美味しくてたまらない
じりじりと照り付ける真夏の太陽の熱線を浴びながら、ふらり、ふらりと前に進む。このところの暑さで、ろくに食事を取れていないからか、足元がおぼつかない。ズボンがずり下がるのは、痩せた証拠か。ベルトの穴の位置は一番内側なんだがな。…これはまずい、完全夏バテだ。
倒れる前に、涼しい場所で水分だけでも取ろうか、そう思って目についたファミレスに入った。〈こころレストラン〉、聞いたことないファミレスだな。年中無休、昼11時から2時までがランチタイム…夜は5時から8時までか。今1時半、ぎりぎりランチタイムで入れそうだな。でも、食欲ないんだよな…。少しでも食べとかないと、まずいとは思うんだけどさ。
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」
「はい…。」
返事をするだけでも息が切れる。僕はもうだめかもしれない。
ホールスタッフのお姉さんに案内されて、窓際の席に座る。窓の外は…うわあ、陽炎が立ってる、歩く人たちも揺らめいて見えるよ…。なんて暑さ、猛暑、酷暑、極悪熱気。勘弁してくれよ…。
「こちらメニューです、ランチがおすすめです、お決まりになりましたらボタンを押してください。」
やや大きめの四ページほどのメニューと、一枚のラミネートされたランチメニューを渡された。…あんまり考えないで入っちゃったけど、まずかったらどうしよう…まあ、どうせほとんど食べられないだろうから、気にしなくてもいいか。
おすすめはランチと言っていたな…。ランチメニューを見ると、三つある。涼感セット1000円、はつらつセット900円、元気セット800円。なんだ、やけにこう、ぼんやりしたメニューだな。麺なんだかご飯なんだか、肉なんだか魚なんだか、はっきりわかるようなメニュー名にすればいいのに。写真があるからいいと思ってるのかな。
涼感セットはサラダとサンドイッチ、ヨーグルトにゼリー、ミニ冷製パスタと冷製スープのセット、女性向けっぽい。
はつらつセットはおにぎり二個と漬物、豚汁にカットステーキと焼き野菜。
元気セットはたまご丼と肉すいのセット。
なんだ、結局肉か女性向けってことか…。普通のメニューにしようかな。四ページのメニューを見ると、サンドイッチ、丼物、鉄板焼きもの…うっ、なんかメニュー見てるだけで胸やけがしてきた。僕の夏バテは相当根が深い。もういいや、残してもいいから安いの食っとこう。
「お待たせしました。」
ボタンを押すとさっきのお姉さんがやってきた。テーブルの上に、お冷が出される。
「元気セットで。」
「元気セットですね、かしこまりました。ドリンクバーは無料となっておりますので、あちらでご自由にどうぞ。」
ドリンクバー付きでこの値段か、安いな。しかし…夏バテで足元のふらつく僕は、ドリンクバーのところに足を運ぶ気力すら、ないので…お姉さんの持ってきたお冷をぐびりと飲んで、一息つきつつ、炎天下の世界をぼんやりと眺めることにした。
日傘差してる人けっこう多いな。男性も案外いるなあ、僕も差してみようか。でも荷物になるしなあ…。しかし直射日光が当たらなければダメージも減るだろうし…悩むな。…女性はいいなあ、薄着で涼しげな服装で。万年スーツの僕なんてさ、体中あせもだらけでさ…。
「お待たせしました。元気セットです。こちら元気スパイスです、夏バテ気味でしたら、ぜひ一振りしてお召し上がりください。」
卵丼と肉吸い、あとよくわからないふりかけ?の小瓶がテーブルに並ぶ。
「ごゆっくりどうぞ。」
湯気の立ちのぼるたまご丼と肉すい。…しばらく冷ますか。出てきたばかりたまご丼と肉すいを目の前に、外の様子を眺めていたのだが。
「うぇーい!元気セットとはつらつセットねー!!!」
なんだ、かなり暑苦しい奴が来たぞ。ゲゲ、僕の隣の席に座った…。おいおい、ますます食欲がなくなるやつじゃん…。
「兄ちゃん!夏バテか!!がはは!!!ここの元気スパイスはいいぞおー?!食ったら一発で俺みてえに元気になるからな!!がはは!!」
「は、はあ…。」
うへえ・・・。なんか一刻も早くここから立ち去りたい…。まだちょっと冷めてないけど、早く食べて出よう。
一口、肉すいを食べてみる…。うん、出汁が利いていて、案外さっぱりしてるな、もっとこってりしてると思ってたけど、これなら食べることができそうだ。
「何やってんの!!元気スパイス入れてないじゃん!!早くかけてかけて!!」
隣のおっさんがうぜえ…。これ、かけるまでぎゃあぎゃあ絡んでくるやつだよ…。変な味になったら困るけど、ちょっとかけとくか。スパイスの瓶を、ひとふり、ふたふり。
ふわりとかかる…なんだ?虹色のスパイス?!ちょ、これヤバいもんじゃないだろうな!!…せっかく食えた飯なのに、スパイスがまずくて食えなくなったらどうしてくれる!
