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悪役令嬢なのにモテすぎて困るって、呪いですか!?

作者: 月城うさぎ

なろう様での投稿はお久しぶりです。夏休みの時期なので、サラッと読めて楽しめる短編を書いてみました。楽しんでいただけますように!



「エルヴィーラ嬢! 待ってくれ」

「今日こそ僕のクラバットを受け取ってほしい」

「次の学園のパーティーではぜひ相手役を……!」


(この状況で待てと言われて待つ馬鹿がどこにいるのよ!)


 数人の男子生徒に追いかけられながら、エルヴィーラ・ベルネット侯爵令嬢は必死に学園内を全力疾走していた。


 エルヴィーラが通う王立学園では、恋人、または将来の約束をした男女は制服の一部を交換する習わしがある。多くの学生は胸元を飾るスカーフ、またはクラバットを交換し特定の相手がいることを示すのだ。


 数日前まではエルヴィーラもそのひとりだったが、今の彼女は自身の瞳と同じ青色のスカーフを着用している。すなわち、恋人も婚約者もいない完全なる独り身状態。学生の間に婚約者がほしい男子生徒から狙われるのは当然の成り行きだが、エルヴィーラが追いかけられている理由は他にある。


(こんな異常事態、いったいいつまで続くの……!?)


 呼吸を乱しながら廊下の角を曲がり、さらに入り組んだ道を選んだ。

 もし近くを通りかかった教師にでも見つかれば、廊下を走る危険行為を厳重注意されるだろう。ペナルティーとして処罰を受ける可能性もゼロではないが、それが一般的な処罰なら問題ない。


 怖いのはエルヴィーラを追いかけまわす男子生徒のように変貌し、教育者の仮面を脱いで迫られることだ。


(いい加減、追いかけられるの怖いし疲れた……!)


 あてもなく走り続けて、とある扉を通り過ぎた瞬間。誰かに腕を掴まれた。


「え……、っ!?」


 バタン、と扉が閉まる。

 腹部に回った逞しい腕は明らかに男性のもので、エルヴィーラの身体が強張った。


「は、放して……っ」

「シー、騒ぐと見つかるよ?」

「……ッ!」


 背後から抱きしめられる体勢で、耳元に美声が届く。

 一瞬でぞわぞわとした震えが背筋を駆けた。この聞き覚えのある声は、振り返らなくてもわかってしまう。


(生徒会長のレインハルト殿下……! なんでここに!?)

 

 第一王子のレインハルトはエルヴィーラより一学年上で、現在18歳だ。

 蜂蜜のような琥珀色の金髪にエメラルド色の瞳、左右対称にバランスよく配置された顔のパーツと温和な微笑がとても見目麗しい。女子生徒の間では、彼に三秒見つめられると恋に落ちてしまう、とまことしやかに囁かれている。


 学年が違えば接点もない生徒会長と声を交わす機会など一度もない。遠目から見かけたことがあるくらいだ。


 何故助けてくれたのだろう……いや、それよりどうして抱きしめられているのだ。


(どういうこと……!?)


 エルヴィーラは身じろぎひとつできないまま、心臓がバクバクしてきた。緊張と不安と困惑が混ざり合っている。


 しばらくすると数名の足音が近づいてきた。


「あれ、こっちだと思ったんだが」

「道を間違えたんじゃないか?」

「エルたんー、どこー?」


 バタバタとした足音が遠ざかり、エルヴィーラの身体から力が抜けてきた。

 知らない間に呼吸を止めていたらしい。ホッと安堵の息を吐いた。


「あの、もう大丈夫そうです。ありがとうございました」

「そう、よかった」

「……」


 お腹に回った腕が外れない。

 もう大丈夫だと告げているのに、相手もわかっているのに。


「あの、会長。私もう大丈夫なので」

「うん」

「腕をですね、外していただけないでしょうか……」

「うーん、もう少しこのままでもよくない?」

「よくないです!」


 他に誰もいない部屋で交流のない女子生徒を抱きしめるなんて、事故や偶然じゃなければ問題だ。そもそも恋人でもないのだから、この距離は不適切だろう。


「残念」


 名残惜しそうにレインハルトが抱擁を解いた。だがその直前に頭をスンと嗅がれた気がした。

 エルヴィーラの背筋にぞわっとした震えが走る。


(え、今なんか……いえ、気のせい?)


 温厚で品行方正な生徒会長が、そんな変態行為をするとは思えない。

 エルヴィーラは適度に距離を取り、助けてくれたレインハルトに頭を下げた。

 

「あの、ありがとうございました。それではごきげんよう……」


 出口の扉を開けようとしてギョッとする。よく見るとこの部屋は学園長の部屋ではないか。


(なんで鍵が開いてたの?)


 学園長の部屋に無断で入ったのがバレたら、普通に考えるとてもマズイ。

 エルヴィーラの場合は特殊な事情があり、学園長から緊急時には入ってもいいと許されているが。生徒会長もその許しを得ているのだろうか。


(まあ、大丈夫よね。会長と学園長は身内だから停学処分とかにはならないはず……)


 そんな他人の心配をしていると、麗しい笑みを浮かべたレインハルトがエルヴィーラの真っすぐな髪をひと房握った。


 蕩けるような微笑は極上に美しい。顔がいいから見惚れそうになるが、髪に触れていいなど言ってない。

 おかしいな、男子生徒からは逃げきれたのに。

 未だに身の危険が去った気がしない。


「さて、エルヴィーラ・ベルネット。僕からひとつ提案があるんだけど」

「な、なんでしょうか……」


 一難去ってまた一難……と、エルヴィーラの頭が警鐘を鳴らしている。

 レインハルトはエルヴィーラの艶やかな髪の手触りを堪能するように親指を滑らせた。

 そのまま髪を口許まで持ちあげ――チュ、とキスを落とした。


(え……!?)


