22:いま大切なのは
「はいのぞみちゃん、あーん」
微笑み蜂蜜色の髪を揺らしたベルノがスプーンを差し出す。
「は、恥ずか、しい……な……じ、自分で、できるけど? ヘヒ、ヘヒヒヒヒッ」
そうして湯気の立つ雑炊を差し出されたのぞみは、引きつり笑いを浮かべて首を傾げる。
ここはスリリングディザイアの最深部。
今のぞみはここに敷かれた布団に入れられ、半纏を羽織った病人スタイルで、ベルノから食事の世話をされている真っ最中なのであった。
「だぁーめ。はい、あーん」
気恥ずかしさからおずおずと申し出たのぞみに対し、しかしベルノの答えはノー。
頑として土鍋とスプーンを離さず、笑顔でのぞみに口を開けるように求めてくる。
笑ってはいるがしかし、有無を言わさぬその迫力に、のぞみの顔が更に強ばる。
「ヘヒィ……べ、ベルノ……怒ってる?」
「うん! しょーじきカンカンだよ? だから、はい!」
「へ、ヘヒィイイ……」
満面の笑みはそのままの答えに、のぞみは観念してされるがままに受け入れる。
「おいしい?」
「う、うん……は、恥ずいけど……こ、こういうの、嬉しい、ね……ヘヒヒッ」
「よかったー! それじゃあ、はい!」
「う、うん」
のぞみは、そうしてまた差し出されるベルノの雑炊の味と温かさを噛みしめる。
大型のダンジョンコアを吸収、無事生還を果たしたのぞみ。
しかし、その攻略中に使用した異界の秘薬の副作用と、使用後の無茶が重なって、大幅に体が弱ってしまっているのだ。
一人で歩くこともできず、忍に背負われて帰ってきたのぞみの姿に、ウケカッセをはじめとするメンバーは悲鳴を上げ、布団へ押し込んだのであった。
「ご、ごちそうさま……美味しかったよ……ヘヒヒッ」
ベルノの抱える土鍋の中身を平らげたのぞみは、この甲斐甲斐しい世話に感謝を告げる。
「どういたしましてぇ。私がぞーふくしなくても食欲はあるみたいでよかったよー」
「さあ! それじゃあ今度は、アタシがマッサージ、し・ちゃ・う・わ・よぉ!」
ベルノがにこやかに返すや否や、ドアが開かれ、手をワキワキとさせたザリシャーレが飛び込んでくる。
「はいはーい。じゃ、交代ねー」
こうして、スタッフモンスターたちが代わる代わるにやってきてはそれぞれのやり方でのぞみの体を癒そうとしてくるのである。
「ほぉらマスター、楽にしててちょうだいね。何なら寝ちゃってもいいわよぉ?」
「う、うん……な、なんだか、悪いね……こんな至れり尽くせりで……」
「何言ってるのよ。みんなマスターが心配で、マスターに早く良くなって欲しいって欲望のまんまに動いてるだけなのよ?」
みんなからの手厚い看病に申し訳なさそうにするのぞみの言葉を、ザリシャーレは首や背中をもみほぐしながら笑い飛ばす。
「そうそう。素直に受けとけよ。素直に受け入れて、お互いにまるっと納まる欲望ってのもあるもんだからよ」
枕元に転がったボーゾがザリシャーレの言葉を後押しすると、のぞみは遠慮がちにうなづく。
「う、うん……でも、こんなに大事に見てもらえたのって……しばらく、覚えがなくって……へヒヒッ」
のぞみが病気をした時に、家族からしてもらったのはお金を渡してもらえた程度で、後は自分でやるしか無かった。
「小学校出るか……ってくらいにはもう、死なない程度にはほったらかしだった、かな? ヘヒヒ……」
バスを使って一人で病院へ。そして一人で買い置きのレトルトを温めて。そして寝床に戻り、ただ病が過ぎ去るのを待つ。
そんな心細い病床の記憶に、のぞみの顔が寂しさに陰る。
「……のぞみ」
「マスター……」
それに釣られるようにして部屋の空気が湿っぽくなる。
のぞみはそんな、自分のせいで変わってしまった雰囲気に気づくと、慌てて顔を上げる。
「あ、や! だ、だからちょっと馴れてないって言うかね? ヘヒッヒヒ……こんなに、大事にされて……ヘヒヒ……嬉しい、やら、でも落ち着かないやらで……いろいろ……そう、色々で、ね? ヘヒヒ、ヒヒッ」