・・・?
ふわぁっっと、僕の鼻腔をくすぐったのは、なんとも言えない…良い、香り。なんだ?バターとも違う、少し香ばしく、どこか甘い、それでいてさわやかさが漂う、けれどコクを感じられるような、今までに感じたことのないにおい。
…僕のおなかが、ぐうと鳴った。
止まっていた箸が、動き出し、肉をつまみ上げ、口へと運び入れる。
!!!!!!!!!!!!!!
なんだ?!この、この肉のうまみは!!!目を見開き、ただ無心に、口の中の肉を咀嚼する。…噛むたび、だし汁で軟らかく煮こまれた牛肉の牛たる旨味が口の中に広がり!!細かくすりつぶされていく肉片の歯触りがたまらない!…なんだこれは!!噛めば噛むほどに細かくなった肉片一つ一つから旨味が滲み出し、口の中に存在しているだけで、より空腹感が増し、飲み込みたいという欲が湧き出て!!
んっ、ごくんっ…!!!
のどから食道、胃袋という食物が辿るべき内臓壁に、極上の旨味物質が通り抜けていく!!!美味い、旨すぎる!!僕の歯が!口の中が!のどが!食道が!胃袋がああアアアアアアア!!!このうま味を感じることのできた幸せに猛烈に感動しているぅうううううううううううう!!!!
ふ、二口め、二口めぇえええええええ!!!!
僕は二口めの肉すいを、箸でつまみ上げてガブリと口に運び入れたっ!!!
「ちょ!!兄ちゃん!!がっつきすぎ!!スパイスかけ忘れてんじゃん!!落ち着け!!!」
スパイスがないと、ただの…肉すいだ…。なんだ、もったいないことをした。一口分、極上のうまみを逃してしまったじゃないか!!くそぉおおおおおおお!!!くっ!!かくなる上は、たまご丼だ!!一見どこにでもあるような、黄金色に輝く卵の恵みをフルパワーで前面に押し出している、このたまご丼の、その味を僕に知らしめるのだ!!元気スパイスを、ひとふり、ふたふり…。
ふぅわぁああっ・・・!!!
卵と出汁のごく自然なコラボレーションが、これほどまでに際立つとは!先ほどの肉すいのうまさが動であるならば、このたまご丼のうまさは静…ただ、ここに、旨さが堂々と存在していて!!つるりと口の中に滑り込んだたまごとご飯の、なんと無遠慮な、揺るがない、確固たる美味!!米粒一粒一粒が黄金の卵に優しくカバーリングされている!!たまごを纏えなかった憐れな米粒さえも、卵と出汁の風味を纏い、確かに鼻腔をくすぐりこれでもかとうま味を僕に示してくるのだ!!!なんだこれは、なんだこれは、なんだこれはあああああアアアアアアアアアア!!!!うーまーすーぎーるー!!!
