15:ドロロンドローンズ
穴だらけでいかにも軋みそうな板張りの床。
そんな床と似たり寄ったりなぼろ具合の板壁で仕切られた部屋の中に、のぞみはいる。
「さ、ささっさ……寒い……」
そんな隙間風が入り放題の中で、マントはあっても、体のラインを隠すどころか強調するレオタード衣装では厳しい。
しかしのぞみは、晒した肌に触れて容赦なく熱を奪ってく冷たい風に震えながらも、大声を上げて騒ぐこともなく、手のひらに展開したコンソールから目を離さない。
「そんなにか? けどあんまり大声は出すなよ? ここで致命傷受けたら取り返しがつかんぞ?」
「わ、分かってる。 だから……我慢。ここは、て、敵の本拠地……巣の中……ッ」
自分の胸の谷間でぬくぬくしている相棒を見下ろしながら、のぞみは分かっていると涙目にうなづく。
二人が言い合っている通り、今いるここは、のぞみの支配下にないダンジョンで、むやみに騒ぎ物音を立てれば、敵意しか持たないモンスターを呼び寄せる体のいい目印になるばかり。そうなればまさにいっかんの終わり。文字通りの命取りにしかならない。
そう。のぞみはいま、白山病院跡に建てたスリリングディザイアのダンジョンにではなく、隣町の剣道場に生じたダンジョンに潜りに来ているのだ。
「ううっ……こんなに寒くて怖い思いをしないといけないのは、どうして……?」
「そいつは説明しただろうが。このまんまじゃ、せっかく作った俺らの城が台無しになっちまうからだよ」
「わ、分かってるけど言ってみただけ、ただのぼやきだから、へヒ、ヒヒ……」
そんなのぞみの返事に、ボーゾは本当に分かってるのかと、胡乱気な目をパートナーへ向ける。
なぜダンジョンマスターたるのぞみが、わざわざ本拠地を離れてよそのダンジョンに潜りに行っているのか。
その理由はボーゾが語った通り。
スリリングディザイアへの来場ペースが速すぎるのだ。
死なないしもちろんケガもしない。安全に遊べるダンジョンパーク、スリリングディザイアは順調にその業績を伸ばし続けている。
それはいい。
だがその勢いは、近日中にキャパシティを超えて、順番待ちが生ずるほどになりそうなのだ。
ボーゾはそうなった場合に、順番待ちになった客が他のダンジョンに潜りに行くことを危惧していた。
それを聞いた時のぞみは、危ないと分かっていて入りに行くものなどいるのかと、杞憂ではないかと首を捻った。
だがそこで問題になるのがスリリングディザイアの存在だ。
遊び感覚でダンジョンに潜った者が、ガチのダンジョンもこんなものと甘く見ないとは限らない。
そしてもし、そんな連中の中に負傷者が出れば、スリリングディザイアの存在は危険行為を助長する悪しきものとして、声高に世間へ広められることになる。そうなれば――。
「炎上、コワイ……コワイ……」
ボーゾの危惧する未来予想図に、のぞみは青ざめ、身震いを強くする。
もちろんのぞみとて、事前対策は欠いていない。
パークの掲示板にパンフレット。ホームページやSNS。それらにスリリングディザイアは特殊なもので、その他のダンジョンは危険だと。死亡事故事例まで添え、口を酸っぱくして注意を促している。
しかし、バカはやる。
どれだけ警告を重ねても、真面目に受け取らない連中というのはいるものだ。
そうした連中に限って、責任を自分以外に向けて攻撃するものである。
自分たちの居場所が、こちらの気づかいと努力を踏みにじった者の誹謗中傷で荒らされる様など、のぞみにとっては最大クラスの悪夢でしかない。
「だから、そんなのが出た後じゃ遅いからって潜りに来てんだろ? ほら、ガンバレガンバレ」
だからパークのキャパシティ向上も兼ねて、近場のダンジョンコアを奪いに来ているというわけだ。
取得コアが増えれば恐らくダンジョンのバリエーションも増えるであろうし、飽きが来ないようにするのも重要なことだ。
「……そ、そんな人事みたいな……っと、お?」
