奴隷という概念が理解できないお嬢様が奴隷達の主として大成功するまで
リリノア・ウーは有名な女性実業家だ。奴隷の統治能力に定評があり、彼女が所有している奴隷は大変に良く働く上に仕事ができる者が多い。
彼女の腹心の部下は三人。数字に強く経理を任されている大眼鏡のナイルスという青年と、やや乱暴者ではあるが仲間想いで農業や薬学の知識を持った同じく青年のベー、そして、リリノアの実質的な参謀とも呼べる女性秘書のネネアだった。
このうちナイルスとベーはまだ年若い。そんな若い二人が高い地位にいるのは、この二人が彼女に与えられた初期の奴隷だったからだ。
「――お前も、そろそろ奴隷達の扱いを学ばなければいかんな」
彼女の父のハロルド・ウーは、親バカな上に過保護だった。だから、おっとりしていて穏やかな気質のリリノアは、まずは大人しい奴隷から慣らしていかなければいけないと考え、ナイルスを選んだのだった。優しくて体の小さなナイルスは、奴隷達の間で虐められており、彼女に歯向かうことなどしそうにはなかったので打ってつけだと考えたのだ。
「大丈夫です。心得ておりますわ、お父様」
父親に対しそのように彼女は自信満々に応えたが、彼女の使用人達は不安を覚えていた。世間ずれしていていたって何事も平和に捉える彼女が、“奴隷”というものを理解しているとは思えなかったからだ。そして、その不安は的中したのだった。
「……何をしているのでしょう? お嬢様」
リリノアは料理を作っていた。それだけならまだマシだ。傍らにはナイルスの姿があり、どうも一緒に料理を作っているようなのだった。
澄ました顔で彼女は応える。
「見ての通り、料理の作り方を教えていますの」
「は?」
「奴隷は何か仕事をするものと聞きお及びました。ですが、この子はまだ子供。仕事のやり方など知りませんわ。だから、手始めにこうして料理を教えているのです」
唖然とした様子の使用人が見守る中で、彼女は出来上がった料理を二人で机に運び始めた。奴隷であるはずのナイルスにも平等に料理を取り分けている。
「お嬢様と同じ料理を食べさせるのですか?」
なんでもない事のように彼女は返す。
「二人で作ったのですから当然ですわ」
もちろん、彼女は道徳的には正しい事を言っている。言っているのだが……
次の日の朝、使用人は更に驚く事になる。
「……どうして、そこに奴隷がいるのですか? お嬢様」
奴隷であるはずのナイルスが、何故か彼女と同じベッドで眠っていたのだ。やはりなんでもない事のように彼女は返す。
「ここに来た当初、この子は大変に怯えた様子でした。一人きりで、しかもあんな酷い寝床では寝させられません」
使用人は思わず顔を引きつらせてしまう。
「あの…… あまり甘やかし過ぎるのは…」
このお嬢様は奴隷を愛玩動物だと思っているのだ。実際にそのように扱う金持ちの婦人もいると聞く。そう使用人は思っていた。が、それから彼女はこう返すのだった。
「もちろんですわ。甘やかすだけでなく、読み書きなどの勉強も確りと教えるつもりでいます。そうじゃなければ、ちゃんとした仕事ができるようにはなりませんもの」
使用人は固まってしまう。
どうやら、このお嬢様は、奴隷というものを根本的に勘違いしているらしい……
使用人は迷ったが、主人にはこのように報告した。
「奴隷はお嬢様に大変良く懐いてるようです」
嘘は言っていない。
もしも、ありのままを伝えたりすれば、不幸な奴隷の子供がまた悲惨な目に遭う事になってしまう。だから、誤魔化したのだ。するとそれを聞いて気を良くした主人は、二人目の奴隷をリリノアに与えたのだった。ベーである。
ベーはナイルスと違って気性が激しかった。だから、いくらお人好しのお嬢様でも、流石にベッドで一緒に寝たりはしないだろうと使用人は思っていた。
が、甘かった。
「どうして、その子も一緒に寝ているのですか、お嬢様?」
