4:読んでてよかった忍者もの
薄暗い廊下の中を軋み音を上げて歩むモノがいる。
物騒な刃物を提げたそれらは言うまでもなく、医者や看護師のコスプレをした、殺人人体模型どもだ。
一方で虚ろな目を辺りに向けながら歩くそのモノどもの動きを、物陰から息を殺して見つめるのがいる。
黒い魔女帽子に、黒いローブにマント。それにもっさり黒髪を重ねて影と一体化しているのは、もちろん手塚のぞみである。
人体模型たちはそのままじりじりとのぞみのいる方向へ近づいてきている。
このままでは、ほどなくのぞみは見つかり、刃物の標的にされることになるだろう。
だがしかし、近づく怪物の動きを見るのぞみの目には緊張はあっても恐怖は無い。
やがて人体模型どもが、のぞみの身を隠す壁のすぐそばにまで踏み込む。が、その足下からカチリと音がなる。
同時にのぞみのすぐそばに、黒い影が現れる。
真っ黒いミノムシじみたそれは、出てきた勢いそのままに滑るように廊下を進む。
「チリョゥオオオオッ!!」
「ギザ! イッパイキザムノォホォオオオッ!!」
それを見るや、人体模型どもは斧やナイフを振り上げて、逃げる大ミノムシを追いかけ始める。
確かに黒ミノムシはのぞみのダミー人形であるが、足音も何もないのに、人体模型たちはなんの疑問も持たずに追いかけている。
こうなると聴力や視力、思考力も、まっとうなものが備わっているか怪しいものだ。
しかし案外、のぞみがダミー人形と大差ないからだけかもしれないが。
ともあれ、のぞみ人形を切り刻みに追いかけた人体模型どもが、ほどよい距離に離れたのを見計らって、のぞみは床にそっと手を触れる。
すると人体模型らが、突然に前を行く偽のぞみもろともに腰から上下真っ二つになる。
「お、ナイストラップ!」
「ヘヒ、ヒヒ……落とし穴ばっかじゃなくて、一回やってみたかった……風閂……ッ!」
その完璧なトラップの決まりぶりに、のぞみは谷間に収めたボーゾとともにガッツポーズを取る。
「さて、これで最奥部前の見張りは片付いたわけだから……」
「残るはボス部屋……だけ!」
そういうのぞみの手のひらには、長方形の光がある。
「ヘヒ、ヒ……トラップ魔法に目覚めた……それだけで雲泥の差……! 月と、スッポン……!」
のぞみは止まらない笑いをこらえながら、手帳サイズの光に指を滑らせる。
するとそこに現れていたマス目が流れて、大きな光点のあるマスが中心にくる。
これもまたのぞみが手にした魔法の一つ。周辺の地図をその手の中に呼び出す魔法である。
これらの魔法に目覚めてからの、のぞみたちの歩みはまさに快調であった。
マップに光点として現れる敵を誘い出して、罠にはめる。それで邪魔者を取り除けるようになったのだから。
「……まあそのために、マップのだいたいを埋める羽目にはなった、けど……ヘヒヒッ」
もっとも、罠魔法も便利で強力には違いないが完璧ではない。
魔法を発動させられるのは、のぞみが歩いた場所だけ。
それに仕掛けられるのも規模に関わらず二つまで。
そして消耗もあるので、乱発もできない。
しかしのぞみにとっては、危険に立ち向かう頼もしい武器に違いはない。
「そ、それにしても……姿を確かめないでも、マップに出るってことは、それだけ強力……ってこと、だよね?」
言いながらのぞみが目をやった先は、マップで未到達を示す暗さながら、大きな光点の灯る部屋の入り口である。
それは大きく重たそうな鉄の扉が閉ざしていて、いかにも大物が奥に待ち構えていますよといった風であった。
「まあそうだわな。言ってみりゃダンジョンの核を守る最後の砦だ。そこらをうろついてるのと同じようにはいかんだろうな」
「だ、だよね? じ、じゃあ……いくらか掃除はできて、溢れだすのはしのげた感じだから、今日はこの辺で……」
「んなワケにはいかないだろうが。ここまで来といて帰れるかよもったいない」
「やっぱり?」
胸元からの声にヘヒヒと返して、のぞみは足を前に出す。
「ビビってるなら、お前は部屋の外でいいんだぜ?」