 女子生徒の憧れの的である美貌の第一王子から髪にキス。

 何それ怖い……と身体が硬直している間に、レインハルトは見る者を虜にする笑みを見せる。


「僕と婚約するというのはどうだろう」

「……あ、あなたも“あっち側”の人間なんじゃないー!」


 助けてくれたと思っていたのに、結局はエルヴィーラを追いかけまわしていた男子生徒と同じだった。

 これ以上ここにいるのは危険だ。


 すぐさま髪を奪って逃走する。

 数日前に受けた厄介な呪いのせいで、エルヴィーラの日常はめちゃくちゃだ。


「うーん、あっち側ではないんだけどね?」


 走り去るエルヴィーラの背中を見つめながらレインハルトが不穏な呟きを落としていたなど、エルヴィーラには知る由もなかった。


 ◆ ◆ ◆

 

 平穏な日常が崩れたのは数日前のこと。


 それまでもあまり穏やかとは言えない学園生活を送ってきたが、エルヴィーラにとって待ちに待った出来事がやって来た。


「お前との婚約はめだ」


 お昼時間のカフェテリアでエルヴィーラに言い放ったのはこの国の第二王子であり、レインハルトの異母弟のヘルムートだ。彼はエルヴィーラと同い年の17歳で同学年である。


 王家からの打診により、二人が婚約したのは10歳の時。穏健派であるベルネット侯爵家の令嬢と婚約なら不要な諍いも起こらず、波風が立たないという思惑だったのだろうが、エルヴィーラは出会った当初から傲慢な王子様にいい感情を抱いていなかった。

 整った顔立ちは極上だが……、むしろ顔しか褒めるところがない。


 学園内での彼の評判は不真面目で怠惰。授業はよくサボり、制服は常に着崩している。婚約者がいるというのに、人目を気にせず女子生徒を侍らすことも珍しくない。

 困ったことに王族は国民の模範とならねばならないという意識は全くない。成績優秀で誰もが憧れる異母兄のレインハルトのことも気に食わないらしく、学園内においても二人が会話をしているところを誰も目撃したことがない。兄弟仲は冷え切っているらしい。

 第二王子だが正妃の子であるヘルムートを諫める者は、叔父の学園長以外ほとんどいない。彼の母親が隣国の王族のため第二王妃の子であるレインハルトよりも身分が高く、学園内においてやりたい放題だった。


 そして今、多くの生徒が集まるカフェテリアの一画で、ヘルムートは女子生徒の肩を抱きながらエルヴィーラに婚約の解消を告げた。

 7年の付き合いになるが、ヘルムートにデリカシーの欠片もないことはわかっている。

 エルヴィーラは淡々とその申し出を受け止めた。……内心の歓喜を堪えて。


「そうですか」


 カフェテリアはシン……と静まり返っている。

 明日からどんな噂が出回るか少しだけ興味はあるが、これだけ証人がいれば婚約解消を言いだしたのはヘルムートだと主張できるし、エルヴィーラがすぐに学園を去っても責任は問われないだろう。


(ふふふ……やったわ、ついにこの日がやって来たわ!)


 この7年間。ずっとヘルムートに捨てられる日を待ち望んでいたのだ。学園に入ってからも彼の好みとは真逆の女性を演じ続けてきてよかった。


 不真面目なヘルムートは、エルヴィーラのような模範的で優等生な女子生徒が苦手だ。傍にいると息が詰まるだろう。

 エルヴィーラも本当はそんなに勉強が好きではないのだが、一応王子の婚約者ともなれば成績は落とせないという圧があった。毎日寝る間も惜しんで予習と復習を続けていたため、エルヴィーラの成績は上位三位以内に入っている。


(口うるさい小言という名の正論を言い続けた甲斐もあったわ~。一緒にいると息が詰まるような女なんて、殿下の好みではないものね)


 我慢し続けてきた7年間が走馬灯のように脳裏を駆け巡りそうになるが、まだ油断はできない。


 エルヴィーラは平常心を保ちながら、「理由をお聞きしても?」と特に興味はないが聞き耳を立てている周囲のために説明を求めた。ついでにヘルムートがまたひとつピアスを増やしたんだな、などと余計なことを考える。


「はっきり言って、お前といてもつまんねえんだよ。ネチネチと小言ばっか言いやがる。結婚したってうまくいくはずがねえし、これ以上我慢なんて冗談じゃねえ。破綻する結婚生活を送る前に俺から申し出てやったんだ。お優しいだろ?」


(いや、我慢なんてしたことなくない?)


 つねに不機嫌でエルヴィーラとまともに会話をしようとしない男だ。婚約している身でも堂々と自由恋愛を謳歌していた。そのせいでエルヴィーラが陰で嗤われることも貶されることもあったほど。


「なるほど、そうですか」

「こっちはお前みてえな地味で陰気な女より、可愛げがある女の子が好きなんだわ。お前ももうちょっと男に媚を売るくらいすればいいのによぉ」

「……人には向き不向きがございますので」


 エルヴィーラは淡々と答える。

 ヘルムート相手に媚を売るのを想像するだけで鳥肌が立ちそうだ。


(なんだかムカムカしてきたわ……私だって初対面で「地味で冴えないブス」って言ったの忘れてないからね!)


 ついでにヘルムートの婚約者候補だった令嬢に背中を押されて池に落とされたことも思い出す。あれも間接的にヘルムートのせいだろう。


 エルヴィーラが厳しい王妃教育を受けている間、サボり魔だったヘルムートが真面目に勉学に励んでいたことはない。いつだってハズレくじを引いていたのはエルヴィーラだ。

 出来の悪い夫を支えるために妻が優秀でないといけないなんて、意味がわからないと思っていた。教育するべきはヘルムートの方なのに、と。


「女性は愛される努力をしなければね、エルヴィーラ様?」


 クスクス笑うのはヘルムートのお気に入りの子爵令嬢、エステルだ。肩を抱かれているのをうれしそうにし、ヘルムートに甘えている。

 エルヴィーラのことを地味で陰気くさいと言うだけあり、これまでヘルムートが付き合ってきた令嬢は皆華やかな美貌を持った女子生徒ばかり。

 今の恋人のエステルは珍しいストロベリーピンクの髪をした愛らしい美少女だが、性格は……同性の友人を作るのは少々難しそうだ。


(好きでもない相手に愛されるって苦痛では?)


 ヘルムートに愛されるとか冗談ではないし、婚約解消はずっと願い続けてきた望みだった。

 エルヴィーラは幸せになることを諦めていない。自由になったらやりたいことが山ほどある。


(いろいろ言いたいことはあるけど、エステルさんには感謝だわ。馬鹿王子と仲良くなってくれてありがとう! ちょっと趣味悪いと思うけど、いっそこのまま婚約したらいいんじゃない?)


 エステルが猛烈にヘルムートを甘やかしてなんでも肯定しまくり、アプローチしてくれたおかげで、エルヴィーラは望み通りの展開になっているのだ。正直婚約者がいるのにすごい度胸だとは思うが、エルヴィーラも特にヘルムートを諫めることなく傍観していた。


(あ、そうだわ。これで私も晴れて悪役令嬢の立場から解放される……!)