顔を引きつらせている使用人に、彼女はこう応える。まるでなんでもない事のように。
「あら? 気性の激しさは愛情欠乏の裏返しと言われているのよ? たっぷりと愛情を注ぐのは当然です」
使用人には最早何も言えなかった。
そして、それからしばらくして今度はネネアがやって来た。まさかとは思ったが、やはり一緒に寝ていた。「一人だけ仲間外れでは可哀想ですわ」とのこと。そしてこのネネアは二人の奴隷よりは年を取っており、なおかつ確り者で同時に策士でもあったのだった。
彼女はしばらくリリノアと接して“使える”と判断したのだろう。リリノアの父親が親バカと知ってこのように訴えたのだ。
「お嬢様には、奴隷を従える才能がおありになるのです。もっと大きな仕事を任せてみてはどうでしょう?」
ハロルドは大いに気を良くし、その進言通りにリリノアに農場経営を任せたのだった。そして、ナイルスは経理を勉強し、ベーは農学などを勉強、そしてネネアは経営学を学び、リリノアの奴隷農場がスタートした。
リリノアが奴隷達に過酷な労働条件を強いるはずがない。お陰で少なくとも彼女の下で働く奴隷達の境遇は随分と改善された。改善されたのだが……
ネネアが奴隷達に訴える。
「あなた達、もっと懸命に働きなさい」
しかし、奴隷達は真面目には取り合わなかった。折角、厳しい監視がなくなったのだ。楽をしないでどうするのだ?
「分からないの? もしもリリノアの農場経営が上手くいかなければ、あなた達は元の過酷な境遇に戻るのよ? ご飯だって粗末になるし温かいベッドも用意してもらえない。私達の未来の為には、彼女の農場を成功させるしかないのよ」
奴隷達にもその理屈は分かっていた。だが、そうして真面目に働いて、一番利益を得るのはリリノアなのだ。どうにも上手く使われている気がしてならない。つまりは彼らはプライドを満足させたかったのだ。
ネネアでは彼らを説得できなかった。或いは彼らは反乱でも起こす気でいるのかもしれない。
……が、そんな彼らの前に、ある日、リリノアが現れたのだった。
どうやらリリノアは何処かで偶然に奴隷達の不満の声を耳にしたらしかった。
彼女は深々と頭を下げた。
「この農場の経営が上手くいっているのは、皆さんのお陰です。ですが、現在、その皆さんの貢献に見合っただけの対価をお支払いはできていません。これは私の能力の至らなさが原因です。ご不満に想うのも当然でしょう。しかし、今現在、皆さんにできる限りの対価をお支払いできるように尽力している最中です。どうか、今しばらくお待ちください」
ネネアが補足する。
「リリノア様の言う事は本当です。彼女はあなた達から搾取しようとばかりする他の領主とは違います。自分の取り分を犠牲にして、あなた達の貢献に報いようとしている」
奴隷達はその言葉に顔を見合わせた。
実際にこれからどれだけ対価が支払われるのかは分からない。しかし、それでも、自分達の“所有者”であるはずのリリノアが謝罪をし自分達の力を認めてすらいる。彼らは自分達のプライドが満たされていくのを感じていた。
そして、それが最後のパーツだったのだった。
奴隷達は懸命に農場の利益の為に働き始めた。ただ真面目に働くだけではない。仕事のやり方を工夫し、どうすれば生産性が上がるかを研究していく。そうして成果を出せば、リリノアはそれを認め報酬を増やしてくれる。彼女が約束通りの経営を行っていると分かれば、更に彼らはやる気を出す……
そうして“奴隷達のやる気”に火を付ける事に成功したリリノアの農場は、著しい発展を遂げたのだった。
……ある日の散歩の最中、リリノアはすっかりと大きく立派になった自分達の農場を眺めながら近くにいるネネアに向けて言った。
「ねぇ、ところでネネア。“奴隷”って一体、どんなものの事を言うのでしょう?」
ネネアはそれに淡々と返す。
「あなたはそれを知る必要などありません」