145:こんな挑発で釣れるかニャー?
「へヒィイイ……ほ、ホントに、大丈夫……なの、かなぁ?」
のぞみの口から不安を滲ませた声が。
落ち着きなく貧乏ゆすりをする彼女が座っているのは、甲板と海を展望できる、物理的にも値段的にもお高い席だ。
一言で言ってしまえば艦長席というやつだ。
いつものレオタード魔女衣装で収まっていると、いささかシュールな絵面になる席であるが。
ともあれ、のぞみがいるここは、幽霊軍艦「生駒」のブリッジだ。が、フジツボと錆まみれの軍艦が浮かんでいるのは、スリリングディザイア海浜エリアの海ではない。
太平洋側の日本の領海だ。
しかし日本国土はすぐそこに見える程度であるので、わざわざ主張するまでもない距離ではあるが。
こののぞみの乗り込んだ生駒だが、老朽化した大型の客船をダンジョン化。それをベースに外装を作り替えた同型艦だ……ということになっている。
実際に古い船を土台にした、というのは嘘ではない。が、この生駒はスリリングディザイアで航行している生駒そのもの。
いわゆるフィールド上のを生贄に召喚! というやつである。
生駒そのものであるということはつまり、内部に幽霊軍艦としてのダンジョンを内包しており、それとは別にスタッフ用エリアはスリリングディザイアのスタッフエリアと直通状態となっている。
事前に通達をしたごく親しい相手以外にはこの事実は知られておらず、ただ単純に船舶を利用したスリリングディザイアの出張所であると表向きに発表した形で周知されている。
これは舵取りできているとはいえ、ダンジョンを内包したモンスターを放流していることに対する反感を買わないようにするための処置だ。
ちなみにそう言うことにしようと考え付いたのはのぞみではなく、渉外役を担っているウケカッセを中心とした魔神衆である。
「お、舵取り任せてる奴がアレだから不安になったか?」
「ヘヒッ?! や……そんなことは、ないよ? ヘヒヒッ」
貧乏ゆすりの止まないのぞみを見上げてボーゾが冗談めかした顔と声をよこすのに、のぞみはぎこちなくも首を横に。
「……ハンッ! どうせアタイは海賊さね」
そんな艦長席のやり取りに不貞腐れた声を上げたのは、舵輪を握る金髪の軍服女だ。
「ヘヒッ!? そそ……そんな、そこを疑ってるっていうか……不安にって、ことは……ないよ? ヘヒヒッ」
「そうそう「冒険心」の。俺らは何も、お前が今さら欲に走って略奪しにかかるとは思ってねえさ」
のぞみが慌ててフォローに入るのに対して、ボーゾはあくまでもニヤニヤとした笑いを崩さない。
そんなオーナーコンビを、冒険心の魔神アーシュラは肩越しに見やって鼻を鳴らす。
「どうだかね? じゃあ何がそんなに落ち着かないんだい? 帆船の舵輪からいきなり持ち替えたアタイの腕前かい?」
「い、いやいやいや!? そ、そこは別に心配もしてない、よ?」
「つーか、そこんところは転生して即ウチの海エリアで慣らし済みだろうがよ」
そう。今生駒の舵輪を握る冒険心のアーシュラは、スリリングディザイアに襲撃をかけて返り討ちにあった、異界の女海賊の転生体なのだ。
戦いの中で肉体を失い、海浜エリアの土台となるコアだけになってのぞみに吸収されていたのを復活させたのである。
「……魔神にして復活、転生って言っても……前のそのままじゃ、なくなっちゃう……から、私はどうかなって、思ってたんだけど……」
「経験してるサンドラやシャンレイがまったく気にしてないって言うか、むしろ提案してきた辺りは意外だったよな」
「ね? シャンレイさん、前は結構言ってきてたのに、今回は……すごくドライで、ね……ヘヒヒッ」
欲望を司る魔神へ……でなくても転生蘇生である。
取り込んだコアに残っていたものを丁寧に掬い上げ、限りなく正確に再現しようとたとしても、失われる前とそっくりそのままの人間が復活できるわけがない。
だからのぞみはコアを手に入れてもアーシュラを戦力に加えようとはしてこなかった。
