152:欲望が大事だからこそ許せない欲望
無数の光の粒が瞬きながら、まるで照らし尽くせぬ暗黒。
この広大な闇の空間に、虹色の粘液が浮かんでいる。
水面に浮かび、波に揺られる海藻のように重力に漂うそれは、ボーゾによって転移させられた世界を食らうマキだ。
スリリングディザイアどころか、地球そのものから追放されたこの身勝手な怪物は、このまま宇宙空間を漂い、考えるの止めるのを待つばかりしかないようである。
が、彩り豊かな不定形の化け物は、その輝きを揺らめかせながら、徐々に青い星へと近づいていっている。
自分の欲するモノが、世界の多くがそこにあると理解しているのだろう。
求めるその動きに迷いはない。
「おおっと。行かせねえよ?」
しかし貪欲なアメーバの動きは壁にぶつかったかのように阻まれる。
待ったをかけるように手をかざしているのは青年形態のボーゾだ。
地球を背にして浮かぶ欲望の魔神は、大きさがまるで違うというのに、貪欲に地球を求める虹色アメーバを悠々と押し止めて見せている。
この邪魔者に、世界を食らうマキは女形の上半身を形成。欲望の魔神を叩き潰そうとする。
が、その動きはまるでガラス壁正面衝突したかのように顔面と手のひらを押し付ける形で止まる。
「なるほど。強い欲望だ……思い通りにならない世界を食い潰して、理想郷を産み出してやる……か。眩しいくらいに強烈な欲望だぜ」
ボーゾは口を開くこと無く、地球とそこに生きる人々を求めるアメーバマキの欲望の強さを高く評価する。
が、評した直後に手をもう一押し。張り付いた壁ごとに世界を食らうモノを押し返した。
「……だがあいにくと、俺の俺たちの生きる場所を渡してやるものかって欲望も負けないくらいに強くてな!」
そして手のひらに固めたエネルギーの塊を、遠のくアメーバへ投げつける。
それは進ませないという欲望の壁もろともに、虹色アメーバをくり貫く。
濃縮した殺意が開けた穴は、みるみるうちに不定形の肉体にその範囲を広めていく。
しかし世界を食らう怪物は逆に己を滅ぼそうという欲望すら糧として、ボーゾへその手を伸ばす。
これをボーゾは再び守る意思の壁で阻み、排除する欲望の拳で殴りつける!
が、世界を食らうマキは殴り飛ばされた腕には構わず、全身でぶつかるようにして躍りかかる。
「さすがとしか言いようがねえな、こいつはよ!」
ボーゾは大波となって押し寄せる怪物に舌を巻きながら、欲望のエネルギーのラッシュで迎え撃つ。
食らおうとする津波と、そうはさせじとするエネルギーの雪崩は真正面から噛み合い、拮抗!
だが競り合う内に、すべてを食らおうとする欲望の塊は殴られた粘土のようにその不定形の体を広げ、ボーゾを覆う形に。
「全方向から攻め立てようったってそうはいくかってんだ!」
これにボーゾは迎撃のラッシュに放つエネルギーとは別に鋭いエネルギーを走らせ、広がり伸びた部位を切断。分身として動けぬよう、すかさず殺意を浴びせ、吸収する余力を与えずに消滅させる。
取り囲もうとしても通じない。
そう判断した虹色アメーバはやけを起こしてか正面突破するべく圧力を高める。
消滅させるエネルギーすら糧として、再生と拡大の勢いを増して迫る怪物に、ボーゾは殺意の欲望を一閃。真っ向両断する。
これ幸いにと、片割れを殿に残して餌場を目指す世界を食らうモノ。
ボーゾは殿役を押さえ込みつつ、逃げるものの前に欲望の障壁を展開してつまづかせ、引き寄せる。
「うぐ!?」
が、同時にボーゾがその体を折る。
ダメージの源である脇腹を見れば、手のひら大の虹色のマキが食らいついていた。
「でかい欲望を隠れ蓑に……ってことかよ!?」
食いついたモノを脇腹もろともに吹き飛ばすボーゾ。
そこへたたみかけるように、一つに戻ったアメーバが食らいつこうと迫る。
一呑みにしようと包み込みにかかるそれを、ボーゾは再び殺意と排除の欲望で消滅させる。
そのエネルギーの隙間を縫って、先程以上に細かく小さな断片になったアメーバマキが迫る。
「いくらデカブツの欲望で分かりにくいったってなッ! 味を占めて即もう一回ってのは悪手だろうぜッ!」
同じ手は食うかと全身から欲望を放射。細かなものを消滅させる。
だが広がるそれを、巨大な塊が受け止め食らい、大きくなる。
「俺を餌にしたってのかよ!?」
世界を食らうモノを一部とはいえ消滅させられるとは言っても、それは固く束ねて集中させたからこそ。
拡散させたものでは、いかなるものも糧とする怪物にとっては自分を育てる栄養源でしかない。
世界を食らうマキは潤沢なエネルギーを啜り取り、一気に膨張した体を広げ、欲望の魔神と、彼がエネルギー源とする地球を捕食しにかかる。
だが、地球から広がった黒い波が、貪欲なエゴの塊を弾き飛ばす!