「ごちそうさまでした!!」
僕はあんなに夏バテでぐったりしていたというのに、すべて食べ切って、ドリンクバーも三杯ほど飲んで!!大満足でレジに並んだ。
めっちゃうまいぞ!!この店!!!信じられないくらいうまかった、あのスパイスがキモなんだよ、多分。あれをかけると全く違う風味になって、うまみが増して、やめられない、止まらない、口に放り込まずにいられない、噛まずにいられない、飲み込まずにいられない、箸が止まらない!!次々に胃袋が満たされて、涙が出そうな、至福の時間!!ありがとう!!ありがとう〈こころレストラン〉!!
…また食べに来たいな。午前中の打ち込みを終えたら社食を食うのをやめて、臨店回り前によればいいんだ!ちょっと金かかるけど、まずいもん食って調子下がるくらいならここで食べた方がいいじゃん!!!
「はーい、ありがとうございます、元気セット800円ですねー!」
僕が財布から800円を出して、元気いっぱいに店を出ようとすると。
「あ、お客様、こちらスタンプカードです、ランチメニューお召し上がり一回に付き一個スタンプを押すので、よろしければ次回お持ちください。十個貯まると、特別ランチ引換券として使えますので!!」
にっこり微笑むお姉さんは、スタンプカードとレシートを僕に手渡した。…期限は九月まで。一か月か、十個貯まるかな?…貯めてぜひ特別ランチを食べたい!!!よし、特別ランチを食べるまで、毎日通おう。
かくして、僕のレストラン通いが始まった。
通ううちに、あのおっさんとも仲良くなり、日に日に元気になっていく。メニューはすべて食べたが、一番のお気に入りは元気セットだ。いや、全部うまいんだけどさ、こまごましてるのを食うのがめんどくさいというか。どれもうまいんだから、食べやすいのが選びたいっていうか。
〈こころレストラン〉の入り口でちょうどおっさんと鉢合わせた。仲良く並んでレストランに入る。
「兄ちゃん!俺今日特別ランチ食うんだぜ!!」
「マジすか!!!」
いつもの窓際のテーブルに座ると、おっさんも隣のテーブルに腰を下ろした。
おっさんはスタンプがたまったのか。いったいどんなランチなんだ、僕のスタンプはあと2つ…。もうじき食べられるけど、正直おっさんがうらやましくて仕方がない!!
「いいな、僕あと2つなんすよ、ちょっと摘まませてくださいよ!」
おっさんと話をしていると、いつものお姉さんがやってきた。テーブルの上にお冷が2つ並ぶ。
「あ、僕元気ランチで。」
「俺はこのスタンプがいっぱいになったやつ食わせてくれ!!」
お姉さんはおっさんのスタンプカードを受け取ると、にっこり笑った。
「あ、特別ランチは、別室でのご提供となるんですよ、お部屋ご案内しますね。」
「がはは!!わりいな、兄ちゃん!!美味いもん食って来るわ!!!」
くそー!!いったいどんな特別が出てくるランチなんだ!!きっとテーブルロースターとか、卓上揚げ物とか、そういう特別仕様テーブル使うメニューなんだな?!目の前で焼いてくれる鉄板ステーキとかかも…!!
あと二回、あと二回で僕だってえええええ!!!
歯を食いしばった僕の前に。
「お待たせしましたー!」
元気セットが運ばれてきたので、美味しく、美味しくいただいた!!ああ、本当に、本当にうまい、美味すぎる、ウマくてうまくてたまらない!!!
