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大攻妃のリング

 いよいよ「リングの儀式」当日。


「テレーゼ様、体調は?」

「ばっちりよ」

「ストレッチはしましたか?」

「ばっちりよ」

「痛む箇所はありませんか」

「どこもないわ」


 メイベルの質問に答えつつ、テレーゼは鏡の前でぱしん、と左手の平に右拳を叩きつける。


 今日、ついに「リングの儀式」が行われる。日々の鍛錬の結果を発揮するときだ。

 といっても、魔力が掛かった伝説のリングは、大攻妃だけが生き残れるのだ。他の者は、どう足掻いても勝つことができない。八百長だといえばそれまでだが、まあ、考えるのが面倒なので、誰もそこまで突っ込まなかった。


 ちなみに大攻の母親であるソフィア太后はかつて、互いに流血しながらの死闘を繰り広げ、最後には対戦相手をぶん投げて審判席を大破し、嬉しさのあまりそのまま先代大攻も投げ飛ばしたと言われている。ソフィア太后の実家は、投げ技に定評があったという。


「伝説のリングなんだから、勝てないのは分かっているわ。それでも、最終決戦まで残ったら女漢に推薦されるんでしょう?」


 テレーゼが問うと、リィナが頷いた。今日のリィナもぱりっとした格闘着姿だ。


「そのようです。というのも、ソフィア太后の専属女漢が決勝戦で投げ飛ばされた令嬢だったそうなのです。審判席まで投げ飛ばされ、頭から血を吹き出しながらもソフィア太后の強さを褒め称えた彼女に、先代大攻が称賛を贈って妻の専属女漢に据えたそうですね」

「ソフィア様と専属女漢のお二人が若い頃は、国内で蛮族被害が出たならば二人でタッグを組んで蛮族を殲滅しに行ったそうです」

「へー、すごい!」


 メイベルの補足に、テレーゼは目を輝かせる。やはりソフィア太后の武勇伝はすばらしい。


(いつか私も、そうやって覇王として伝説に……きゃっ!)


「……ひとまずはテレーゼ様、今日の儀式で最終決戦まで生き残らなければ始まりませんよ」


 リィナに冷静に指摘され、テレーゼは頷く。

 「リングの儀式」で、ギリギリまで生き残る。

 そのためにテレーゼは今日この日まで、リィナとメイベルに扱かれてきたのだ。


「やってやるわ……わたくしの覇道のために!」

「頑張ってください、テレーゼ様」


 メイベルとリィナの応援を受けて、テレーゼはぐぐっと力こぶを入れてみせた。









 以前ソフィア太后主催で開催された、武術大会。

 「リングの儀式」はその時と同じ場所で開催された。

 ただし、アリーナの中央に据えられたリングの種類が違う。


「あれが……ア喰らうド公国に伝わる、伝説のリング……」


 アリーナに入ったテレーゼは、神々しく輝くリングに息を呑む。あのリングで、代々の大攻妃候補たちが死闘を繰り広げてきたのだ。優勝するつもりはないが、あまりにも荘厳なリングの姿に胸が感動で震え、涙がこぼれそうになる。


「素敵……あんなリングで戦えるなんて、私、もう死んでもいいわ……!」

「死んだら女漢にはなれませんよ」

「はっ、そうよね、ありがとうメイベル!」


 控え室でささっと仕度を済ませ、いざ試合の場へ。

 一月間で、令嬢の数は三十数名から二十名程度に減った。どれも彼も、過酷な鍛錬と手合わせの日々の中で倒れた者で、数名は骨折者も出たとか。

 だが、ここで怯んでいてはならない。


「テレーゼ・リト覇ルト殿、マリエッタ・コートベイル殿!」

「頑張ってください、テレーゼ様!」


 応援席でリィナとメイベルが歓声を贈る。彼女らはリングの近くまでは来られない。

 リングのロープをくぐって舞台に上がったテレーゼはしっかりと、目の前で構えを取る伯爵令嬢を見据える。


(負けない! 私の対戦相手はみんな、リィナたちがいるところまでぶっ飛ばしてやる!)









