覇王の道
「……おまえが優勝者か」
クラリスとの別れを胸に刻んでいたテレーゼに、背後から声が掛かる。
そしてテレーゼは気づいた。
自分は今、とんでもない間違いを犯してしまったことに。
ぎぎぎ、とテレーゼはぎこちない動きで振り返る。
(……そうだ……私、優勝しちゃったんだ……)
つまり、あのリングで優勝したということは。
テレーゼの背後には、無表情の美貌の男が立っていた。
「……テレーゼ・リト覇ルトだったか。おまえを私の妻に迎えよう」
な、なんだってー!?
おかしい、こんなはずではなかった。
(えーっとえーっと、私は確か、大攻妃の専属女漢を目指していたんだよね? そうだよね?)
だというのに、これはいったいどういう状況なのか。
「……え、えーっと……レオン大攻?」
「なんだ」
「その、わたくし、大攻妃になるつも」
「何か文句でも?」
切り捨てるように言い放つレオン大攻。どうやら彼は(そういう風には見えないが)、テレーゼを妃にする気満々のようだ。
(違う! そんな人生設計じゃない! 私は女漢になって覇道を極めたいのーっ!)
観客たちもテレーゼの異様な雰囲気に気づいたのだろう。辺りがざわざわする中、観客席から駆けてくる人影が。
「テレーゼ様!」
「あっ……」
すばらしい跳躍力で審判席を跳び越えたリィナはテレーゼの真横に着地し、そっと肩に手の平を置いた。
「テレーゼ様、ご無事ですか!」
「わ、私は……」
「なんだ」
レオン大攻が胡乱な目でリィナを見やる。そして、その霞が掛かったようだった青の目に、生気が宿る。
「……リィナ?」
「え、知り合いなの、リィナ?」
「いいえ。……お下がりください、テレーゼ様。この男は、レオン大攻ではありません!」
堂々としたリィナの声に、会場のあちこちからひときわ大きなどよめきが上がる。
レオン大攻はそれまでの威厳はどこへやら、戸惑ったようにリィナを見つめだした。
「な、何を言っているリィナ? 僕は……」
「この男は先日の夜、私に背後から襲いかかろうとした痴漢です! 間違いありません! そんな痴漢が大攻なわけないでしょう!」
リィナはテレーゼを庇うようにレオン大攻との間に立ち、凶悪な眼差しで大攻を睨み付ける。
「その証拠に、ほら! 後頭部が腫れています! 私が投げたときに井戸に頭をぶつけた証拠です!」
「そ、そうなのですか、大攻殿下?」
「…………いや、確かに投げられたけど……」
「やだっ! それじゃあこの人、偽物!?」
「誰か兵を呼んで! 殿下の名を騙る偽物よ!」
周りの女性たちも、絶叫をあげている。彼女たちが腕まくりをして迫ってくるものだから、レオン(偽?)は焦ったように目の前で手を振り始めた。
「違う! 私はレオン・ア喰らうドだっ……」
「問答無用!」
そこからのリィナの動きは、素早かった。
リィナは片手でレオン大攻の胸ぐらを掴み、ずるずるとリングまで引きずり上げる。観客たちが驚きの眼差しで見る中、リィナはにっこりと、レオン大攻に微笑みかけた。もちろん、胸ぐらを掴み上げて自分の目の高さまで相手を持ち上げた状態のままで。
「……最後に何か言い残すことは?」
「ち、違うんだ。リィナ、僕はノエルで……」
「……私の思い出を汚すなぁぁぁぁぁぁぁっ!」
アリーナの天井を震わせるような怒声。レオン大攻の体がぐるんぐるんと宙を舞い、そしてハンマー投げのように勢いを付けて放り投げられた。
大攻の体が、飛ぶ。高く、高く。
ゴカッ! と鈍い音を立てて、先ほどまでリィナが座っていた席の辺りに尻からぶつかる大攻。頭だったら即死モノだっただろう。
「私のノエルが、おまえみたいな痴漢なわけないだろうがぁっ!」
リィナの遠吠え。テレーゼはなすすべもなく、勇ましく吠えるリィナを見上げていた。
――そして、思い出す。
ソフィア太后もかつて、「リングで戦って夫となる大攻を投げ飛ばした」人だった。
(ひょっとして、リィナは……)
テレーゼは腕を組み、何とも言えない思いでリング上のリィナを見上げていた。
結論から言うと、レオン大攻は本物だった。
とするとリィナの発言は侮辱罪になるのだが、大攻自ら「夜中に女性の背後から近付いた」と認めたため、喧嘩両成敗になった。ア喰らうド公国で女性の背後から忍び寄るのは、「私は変態です。どうか好きなだけ罵倒してください」という意味なのだから。
だがレオン大攻はリィナに投げ飛ばされた結果、「嫁なんてこりごりだ」という結論に達したという。話を聞くと、幼い頃に出会ったリィナに一目惚れしたのはいいものの、平民である彼女をどうやってリングに上げればいいか分からず、しかも当の本人には変態に間違われるものだから、もうどうにでもなれという思いで儀式に臨んだのだという。だから、優勝者のテレーゼに対してもあんな素っ気ない態度だったのだ。
「ってか、リィナが私の付添人になったって、知らなかったの?」
「知らなかったそうよ」
テレーゼの問いに、のんびりとリィナが答える。
二人は今、馬車に乗ってなだらかな馬車道を進んでいた。向かう先は、ア喰らうド公国辺境の田舎。
といっても追放とか蟄居刑ではない。二人は仕事として、この僻地に赴いたのだ。
テレーゼとリィナ、二人の胸元には神々しく輝く筋肉をモチーフにしたバッジが。これは、ア喰らうド公国随一の女傑に贈られる階級章。
レオン大攻が極度の女性不信になり、「結婚するくらいなら遠縁の親戚に大攻位を譲りたい」とまで言い出したため、レオン大攻のお妃選出はおじゃんになったのだ。近いうちに大攻家の遠縁から次期大攻が選び出され、その人物がレオン大攻の代わりに大攻に就任するだろう。
そして。
あれだけやらかしたというのに、ソフィア太后はテレーゼとリィナとを存分に気に入ったようだ。というのも、二人に階級章を授けたのもソフィア太后なのだ。
ソフィア太后は腑抜けな息子にはもう興味がないらしく、「女の子の部隊って素敵だわ!」と、お妃候補として集められた他の令嬢にも声を掛け、「ソフィア太后遊撃隊」を作り上げた。テレーゼとリィナは遊撃隊の隊長格で、ア喰らうド公国の平和のため、国中を駆け回る任務を授かったのだ。
これがまた、楽しい。箱入り令嬢だったテレーゼはもちろん、官僚職を辞したリィナも毎日キラキラの笑顔で蛮族を刈り取っている。
「テレーゼ様、マリエッタ・コートベイルたちが目的地に着いたそうよ」
「よし、じゃあ私たちも頑張らないとね!」
テレーゼはそう言って、馬車の車窓から吹き込んでくる春風を思いっきり吸い込んだ。
これは、後に「覇王」と呼ばれるテレーゼ・リト覇ルトの、始まりの物語。