「ヘヒ!? いいの? ……なんて、言ってみただけだから……だ、大丈夫」
危険の予感に震えがきているのは確かだが、のぞみも本気で引き上げるつもりはない。
手に入った力でどこまでやれるのか。それを試す楽しみの方が今は強いのだ。
その欲望を良しとしてか、ボーゾは顔を笑みに緩めてうなづく。
「お前がそういうなら、頼りにしてるぜ?」
「ヘヒヒ……やってやる……やってやるぞぉ……!」
対するのぞみは、おふざけまじりに自分を奮い立たせながら、最後の部屋に通じる扉に手を触れる。
「……トラップサーチ」
だが勢いまかせに開けはしない。
慎重に罠がないことを確かめてからだ。
迷宮最後の部屋の入り口にトラップは無い。というのは定石だ。
それはそうだろう。
城であれなんであれ、全部か全部セキュリティ満載のエリアでは、暮らすのに不便でしょうがない。
その辺りを加味したり、シチュエーション的に無しとして、ゲームでは手間な施錠くらいしかまず配置しないところだ。
だがこれはゲームではないし、中にいるのも普通の生き物でもない。
用心するに越したことはないのだ。
「……け、警報装置も無し、ロックだけ……解除」
しかし警戒に反して扉にはなんの仕掛けもない。
その事にのぞみは、罠使いとして落胆半分に扉を開けていく。
「し、手術室……?」
そうしてのぞみが踏み込んだ部屋は、いわゆるドラマなどに出てくる手術室を無駄に広くしたようなものだった。
中心に巨大な照明と、その真下にベッドが一台。
しかし壁や床は、ペンキをぶちまけたみたいに黒ずんだ血痕で汚れていて、本来あるべき清潔さからはほど遠いありさまであるが。
「ぼ、ボスは……どこに?」
のぞみは姿は見えないが、確かにこの部屋にいるはずの敵を警戒しつつ、手のひらのマップを拡大していく。
しかしいくら拡大しても、マップに表示されているダンジョンボスのマークは部屋の中心から動かない。
「部屋の中心……」
のぞみは嫌な予感に冷や汗をたらしながら、マークが示す先にあるものを見る。
そこには変わらず、血まみれの手術台があるばかり。
だがその手術台が突然に振動。部屋そのものが揺さぶられ、のぞみがよろける。
刹那、待ち構えていたとばかりに、手術台がのぞみをめがけて突っ込む。
「えぎゃッ!?」
バランスを崩したところへの突進である。かろうじて腕とマジックシールドを前に出すのがのぞみの精一杯で、その小さな体は固く閉ざされたドアへ叩きつけられる。
「のぞみ!?」
「ヘ、ヘヒヒ……と、トラックには、轢かれず、助かったのに、ね……」
ドアへグリグリと押しつけられながら、のぞみは胸の谷間に収まったパートナーに向けてひきつり笑いを向ける。
そんな強がりを前に、手術台はギシギシと軋みを上げてその形を変えていく。
下の土台部分が別れて、金属光沢のある脚となり、その一部は、備えた爪を打ち鳴らして、のぞみに向ける。
その変形は、貝殻に籠っていたヤドカリが脚を出すかのごとく。
「キザミィイイ……ツナァギィイイ!」
だが甲高い叫びと共に上部から伸びた無数の手には、外でうろついているモノどもと似たような、物騒な破断用具が握られている。
血汚れの中にあって異様なまでに磨かれたそれらが、照明の中でギラリと輝く!
「ヘヒィッ!?」
その冷たい殺意の光を向けられて、のぞみは悲鳴を上げて身を捩る。
しかしいくら暴れようと、小柄で力の弱いのぞみでは手術台の化け物を押し返せるワケもない。魔法の防壁で押しつぶされずにいるのでいっぱいいっぱいだ。
そんなあと一押し、何かあれば崩れてしまうだろう均衡を作るマジックシールドへ、手術台の握る大ナタが振り下ろされる!
「させるかってんだよッ!」
しかしこの凶刃へ、ボーゾがのぞみの胸から飛び出す。
人の子サイズに膨らみつつの飛び膝蹴りが、真っ向からナタを迎え撃ち砕く。
蹴りの勢いそのまま、ボーゾは手術台の化け物を飛び越え着地するや反転。
「ドォッセイヤァアアアア!!」
すかさず後ろから抱え、明らかにサイズで負けている手術台ヤドカリを力任せにバックドロップをかます!