「まあ、昔はあの二人とアタイは仲良くは無かったからね。まったく連携できないほどじゃなかったけれど……今じゃ、なんであんなに普段がギスギスしてたのか分からないくらいだけれどねえ」
しかし魔神化して復活した当人もまったく気にした様子がない。むしろしがらみが自分たちの間から消えていたことを喜び笑い飛ばしすらする。
「ヘヒッ……まあ、本人たちがいいなら、いいんだけども……」
「いい具合にしがらみを切り捨てて再誕できたわけだからな。生まれ変わりとしちゃ大成功って言っていいだろ?」
「いやー……そもそもが生まれ変わりなんてしない方がいい、と思うけども? もう一度だけ私をやりたい……なんて、土台ムリ、ムリムリ……ヘヒヒッ」
「違いないねえ。アタイらはこっちに来るのとのぞみのところで復活するのとで二回もアーシュラをやり直すチャンスが転がってきてるが、まずありえない話さね」
アーシュラは自分に巡ってきていた望外の幸運に、景気の良い笑い声を。
そうして自然と落ち着くまで笑った所で、改めてキャプテンシートののぞみへ振り返る。
「……で、不安がってるのはアレだろ? 奴らの本拠地近くに船で浮かんでおいて、ムキになって飛び出して来やしないか、だろう?」
アーシュラが得意気な笑みを添えて言うのに、のぞみは目をぱちくりと。
そして見事に内心を言い当てられていることに気づくと、目を見開いて前のめりに。
「き、気づいて、て? 分かってて? なのに!?」
イスから尻を浮かせたのぞみに、アーシュラは口角をさらに深く、高く上げて見せる。
「そういうことさね。いや、のぞみはいい反応してくれたよ」
「だろ? これだからのぞみの勘弁してくれって欲望に、おちょくりたい欲望が勝っちまうんだよな」
胸元から上がった台詞にのぞみが下を見れば、やはりニヤニヤとくすぐるように笑うボーゾと目が合う。
二人ともが分かった上でからかっていた。
それを察したのぞみは両手で顔を覆ってしまう。
この拒絶の構えに、ボーゾは苦笑しながら締め上げられて挟み込む圧力を一段あげた柔肉二つをペチペチと。
「悪かった悪かった。やり過ぎちまったな。機嫌直してくれって。今度はちゃんと加減するからよ」
「もうしない。じゃあないのかい?」
「ああ。のぞみのヤツ、ほどほどなら嬉しいからもっと構ってくれって欲望もあるんだ……」
「ちょ!? ま、まぁあッ!?」
「むっがっぐっぐっ!?」
唐突に秘めたる欲望を暴露しにかかる相棒に、のぞみは慌てて口封じに。
その結果、ボーゾは深い深い谷間に完全にうずもれてしまう。
苦しいと、冗談交じりながら主張したその直後にだ。
「あ、う!? ご、ゴメンゴメン」
からかわれたはずみでやってしまった事とはいえ、のぞみはボーゾに慌てて謝りつつ、谷間を緩めて解放する。
顔を出したボーゾは、体が欲するままに空気を取り込もうと深呼吸。
ほどなく人心地着くと、申し訳なさそうなのぞみへ苦笑を向ける。
「おいおい、図星を突かれたからって気をつけてくれよ? こんなことでサイズアップなんざしたかねえんだからよ。もったいねえんだからよ」
「また……そういうことを言う……」
「でも、実はまんざらでもねえ、だろ?」
「……ま、まぁねぇ……」
懲りない相棒にのぞみは眉根を寄せて目を逸らしたが、続く一言に作った不機嫌さがヘヒッと崩れる。
大慌てで止めようとしたように、のぞみが相棒・身内たちに限れば、軽く弄られる分にはむしろバッチコイだと思ってるというのは事実である。
「や、だって……身内から、無視されたりしてるよりは……ずっと、嬉しいし? ヘヒヒッ」
しかしそんなのぞみの口から飛び出した正直な気持ちは、経歴もあってなかなかに重たい。
間近で聞いていた、ボーゾとアーシュラをはじめとしたブリッジクルーをやるスタッフの全員が胃もたれしたように顔を歪ませる。
「あ、や……! もうそんなことはない、もうなくなった、から……気にしない、で……って、この空気作ったのは、私だけども……ヘヒヒッ」