 悪役令嬢とは、数年前から隣国で流行っている恋愛小説の登場人物だ。

 小説の中で王子の婚約者はえげつないような嫌がらせを次々に仕掛ける高貴な令嬢だった。

 その清々しいまでの嫌がらせ行為はある意味潔くて、彼女を応援するファンができるほど。

 そして小動物な顔をした身分の低い主人公も意外なほど逞しくて強かにやり返していた。どんな手を使ってでも愛を勝ち取りに行くという気概が伝わってきて嫌いじゃない。

 だが最終的には悪役令嬢が負けてしまい、身分を剥奪されて国を追放された。その後の彼女がどんな人生を歩んだかは描かれていなかった。


(入学前に読んでおいてよかったわ。私のことを妬んでいる誰かさんに嵌められる可能性もあるって気づけたから。嫌がらせやいじめなんて絶対にしないけど、冤罪を作り上げられるのも嫌だもの)


 エルヴィーラの立場ポジションは物語の悪役令嬢と一致していた。

 王子と愛し合う恋人を邪魔する身分の高い政略的な婚約者……それを知ったときは、まさしく自分の立場では? と衝撃を受けたものだ。


 ヘルムートの取り巻きからも陰で悪役令嬢と揶揄されていたことも知っている。そのため厄介ごとに巻き込まれたり冤罪を作られないように、自衛を徹底してきたのだ。


(私から馬鹿王子の恋人に嫌がらせをしたり邪魔したことなんてないんだけども。逆に陰口や嫌がらせを受けた回数は……数えきれないくらいにはあったわね)


 ヘルムートの取り巻き令嬢たちとすれ違うことにも気を付けて、職員室や図書室に入り浸る日々を送っていた。職員室なら教師の目があるし、図書室なら入室と退室時に時間を記入するため居場所を記録できる。

 授業が終わると同時に即行で教室を出て、私物は常に全部持ち運び、移動ルートは毎日変えるという地道な努力のおかげで大きな嫌がらせに巻き込まれることもなかった。


 そして婚約が解消されたなら、学園に通い続ける義務もない。

 ヘルムートの婚約者だからという理由で半ば強制的に通わされていただけだから。


 エルヴィーラは胸元を飾る紫のクラバットを外す。この色はアメジストの瞳を持つヘルムートの色だ。

 入学当初に義務として嫌々互いの制服の一部を交換し、以降毎朝憂鬱な気持ちでヘルムートのクラバットをスカーフ替わりにつけていた。こうして人前で堂々と外せる日が来るとは感慨深い。


(私のスカーフは捨てられているでしょうけど。一度もつけていたところを見たことがないわ)


 なにせヘルムートは常に制服を着崩している。襟のボタンはいくつも外され、鎖骨の下の肌まで見えていた。彼がきっちり制服を着こなしているのを一度も見たことがない。


「これはお返ししますね。あと私から父にも婚約解消を報告させていただきます。ごきげんよう、殿下」

「ああ、今後は学園内でも声をかけてくるなよ」


 あまりの言い草に顔をしかめる生徒たちがエルヴィーラを気遣うように見つめてくる。

 だがエルヴィーラは顔がにやけそうになるのを必死に堪えながら、カフェテリアを去った。その足取りはとても軽い。


(やったー! これからは騒がしい王都を脱出して、念願だった領地でのんびり田舎暮らしよ! でもその前に、南の別荘で魚介類を食べまくりたいわ。あそこは新鮮な海鮮がおいしいし、海で思う存分遊べるわね! 肌を健康的な小麦色に焼いても誰からも文句を言われないって最高。市場でたくさん買い物もしたいし、いっぱいオシャレもできる!)


 南方地方にある海沿いの避暑地にベルネット侯爵家の別荘がある。だがエルヴィーラはヘルムートと婚約してから一度も行けていなかった。10歳から王妃教育を受けさせられて、ほぼ王城で育ったと言っても過言ではない。

 家族と顔を合わせたのも年に数回のみ。思い返すと少しだけ感傷的な気分になる。


 今までの厳しい王妃教育も自分のためだと思えば無駄ではないが、費やしてきた時間を考えると何とも言えない感情がこみ上げてきそうだ。


 すっきりした気持ちと、複雑な感情が絡み合う。もっと早く振ってくれたらという怒りも少なからずあった。


(……いいえ、過ぎた時間を考えたってしょうがない。これからお父様に報告して、すぐに退学の手続きをして――)


【まあまあ、なんて不憫なのかしら!】


 頭の中に女性の声が響いた。

 エルヴィーラは思わず歩みを止める。


【幼い頃から努力して頑張って来たというのに、あんな言い草ってないわ! 本当ひどいクズじゃない!】


 ヘルムートがクズというのには概ね同意なのだが、一体この声は誰だろう。


(え、幻聴? 私だけに聞こえる幽霊の声とか?)


 怖い想像が頭をよぎる。今まで心霊体験なんてしたことがない。


【こーんなにも美しい濃紺の髪と思慮深い海色の目をした乙女に向かって、地味で陰気臭いなんて! ひどいわ! あなたがとっても美しいことを誰も気づいていないなんて、嫌になっちゃう!】


「あ、あの……?」


 エルヴィーラは耐えられずに声を出した。なにやら頭に響く幻聴は勝手に盛り上がっているようだ。


【でも安心して、女神様が不憫な乙女に特別な祝福を授けてあげるわ! まだまだ若いんだし大丈夫よ。学生のうちにたっくさん素敵な恋をしなくちゃね! 学園生活を謳歌してちょうだい】


「え? はい?」


 身体が一瞬ふわっとした温もりに包まれた。

 だがそれだけで、一見なにも変化はない。


「今なにが……っていうか、女神様? 祝福?」


 エルヴィーラの額に冷や汗が滲んでくる。

 なんだかものすごく嫌な予感がした。


 この国には稀に祝福ギフトを授けられた子供たちが生まれてくる。

 身分を問わず特別な祝福を得た者は、必ずこの学園に通う義務があるのだ。


 エルヴィーラは祝福持ちではないためその義務はないのだが、そういえばレインハルトもヘルムートも祝福持ちとして知られている。

 通常王族は成人するまでなんの祝福が授けられているかは明かさないが、ヘルムートは隠すそぶりもなく日常的に使っていた。彼は重力を調整し、身軽に移動ができるらしい。よく建物の上を歩いている。サボり魔で身体能力が高いヘルムートに好都合な祝福だろう。


「いや、急にそんなこと言われましても……」


(後天的に祝福が授けられることなんてある……? 聞いたことがないんだけど)


 祝福は先天的に与えられるものとして考えられている。一般的に七歳を迎えるまでに祝福持ちか否かがわかるらしい。

 貴族の中でも祝福を持たない者は多いが、やはり持っている者の方が優遇されることはある。貴族の割合としては3:7だそうだ。

 

「図書室で文献があるかしら……って、きゃっ!」


 通路の角を曲がったところで人とぶつかった。

 よろけそうになったが、倒れる前に相手に支えられた。


「すまない! 大丈夫か?」

「いえ、こちらこそぼんやりしてて……」


 支えてくれたお礼を言おうとした瞬間、なぜかエルヴィーラの肩を掴む手に力が入った。


(え?)


