150:最後の引き金を引いたのは
二メートル四方はありそうな赤い立方体。
それを担いだケインが、ズシリ、ズシリ、と重々しい足取りで進んでいく。
そうして前方へ開いた丁度収まりそうな穴へ押し込む。
立方体が無事にはまったことを確認して、ケインは深く長い息を吐き出しながら肩をほぐす。
そうして体を固める疲労を追い出しながら、飛翔魔法で上昇。立方体を収めた床を見下ろす。
俯瞰視点で見れば、床石が絵を形作っているのが分かる。
穴が埋まりきっておらず、虫食いの入ったその絵は未完成のドット絵だ。
ボーゾの紋章である「掴みかかる両手」と、デフォルメされた彼の全身図。
完成すればそうなるだろうパズルだ。
絵に開いた穴とそこに必要だろう色を見定めたケインは、地に足をつけることなく壁へ。
そして壁を作るブロックに手をかけて慎重に引き抜いていく。
「ヘヒッ……バランスパズルと、ドットパズルを組み合わせた、まったく新しい、謎かけ……ヘヒヒッ」
抜き取り成功した超重量のブロックごとに軟着陸し、はめるべき穴へ運んでいくケインの姿を眺めて、のぞみは笑う。
床のパズルを完成させれば脱出可能な部屋であるが、そのためのピースは壁材そのもの。
虫食いだらけになった壁を崩落させてしまえば、あえなく生き埋めになって強制送還。そんな仕組みのスリリングディザイア定番のギミックだ。
もちろん今回のこれは、理不尽向けにド外道難易度に調整したもので、転移先もトラップラッシュのスタート地点になったものだが。
「てか、本音を言うと……クリアをさせないつもりで、組み立てた罠たちだから……ここまで突破されて、かなり、悔しい……ッ!」
「あのブロック一個一個も、誰にも持ち上げさせるつもりなしの重さで作ってるのにな?」
「バウモールより重く作ってある、のに……ッ!? って、あの英雄さん、その気になったら……バウモールを投げ飛ばせる……ッ!?」
事実確認から得た気づきに、のぞみは異世界英雄様のチートぶりに「恐ろしい人!」と、白目をむく。
「まあアイテムボックス入れ不許可とか、こっちも楽々運搬対策はしてるが、奴の手数にものの見事に上回られちまってる形だな」
「他の罠でも……なんだかんだで対策抜かれて、突破を許してる、しぃい……ッ!!」
グギギとのぞみが嘆くとおり、魔法封じをかけた落とし穴に落としても、壁を三角蹴りで駆け上がるなど、力業で数々のトラップが突破されてしまっていた。
「ゲームオーバーだド外道ゥ―ッ! なんて、罵られるレベルのトラップを用意してきたつもり……だのに……ッ! 私の予想を、準備を……ことごとく超えてきてぇ……それも手直ししても、手直ししてもぉお……ッ!!」
自信アリなトラップの数々を攻略されてしまい、のぞみはうつむき拳を固める。
「こんなんじゃ私、ダンジョンマスターとして……いや、トラップ職人としての自信を、無くしてしまう……」
数少ない自信の喪失にうなだれるのぞみに、ボーゾは眉をひそめて鼻息をひとつ。
解決、突破前提で組んであるトラップと違い、手詰まりにして心をへし折るために作ったトラップ群を破られているのである。
一般人探索者相手がミツバチレベルだとするならば、ケイン向けは一回一回がオオスズメバチの巣を無数に用意してあるようなもの。
それを攻略され続けてしまえば無理もない。
「のぞみがヘコむのも分かるが、ヤツだって楽勝ってワケじゃねえぜ? ここらで一度、降伏勧告してみたらどうだ?」
ボーゾが指さし言う通り、モニター内のケインは肩で息をしていて、積み重なった消耗が明らかだ。
思い通りではないものの、成果は出ている。
それを現す様子を見て、のぞみはフンスと鼻を鳴らして背すじを伸ばす。
「それもそう、だね……ボチボチ、行ってみようか……ヘヒヒッ」
気を取り直したのぞみ手元のコンソールを操作。ケインが今いるパズル部屋と音声を繋ぐ。
そしてマイクとなった手のひらのコンソールをボーゾへ寄せる。
「ど、どぞー……」
「……こいつはまあ、予定通りだからなぁ……」
喋る役目の丸投げに、ボーゾは渋々とうなづくと、咳払いを挟んで呼び掛けの言葉を放った。
「もっしもーし! 聞こえてるかいケイン殿。俺だよ、ボーゾだよ!」
この呼びかけにのぞみはたまらず吹き出しつつも、ボーゾに寄せた手のひらを大きく動かしはしない。
その一方、ボーゾの声を受けたケインは疲労も露わに項垂れていた体を跳ね上げる。
『キッサマッ!? 欲望のッ!? 俺たちが貴様らの作ったトラップで苦しんでいる様を、ヌクヌク眺めてたってのかッ!? ヌクヌクとよぉおッ!?』
消耗を忘れるほどの怒りに、オーラを吹き出して叫ぶ。
これにのぞみは怯んで身を縮ませるも、怒りを向けられたボーゾは涼しい顔でいる。
「お、よく分かるじゃねえか。なかなかに楽しませてもらってるぜ」
それどころか、のぞみの胸の谷間にふんぞり返って笑い飛ばして見せる。
まさかケインにその姿が見えているわけはないだろうが、通信の向こうの彼は噴火する勢いで怒りのオーラを放出する。
それが祟って虫食い状態の壁と天井が崩れ、放ったオーラでそのまま生き埋めを防ぐ形に。
そのケインの有様に、ボーゾはのぞみの胸にぺちぺちと平手を弾ませながら大笑い。
「おーいおいおい! ずいぶん参っちまってるようだな、ケインちゃんよぉ? こりゃもうギブして白旗上げた方がいいんだろ!?」
そして降参を勧めるボーゾだが、大笑いを添えては圧力よりも挑発の色が濃くなる。
案の定、反感を育てたケインは、圧し掛かる超重量ブロックを押し上げる!
