128:献身を通り越して歪ですらあるドン引き欲望
「うぐッ……なんだこれは? ち、力が抜ける……?」
流れてきた甘い色香。
吸い込むと腰が落ち着かなくなるのに加えて、体と頭が眠気にのし掛かられるその香りにケインがぐらついたところを、サンドラの剣が襲う。
これを辛うじて受けたケインは、毒ガスじみた匂いに顔をしかめながらその源を探す。
「いっただきまーす!」
そこへベルノが、マグロの解体にでも使えそうなでかい包丁を大上段に躍りかかる。
これにケインは全身からオーラを噴出。その余波でサンドラを吹き飛ばして、食欲の唐竹割りを受け流す。
「ありゃ?」
「俺まで食うのかよ!? 悪食だな、まったく悪食だぜッ!!」
さばいてやろうとの一撃を逆にさばかれて気の抜けた声を溢すハチミツ色の食欲を、ケインは大きく振り抜いた足で押し返す。
そしてすかさず剣を腰だめに突きの構えに持っていき、厄介者の排除に踏み込む!
だがその刃はいきなりに割り込んだゾンビを突き刺すことに。
「オルフェリア!?」
何故か敵を庇う形で割り入った味方の下僕を消し飛ばしたケインは、前方へ大きく跳躍してこの場を離脱。
するとその直後、ケインのいた辺りに舞い散る烏羽のオーラが立ち込め、壁を作るように現れていたゾンビたちを瞬く間に小銭に変える。
「これは惜しい! あの合図が無ければ本人はともかく装備品をお金に替えてしまえましたでしょう……に!」
ウケカッセは指を鳴らすと、ケインの行き先を追いかける形で手をかざす。
そうして着地点や転がった先に待ち構えて生じた烏羽は、しかし踏み台になったスケルトンたちを小銭に変えるばかり。
「ううむ。なかなかにうっとおしいことで……ここは、モンスターを呼び出し続けるオルフェリアを仕留めておくべきでしょう」
呟いてじっとりとした銭ゲバの眼光をネクロマンサーに向けるウケカッセ。
これにオルフェリアは堪らず頬を引きつらせて掠れ笑いをこぼす。そして自分を守る壁とするようにアンデッドソルジャーを召喚する。
しかしこの警戒態勢に、ウケカッセは逆にほくそ笑む。
「そう来てくれるのを待っていましたよ」
笑みを浮かべての一言に添えて指をスナップ。
するとどうか。
オルフェリアを守る壁となっていた死霊の兵士たちが反転。召喚主に刃を向ける。
「なんとぉッ!?」
唐突な裏切り。
これにオルフェリアは堪らず仰天する。
その驚きぶりにウケカッセは笑みを深くする。
「ちょちょいのちょいと買収をさせていただきましたよ。地獄の沙汰も金次第と、ね」
そしてあっさりとネタバラシ。
ならばとオルフェリアは強制的に手下に引き戻そうとする。が、そこへゾンビの一体がなんの抵抗も無しに召喚主へ刃を突きだす。
しかし後衛と言えど、オルフェリアは英雄の戦いに戦力として加わっていたメンバーである。
とっさに身を捻って突きを回避。怨念を固めたかのような魔力玉を反撃に屍兵を打ち砕く。
それからもう一度と、別の個体へ再支配を試みる。が、結果は先と同じ。また自分の力で裏切った自分の手勢を蹴散らすことになった。
「そ、そんな……魂の支配が、お金だけで……ッ!?」
「ハハハ! まさかそれだけで覆るワケがないでしょう。魂を縛る手はこちらも持ち合わせているのですよ!」
「契約書!? 魂のッ!?」
更なるネタバラシにと見せられた書類の束に、オルフェリアはさらに愕然となる。
そう。ウケカッセはオルフェリアが呼び出した手勢と買収契約を結び、その支配権を買い取っているのだ!
