少しのお暇
ルチアは目が覚めると、自身の住む建物の屋上に上がり日が登るのを見る。それは彼女が歩けるようになってから変わらないルーチンである。
人の顔が判別できるほど明るくなると、町の人々がルチアに声をかけてくる。
「ルチア、おはよう!」
「おはよう!」
地上からの第一声に答え、ルチアは屋上から市場に降りる。
早朝のしんとした空気も良いが、人々のざわざわとした空気で人々が元気であると感じることができる、この空気も好きだ。
「今日は寒いよねえ」
「寒くなったよねえ」
「つい最近まで暖かかったのにね」
次々とかかる声に、これまた次々に答えていく。答えながら市場で朝食やおすすめなどを購入する。
「ナーオ」
自室の前に戻ると、黒猫がルチアの足元に来た。ルチアの足にすり寄ると顔を見て鳴く。
「ちょっと待ってよー」
いつもの事なのだろう。ルチアは黒猫を見ずに声をかけ、扉の鍵を開けた。扉のすぐそばに水回りがあり、その奥にはベッドと机が置いてある。扉を開けると部屋の中を見回せるほどの広さしか無く、ルチア以外の生き物の気配もない。
扉を閉めると、ルチアはキッチンに買ってきたものを置いた。ルチアとともに入ってきた黒猫は、なぜか輪郭が崩れているが、ルチアは気にせず食材や雑貨などをしまっていく。
「ルチア、おっそいなあ。待ちくたびれた」
そう声がするが、ルチアは気にしない。
声がした方向は、黒猫だったものがいた場所である。そこには黒猫ではなく少年が、眠そうな顔をして立っていた。
「部屋の前で待っていただけじゃない」
「そうだけどさあ」
ルチアの言葉に答え、欠伸をする少年。
「で、まだ火はつかないの?」
少年は椅子に座るとぐてりと机にへばりつき、ルチアがコンロへ火をつけようとしているのを見ながら言う。
「う、う、うるさいなあ、そう言うならチャロがつけてよ!」
「いいけどさ。明日から僕はいないんだよ? どうすんだよ」
真っ赤な顔をしたルチアから、コンロに目をやるチャロと呼ばれた少年。チャロがコンロをじっと見ると、ポンッとコンロに火がついた。
「大丈夫かなあ」
「大丈夫だもん!」
チャロが言い終わらないうちにルチアは言い切った。
本当かなあという目でチャロは見るが、ルチアはチャロではなく、あさっての方を見ている。まあいいかとチャロは机に突っ伏した。
「食べないの?」
心配そうにルチアは問う。
「んあ?」
チャロが目を開けると、目の前には朝食が置かれ、そのむこうにはルチアが既に椅子に座り、朝食を食べている。
「食べる。食べるんだけどね」
チャロは答えるが、机に突っ伏したまま。
「明日から私、いないんだよ? チャロこそ大丈夫?」
少しからかったような口調でルチアは問うた。
「だ、れ、に、言ってんのかな」
答えるがチャロはまだ机の上でのびていた。
「大丈夫なのかな。本当に」
「その言葉、そのままルチアに返すぞ」
そういうとチャロはしゃんと差を伸ばし、朝食を食べ始めた。
次の日。いつものようにルチアは暗いうちから屋上に上がり、いつものように座り込む。じっと陽が昇るのをルチアは見つめ、小さな声でつぶやいていた。
「やだなあ」
「しかたねーだろ」
「っひっ!」
声にならない声を出し、ルチアは飛び上がり屋上から落ちそうになる。
「うわっ! ばかっ!」
ルチアの手を引っ張り、ずり上げるチャロ。
「急に声、出すなー!」
真っ赤な顔でチャロにかみつくように叫ぶ、ルチア。
「なんだよ! いつも音を消しても僕がいるのに気がついているじゃんか!」
ルチアに負けないよう、チャロは叫ぶが、ルチアの顔を見て口を閉じた。
「ごめん」
「ごめんね」
そう言うとチャロは、泣き出したルチアを抱きしめる。
答えないルチアの背を撫でごめんと伝える。
すんっと鼻をすすると、ルチアは顔を上げた。
目の前には心配そうにルチアを見るチャロの顔。
「ふふっ」
笑った後、ルチアも言った。
「私も、ごめんね」
お互いの顔を見て笑う、ルチアとチャロ。
あたりは明るくなってきた。
「じゃあ」