 見知らぬ男子生徒の茶色の瞳がうっすら光っている。その見慣れない現象を見て、エルヴィーラの頭に疑問符が浮かんだ。


「あの、大丈夫……」

「好きだ」

「……え?」

「君に一目で恋に落ちた」

「はい?」


(今この人頭打った? いや、よろけたのは私の方だし)


「救護室に行こう! 足をひねっているかもしれない」


 よろけはしたが、足首を痛めてはいない。

 だが男子生徒はエルヴィーラを横抱きにしようとし、瞬時に一歩下がった。


「いえいえ、大丈夫です! この通り元気なので! では」


 本能的に危機を察知し、エルヴィーラは脱兎のごとく逃げ出した。

 

(えー! 今のなに!? 怖い!)


 今まで一目惚れをされたことなんて一度もない。

 一目惚れをされるような美女ではない自信もある。


 婚約を解消されたエルヴィーラを慰めているだけなのだろうかと無理やり納得させて、図書室の扉を開けた。

 受付には顔見知りの図書係の男子生徒が静かに読書している。


「こんにちは、クラウス先輩」

「ああ、エルヴィーラさん、こんにちは。今日も調べもの……」


 クラウスが眼鏡越しにエルヴィーラを捉えた。

 すると彼の緑色の瞳がほんのりと不思議な光を宿した。


「……やれやれ、僕はとんだシュテルンを見落としていたようだ」


 クラウスがパタン、と本を閉じた。

 普段は読書好きで物静かな生徒なのに、急に饒舌になって驚いてしまう。


「は? え、シュテルンって、なに……?」


 この学園の正式名が王立シュテルン学園だ。

 次代の星を育てるという由緒正しい学園であり、各分野の専門性も高い名門校である。身分を問わず門戸を開けているが、その多くは貴族だ。このクラウスも確か伯爵家の次男だったはず。


 クラウスはエルヴィーラの手を両手でギュッと握った。


「もちろん君のことさ、エルヴィーラたん」

「……たん?」

「ああ、失礼。興奮してつい心の声が駄々洩れになってしまった。君の輝きに気づかなかった今までの自分を恥じている。どうだろう、エルたん。僕と一緒に今宵、学園の屋上で本物の星を愛でないか?」

「愛でません。あの、用事を思い出したので失礼します!」


 握られていた手を力づくで振りほどき、エルヴィーラはふたたび図書室の扉を開けた。


(なに、なにー!? いつもは物静かなのに、先輩どうしちゃったの!?)


 変なものを食べたのだろうか。

 ぶつかった相手は面識のない男子生徒だったため、百歩譲って一目惚れをされたのかもしれない。

 だがクラウスとは顔見知りだ。

 博識で研究家な彼の変わりようは、なんだか新種の熱病を疑いたくなる。


(ひぃいい……ッ! 鳥肌が消えない……)


 エルヴィーラたん……いや、エルたんと呼ばれたことは即行で忘れよう。

 だがこの不思議な現象は一体どういうことか。


「こら、君! 廊下を走るのは危ないだろう」

「っ! すみません」


 エルヴィーラを呼び止めたのは天文学の教師だ。容姿端麗で二十代後半と若く、女子生徒から人気が高い。彼自身もこの学園の卒業生である。

 今年度から天文学を取り始めたエルヴィーラは当然相手を知っているが、向こうはエルヴィーラの顔を覚えているかはわからない。


 彼はエルヴィーラと目が合った直後、相好を崩した。

 目尻がほんのりと下がり、エルヴィーラを心配そうに見つめ、距離を詰めて来た。

 廊下の端に詰め寄られ、エルヴィーラの背中に壁が当たった。トン、と彼の手がエルヴィーラの真横に置かれる。


(これは巷で言う、壁ドンってやつでは……!?)


 知識はあるがされたことはない。

 混乱しすぎて頭が真っ白になりそうだ。


「君が痛い思いをしたら私の心臓が止まってしまうかもしれない。可愛い脚が転んで怪我をしたら大変だろう?」

「……はい?」

「急いでいるなら私が目的地にまで運んであげよう。その後私の研究室でお茶でもどうだ? お菓子もあるぞ。君の口に合うといいんだが」


 まるで口説かれているような心地になり、エルヴィーラの頬が盛大に引きつった。

 やはり三人目の男の様子もおかしくなった。


「走りませんし、転びません。あと今ダイエット中なのでお菓子も遠慮します、失礼しますっ」


 教師の腕の下をくぐり、限りなく早歩きでこの場を去る。

 だが彼は「待ちなさい」と追いかけてくる。


(ちょっ……追いかけられたら脚が長い方が有利……!)


 この不可思議な現象の解明には、エルヴィーラだけの知識では無理だ。

 

(あ、そうだわ)


 追いかけてくる教師に向かい、「学園長に呼び出されているので」と告げた。


「……そうか、では学園長室から戻ってきたら私の研究室に来るといい。いくらでも慰めてあげよう」


(いや、懲罰を受けるわけではないんだけど)


 なにを思ったのか、エルヴィーラが落ち込むことになると思っているらしい。

 脱力したい気持ちでその場から立ち去り、一目散に学園長室を目指した。


 学園長のジークムントは国王の末の弟であり、レインハルトとヘルムートの叔父にあたる。まだ28歳という若さだがうまく学園を統率しており、生徒からの信頼も高い。


 忙しい人なので学園にいるとは限らないのだが、一縷の望みをかけて扉をノックすると、入室が許可された。


(よかった……!)