『なんだとッ!? それで降伏勧告のつもりかッ!? ふざけているのかッ!? ふざけているのかぁあッ!?』
怒りに膨れ上がったオーラの中心で叫ぶケイン。
しかしこの啖呵に、ボーゾは満面の笑顔を崩さない。
「いーや? 本気も本気だよ? 降参はマジでおススメしてる。ま、おちょくってるのもマジなんだけどな?」
ヘヒッとパートナーを真似た笑みを添えて、ボーゾはさらに挑発を重ねる。
これを受けたケインは反射的にさらなる怒りのオーラを膨らませる。
だがいくら膨らませ、押しのけたところで、一度崩れた壁と天井が均衡を保った形に組み直されるはずもない。
また怒りに任せて景気よくエネルギーを吐き出しているが、これも抑圧から爆発した感情任せに放っている物。
消耗した状態ではほどなく力尽きて、重みに負けることになる。
「ほれ見ろ。ウチのボスは、誰からも必要とされたいって欲張りだからよ、悪いようにはしねえぜ? 酷い邪魔さえしなければ、だがよ?」
追い詰められていくケインに、ボーゾは重ねて降参を勧める。
だがケインはこれを無視して、近くに固まっていたフードの女へ目配せを。
この視線を受けてフードの女は手元に作った光のキューブを操作する。
直後、のぞみ部屋に警告色が瞬く。
「まあそう来るだろうな。簡単にあきらめる程度の甘ったれな欲望しか備えてないなら、人間たちを救って世界を滅ぼすところにまで行けるわけがねえからな」
だがボーゾは慌てず騒がずにのぞみと目配せ。これを受けてのぞみも心得ているとばかりに大きく展開したコンソールに指を走らせる。
すると部屋の中に穏やかな白色の明かりが戻る。
あわせて、キューブをいじっていたフードの女が頭を抱えて苦しみ始める。
「通信で長繋ぎ……そこのところとっかかりに、乗っ取りを仕掛けよう……なんて、読み読みですよ……っと、ヘヒヒッ」
予測通りにきれいに決まったカウンターに、のぞみは得意になって笑う。
ボーゾはそんなパートナーの様子に満足げにうなづくと、改めて英雄たちを移すモニターへ目を向ける。
「さて、これでお前が打つ手の一つをまた一個潰してみたわけだが? まだやるのかい? さっきも言ったが、ウチのダンマスはお前らを滅ぼす気なんかないんだぜ? きっちり片付けちまった方が後腐れもなしで楽ちんだってのによ」
どこまでやる気なんだと、ボーゾは呆れたように、のぞみの欲望と温情があっての状況であることを念押しする。
「……っと、勘違いするなよ? のぞみはお前らと滅ぼすまでやり合う気はないと言ったが、俺や身内になってる魔神たち、自分とパークを必要としてる者たちが害されるのを黙ってみてる気はねえ。敵じゃあしょうがないってなったら、もう容赦することはなくなるぜ?」
そしてさらにのぞみを甘く見ないようにと、付け足して威圧する。
が、ケインは苦々しく顔を歪めるだけで頑なに口を閉ざし続けている。
この態度にボーゾはため息を吐きながらも、パートナーの願いのために言葉を続ける。
「……だいたい、何だって俺らに突っかかってくる? そりゃお前の復活前にはゴタゴタしたが、俺たちスリリングディザイアは地球と故郷の断片の融合を軟着陸に終わらせようって商売やってるんだぜ? せっかく流れてきたこの世界が壊れてもらっちゃ困るからな」
打算はある。だが結果的には地球と、そこに生きる人間、生命のためにもなるのだ。そうボーゾは、自分達と人間の英雄をやって来た男が敵対する愚を説く。
『……だったら余計に、お前らを潰さなきゃならなくなったな! ボーゾ、お前ならもうとっくに何でかは分かるだろ!? 感じ取ってるんだろうがッ!?』
話にならんと、モニター越しに食って掛かるケインに、ボーゾの顔が苦渋く歪む。
「……本気でそれを願ってるってのか?」
『ああ、そうだ! 俺が望んでるのはただひとつ、俺の世界の……ケインの世界の復活だッ!!』
確認の問いに被せる形で、願望を露にする言葉に、のぞみはヘヒッと目を白黒とさせる。
「……お前が本気で欲しがってるってのは感じてる。しかしまた何でだ? ここはいくらか時間は経ってるっていっても、元はお前の故郷……生きてきた場所のある世界だろうが」
ボーゾがそんなのぞみの疑問を代弁すると、ケインは愚問だとばかりに鼻で笑い飛ばす。
