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1:ネガティブ女と欲望の魔神

 この世の中に、自分のいる意味がどれ程あるのだろうか。


 手塚のぞみの心にはそんな疑問がこびりついている。


 まるで中二の少年少女のような考えだが、のぞみはその時期を数年前に過ぎた女子大生だ。

 大学生とは言うものの、通っているのは、胸を張って自慢できるようなところでもない。

 友人もネットにしかいないし、家族からも疎まれている。


 ぶっちゃけてしまえば、ぼっちというやつだ。


 その原因は分かっている。


 店内から夜闇に染まったコンビニのガラスを見れば、そこにはもっさもさの黒いものに包まれたミノムシがいる。


 そのもさもさの隙間からのぞく目の下には濃いくまが出来ている。

 肌は白いが、生気のない青白さであるのでくまと相まって不気味でしかない。

 これで着ている服が着物か何かであればまるで幽霊女だっただろう。だがあいにくと、小柄な体を包んでいるのはよれた小豆色のジャージだった。

 これでは風情も何もあったものではない。


「へヒヒ……お化け、か」


 そんな連想が漏れてしまったのか、笑い声を聞いた店員がビクリと体を震わせる。

 驚かせてしまったことを申し訳なく思いながら、のぞみは小走りにその場を移動する。


 これがぼっちになる原因だ。


 身だしなみの無頓着さと、それと重なった挙動不審な言動が、不気味さを醸し出して人を遠ざけているのだ。

 そして何より、それを自覚しながら直そうともしないだらしなさが、だ。


 こんな性根からのぼっちが世の中でどれほど役に立つというのか。


 そんな風に自嘲するのぞみの目は一冊の雑誌に止まる。


「……ダンジョン」


 そんな単語が前面に出ているのはゲーム雑誌でもなければコミック誌でもない。

 ごく真面目なビジネス誌だ。


 数年前のある時を境に、それは唐突に世界各地に現れ始めた。


 何の前触れもなく開いた洞穴。

 朽ちかけた廃屋。

 それらの奥に、怪物の徘徊する異空間が発生するようになったのだ。


 突然のおとぎ話の現実化に人々は混乱した。


 だが人類はたくましかった。


 “味を見てみよう”


 誰かがそんなことを言い出して調理をし始めたのを皮切りに、ダンジョンから得られるモノが活用され始めたのだ。

 こうしてはじまったのが、現在の経済を引っ張るダンジョン景気というわけだ。


 もっとも、何事もいいことづくめとはいかないものなのだが。


「でも多少景気が上向いたって言ってもね……」


 コンビニ袋を提げたのぞみは、暗い帰り道を行きながら独り言をこぼす。

 自分を使おうとしてくれる所が見つかるとは思えない。

 よしんば仕事が見つかったとしても、そこが自分の居場所になってくれるだろうか。

 世間がどうあろうと、どこまで行こうと、脱ぼっちを果たした自分が想像できない。


「……そんなつもりもないクセしてね。ヘヒヒッ」


 のぞみはそう自嘲して、青信号を渡り始める。

 しかしその途中、のぞみは勢い緩めずに迫る光に気づいて顔を向ける。


「へ?」


 間の抜けた声と共に、細めた目が見開かれる。

 大きなトラックが、ブレーキもかけずにのぞみへ突っ込んで来ていたのだ。


 なんで?


 青信号。


 死ぬ?


 私悪くない。


 転生しちゃう?


 痛い?


 おしまい?


 終われる?


 壁のような車体が、異常にゆっくりと迫るのを見つめるのぞみの頭は、本人が驚くほどにクリアで。

 いくつも言葉が、思いが、透き通った思考の中を流れよぎっていく。


 だが浮かんでは消えていく思いとは別に、のぞみの心を支配するモノがある。


「イヤ……!」


 生きたい!


 反射的に身を守るのぞみの願いはただ一つ。


 目の前に迫る死に反する、純粋な欲求だ。


―いいぞ! いい欲望だ!―


 死に際の妄想か、のぞみはそんな声を聞きながら固く目を瞑る。


 しかし、すぐに来ると思っていた衝撃は来ない。

 息を止めて身構えていたのぞみは、おそるおそると目を開ける。


 そんなのぞみが、まず目にしたのは掴みかかってくる両手だ。

 いや、正確に言えば、金糸で刺繍された両手の絵だ。

 何でも、何もかもをもぎ取り、手に入れようという欲深さを感じさせるエンブレムであった。


「大丈夫か?」


「ヘヒッ!?」


 目の前にあるのが、そんなエンブレムを縫いつけたマントの背中である。そうのぞみが認識したところで、頭上から声がかかる。

 のぞみがそれに跳ねるようにして顔を上げれば、鮮やかな金色が目に入る。


 夜闇の中、わずかな街灯や月明かりを吸い込んで輝いているかのような艶やかな金の髪。

 それに連なった白く整った顔。

 そこに収まったまた鮮やかな黄金の瞳が、のぞみを見下ろしている。


「大丈夫そうだな。それで、いつまで固まってるつもりだ?」


「へ、ヘヒヒ、そう、ですね。そうでした」


 絵画か彫刻でしかまずお目にかかれない、幻想的な美男子から重ねて声をかけられて、のぞみは上ずった声で何度もうなづく。


 そうしてのぞみが、そそくさと横断歩道を渡りきって振り返ると、黄金の美男も後に続く形で歩いてくる。

 その間、男の手は停止したトラックにかざされたままだ。


 そう。のぞみをはねるはずだったトラックは、まるで時間が止まったかのようにその動きを止めていたのだ。


「そら。眠気覚ましはおまけだ」


 黄金の男は道を渡りきると、そう言って軽くかざしていた手をスナップ。

 すると止めていた映像が動き出すかのように、静止していたトラックが走り出す。


「た、助かった……? ヘヒ、助かったの?」


 遠ざかる赤いテールライトを見送りながら、のぞみはへなへなとその場にへたりこむ。


「い、生きてる……よかった! 本当に、死んだ、かと、ヘヒ! ヘヒヒ!」


 そして自分自身を確かめるように、身体中に触れながらひきつった笑い声を上げる。


「あ、ありがとう、ございました。あの……危なく、死ぬかと……ヘヒヒッ」


 自分の存在を手で確めたのぞみは、へたりこんだそのまま、目の前の恩人に頭を下げる。

 それに黄金の男は笑みを返す。


「なんの。感謝するのはこっちの方だ」


「ヘヒ?」


 降ってきた言葉と笑顔に、のぞみが首をひねっていると、黄金の男は掴まれとばかりに手を伸ばす。


「混じりっけ無しのいい欲望だった。おかげでこっちの世界に来ることができた!」


「こっち、の?」


 のぞみは男の言葉の意味が飲み込めないまま、しかし差し出された手を素直に取る。

 そして握手が交わされた瞬間、ふいに男の体が空気が抜けるように縮む。


「な……」


 金色の色合いと、手をつないだのがそのままだから同一人物には違いない。しかしその体は、青年のものから、少年にまで服もろともに小さく縮んでしまっている。


「なんじゃこりゃあああッ!?」


「こ、声まで、変わった」


 そんな己の変化に対する金の少年の嘆きが、夜の町に響いた。

十二月二十日まで連日更新します。

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