 

「失礼します、学園長」

「いらっしゃい、エルヴィーラさん。今日はひとりですか? うちの問題児の方の甥はいなさそうですね」

「はい、私ひとりです。あと先ほど婚約を解消すると言われたので、もうヘルムート殿下とも関わりはありません」

「え、そうなのかい? それはまた急ですね……おや?」


 痛ましいような表情を向けたかと思うと、ジークムントは不意にエルヴィーラをじっと見つめだした。

 彼が持つ不思議な虹彩で見つめられると、なんだか心の奥まで見透かされたような心地になる。


「エルヴィーラさん、あなた祝福を受けてますね?」

「っ! やっぱり祝福が!? さっきヘルムート殿下から婚約解消を言われた後に、頭の中で女神と名乗る女性の声が響いて……」


 思い出せる範囲でジークムントに訴える。


(そうだったわ。学園長の祝福は、祝福を判別する力だった)


 多種多様な祝福を授かった子供たちにどんな祝福があるかを判別することができる。それがジークムントの祝福だ。学園長という職は彼にとって天職だろう。この学園では自分の属性にあった祝福を学ぶこともできる。

 これで女神とやらに勝手に授けられた迷惑な祝福がわかりそうだ。


 小さくほっと一息つくと、珍しくジークムントの眉間に皺が刻まれた。

 

「これは……なんとも珍しい」


 ジークムントの瞳がほんのりと光を帯びている。

 エルヴィーラは内心ひやりとした。そういえば先ほどの男性たちも、瞳が僅かに光っていなかったか。


「あの、一体なんでしょう……?」

「どうやらエルヴィーラさんが授かった祝福は、魅了のようですね。この国で魅了の祝福が現れたのは百年以上前のことなので、とても珍しいものだと思います」

「み、魅了……!? それって、節操なく他者を虜にしてしまうという?」

「ちょっと言い方に語弊はありますが、概ね合ってます。この学園の七不思議に女神からの祝福が入っているのはご存じですか? 気まぐれに生徒に祝福を授ける女神が棲んでいるようなんですよね。誰も姿を見たことはないんですけど」

「なんですか、その迷惑行為は。今すぐ退治してください」

「それはさすがに……女神様なので」


 ジークムントが困ったように眉を下げた。

 だが困ったのはエルヴィーラの方だ。


(魅了の祝福にあてられて、私と接近した男性が豹変したってこと!? なんて迷惑な力なの……!)


「これって祝福じゃなくて呪いじゃない! せっかく馬鹿王子と縁が切れて平穏に暮らせると思ったのに……」


 なんだか涙が出そうになる。

 ジークムントの前で馬鹿王子と失言したことに気づきつつも、詫びる気持ちにもなれなかった。

 彼自身もヘルムートを問題児扱いしているので、エルヴィーラに同情の眼差しを向ける。


「学園長、この呪いを解く方法はないんですか?」

「祝福は一度授かったら一生ものなので、残念ながら……」

「じゃあ、せめて制御ができるようなアイテムとか……?」

「一般的に使われている制御石がありますが、幼い子供用のなのでなんとも。後天的に授けられた祝福は、先天的なものよりも効力が強いでしょうし……」

「そんな……」


 エルヴィーラの目に雫がたまる。

 これまで厳しい王妃教育を受けてきても、人前で泣いたことなんてなかったのに。感情が昂り、目頭が熱くなる。


(女神を捕まえて呪いを解かせたい……!)


 ショックで泣いてしまうエルヴィーラを見て、ジークムントの胸もギュッと締め付けられているようだ。


「エルヴィーラさん、なんて可愛い……いや、可哀想に。私の前で無防備に泣くなんて、その涙を吸い取りたくなってしまう」


 ……なんだか発言が怪しい。

 エルヴィーラの涙が引っ込んだ。


「学園長先生……?」

「……ああ、すみません。私もどうやら少なからずあなたの魅了にあてられているようですね。庇護欲というんでしょうか。たまらなく抱きしめたくなっています。抱きしめても?」

「よくないです」


 手がわきわきと動いている。自制心よ、もっと仕事してほしい。


「それは残念。ですがまあ、仕方がないですね。さて、私と一緒にいるのが一番安全ですが、そういうわけにはいきませんし……魅了の祝福について調べてみます。一週間時間をください」

「一週間……」

「ええ、なにか制御ができるようなものがないか探してみます。国を傾かせた悪女として歴史に名前を刻まれたくないでしょう?」

「嫌ですよ!?」


 魅了を悪用すればそんなことも容易いらしい。

 エルヴィーラの身体に震えが走る。


「長期休暇前には片を付けましょう。あと一か月で夏季休暇ですからね」

「あの、私今すぐにでも退学したいんですが……」

「私が戻ってくる前にされるのはオススメしませんよ」


 それもそうだ。エルヴィーラは項垂れた。

 結局ジークムントの言葉に従い、一週間は様子を見ることになった。極力人と接触せず、また半径どの程度で魅了が発動するかも見極めるようにと。


(ずっと寮に引きこもっていたい……)


 だが真面目なエルヴィーラが仮病を使えるはずもなく。

 男子生徒のみならず、女子生徒からも追いかけられる受難の日々が開幕したのだった。


 ◆ ◆ ◆


(ようやく今日も一日が終わった……毎日へとへとすぎる)


 ここ数日は体力的にも精神的にも疲れる日々だった。下級生の女子生徒から恋文ラブレターを貰った時は、どうしたらいいのかと真面目に悩んだものだ。もちろん傷つけないように丁重に断ったが、これも魅了の影響だと思うと頭が痛い。

 ちなみに男子生徒を雑に扱っても胸は痛まなくなっていた。


(明日学園長に会えるかしら?)


 明日がようやく約束の一週間だ。だが本当にジークムントが手掛かりを見つけてくる可能性は低い。

 百年以上も魅了の祝福が現れていなかったのだから、そう簡単に制御方法が見つかるとは限らないだろう。


「というか、まさか生徒会長までも魅了の餌食になるなんて……! これじゃあ本当に、歴史に悪女の名前が刻まれちゃう……」


 傾国の美女とは、文字通り美女だから通用するし納得もされるのだ。

 エルヴィーラのように平凡な顔立ちの少女には当てはまらない。


 脱力気味にベッドに寝転がる。この瞬間が一日の中で一番好きだ。

 

「まあでも……会長の声は……素敵だったわ」


 温和な笑顔が麗しい。優し気な顔立ちは第二王妃譲りだそうだ。エルヴィーラは会ったことはないが。

 レインハルトはヘルムートの顔立ちとは似ていない。また身体能力が著しく高いヘルムートの方が身体つきもがっしりしており、精悍で野性的でもある。


(馬鹿王子の婚約者でも、第一王子と会話をしたことなんてなかったものね。接点がなかったから)