「うぉおおおおッ!?!」
ボーゾもこの不定形の怪物を押し返していく勢いに巻き込まれ、振り回される。
しかしほどなくその体は、柔らかな何かに受け止められる。
何事かと顔をあげたボーゾが見たのは一面の黒であった。
見上げても見回しても、彼に見えるのは黒一色ばかり。遠くにあるはずの星の瞬きすら見えなかった。
戸惑うボーゾをよそに、彼を受け止めた柔らかな黒が動く。
そしてまた黒い陸地に預けられる。
「なんだぁここは……?」
そこから見えた景色に、ボーゾの顔が疑問符で埋まる。
ボーゾの足場となった黒い大地。その水平線から上に見えたのが、白一色の空間であったからだ。
先程まで月軌道で世界を食らうモノと戦ってたのだから、ここは宇宙空間のはずである。
であるがしかし、今ボーゾを支えている大地を覆っているのは星の瞬きどころか闇すらない広大なだけの空間だ。
否、宇宙であるというのならば、ボーゾがたった今踏んでいる地面の存在がそもそもおかしいことになる。
その疑問に改めて振り返ったボーゾが見たもの。それは黒い壁であった。
高く、どこまでも高くそびえ立つそれは、比較対象がないことから、どこまで続くのか正確な距離は目測では計ることができない。が、霞みけぶること無く、白い空間を切り裂くように、黒い屋根が突き出しているのが見える。
このことからボーゾは今自分は恐らく、「コ」の字を描くとんでもなく巨大な何かの間に運ばれ、立っているのだと推測する。
だがそれだけが分かったところで、そもそもこの巨大な黒い何かはなんなのかということになる。
しかしその疑問は、黒い物体自身が答えてくれる。
ボーゾが足場とするところから、不意に黒いものが立ち上がり、彼の手首に絡んだのだ。
これにボーゾは一瞬身を強張らせる。が、絡み付いたそれが、五本指を備えた細い人の女の手であったのを認めるや、緊張を緩める。
「……のぞみ、なのか?」
直に流れ込む馴染みある欲望の波長。
そこからボーゾはこの黒い塊が、自分のパートナーと繋がっていることを悟る。
そうなると、この黒一色の大地はいつもの場所、背丈の割には大きな大きなのぞみの胸ということになる。
「いや、ハハハ……にしたってコイツはデカすぎるな……ほとんど星じゃねえかよ」
ボーゾが苦笑交じりに黒い地面を足踏みつぶやく。すると不意に大きく揺らぐ。
だが傾ぐボーゾの体は黒い手がしっかりと、しかしキツく押さえつけない程度に固定し、揺れをしのぐ。
合わせて、離すまいと繋ぐのとは別の黒い手が椅子を形作り、そこから伸びた手がシートベルトになって固定する。
そうしてシートに腰を落ち着けたボーゾの目には巨大な黒い壁と、それに食いついた虹色アメーバの姿が飛び込むのであった。