トムライウタ
いつからだろうか、誰かに弱音を吐くことができなくなったのは。
いつからだろうか、寂しさを浪費で誤魔化すようになったのは。
いつからだろうか、記憶が消えていくことに対して何も思わなくなったのは。
記憶が消えていくなかで、私という人間が破綻していく。
記憶が消え、残されたものは壊れていることを誤魔化すだけの紛い物の心。
誰も私を必要としていない、誰も私を知らない。
見せているのは、紛い物でしかない。
「本当」の私は、どこにいるのか。
「本当」の私は、この生き方を何と表現するのだろう。
馬鹿なふりをし、倫理観を歪めていくだけの生き方が正しいわけがない。
誰かのために生きることを良しとしなかった紛い物の自我は、今日も私を縛り付ける。
目の前の名も知らぬ誰かを殴れと、脳が私に命令をする。
名も知らぬ誰かを殺せと、脳が私に命令をする。
ふとした時に、記憶が駆け抜ける。
酒も満足に飲めないのに、飲み会の雰囲気が好きで参加をしていた。
多くの人に憧れ、その多くを過去に置いてきた。
先輩に憧れた、後輩に憧れた、同期に憧れた。
人が自然と寄ってくる生き方ができたら、メリハリのある生き方ができたらとできもしない夢を今日も見る。
一年前の私は、現在の私を見て、なんて言ってくるのだろうか。
きっと、言ってくることは後悔だけなのだろう。
私の人生は、数え切れないほどの後悔で成り立っている。
人に好かれたいのに、わざと好かれない言動をとる天邪鬼な心、無理することが当たり前であり、寿命が削れていく感覚に慣れてしまっている体なんて必要じゃなかった。
もっと人並みに生きたかった。
人に好かれることに恐怖しない環境がほしかった。
中途半端に諦めきれなかった夢を忘れられる心がほしかった。
他人からのたった一言で、今もなお傷つき続けていいる弱い心じゃなくて、過去を割り切られるほどの強さがほしかった。
誰かに弱音も後悔も何もかもを吐きつけることができたら、涙が流せたらと毎日のように後悔する。
駅のホームに立つ度に死を考える。
生きていてもいいことなんて何もないことを知り、死ねば楽になると考えては悲しくなる。
きっと数年前の私なら、そんなことを考えることがなかった。
ただ漠然と死を考えていた。それなのに、今では具体的に死を考えるようになった。
首の傷が疼いては、死が近づいていることを自覚する。
この命は、もう永くはないのだ。
長年の無理が身体を犯す。
今も心臓は脈打つが、もうすぐ止まる気がするのだ。
誰かに弱音を吐くことは、きっと容易いことなのだ。
連絡を取ればいい。ただそれだけなのだ。だが、それがどうしてもできないのだ。
否定されたらどうしよう。依存することにならないか。ここで吐けば、今までの苦しみは無意味になる。
結局のところ、私を壊しているのは私自身なのだ。
埋まることのない心の穴を作ったのも、死にたくなるほど追い詰められている原因も、全て私なのだ。
そんなものは、とうの昔から理解しているのだ。だが、この生き方をやめることも許容することもできないのだ。
私自身が、一番私を憎み嫌っているのだから。
嫌いだから、ここまで狂うのだ。
殺人衝動も破壊衝動も消滅願望も抱えながら、「普通」に生きていく。
自分がどうなろうがいいのだ、明日死ぬとしても私は狂気を抱え笑うのだ。
そういう生き方しかできないのだから、せめて嘲笑うのだ。
ただ一つだけ願望があるとすれば、私と関わってきた全ての人に嫌われ、記憶から消えることだ。
そうすれば、私は本当の意味で死に絶え、そして存在しなかったことにできる。
それが私を狂わせた原因であり、私が生きている理由なのだ。
好かれたかったと身の丈に合わない思いを持ったことが原因なのだ。
もし、連絡がきたらと馬鹿みたいな期待をするのだ。
「お前なんか嫌いだ」と言われることを期待しているのだ。
そうすれば死ぬことができるかもしれない。
昨日のことさえ覚えていないのに、妙に泣きたくなるのだ。
誰でもいいから、「本当」の私を見つけ出してほしいなんて願いながら、明日も生きるのだ。
産まれながらに死にゆく命を定義してほしいのだ。
何者にもなることができなかった惨めな命を、生きていていい理由を見失った馬鹿な命を、記憶も想い出も失ったのに、後悔だけは鮮明に残っている不器用な心を定義してほしいだけなのだ。
願わくば、強く抱きしめてほしい。
在りもしない夢を今日も見るのだ。
人生は演目であり、主人公は自分自身なのだ。
その主人公がいない演目に終結を、降りることのない幕を降ろさせるために他人を求める。
演目の題名は、何だったのだろうか。
足元に捨てられた紙には、なんて書かれていたのだろうか。
多くの涙の跡と書き殴られた言葉で、題名は読めないようになっている。
あなたならこの物語に、なんて題名をつけますか?