 だが名前と顔は知っていてくれたらしい。

 なんだかエルヴィーラの乙女心がくすぐられたが、同時にレインハルトの奇行と言動も思い出した。


「待った、麗しい王子様は私の髪がお気に召したようだった……」


 魅了の力にあてられて奇行をしただけかもしれない。だが、潜在的な欲望が表面に出たとも考えられる。

 そして彼から提案された婚約話……エルヴィーラはうめき声を上げた。


「無理、絶対に無理でしょ! 第二王子と婚約解消をしたからって、次は第一王子とか節操がなさすぎるじゃない」


 魅了の力については極秘扱いとなっており、学園長にしか知られていない。エルヴィーラを追いかけまわす男子生徒たちが目撃されるのも、これまでヘルムートの婚約者だったからお近づきになれなかった反動だという説が通っていた。


「ようやく悪役令嬢という立場から逃れたというのに、今度は悪女の汚名を着せられることになったら、どうやって平穏に生きて行けばいいの……?」


 望みは制御アイテムしかない。

 それを使用すれば、日常生活に支障が出ないようになる……はずだ。


(明日は一日授業をサボって、学園長室で待機しよう。もう真面目な優等生の仮面は外すわ)


 朝食と昼食用に、寮の食堂で持ち運びやすい軽食を作ってもらおう。そしたら部屋に長時間部屋に引きこもれるはずだ。

 

 つらつらと一日の予定を考えながら眠りに落ち、翌朝。

 エルヴィーラは予定通り軽食を持ち込んで、学園長室にやって来た。この一週間だけ、特別に鍵を預かっているのだ。


「失礼します……」


 小さな声で挨拶し、部屋に入る。ジークムントの姿はまだない。

 

「やっぱり朝早く来すぎたようね」


 何時に待ち合わせとは言っていなかったが、午前中には現れるだろう。

 軽食を食べてのんびり手持ちの本を読みながら待っていると、一週間ぶりにジークムントと再会した。彼は珍しく色付きの片眼鏡をかけている。


「おや、お早いですね。すみません、レディを待たせるなんて」

「いえ、こちらこそ早くから居座ってしまってすみません。居ても立っても居られなくてつい……」

「ふふ、構いませんよ。ああ、今日はもうひとり見学者がいまして」


 扉から現れたのは、昨日この部屋で出会って逃げてしまった相手、レインハルトだった。


「か、会長……っ」

「おはよう、エルヴィーラ」


 キラキラしい笑顔を振りまきながらエルヴィーラが座るソファの隣に腰をかけてくる。

 頭の中で彼から婚約を持ちかけられた台詞が蘇ったが、意識的に排除した。その記憶はどこかに封印したい。


「すみません、私としてもあまり関係者を増やすのはよくないと思ったんですけど、どうしてもと押し切られてしまいまして……」


 ジークムントが申し訳なさそうに詫びた。


「い、いえ、そんな……会長からも貴重な意見を伺えるかもしれませんし」


(あ、それに昨日の提案も、魅了に惑わされただけだって気づくかも)


 この祝福の困ったことは、魅了にあてられたときの記憶も残っていることだ。エルヴィーラと距離を置いても一度魅了の種が撒かれた相手はエルヴィーラに好意的な感情を抱き続けてしまう……らしい。とはいえ時間とともに薄れていくそうだが。

 なんだか信者でも作り上げているような気がして、エルヴィーラの胃が痛む。


「あ、でも授業は大丈夫ですか?」

「この時間はちょうど空いていてね。生徒会の仕事をしようと思っていたんだ。君の方こそ大丈夫なのか?」

「私は今日一日仮病です」

「ははは、私たちふたりの前で堂々と仮病と言い切ったのはあなたがはじめてですよ。まあ、今のあなたの最重要事項は確かに私に会うことですし、仮病でもなんでも構いません」


 ジークムントが手に持っていた箱をエルヴィーラの前に置いた。


「お約束のものです。まずはそれから試してみましょう」


 エルヴィーラはごくり、と唾を飲んだ。

 布張りの小ぶりな箱を開ける。


「すごいキレイ……サファイアですか?」

「ええ、小ぶりですが綺麗な石ですよね。エルヴィーラさんの目と同じ色のサファイアです。ちょっと里帰りをして宝物庫に眠っているあれこれを漁ってきました」

「……はい?」


 ちょっと里帰りとは王城のことだ。

 城の宝物庫に忍び込んで持ち出してきたということになる。エルヴィーラの手が小刻みに震えだした。


「それ、陛下に許可は……」

「特には。でもまあ、心配ないです。そのくらいの大きさのサファイアは国宝級に高価なものではないですし。ただ百年以上前に魅了の祝福を持っていた持ち主が使用していたという価値はありますけど、エルヴィーラさんが使用してくれた方が城で眠らせるより断然いいでしょう」

「そうでしょうか……」


 ちょっと判断が甘くなっていないか。

 これも魅了のせいで、無意識にエルヴィーラを甘やかしているのかもしれない。


「それに宝物庫のリストからも削除されているような代物なので誰も気づきませんよ。まあ、万が一なにか言われても、婚約解消の慰謝料の一部とでも言いきってしまいましょう」

「ええぇ……」


 リストから削除というのが怖い。

 エルヴィーラは聞かない方がよかったのではないか。


「それより、このネックレスは制御目的で使われていたと判断して間違いないと思いますが、効果を確かめたいですね。ちょっと首にかけてもらえますか? レインハルト、手伝ってあげてください」

「ええ、もちろん。貸して、僕がつけてあげよう」


 成り行きでレインハルトがつけてくれることになった。

 エルヴィーラは髪が邪魔にならないように持ちあげる。


「うん、できた。つけ心地はどう?」

「大丈夫です」


 ジークムントからサッと手鏡を渡された。用意がいい。

 鎖骨よりも少し下で揺れる石は小指の爪ほどの大きさだ。サファイアを囲むように小さなダイヤモンドもついている。


「とっても綺麗ですね。でもこれが制御石かどうかって私にはわからないんですが……」

「ふふふ、そうでしょう。そのためにこの片眼鏡を着用しているのです」


 ジークムントの右目を隠す片眼鏡は祝福が発動されているかを見極めるものだそうだ。

 そんな便利なものが存在するなんて知らなかった。


「先ほどまでずっとエルヴィーラさんの周囲には光の粒子が飛んでいましたが、今は完全に消えていますね。祝福の発動が抑えられたと考えていいでしょう」

「っ! ほ、ほんとですか……! よかった……」


 学園内で誰かとすれ違わない限り実感できないだろうが、信用できるジークムントからそう言われれば不安は大分解消された。

 

(これで日常が取り戻せる……!)


