点だった。
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◆ 城下の風景
信長はその足で、城下町へと降りた。
早朝の町は、まだ静かだったが、農民や商人たちが動き出す気配が漂っていた。
荷車を押す百姓。樽を運ぶ若者。門前で野菜を並べ始める女たち。
その表情に、信長はある共通点を見出していた。
――どこか、怯えている。
(そうか……“城の者”というだけで、民は怯えるのか)
それは現代とは大きく違っていた。
支配者と民衆の距離は、あまりにも遠い。
恐れ、従い、黙って納め、黙って生きる。
だが、それではこの国は変わらない。
「……この町を変える。まずは、“貨幣”からだ」
信長は足を止め、町の小さな両替屋の前に立った。
並ぶのは、バラバラな大きさと形の銭。中には潰れたような無銘の銅貨や、明から渡ってきた古銭も混じっている。
(これでは信用が生まれない。物流も税制も、すべてが不安定だ)
信長の中に、ある構想が芽生えていた。
「尾張で通用する、新しい通貨をつくる。重さも形も、きちんと統一された銭だ」
「……それを、民が使うようになりますか?」
そばにいた勝家が問う。
「使わせる。……いや、“使いたくなるように仕組む”んだ。たとえば――その銭で年貢が払えるようにすれば、民は自ら求めて使うだろう」
それは、まだ誰も考えたことのない発想だった。
通貨を“民の選択”として導入する。
信用を与え、市場に流通させ、経済そのものを制御する――
それが、**信長の“真の戦い”**の始まりだった。