ただ鼻薬を嗅がせて寝返らせたのとはワケが違う。金銭欲を、そして商売を司る魔神による契約である。本職のネクロマンサーだろうと書き換えを許さない強力無比の契約だ。
「シシッ……それだったら、追い返すだけよ」
ならばと送還を試みるオルフェリア。であるがしかし、ウケカッセに寝返ったアンデッドたちは小動もせずに召喚主を袋叩きにかかる。
奪われた手勢を取り返すこともできず、強制送還もできない。
こんなネクロマンサーでありながら、アンデッドモンスターによって取り囲まれて突破もままならぬ状況に陥ったオルフェリア。
しかしウケカッセはその状況を眺めながら、口を開く。
「どうです? あなたも彼らと同じようにしては? 我がマ……スターに味方をしてくれるならば、相応の報いをもってお答えしましょう。具体的にはダンジョンエリアの一角か、あるいは分割した子ダンジョンをひとつ任せてもいいとなるかもしれません。今のうちに味方していただければ、ですが?」
そうして出たのは商談であった。
報酬を、早期特典付録をちらつかせた、自分達側への寝返りを促す交渉であった。
一度交渉のために口を開けたウケカッセは止まることなく、更なる交渉材料を畳み掛ける。
「それにどの道、このままいかに尽くしたところで、あなたも英雄殿復活のための養分扱いにされるのは目に見えているのでは? サンドラのように」
動いた場合の得ばかりではなく、現状のままで陥るであろう損を重ねて。
つい先ほどの実例を挙げれば、多少なりとも不安をあおることだろう。
「それがどうしたのかな? シシシッ」
だがオルフェリアはいつものように笑いながら、手近なスケルトンを吹き飛ばして見せる。
「ふむ。交渉は決裂ということですね」
これにウケカッセは寝返り交渉を仕掛けたにも関わらず、まるで惜しんだ様子もなく引き下がる。
この結果が見えていた上で言ってみただけだったとばかりに。
「であれば、あなたの存在は我々には損失にしかなりませんね」
そう言ってウケカッセは契約書を片手に、オルフェリアが逃げ出せないようにアンデッドモンスターたちによる包囲網を狭めさせる。
しかしこの死臭の立ち込めた囲いの内側に何者かが飛び込む。
直後、オルフェリアを追い詰めていたアンデッド兵士がバラバラに吹き飛ぶ!
しかし爆風に乗ってバラバラになったそれらの断面は鋭利で、爆発で千切れたものではない。
それを成したの爆風の中心点。
ネクロマンサーと並び、オーラバーストの余波で髪や飾り帯をなびかせたケインの持つ剣である。
「ほう。睡魔と色欲に苛まれているでしょうに、ベルノとサンドラを振り切って援護にきますか」
バッドステータスを重ねられながらも囲まれたオルフェリアを救ってみせた英雄ケインに、ウケカッセは拍手を贈って称える。
「フンッ! 備えが無ければ確かに効いたが、あの程度欲望を御してさえしまえばなんの問題もないさッ!」
このウケカッセの称賛にしかし、ケインは鼻を鳴らして刃を一閃。オーラブレイドを飛ばす。
「ふむ? 欲を弾みに動く命でありながら、欲を否定なさるか?」
ウケカッセはつぶやきながら、正面から迫る刃を大きく跳んで回避。
しかし跳んだその先には、狙いどおりだとばかりに回り込んでいたケインの姿が!
「いらっしゃーい! いただきます!」
だがこの形を待ち構えていたのはケインばかりではない。
大包丁を振りかぶったベルノが、まるで示し合わせたかのようにケインへ切りかかる。
これにケインは歯噛みしつつ身を捻り、刃をぶつけて防御。
そこへさらに頭上に現れたサンドラが足前に呼び出したショートスピアを蹴り出す。
間髪置かずの上からの奇襲であるが、これもケインは弾き凌ぎながら地面へ。
だがその瞬間を待っていたとばかりに突き出される将希のパイルバンカースピアが!
