1.目覚めよ、魔王
――なんだ、この感覚は。
意識が深い海の底から浮上するように、少しずつ戻ってくる。
まず感じたのは、重たい布団のような、分厚く硬い何かに体が包まれている感覚。
次に、鼻の奥を突く――古い木と灰のような、懐かしいようでいて知らない匂い。
耳が、音を拾い始める。
……チチ……チチ……。
あれは……火の音? 焚き火のような、小さな炎のはぜる音。
そして、足元の方からかすかに聞こえる、人の気配。控えめな衣擦れと、吐息のような緊張感。
(俺……どうしたんだ?)
まぶたを、ゆっくりと開けようとするが、重たい。
どうにか片目だけがわずかに開いた。
――薄暗い部屋。
天井は木組みで、どこか歪んだ梁がむき出しになっている。
壁は土壁。電気も蛍光灯もない。
ろうそくのような火が、ゆらりと灯っているだけだった。
(え? ここ……どこだ?)
全身に、静かに冷たい汗が浮かぶ。
病室でもなければ、ホテルでもない。いや、そもそも21世紀の建物じゃない。
これは……歴史の本で見た、古い屋敷?
もう一度、意識を集中して、体の感覚を探る。
腕は――細くはない。太く、筋肉がついている。
服は? 肌触りが……ゴワゴワしてる。絹でも化繊でもない。
帯でしっかりと締められた衣服……和服? しかも現代の着物じゃない、もっと重たくて実用的な造りだ。
――不意に、声がした。
「……殿? ……お目覚め、で……?」
男の声だった。
声の主は、部屋の隅で控えていた武士のような姿をした人物。
鋲を打った甲冑、ざんばら髪、目元は厳しく、頬には薄く刀傷が走っている。
(え……誰? ていうか、鎧!?)
驚きが胸を突いたが、声が出ない。
ただ、今ので確信した。
これは現代じゃない。俺の知っている世界じゃない。
「殿……! 目を、覚まされたのですか!?」
武士が、焦ったように近づいてきた。
その姿――甲冑の細部、着物の折り目、手の指の汚れ、皮の匂い――どれも作り物とは思えない。いや、本物だ。
その瞬間、脳の奥がズキリと痛んだ。
ドクン、と胸の鼓動が一段跳ねる。
流れ込んでくる、“誰かの記憶”。
戦場。
叫び声。
甲冑を着て馬を駆る。
「尾張」と呼ばれる国。
「うつけ」と嘲られた日々。
そして――
「織田信長」という名前。
(え……まさか……)
呆然としたまま、俺は床の間へ目をやった。
掛け軸が一つ、かかっている。
天下布武
その言葉を見たとき――心の奥に、確信が走った。
俺は今、戦国時代にいる。
そして――この体は、織田信長のものだ。