ボーゾからのかるーい激励に、怯えと一緒に力を落としていたのぞみだったが、手の内にあるマップの変化には目ざとい。
「かかったか?」
「み、みたい……へヒヒ!」
のぞみは胸の間から身を乗り出してくるボーゾが見やすいようにと、ついついとマジックコンソールに指を走らせながら胸元に寄せる。
「おっほぅ。派手に溶けてるじゃねえか」
ボーゾが上機嫌に言うとおり、マップの明るくなったところに突っ込んできた赤い光点たちが、踏み込んだ端から消えているのだ。
「な、ナイス誘導……ヘヒ、ヒヒッ」
その有り様にのぞみもまた笑いをこらえきれず、ひきつったものを漏らす。
この成果は、ある簡単な仕掛けによってもたらされている。
のぞみはある程度踏破したところでトラップを仕掛け、後は自分の味方であるモンスターを召喚。斥候をさせて、その成果を待つというものだ。
その結果が、この爆釣ぶり、というわけである。
「ああ、ゲッコードローンたちはいい仕事してくれてるみたいだな」
「それはもう。我が主様のためでござるゆえ」
満足げなボーゾの独り言に答える声がある。
明らかにのぞみのとは違うはきはきとした声。その持ち主を探せば、のぞみの足のそばにひざまづく小さなものがいる。
「クノ」
「はい。クノはここにおりまする」
長いトカゲの尻尾を備えた、小さなくノ一。クノと呼ばれたそれは、のぞみの声に応じて面を上げる。
くりくりと大きな目は愛らしく、ツンと鼻の突き出した顔は小ぶりで、目の大きさを際立たせている。
彼女こそがこの道場型ダンジョンで生まれたのぞみの偵察型モンスター「ゲッコードローンズ」、そのリーダーであるヤモリくノ一のクノである。
彼女とその配下数体の働きによって、この階層の敵性モンスターをトラップへ誘導。一掃することに成功したのである。
「い、いい仕事、ありがとう……ヘヒヒッ」
「なんの。主様のお役に立つのが第一の喜び。もったいないお言葉でござる」
のぞみがクノを撫でようと手を出すと、背を差し出して主人の手を受ける。
「主様、この階の全体は把握できておりまするが、やはり危惧されていたとおり、主様が直に歩かねば制圧は不十分であるようです。新たな怪物が湧き出ようとしております」
「や、やっぱり?」
クノの報告を受けて、のぞみはひきつった笑みを浮かべる。
報告のとおり、合わせて渡されたマップデータの、大半が薄暗く、その暗いマップの中では、ちらほらと新しい敵の反応が生まれていた。
「み、味方にフロア回ってもらって……それで全体把握して制圧……なんて、都合よくはいかない、よね……へヒ、ヒヒッ……ヘヒ」
のぞみたちが削った分を少しでも補おうとするようなリポップに、当てが外れたと苦笑する。
「そ、それじゃあ行こう、か……? でないと、キリがないし……ヘヒヒッ」
しかし、クノらによる偵察は第一の目的は果たせている。あわよくば程度に求めていたところには見切りをつけて、のぞみは立ち上がる。
「じゃあクノ? 先導よろしく、ね?」
「御意にござる。しからば御免!」
そう言ってクノは尻尾と両手を絡めて印を組み、ドロンと消える。
しかしヤモリくノ一の導きは、確かにのぞみの手のひらに表されている。
「なあ、のぞみ?」
「な、なにかな?」
「偵察ドローンモンスターだからって、ドロンと消えるニンジャなのはどうよ?」
「ヘヒッ!? な……なな、なんのこと? そんなダジャレ臭い発想をしたなんて、ドコ情報? ドコ情報かな? かな?」
胸元からのボーゾの視線に、のぞみの目が縦横無尽に泳ぎ回る。
「あーはいはい。偶然な、偶然だよな」
「そ、そそ、そのとおり! ぐ、偶然……たまたま! さ、さあとにかく行こう、クノを待たせちゃ、いけない……へへヒヒヒッ」
「お、そうだな」
この話題は早くも終了と、足早にダンジョンを進むのぞみを、ボーゾは疑わし気な目で眺め続ける。
こうして斥候役を得たのぞみは、急ぎ足のまま躓くことなくダンジョン制圧を進めてしまうのであった。