12.新たな城、新たな名
五月――山々の緑が濃くなる季節。
美濃・稲葉山城は、朝霧の中にそびえ立っていた。かつて斎藤道三が築き、義龍が守っていたこの城に、いま、新たな主が立つ。
その名は――織田信長。
彼は静かに城の天守に立ち、周囲の地形を見渡していた。
「山に囲まれ、川に沿い、京への道を押さえる……この地こそ、天下を見据えるにふさわしい」
信長は、側に控える家臣に静かに命じた。
「この城の名を改める。“岐阜”とせよ」
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◆ 岐阜、その名にこめたもの
その名は、“周”が興った岐山、そして聖人・孔子の故郷、曲阜にちなんだものだ。
古の理想国家と聖人の智慧――その両方を継ぐ、という意味が込められていた。
つまりこれは、信長が“自らを王朝の始祖とする”覚悟の表れだった。
「岐阜……天下への道が、ここから始まるのですね」
帰蝶が呟いた。
信長はうなずく。
「ここを、戦国の終着点ではなく、“新しい国の出発点”にする」
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◆ 天下布武――それは理念の旗印
それから間もなく。
信長の朱印には、ひとつの新たな文言が加わった。
「天下布武」
その四文字が刻まれた印章が、書状に押され、命令書に押され、商人の許可証にまで押されていった。
だがそれは、単なる威光ではない。
「力ではなく、秩序の下にこそ天下は治まる」という、明確な理念の発信であった。
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◆ 岐阜の町づくり、始動
信長はすぐさま岐阜城下の整備に着手した。
新たな道路の設計、宿場町と市の統合、商人への出店許可、さらには貨幣制度の統一拡大。
「年貢の銭納、尾張と同じく行え。学問所も開け。読み書きそろばんを、寺子屋に任せず“町”が教えるようにせよ」
それは、武家領としては異例の“民政重視”の政策だった。
町は動き、人は集まり、岐阜は瞬く間に戦国随一の活気ある都市へと姿を変えていった。
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◆ 信長、書を記す
ある夜、信長は一人、紙に筆を走らせていた。
> 天下を取るに、武だけでは足りぬ。
> 民を養い、道を敷き、信をもって治めるべし。
> 我が布武とは、暴にあらず。理にして秩なり。
それは、彼が後に広く伝えることとなる、“布武”の真意だった。
ただ戦に勝つのではない。
「戦を起こさずして治める力」を示すことこそが、真の布武である。
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◆ 家臣たちの変化
かつて“うつけ”と侮っていた家臣たちも、いまや口を閉ざしていた。
いや、侮りなど、もはや誰の中にもなかった。
柴田勝家は、岐阜の町を歩きながら静かに呟いた。
「……この男が見ているのは、“武家の栄華”ではない。“天下そのもの”か」