「ありがとうございます、学園長先生。さっそくクラスに戻って試してみますね」

「おや、仮病はもういいのですか?」

「はい、確認する方が大事です」


 ソファから立ち上がる。ネックレスは制服の下に入れておけば気づかれないだろう。

 だが隣から伸びた手がエルヴィーラの腕を引き、ふたたびソファに座らせた。


「確認なら僕としたっていいんじゃないか」

「……会長と、ですか。いえ、あの特にお願いしたいことはないのですが……」

「君の中で昨日の告白はなかったことにされてしまったのかな?」

「……っ!」

「僕と婚約しないかって言ったよね?」


(二回目……!)


 無関係のジークムントの表情がそわそわしだした。何故か彼が目を輝かせている。

 エルヴィーラは視界の端でジークムントの様子を窺いつつ、「魅了にあてられているのだと思ったので」と正直に答えた。


「なるほど。では魅了に左右されていないかを証明する必要があるわけだ。すぐに同じ告白をしてもまだ効果が切れていないと思われそうだな。君の中では何日後に告白をしたら、気持ちが本物だと理解してくれるんだ?」

「え……っと、一週間くらいでしょうか」

「わかった。ではまた一週間後の同じ時間に、ここにおいで。次はもっと熱烈に伝えるから。君が疑いようもなく真剣に捉えられるように」

「……は、はい……」


 ここは学園長の部屋なのだが、彼に承諾を得ずに使用していいのだろうか。

 そう頭の片隅で考えつつ、エルヴィーラは女子生徒の間で囁かれている噂を思い出していた。


(会長の目で三秒見つめられれば恋に落ちる……って、危なかった!)


 あと少し見つめ合っていたら、レインハルトの笑顔に魅了されてしまうのはエルヴィーラの方だったかもしれない。

 エメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚え、そんな心地にさせられたことが恐ろしい。


(怖い。私はもう王族とは二度と関わりたくはない……平穏第一!)


 エルヴィーラは今度こそソファから立ち上がり、二人に向けて頭を下げた。

 

「お世話になりました、このネックレスは傷ひとつつけないよう大切に扱います」

「ええ、他になにか困ったことがあればいつでもどうぞ」

「ありがとうございます、失礼します」


 学園長の部屋を退室する。


「よし、次の予定プランに進まなくちゃ」


 頭がふわふわしそうになるのを引き締めて、エルヴィーラは頬を両手で叩いた。

 一週間後にレインハルトと会う約束は、残念ながら破らせてもらう。


(授業に戻るって言ったけど、悠長な時間はなさそうね……準備していた退学届は明日の朝に提出して、今日は残りの荷造りを即行で終わらせないと)


 レインハルトの婚約話も、熱病に浮かされているようなものだろう。

 一週間もすれば彼の気持ちはコロッと変わっているに違いない。


 軽い足取りで寮に戻り、エルヴィーラは翌日の朝一で学園を去ることにした。


 ◆ ◆ ◆


 約束の一週間を待たずに、エルヴィーラ・ベルネットが学園を退学したという噂が学園中に広まった。


 なんでもヘルムート王子に公衆の面前で婚約を破棄された心労がたたって体調を崩したとか、急に降ってわいたようにモテ期に突入し情緒が不安定になったのだとか、はたまた新しい婚約者ができたんじゃないかなど、様々な憶測が飛び交っていた。

 一番怖い誘拐説も浮上したが、さすがにないだろうと立ち消えた。


「振られたな、会長。そう落ち込むなよ?」


 笑いをこらえながらレインハルトを慰めているのは、副会長のマルクスだ。

 幼少期からの付き合いのため、レインハルトとは気安い仲である。

 

「僕が落ち込んでいるように見えるとでも?」

 

 笑顔で応えるレインハルトの目は笑っていない。


「いや、めちゃくちゃ悪いことを企んでいる顔に見えるな。なんだ、まだ諦めないのか? 普通弟の婚約者って時点で諦めるもんだが、往生際が悪すぎだろう」

「僕は諦めが悪くてね」


(そもそもエルヴィーラに出会ったのは僕の方が先だった)


 エルヴィーラとヘルムートが婚約する一年前。ベルネット侯爵が登城したとき、一緒についてきたのがエルヴィーラだった。恐らくその頃からヘルムートの婚約者候補に選ばれていたのだろう。


 レインハルトは温室で迷子になった少女を見つけ、束の間遊び相手をした。その頃寝込みがちだった第二王妃のために温室で咲いている花を贈ろうと思っていたのだ。

 エルヴィーラとともに作った花束は色とりどりの花で賑やかになった。幼い彼女は自ら髪に結んでいたリボンをほどき、花に括りつけて花束にした。

 彼女は精気の塊のような笑顔で、『とっても綺麗にできたわ。一緒に渡しに行きましょう!』とレインハルトを勇気づけたのだ。

 実のところ作り上げただけで満足し、渡さなくてもいいかと思っていたが、その笑顔に押されて第二王妃に手渡すことができた。

 嬉しそうに喜んだ母の笑顔も、ニコニコと笑うエルヴィーラの笑顔も未だに彼の記憶に残っている。二つ結びだった髪が解けたエルヴィーラを見て、母が残ったリボンで髪を結い直してあげたのも。

 優しく穏やかな時間は、レインハルトの忘れられない思い出になった。


 将来結婚するなら、彼女のように勇気をくれる人がいい。

 ほんのりと淡い恋心が生まれていたとき、エルヴィーラがヘルムートの婚約者に選ばれたことを知った。


 王城で見かける彼女からは笑顔が消えて、たくさんの大人に囲まれるようになっていた。朗らかにのびのびと成長できたらよかったのに、一度王家に目を付けられたが最後。周囲がそれを許さない。

 厳しい王妃教育でへこたれつつも、エルヴィーラは一度も人前で泣かなかった。

 辛いことがあっても誰かに恨み言を言うわけでもなく、最後は努力した分だけ全部自分に返ってくると切り替えていたようだ。

 

 本当は彼女の支えになりたかったのを我慢して、レインハルトはエルヴィーラと関わりを持たないようにしていた。彼女を次代の王位争いに巻き込みたくないから。

 順当に考えれば第一レインハルトが王太子となるべきだが、ヘルムートは第二王子といえど正妃の子。正妃が他国の王族の血を引くため身分も高く、ヘルムートを後押しする高官も多い。