「そこで自虐自嘲は止めとこうぜ、な?」
フォローになってないフォローをするのぞみに、ボーゾは苦笑交じりに突っ込み。
「……そ、それよりも、話、戻そう? なんか戻りかける度に……脱線してて……」
のぞみはヘヒヒと誤魔化し笑いに頭をかきかき。話の流れを戻そうと促す。
「脱線なんざ魔神連中での会議中とかじゃよくあることだけどな。歪んだレールにのっけた列車張りに」
「ね?」
「ほれほれ。また外れかかってるじゃないかい。で、えーと奴らが、英雄ちゃんたちがコイツに飛びつきゃしないか、だったね?」
アーシュラが握る舵輪を指さして言うのに、のぞみは繰り返し首を縦に振る。
「不安も分かるが、その辺の心配はないだろうさ」
「ヘヒッ? そ、その心、は……? 単にエサがぶら下がってる訳でもない、のに?」
のぞみが尋ねたとおり、生駒が今浮かんでいるのはケインたちの拠点のある地区のすぐ近く。いわば目と鼻の先である。
だがこれは単純に接近している、というわけではない。
のぞみはその場にいるだけで異世界の断片と結びついて出来たダンジョンを吸収する。
それは当然、発生前の種や卵と呼ぶべき状態のモノも含めて、いやむしろそれらを中心に。
それはよほど強く根付いたものや、のぞみのコアに引きずられない程に大規模なものを除いて、半ば自動的に。
スリリングディザイアのコアの大きさも、のぞみ自身の力も成長を続けてきた結果、もうのぞみが直に乗っ取りを仕掛けなければならないダンジョンというのは、そう多くはない。
つまり、こうして近場に浮かんでいるだけで、ケインの養分になるだろうダンジョンが彼らの手元から失われることになる。
最終目標はどうあれ、その達成にも何にも必要な力をかっさらっていくのである。
非常に有効な嫌がらせだと言っていい。
「敵の嫌がることをやれ……戦いの基本だけれど、それをあのサンドラとシャンレイが躊躇なく提案するとは。分からないもんさね」
「あー……分かる気が、する……ヘヒヒッ」
正攻法、シンプルな力と技の競い合い。そういう方向を好みそうな、寝返り組の魔神の顔を思い浮かべて、のぞみは引きつった顔のままうなづく。
「それで? 心配要らないって根拠は?」
そうボーゾに促されたアーシュラは思い出したように緩んだ表情を引き締める。
「これが挑発だって分かる分別は、あっちも持ち合わせてるだろうってことさね」
挑発し、誘い出す動きがあれば、本命が伏せていると考えるのが自然だ。
ましてやここは敵本拠地の目前で。わざわざここに浮かんでいる意味を少しでも考えれば、隠れ家がバレている、楽観視しても大まかなアタリはつけられていると見るだろう。
であれば、こんなあからさまな挑発に乗ろうとはせずに、喉元を狙うものが潜んでいないか警戒を強めることだろう。
「……のぞみに分かりやすく言うなら、そうさね……見えてる罠から違う罠を警戒させてるってところかね?」
「な、なるほど……そんな餌に釣られてたまるかって……構えてるところへ……へヒヒッ!」
解説の間、首を捻っていたのぞみであったが、トラップのたとえ話を聞くや途端に納得の顔を見せる。
そんなのぞみに、アーシュラは通じたことの満足半分、トラップ脳への飽きれ半分に苦笑しつつ、再び口を開く。
「で、明らかに釣り餌だけれども、ほったらかしにしてたらジリ貧必至な訳だから……」
その言葉を遮るようにブリッジの外が大きく揺れる。
ダンジョン化でブリッジの中と外とで断絶しているがため衝撃は伝わらない。が、のぞみは小さな悲鳴を漏らして艦長席で身を固くする。
対して舵輪を握るアーシュラは小揺るぎもせずに、窓に似せたモニターを見つめる。
「それなりの、適切なヤツが送り込まれてくるって、寸法さね!」
待ってましたとばかりの獰猛な笑み。
それが向いた先では、甲板に飛び降りたらしい鋼鉄の巨人が、逆立つ髪を模した排気口から大量の蒸気を吹き出していた。