3.初めての信長としての朝
夜が明けた。
白んだ空に、鶏の鳴き声がかすかに響く。
信長――いや、「俺」は、掛け布団の中で目を覚ました。
もう昨日ほどの混乱はない。
だが、相変わらず、これは夢ではない。掛け布団の重みも、朝の冷気も、肌に触れる麻の寝衣もすべてが“現実”の感触だった。
「……ほんとに、戦国なんだな」
独り言がこぼれた。
起き上がると、部屋の襖の向こうで足音が止まる気配がした。
やがて、控えていた若侍が恭しく頭を下げる。
「おはようございます、殿。……お体の具合、いかがでございますか」
(言葉遣いが……時代劇そのものだな)
笑いそうになるのをこらえ、静かに頷いた。
「悪くない。……着替えを頼む」
若侍は驚いた顔をした。きっと、信長は今まで自分で着替えを頼むような人間ではなかったのだろう。
だが、それでもすぐに動いた。麻の下着、白い直垂、腰に差す大小の刀。
(これが、戦国武将の日常か……)
重い着付けを終えると、木戸を開け、縁側へと出た。
⸻
朝霧の中、清州城の庭が広がっている。
竹と松が風に揺れ、下の方では池に小さな水鳥が浮かんでいた。
石灯籠、砂利道、土塀……何もかもが、現代では見たことのない風景。
それでも、どこか懐かしさを感じるのはなぜだろう。
(信長の記憶と、俺の感性が、重なり始めているのかもしれない)
そのとき、静かに歩み寄ってくる音がした。
振り返ると、柴田勝家が控えていた。鎧ではなく、朝の平装に着替えている。
「殿。昨夜は、……よくお休みになられましたか」
「うむ。問題ない。備えの報告は?」
勝家は驚いたように目を見開く。やはり、昨日の出来事がまだ信じきれていないのだろう。
「……はっ。兵糧は、三ヶ月ぶんを備蓄。だが……一部の米倉に虫が出ております。検分が必要と存じます」
「良い。すぐに案内しろ」
「……す、すぐに、でございますか?」
勝家が戸惑うのも無理はない。
昨日までの信長――つまり、史実の“うつけ”信長は、そんなことに興味など示さなかったはずだからだ。
だが、俺は違う。
現代を生きていた俺にとって、「現場を自分の目で見る」ことは当然の判断だった。
机の上で聞く話と、足元の現実は、いつだって違う。
「城の者に伝えよ。今日より、“信長”は変わったのだとな」
勝家はしばし呆然としたのち――力強く頷いた。
「はっ、かしこまりました!」
⸻
朝の清州城を、信長は歩き始めた。
城内の廊下を進むたびに、奉公人や侍女、若侍たちが、信じられないという目でこちらを見る。
その視線のひとつひとつが、「本当に変わったのか?」と問うている。
(これが“信長として生きる”ってことか)
ただ生まれ変わっただけじゃない。
これからの一挙手一投足が、“この国の未来”を変えていく。
俺は、もう逃げない。
この“歴史”に、俺の意思で足跡を刻む。