 その逞しさと健気さを陰ながら見守り続けて数年、エルヴィーラがようやく学園に入学した。

 ヘルムートがエルヴィーラを好いていないのは一目瞭然で、またエルヴィーラもヘルムートへの恋心を芽吹かせていなかった。


 だがなんのきっかけで恋が芽生えてしまうかはわからない。レインハルトはヘルムートが入学してしばらくすると、とある提案を持ちかけた。


『お前が王位に興味がないことはわかっている。周囲の期待を諦めさせるためにあえて素行の悪い問題児となり、徹底的に評判を落とそうとしているのも。だから僕も目を瞑ってやっている。お前は将来、その高い身体能力を活かせる場所で自由に動けばいい。面倒なことは僕が引き受けよう』


 ただし、その代わりにエルヴィーラを解放するようにと伝えた。彼女の人生に責任を持てるのかと。

 ヘルムートは短絡的だが愚かではない。王族らしからぬ振る舞いをしているが、計算して動いている。軍部に入れば優秀な人材となるだろうが、いかんせんまだガキなのだ。


 エルヴィーラを解放するように告げてすぐに動かないところがひねくれたヘルムートらしいが、それでも結果として問題ない。言葉が通じない相手ではないことが証明された。

 

「さて、ここにあるのはエルヴィーラの退学届だ」


 ぴらり、とマルクスに見せたのは一通の書面。

 マルクスが怪訝な顔をする。


「なんでお前が持ってんだ」

「学園長経由でちょっとね。受理されないように邪魔をしておいたんだが、まあ一か所書類に不備があってね。どっちみち受理はできないな」

「つまり、エルヴィーラ嬢はまだ学園の生徒ってことか……それ、本人にいつ通達が行くんだ?」

「出してないよ。僕が直接迎えに行くから」

「えっ」


 エルヴィーラは学年の成績上位三位に入る優秀な生徒だ。

 教師たちの覚えもよく、勉強熱心だと評判がいい。だが生徒同士の交流は控えめで、仲のいい友人らしい友人は見当たらない。

 きっとヘルムートに振り回されただけの思い出しか残っていないだろう。できれば彼女には楽しい思い出を作ってから学園を去ってほしい。もちろん、レインハルトの思い出とともに。


「エルヴィーラは僕の祝福を知らないから、彼女が一週間後に会うつもりがないってことを隠しきれていなかったんだ」

「ああ、公にされてないけど、お前の祝福って【真偽の目】だもんな」

 

 嘘か本当かを見分ける力。

 王族にたびたび受け継がれる稀有な祝福だ。王位に立つ者としてこれほど有利な能力もない。

 成人すると同時にレインハルトの祝福は公表される。【真偽の目】を持つ優秀な第一王子を次の王にと推す者が大勢現れるだろう。第二王子派もレインハルトに寝返ることが予測される。


「つまり、エルヴィーラは僕に追いかけてほしくて学園を去ったと思うんだ」

「いや、お前から逃げたんだよ」


 マルクスが容赦のないツッコミを入れる。

 だがレインハルトは折れなかった。


「彼女に警戒されたくなくてついそっけない告白になってしまったけど、次はきちんと言葉と行動で気持ちを伝えようと思うんだ。エルヴィーラは感極まって泣くかもしれないな。抱きしめてあげなければ」

「いるはずのない相手が現れたら叫ぶんじゃないか? 無駄に前向きって怖いな……」

「ついでに学園長からの言伝もある」


 マルクスの言葉をさらっと受け流し、レインハルトはつい昨日ジークムントに伝えられた言伝を思い出していた。


『エルヴィーラさんに差し上げたネックレスですが、あれって百年以上前なのでかなり効力が落ちてると思うんですよね。今は問題なくても、女神に授けられた力は生まれ持ったものより効力が強いと思いますし。早くて数日で制御石の効果が切れるかもしれません』


 エルヴィーラが身に着けている石は一時的なものかもしれない。

 そのうちまた魅了の力が発動してしまうだろう。その前にレインハルトの気持ちを伝える必要がある。でないとまた、魅了の力で言わされていると思われるから。


(魅了で惑わされることにはならないんだけどね、絶対・・に)


 そう断言できる自信がある。

 何故ならレインハルトに他者の祝福は効かないから。それは彼のもうひとつの祝福の力だ。

 レインハルトは非常に稀なことに、二つの祝福を持っていた。


『……つまり、エルヴィーラに渡した石の効力が消えれば、次は僕が彼女の傍にいることでしか平穏な日常は送れないってことかな。僕が傍にいれば祝福の力が相殺されそうだ。この間の叔父上みたいに』

『ええ、相殺はされますが……まさかあなた、そう仕向けるためにあのネックレスになにか細工をしていないですよね?』

『嫌だな、叔父上。傷をつける暇もなかったでしょう。僕はそこまでしてませんよ』


 今はまだ。

 もしかしたら次の制御石にはなにか細工を施すかもしれないが。レインハルトもエルヴィーラにとって不利になることはしたくない。


『僕と一緒にいることが一番の安全地帯だと思わせられれば、エルヴィーラは僕から離れられなくなりますね』

『……私は本当の問題児は、ヘルムートではなくてあなただと思うんですよ、レインハルト……』


 ジークムントは疲れたように嘆息した。

 そんな叔父の憂いは早く解消してあげなくては。


 レインハルトは今頃のんびりと過ごしているであろうエルヴィーラを想いながら、今後について予定を立てる。


「というわけで、僕は明日から数日不在にする。後のことは頼んだよ、副会長」

「ちょっ! おま、明日から!?」


 急ぎの案件には目を通している。しばらく生徒会に来なくても問題はないし、公務で学園を不在にすることも珍しくはない。


「それにエルヴィーラに、タダより怖いものはないって教えてあげなくては」

「お前、本当に怖いな……エルヴィーラ嬢が不憫になってきた」

「そんな彼女を慰めるのも僕の役目だな」

「また逃げられたら?」

「もちろん迎えに行くまで」



 ……逃げる=相手の愛を試す行為だと曲解されていることなどつゆ知らず。

 エルヴィーラは家族と一緒に南の避暑地で「エビあまーい!」と海鮮料理を堪能していた。


 そんな彼女がレインハルトと再会し悲鳴をあげるまで、あと3日。






不憫なイケメンも好きですが、不憫な令嬢も好きです。諦めの悪いヒーローも同じく。

楽しんでいただけましたら嬉しいです。


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