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蜜蜂のように

作者: Tatsu。

 さわやかな風に包まれた昼下がりの公園。


 心地よい小春日和。片隅のベンチには、背中を丸めてくたびれた顔をした男が座っていました。


「あぁ……なかなかうまくいかないなぁ……。お客さんが見つからないなぁ……。」


 男の口から出るのは愚痴ばかり。まるで、貧乏神にでも取り憑かれたような顔をしていました。


「ハァァ……。」


 またタメ息が出た。


 そんな男に通りすがりのおじさんが声をかけました。


「ずいぶんと残念そうな顔をしてどうしたんじゃ? 彼女にでも振られたか?」


 おじいさんはそのまま男の隣に座りました。


「ワシは最近、この公園であんたのことをよく見かけるんじゃ。ずいぶんと元気がないようで気になっていたんじゃ。」


 男はただ、黙り続けました。

 二人の座るベンチに、しばらくの静かな時間が流れました。


 男はポツリとつぶやきました。


「オレはね、車を売るのが仕事なんですよ。」


 男はカバンから車のカタログを取り出して見せました。


「でもね、全然売れない。仕事仲間たちはたくさん売れているのに。」


 男は悔しそうにうつむきました。


「オレはね、高い車をもっとたくさん売って仕事仲間たちを見返してやりたいんだ。」


 うつむいた男の目に、足もとを舞う蜜蜂たちの姿が映りました。


「この蜜蜂のように働いて働いて、でも仕事がうまくいかなくて……。 上司や仲間たちに馬鹿にされて……。」


 おじいさんは優しく男に語りかけました。


「あんたは仲間の鼻を明かすために仕事の成績を上げたいのかい? 他人に自慢するために車を売りたいのかい?」


 男はおじいさんの顔をじっと見つめました。

 おじいさんは話を続けました。


「蜜蜂は家族のために働いておるんじゃよ。自分のためだけに蜜を採っているのではなく、巣に持ち帰って皆で分け合うんじゃ。」


 男の顔は少し不機嫌そうに曇りました。


「オレだって家族のために働いてるんだよ。だから車をたくさん売ることも仕事の成績を上げることも大事なことなんだ。」


 おじいさんは優しい笑顔を浮かべて、足もとに舞う蜜蜂たちを見つめました。


「蜜蜂の仕事は家族のためだけではないぞ。蜜蜂がいるから、花は美しく花として咲くことができるんじゃ。」


 男はまた、黙ってしまいました。


 しばらくの沈黙の後、男はポツリとつぶやきました。


「そうか、蜜蜂は世の中の役に立つ仕事をしているんだな。」


 男は立ち上がると、おじいさんにペコリと頭を下げました。


「おじいさん、良い話をありがとう。」



 ある日、男は、いかにも金持ちそうな立派な家に住む客を見つけました。

 こういう時、今までなら真っ先に高級車のカタログをカバンから取り出していました。

 しかし、今日の男はいつもと違いました。


「ご家族がたくさんいらっしゃるのでしょう? それならこんな自動車はいかがですか?」


 男が取り出したのは、大勢の人が乗れるファミリーカーのカタログでした。


 この金持ちそうな客の家の玄関には、たくさんのクツが並んでいました。

 きっと大家族なのだろう。


「この自動車ならご家族揃ってお買い物に出かけられたり、ご旅行に行かれたり、ご満足のいく日々を送られると思います。」


 金持ちそうな客が欲しかったのは、かっこいい高級車でした。

 金持ちそうな客はしばらく考えた末に、結局このファミリーカーを買うことに決めました。

 男は少し安めのファミリーカーをさらに安い値段にして、全然儲けはありませんでした。


「こんなに安く売ったらまた上司に怒られるな。」


 男はポツリとつぶやきました。

 しかし、男の顔に落胆の色はありませんでした。


 それからも男は儲けのない商売を続けました。当然、仕事の成績は良くなりませんでした。


「うん、これでいい。金儲けだけの仕事はしたくない。お客様に喜んでいただくことが一番大切なんだ。」


 男は無理に高い車を売ろうとはしなくなりました。

 仲間たちから馬鹿にされ、上司に叱られる日々は続きました。



 そんなある日、男のもとに、いつかの金持ちそうな客が子供を連れて現れました。

 金持ちそうな客は満足そうに笑っていました。


「私はもっと高級なかっこいい車が欲しかったんだがなぁ。しかし、君にこの車を勧めてもらって本当に良かった。」


 金持ちそうな客の子供も嬉しそうに笑っていました。


「ありがとう、おじちゃん。おじちゃんの売ってくれた車で旅行に行ってきたんだ。おじいちゃんもおばあちゃんも、家族みんなで。家族全員で旅行なんてぼく、初めてだ。」


 金持ちそうな客は礼を言うと、本当に満足そうに帰っていきました。



 夕方、仕事を終えた男は、またいつかの公園のベンチに座っていました。

 今日も蜜蜂たちは足もとを飛び交っています。


 男は一人、つぶやきました。


「オレも少しは世の中の役に立つ仕事ができたかな?」


 男の背中はもう丸まってはいませんでした。くたびれた顔もしていませんでした。


 男はしばらくの間、飛び交う蜜蜂たちを見つめていました。

 そこにいつかのおじいさんがまた現れました。


 おじいさんは嬉しそうな顔をしていました。


 男はおじいさんに声をかけました。


「久しぶりですね。どうしました? 何かいいことありました?」


 おじいさんはにこやかな笑顔で答えました。


「ワシの息子が自動車を買ってな、孫も連れて家族みんなで旅行に行ってきたんじゃ。家族とは本当に良いものじゃのう。家の中がいっそう仲良くなったようじゃ。」


 その話を聞いた男の顔も笑顔になりました。


「それは良かったですね。」


 嬉しそうな顔をした二人の足もとを、今日も蜜蜂たちが飛び交っていました。


「オレもおまえたちの仲間になれたかな?」


 男はそう囁いて、優しい笑顔でいつまでも飛び交う蜜蜂たちを見つめていました。




  おわり。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい作品ですね~! 私も心を入れ替えないとと思わせて頂きました。 [一言] 文章が丁寧で、凄くわかりやすく書かれていると思いました。
[良い点] おじいさんが、親切な仕方でアドバイスを与えた「蜜蜂は家族のために働いておるんじゃよ。自分のためだけに蜜を採っているのではなく、巣に持ち帰って皆で分け合うんじゃ。」 のところが自然なタッチで…
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