「のぞみ! 平気か!?」
固く重い衝撃が響き止まぬ中、ボーゾは相棒へ振り返る。
「へ……ヘヒ、ヒヒッ……あ、ありがとう。大丈夫、平気だって。今日だけで、何度死ぬような思いをしたと……あ、あれ?」
安否を確かめるボーゾの声に、のぞみはまだまだやれると立ち上がろうとする。
「た、立て、ない……?」
が、ダメ。
のぞみの膝は震えるばかりで、足腰に踏ん張りはまるできいてない。
たしかにのぞみはトラックを皮切りに、何度も死にそうな目にあってきた。死にそうなまで追い詰められたのは、手術台ヤドカリ相手が初めての事ではない。
だがその死線をくぐる経験の連続は、のぞみの心を渇かし、すり減らしていた。
そして先の恐怖でついに緊張が限界を迎え、ダンジョン踏破で貯めた疲労と合わさって、のぞみを動けなくしてしまったのだ。
「た、立たなきゃ……こ、腰抜かしてる、暇なんて……へ、ヘヒ、ヒ……ッ!」
それでもなお、懸命に立ち上がろうとするのぞみだが、その頑張りは足腰には伝わらない。
その内に床に叩きつけられた手術台の化け物は、いくつもの長い脚と腕でもって、体勢の立て直しをはかっている。
「温存した分、ここは俺の踏ん張りどころか」
のぞみと敵とを見比べたボーゾは、素早く方針を定めて駆け出す。
「こっちだノロマが!」
手術台ヤドカリの体を支える脚を払い、その目の前をわざと通りすぎる。
「キィザァアアアアアミィイイッ!!」
立ち直りかけたところを邪魔された化け物は、挑発されるままにボーゾを追う。
苛立ちを乗せた斧が、走るボーゾの頭へ一直線に落ちる。が、対するボーゾはひょいと軽くそれを避けて見せる。
無論一撃で終わるはずもなく、いくつもの刃が雨のように続く。
だがボーゾは、まるで踊るように降り注ぐ刃をかわして、先回りに行く手を塞ごうとするものすら潜り抜ける。
「トロいぜ」
そして懐に滑り込むや、腕を一振り。この一撃で化け物の金属製のボディを、ごっそりとえぐりとる。
「ギザァアアアッ!?」
砂山にシャベルを入れたように体を削られ、手術台ヤドカリが大きく仰け反る。
それを見上げて、ボーゾは笑みを浮かべながら深い呼吸をひとつ。
「……もう一削り……っと、うぉッ?!」
しかし、血の通っていないだろう無機質な目が自分を捉えたままなのに気づくや、ダメ押しを切り捨て横っ飛び。
直後、ボーゾの居た空間をヤドカリの体当たりが押し潰す。
「くっそ! そうトントン拍子にゃいかんか!」
ボーゾは悔しげに吐き捨てながら、手近な足を払って離脱。
しかしバランスを崩しながらも、ヤドカリは逃がすまいと刃を降らす。
「ったく、まるで堪えてやしないかよ!」
強烈なのを一発入れたにも関わらず、まるで勢いの緩まない化け物に、ボーゾは舌打ちする。
そして大きく跳びすさって着地。そこで息が乱れ、次の足がわずかに遅れる。
その遅れが、ヤドカリの爪をボーゾに届かせる。
「ガッ!? ん、の野郎ッ!」
腰を挟み込む爪を潰そうと、ボーゾは拳を叩きつける。
だが、さっきの一撃が嘘のように、化け物の爪はびくともしない。
「んな……ッ!? 飛ばし、すぎてたってのかよ!?」
まるで力が集まらない自分の手を見ながら、ボーゾは愕然とする。
その息も荒く、明らかにバテが来ている。
本来の姿を保てないほどに弱っている状態で戦ったのだ。当たり前といえば当たり前の結果だ。
しかしいくら本調子でなかろうが、手術台ヤドカリからしてみれば知ったことではない。
さんざんに挑発された上に、手痛いダメージを与えてくれた相手をようやく捕まえたのだ。潰すチャンスを逃がす手はない。慈悲はない、というところだろう。
「キィイザキザキザキザァアアアッ!!」
「……ボーゾ!」
だが、いざ止めをとヤドカリが無数の刃を振りかぶったところで、その体がガクリと傾く。
のぞみがヤドカリの片側の足元に、ボッシュートをかけたのだ。
大穴を作る力は残っていなくとも、できることはある!
そして敵がバランスを失くし、挟む爪が緩んだ拍子にボーゾは脱出。床に落ちつつも転がり、追いかける手から逃れる。
「すまんのぞみ! 助かった!」
「へ、ヘヒヒ……」
のぞみとボーゾはお互いに息も絶え絶えながら、親指を立てて見せる。
そしてのぞみはそのまま立てた親指を自分の胸に向ける。
「戻れって!?」
そのサインを見たボーゾは、一度のぞみと手術台の化け物を見比べる。
しかし迷う暇は無いとうなづき、のぞみの策に全力の踏み込みで乗りかかる。
逃がすまいと叩き潰しにかかる手を紙一重で置き去りに。
続いて掴みかかってきた別の手を、後ろ蹴りで弾く。
そのまま前周りに転んで、また違う手をくぐりかわす。
「んのわぁっとぉ!」
そして床を叩き飛ぶのに合わせて小さな姿になって斧の一撃を空振らせる。
「のぞみぃいいいッ!!」
風圧となけなしの力を推進力にして、ボーゾはのぞみが示した通りその胸元に戻る。
それは当然、餌となって手術台の化け物を釣り上げた上で、になる。
「キリキザミィイイイイッ!!」
合流し、ひとまとまりになった標的をまとめて断ち切ろうと、化け物はいきり立ったままに踏み込んでくる。
そして勝負は終わる。
「ヘヒ、チェック……! へヒヒッ」
のぞみが宣言したとおりに、だ。
ボッシュートの解除に合わせて、落とし穴は瞬時に「下から」せりあがる形で埋まる。
そう。獲物を追いかけ切りかかろうと前のめりになっていたところを、跳ね上げたのだ。
結果、のぞみを狙った攻撃のことごとくがその狙いを外すことに。
それどころか金属光沢を放つその巨体は、のぞみに届くより前にこま切れになる。
その結果を生んだのは、のぞみがすでに自分の前に仕掛けた床と天井をつなぐ風閂、切れ味鋭いワイヤーの罠であった。
かくして手術台ヤドカリは、エッグスライサーにかけた卵のように切り刻まれて、のぞみとボーゾの勝利に終わったのであった。
二十日まで連日更新しますよ