そして三日後。
ようやくスタンプの貯まった僕は、意気揚々と〈こころレストラン〉に向かい…。あれ、あの後ろ姿は、おっさん!!ポンと肩を叩いて、声をかける。
「おっさん!特別メニューどうだった!!!」
「…最近、飯、くってねえ。食欲ねえんだわ。」
一瞬、人間違えをしたのかと思うくらい…げっそりしたおっさんが振り向いた。
「ちょ…どうしたんだよ、大丈夫なの?」
「俺は飯はいいや…。」
あんなに脂ぎっていたおっさんは、いくぶん青白い顔で、僕の前から去って行った。なんだ、今日は飯食わないのか。ま、そういうときもあるかな、知らないけどさ!僕は今から…フヒヒ!!!よだれが垂れるぜ!!!勢い良く、〈こころレストラン〉のドアを開けると。
「いらっしゃいませー!」
「あの、スタンプ貯まったんで、特別ランチお願いします!」
いつものお姉さんが、ニコニコしてスタンプカードを受け取った。
「はーい、それでは、特別ランチにご案内しますねー!」
お姉さんについて、奥の部屋に向かう。…ふうん、奥は座敷になってるんだ。個室の座敷が三つ、掘りごたつになってて座りやすい。机の上にはロースター?らしきものがある。やった!焼肉だぞ、これは!!!
「じゃあ、準備してきますので、こちらにお座りになってお待ちくださいね。」
出入り口に背を向けて、座って待つことになった。四人用の個室は少しだけ圧迫感があるな。ああそうか、窓が無いからか。壁にはよくわからない絵画が飾ってあるけど、少々色調が暗くて…。
「はーい、失礼しまーす!」
僕の目の前に、大きめのボウルが置かれた。あれ、焼肉の網じゃないのかな?
「ええと、それでは、このボウルを抱えるようにしてもらっていいですか?」
「はあ、こうですか?」
僕が、ボウルを抱えると。
ボカッ!!!!!!!!!!
☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆
目の、前に、星が、た―――――くさん、飛んで…。
「あー出た出た、活きの良い魂!」
「いいねえ、しっぽも長いし!」
チョキ、チョキ、チョキ、チョキ。
「ちょっと、切りすぎないでよ?!」
「この前のおじさんみたいに記憶まで切ってないから大丈夫…ほら。」
おじさん?記憶?
「そんなこと言って!この前この人、切りすぎて店のこと忘れちゃってたじゃん!」
「でもふらっとまた来るようになったから…まあ、なんとかなったし、ははは!」
なに、言ってんの。
「これだけあれば元気のもと十個くらい作れるかな?」
「若いからね、精度高いし、イケるんじゃない。」
元気の、もと?
「きっとうまくなるね、これは。」
「みんな魂のうまさにはメロメロなんだって、結局。」
たましい?
「食べ物は所詮人体にとって異物だもんねえ、純性の魂とは違うでしょ、そりゃ。」
「魂は人体に入って当然のものなんだから、そりゃあ相性がいいというか…美味いに決まってるよね。」
美味い?
「自分にない元気を他人の魂で摂取できるんならそれが一番手っ取り早いわな。」
「あ、まずい、この人の魂だしっぱだった、しっぽ切ったし、しまっとかないと。」
がつんっ!!!!!!!!!!
☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆
目の、前に、星が、た―――――くさん、飛んで…。
「あれ…僕は…。」
「お客さん、気分はどうです?急に倒れちゃったんですよ、ご飯食べますか。」
なんだか、頭がはっきりしない…。
「いや、今日は…食欲ないからいいや…。」
「そうですか、じゃあ、ランチの無料券差し上げますから、また来てください。」
僕は、お姉さんから無料券を受け取った。…前にも、こんなことが、あった、ような…。はっきり、思い出せない、ずいぶん、疲れてるみたいだ。
「いつも、ありがとうございます、また是非、お願いしますね!」
「ありがとうございます!」
店長さんか?中年の男性スタッフ…初めて見た…かな?
にっこり笑う二人に見送られて、僕は店を出た。揃って見送ってくれるなんて、良い店だな…。
僕は店を出て、陽炎立ちのぼる真夏の都会のアスファルトの上に、一歩踏み出した。照り付ける太陽は、ちょうど僕の真上に位置していて、日陰はどこにもない。少し歩いただけで、汗が噴出した。
「ああ…暑い…食欲ない…完全、夏バテだ…。」
…今日も暑すぎる。早く秋にならないかな。
秋になったら、きっと食欲も増してヤル気も出るはず。
「よし…頑張るか。」
僕は、汗を拭きふき…営業先回りに向かった。