「ん」
チャロの輪郭はぼやけていく。
「そうだ」
そう言うと、ルチアは黒猫になったチャロのそばにしゃがみこむ。
「帰ってくるまでよろしく!」
「わかった」
「じゃあ、行くね」
「おう!」
ルチアはとんっと飛び上がると、お日様に向かって飛んでいった。
「ンナァー」
欠伸をし、とてとてと建物の中に戻っていく黒猫。
その黒猫の首には紐で結えられた鍵が、かけられていた。
ある日、少女は扉の前に立っていた。
「おっそいなあ」
声は少し怒っているようだが、少女は嬉しそうに一点を見つめている。少女の見つめる先には黒猫がいて、のんびりと少女の元に歩いて来ていた。
「おーそーいー」
少女が叫ぶ。しかし黒猫は、歩みを早めるのでもなく、のんびりと、ゆっくりと、少女のもとへと向かう。
「もうっ!」
少女は黒猫へと駆け出した。黒猫は駆けて来る少女をちろりと見ると、その場に座る。
普通であれば、向かってくる人間にびっくりし、黒猫は逃げ出すだろう。なのに座った黒猫は、大きな大きな欠伸をした。
「ンナァアー」
黒猫の首には、鍵がかけられている。
「チャロ!」
少女は黒猫を抱き上げたが、その腕からぽんっと飛び出て扉の前にくる黒猫。
輪郭がぼやけ、黒猫から姿を変えた少年。
「遅すぎんだよ」
扉が開き、少年の手には鍵があった。
「入んねえの?」
扉の内側で少年が少女に問う。
途端にふくれる少女。
「違うでしょ」
ふくれた少女ににこりと笑うと少年は言った。
「おかえり。ルチア」
「ただいま!」
「な、ん、で、こんなに時間がかかったんだよ」
湯気が上がる温かいお茶をカップに注ぐとルチアの前に置き、チャロは問う。ルチアは両手でお茶の入ったカップを持つが、あさってのほうに目をやった。チャロはあさってのほうを向いたルチアの両頬を手で挟み、ぐいっとチャロの方へと向けて、もう一度問うた。
「な、ん、で、こんなに時間がかかったんだっ」
「はなしてくれなかったんだもん」
ルチアはチャロの顔を見て、右へ左へと視線をそらし、最後に下に視線をやるとぽつんと言った。
「やっぱり」
チャロは悲しそうな顔をすると、ルチアの頬から手を離した。
「ま、いっか。定期報告、お疲れ様。んで、おかえり。ルチア」
チャロはふんわりと笑って言うが、ルチアはチャロの顔を見ると悲しくなった。
「か、帰ってきたじゃん!」
そう言うがチャロはふんわりした笑顔のまま。
「帰ってきたじゃん! ここに! そりゃあ、先生たちとの新しい理論を語るのも楽しかったけれど」
ルチアの頬から離れていくチャロの手、をルチアは両手で追いかけ掴む。
「あー、それはなあ」
仕方がないな、僕でも心が踊るからと言って、チャロはルチアの掴んでいない方の手で、ルチアの手をポンポンと撫でた。
「でしょう!」
「それならそれで、連絡をよこせ」
こつんとチャロはルチアの頭をこづく。
「それは、ごめんなさい」
「まあ、いいや。おかえり」
しょんぼりと下を向いたルチアの頭、をゴシゴシとチャロが撫でる。
「ふはっ」
チャロが吹き出したのを聞き、ルチアが顔を上げると、チャロはルチアの頭を指差し笑っていた。
「す、すまんっ」
「ん?」
ルチアが自身の頭に手をやると、自身の髪はボサボサにされていた。
「チャーロー!」
「すまんって!」
そう言って逃げるチャロ。
「いいもん」
プンと頬をふくらませるルチア。
「先生たちと語った新しい理論の話はしないもん」
「ごめんなさい!」
ルチアの言葉を聞き、すぐにチャロは頭を下げた。
その後、ルチアはチャロの作ったご飯を食べ、チャロに先生たちと語り明かした理論を語る。キラキラした目のチャロと、ルチアは昼夜語り明かした。
「なるほど、でもこうじゃね?」
「そうじゃないよ。ここでこうなって、だから」
「ほおお、なるほど」
先生たちと今までの説や新しい理論について語るのも楽しいけれど、チャロとこうして語るほうが良いなとルチアは思った。
ルチアはチャロには言わないけれど。
pixivの締切に遅刻してしまったもの。