引き金を受けて伸び迫るこれに、流石のケインも冷や汗を流してその先端を逸らす。
しかしそれもつかの間、ベルノとサンドラがケインをその場に釘付けにするように切りかかる。
そうしている間にウケカッセは鴉羽を散らしてケインの間合いから離脱。オルフェリアへ手をかざす。
これをオルフェリアは換金前提のアンデッドソルジャーを呼び出して盾にする。
そうして手下を目くらましにしてネクロマンサーは離脱しようとする。
しかしそれを見逃すウケカッセではない。
すかさず離れていこうとする陰に回り込み、隠れ蓑の闇を剥ぐ。
「さて、ここらで一人くらいは排除して戦力差を稼ぐくらいには色気を出しても良いでしょう」
そしてオルフェリアが苦し紛れに出した怨念玉をかき消し、王手をかけにかかる。
「オルフェリア! 来いッ!」
「喜んで……シシシッ!」
しかしその瞬間にかかった呼び声に、オルフェリアの体が吸い寄せられるように飛ぶ。
そして銀髪のネクロマンサーは、ほくそ笑むままに英雄の手に。
「そんなッ!? 自分から食べられに行くーッ!? いくら食欲満たさせたいからって、私だって滅多にお食べなさいよーなんてやらないのにーッ!?」
ベルノを始め、信じられないものを見ていると頭を振る面々。
対してオルフェリアは光と溶けながら笑みを深めて見せる。
「肉体も魂も捧げてひとつに。ずっとやりたかったからね……キミらに分かりやすく言えば、私はずっと、昔からずぅっと……そういう相手が、そうする場所が欲しくて探してたの……シシシッ」
ケインに吸い込まれるままに消えたオルフェリアが残したのはこの言葉だけ。
彼女自身が語った通りに身も魂も、最後の言葉の他は、銀の髪の毛一本分も残すことなく捧げる形で。
サンドラの時と違い、割り込む間もなく終わってしまったのは、吸収させる側もそれを望んでいたためか。それとも中途半端にとはいえサンドラからも奪い取っていたためにか。
「ありがとうオルフェリア。かつてはできなかったが、ようやくお前の願いを叶えてやることが出来たな」
そして違いは吸収の速度ばかりではない。
女の献身に感謝を告げたケインが、拳を握るや、その黒髪から色が抜け落ちる。
色の抜けた髪は白に輝く。
しかしその輝きは、光を跳ね返しての月のそれではなく、繊維の奥から光を放つ太陽のもの。
その輝きと共に広がる威圧感に、サンドラと将希、ウケカッセにのんきなベルノに至る全員が警戒も露に身構える。
髪色を変え、心なしか顔立ちも変わったケインは双剣を構えるサンドラを一瞥し、ため息をひとつ。
「……こうなっても無反応……どうやら本当に俺の事が頭から抜け落ちてしまったようだ。失くなってしまったか」
「抜き取ったのはあんた自身だろうがッ! それに今また身内を食ったあんたが言えたことかよッ!!」
憂い気なケインに対して、そちらにその権利はないと将希が一喝。
これにケインはため息混じりに首を横に振る。
「一時俺と融合して力を貸してもらう。それだけのつもりだと言ったはずだ。言ったよな? 本人が望めばまた完全な形で復活させてあげられたんだ。融合そのものを願ってたオルフェリアはその限りじゃない。例外だが」
ケインが言い分を語り終えた次の瞬間、将希の眼前に光の刃が現れる。
なんの前触れもないこれに、将希は構えていた機械槍を上げることもできない。
が、そのまま将希を両断するはずの刃はサンドラが横合いから突き崩してかき消す!
「ど、ども……」
「お礼は落ち着いてから改めて、ね……落ち着けるかどうかは、分からないけど……」
半ば反射的に礼を言う将希を背後に隠して、サンドラは振り返らず、構えを崩さずに英雄に対峙する。
将希を庇い、油断なく向き合うサンドラの顔にはじっとりと汗が。
しかし闘争心の魔神と化したがためか、目の前の強敵に対してその唇には笑みが浮かんでいる。
「ずいぶん楽しそうな顔をするじゃないか。うん、楽しそうだ」
「フフ……戦いとはやはり勝てるか勝てないか……ギリギリのところが一番面白いものだからな」
そうして対峙する両者の間で、空気が固く張り詰めていく。
そんな軋み音さえ聞こえてきそうな錯覚を覚える空気を、割り込みかき乱すモノが!
「ヘヒッ」
「のぞみ殿ッ!?」
それはベッドそのものなサイズの枕に乗っかったはだけワイシャツ姿ののぞみであった。
この乱入にケインはオーラを纏う剣を振るい、それにサンドラが反射的に応じて刃を結ぶ。
「おっし、お前らよく粘ってくれたな! 撤収するぞッ!」
だがボーゾが手を叩いて宣言するや、スリリングディザイア組はこの場からドロン。
当然サンドラも一緒に瞬間撤収。ケインの二の太刀は見事に空を切る。
そうして放たれた刃はぐったりと横たわった巨大人形の頭を切り飛ばす。
だがそうしてできた断面から覗くのは、もぬけの殻になった人質用のカプセルばかり。
「自分の欲しいものは何一つ手放さずに持っていったか……おどおどした態度のわりに、抜け目なくやるものじゃないか。ああ、やるものだな」
してやられて取り残された形のケインはしかし、つぶやき楽しげに頬を緩めるのであった。