言葉を思いつくままに舌をもつれさせながら、のぞみは説明になっていない説明を吐き出す。
それを受けて、ボーゾをはじめとしたメンバーは、微笑みうなづく。
分かっていると言うようなその仕種に、のぞみは息をついて冷や汗をぬぐう。
「よっし、じゃあ俺は手の空いてる奴ら連れて、のぞみの実家にカチ込みかけてくるから、あと頼むな?」
「ヘヒィッ!?!」
しかし笑顔のままボーゾが言い放った物騒な言葉に、のぞみは跳ねて驚く。
「えー! そんなのずるいよボーちゃん! 私だって、のぞみちゃんに酷いことしてきたのにグツグツのシチューをご馳走したいのにー!」
「まあアタシは、そんなことよりマスターを磨くのが大事なんだけど……でもマスターを曇らせてる原因をしばく計画からのけものっていうのはいただけないわね」
「ヘヒ!? ヒッ?!」
ボーゾの指示に対して止めるでなく、ちゃんと参加させろと抗議するベルノとザリシャーレに、のぞみは目を白黒とさせてしまう。
「しょうがねえなあ……まあ、一回こっきりで片付けても気がすまないしな……ここは全員でじっくりどう追い詰めてくかアイデア出し合うか!?」
「さんせー!」
「いいわねえ。いいんじゃないかしら」
剣呑な議題の会議開催を決め、ぎらついた笑みを交わす魔神たち。
その笑顔は身内であるのぞみに向ける柔らかなものとは打って変わって、まさに魔なる者と呼ばれるにふさわしいものであった。
「ちょ、ちょちょちょぉ! ちょい待ちぃ! ヘヒ、ヒヒッ」
のぞみはそのまま、魔神たちを流れるままに見送ってしまいそうであったが、慌てて割って入り待ったをかける。
「おいおい心配すんなって、のぞみ自身の気持ちが晴れなきゃしょうがねえからな……って、叩き潰そうって欲望が萎えて……ってか、ほとんど無いな」
のぞみの欲望を見て取って、ボーゾは怪訝な顔をする。
それにのぞみはヘヒヘヒとぎこちない笑いを浮かべてうなづく。
「そ、そんなこと……しなくていい、から……私の親をどうこう、なんて……ヘヒヒッ」
「……ワケを聞いてもいいか?」
ボーゾはのぞみの言葉に遠慮は無用と言うのではなく、その心を問う。
欲望を見抜くボーゾに、のぞみが両親の行いに報いを欲していないのは聞くまでもなく分かること。
だから問うのはその真偽ではなく、理由である。
「だ、だって、なんか……嫌……だし、みんなが私の親の為なんかに、何かする事なんて……無い、し……そりゃまあ、寂しい思いは、させられた……うん、した……けど、でもそれで辛い思いして欲しいか……っていうと、そんなことない、し……? もうお互い、関わらないのが一番だって、なっちゃってる? し……ヘヒ、ヘヘヒヒッ」
「なんで疑問形かね、お前は……」
グデグデと言葉を並べるのぞみに、ボーゾは深くため息を吐く。
だが同時に、のぞみの持つ理由に納得もしていた。
のぞみが両親に向けているのは諦めだ。
愛情を求める対象になっているのならば、冷たくされた事に怒りもし、愛憎入り混じった欲求があることだろう。
だがのぞみの中にそうした欲望はない。あっても、解放するチャンスを前にしても燃え上がらない程の希薄なモノだ。
のぞみにとって両親は、もう愛してくれるだろう存在ではない、ということだ。
「……だが分かったよ。お前が望んでないってなら放っておくことにする」
のぞみの心がそこに至った経緯は経緯はともかく、いま欲望が無いのが確かなのならボーゾに言うべきことはない。
「う、うん……それがいい……よ。そんなことより、みんなと楽しくやることの方が大事、だし……へヒヒッ」
そう。いまのぞみにとって大切なのは、ボーゾをはじめとした新しい身内との居場所と時間の方だ。
冷たく寂しい記憶を見つめ続けるよりも、その方がずっとのぞみにとって大事なことなのだ。