『そうだとも、だからこそだ! 故郷だからって絶対に大切か? 血縁があるからって無条件に愛せるか、愛してくれるか!? そっちで聞いてるダンジョンマスター、お前にだって心当たりは無いとは言わせないぞッ!?』
ケインの叫びを聞いて、のぞみはギクリと身を強張らせる。
つい先日までの両親と弟との冷えきった関係。そしてボーゾと出会う前までの、孤立のあまり誰にも、世界の何からも必要とされていないと思えるような寂寥感。
いっそ生まれ変わってやり直してみたいと願ったことは一度や二度ではない。
だからのぞみはケインに何も言い返せなかった。
のぞみは来世に期待という状態から、生まれ変わることなくやり直すことができた。しかしそのきっかけは、相棒と一緒に急に異世界からやって来た不思議な超パワーだったのだから。
のぞみに返す言葉の無い様子に、ケインはさらに勢いづいて言葉を続ける。
『だから俺は、忌まわしいこの世界じゃなく、俺が真に俺として生きられる世界を取り戻す! そのためなら、俺を惨めにさせるだけの世界やそこに生きる人間は必要ない! 必要なら俺の世界が蘇る生け贄にしてやるッ!!』
堂々と贄にすると宣言するケイン。
だがそれは、のぞみにとって断じて見過ごすことのできない野望だ。最後の一線を踏み越える願いだ。
ケインの許せぬ望み、止めるべき願いに、のぞみの黒髪から黒い腕が飛び出す。
部屋の床や壁に沈んだそれらは、物理的距離や空間の断絶を飛び越えてケインたちの頭上へ。そして巨大な拳へとより合わさったそれは、自分達の願いを断ち切ろうとする敵へ――!
『うぐ!?』
だが、ケインがくぐもった呻き声を漏らしたのは、欲望の拳のせいではない。
彼の甲冑の隙間を抜いて左脇から突き刺さった刃のせいだ。
この光景にのぞみは思わず落とそうとしていた黒拳を止めてしまう。
一方で刺されたケインは、信じられないとばかりに、己を突き刺すフードの女を見る。
『マ、キィ……?』
血で濁った呻き声で呼ばれた女は、フードを外して目つき険しい顔を露にすると、ケインへ突き刺した刃をさらにねじ込む。
そしてさらに勢い増して溢れた血に溺れるケインへ冷ややかな目を向ける。
『やっぱり、お前は紛い物でしかなかった……健一の、紛い物……ッ!!』
『ぐぶッ!? な、なんのこと、だ? 俺は、忌々しく惨めなあの男が転生した……』
『健一がそんなこと言うかッ!?』
怒りの声に合わせて抜き刺し!
これにケインは血を流して、吐いて悶え苦しむ。
ケインが踏み抜いていた地雷はのぞみのものばかりではない。マキのものも、同時に踏んでいたのだ。
自分を害することはしない、出来ないだろうと侮っていたのだろうが、その結果がこれであった。
やがて力を失い倒れ伏したケインの体は光の玉に、ダンジョンコアへと変わる。
同時にケインのオーラという支えを失った部屋の崩壊が再開する。
『健一じゃないなら……健一のいない世界なんて、どうでも……』
落ちてくるブロックの中、マキはボソボソと呟きながら足元に転がる玉を拾い上げると、大口を開けてかぶりつく。
その頭上へ、庇護欲の巨神よりも重いブロックが真っ直ぐに!
そしてただケインのコアへむしゃぶりついていたマキを、重々しい音を響かせて下敷きにする。
だがその直後、ブロックの下から溢れ出した輝くものが、その上に重なろうとするブロックもろともに吹き飛ばす。
赤、黄、緑、青……無数に彩りを変えていくそれは触れたブロックを溶かしている。
その光景に、ボーゾは暖かな谷間にありながら身震い。慌ててパートナーを振り仰ぐ。
「のぞみッ! 切り離せ! 切り捨てろッ!?」
切羽詰まった警告を受けて、のぞみも慌てて指示に従う。
そして現れた空間もろともに無数の色を持つ怪物を分離したのぞみは、一息置いてパートナーへ問いかける。
「……あ、あれ……何? なん、だったの?」
「……あれが、あれこそが……正真正銘の……」
ボーゾが冷や汗に濡れた額をそのまま、唇を震わせていると、再びのぞみ部屋を警告色が彩る。
「へぎぃいッ!?」
同時にのぞみが胸を押さえて痛みに悶える。
「のぞみ!? しっかりしろッ!?」
「な、なに……これ? 中から、食べられてる?」
のぞみは苦しみながらも、異常の発生地点をモニターに出す。
すると、迷宮の外壁が虹色のナニかに溶かされている様子が映し出されるのであった。