 ルールは簡単。先にリングから落下した方が負け。

 技の禁止はない。骨を折ろうと靱帯を切ろうと、噛みつこうと髪を引っこ抜こうと自由。これは明確なルールの中で守られた格闘技ではなく、弱肉強食の中を生き残る、バトルロワイヤルなのだから。


 対戦相手を千切っては投げ、千切っては投げ。


 マリエッタ・コートベイル戦では、宣言通りリィナの席まで投げ飛ばし。

 次の相手は、ヒィヒィ悲鳴を上げるまで叩きのめし。

 三人目は、回し蹴りでリングから叩き落とす。


 四人目の対戦相手は、フェイント技の使い手だった。


(リィナがいなかったら、絶対にやられてた……!)


 リィナとはまた癖が違うが、リィナとメイベルに叩き込まれた「相手を見る」「ほんのわずか、待つ」訓練の成果が出た。

 相手の令嬢が繰り出したのは、右脚の蹴りと見せかけて左からのストレート。わずかな爪先の向きの違いで、テレーゼは令嬢の意図を見抜いた。


 相手の目が驚愕で見開かれる。反撃の隙を与えず、テレーゼは横腹に裏拳を叩き込んだ。

 バランスを崩したところの脚を払い、リングの外まで蹴り飛ばす。どしゃ、と対戦相手の体が床に潰れ、レフェリーがテレーゼの勝利を告げた。


「さすがです、テレーゼ様!」


 よろよろと観客席に戻るテレーゼに、リィナが冷たく冷えた水を差しだしてくれる。ほんのちょっぴり塩気の混じった、甘辛い水だ。


「くしくも最終決戦相手はクラリス・ゲイルード公爵令嬢ですね」


 彼女の隣でトーナメント表にチェックを入れていたメイベルが唸る。メイベルは勝敗だけでなく、どんな技で勝利したのかまで記録していた。トーナメント表は既に、研究熱心なメイベルの手によって真っ黒になっていた。


「ご覧ください、テレーゼ様。決戦相手のクラリス嬢の勝利履歴です」

「ん? ……これは……」

「はい、全て関節技です」


 メイベルが重々しく告げる。

 クラリスの戦闘風景は何度か見学できたが、なるほど、感心のため息しか出てこない。

 素早く相手の身体を捉え、肘関節を拘束する。あり得ない方向に肘関節をねじ曲げてリングに体を叩きつけた後は、動けなくなった相手をリングの外にぶん投げる。


「つまり、クラリス嬢に肘を掴まれたらお終いだと思ってください。関節技の回避方法は、何度もお教えしましたね?」

「……ええ、でもメイベルとクラリス様とでは、また方法が違うわよね」

「そうですね。ゲイルード公爵家は関節技で栄えた一族。関節技への思い入れと熱意は並大抵ではありません」


 ふむ、とテレーゼは唸る。

 テレーゼとクラリスとでは、クラリスの方が若干身長が高く、手足も長い。力はテレーゼの方が上だが、あちらの方が動きも素早い。


 クラリスも、テレーゼの戦闘スタイルは把握しているだろう。となれば、クラリスはテレーゼに力負けする前に決着を付けるはずだ。

 それはテレーゼも同じ。相手に肘を拘束される前に、リングの外に叩き出すのだ。


「……大丈夫。なんとかなるわ」


 レフェリーが最終戦の開始を告げる。テレーゼは空になった容器をリィナに返し、にこっと微笑んだ。


「待っててね。絶対勝ってみせるから!」

「テレーゼ様……!」

「クラリス・ゲイルード殿、テレーゼ・リト覇ルト殿!」


 レフェリーが朗々と最終決戦の組み合わせを呼ぶ。それと同時に、それまでずっと空席だったロイヤルシートに向かう姿が。


(あれ、大攻って今来たの? 何よ、最初からずっと見ていなさいよ)


 テレーゼは最終決戦だけ見に来た大攻にべっと心の中で舌を出してやり、リングのロープをくぐる。

 今日のクラリスもやはり、深紅の格闘着姿だった。見事な縦ロールの金髪が照明を浴びて眩しい。


「あら、やっぱりあなたなのね」

「お久しぶりです、クラリス様」

「ふーん……まあ、最終決戦の相手としては不足はないわね」

「ええ、わたくしも同じことを思っていました」


 テレーゼは笑う。クラリスも、真っ赤な唇の端を持ち上げて笑った。

 ――試合開始のゴングが、鳴り響く。









 試合開始直後はやんやの喝采が飛び交ったアリーナだが、今は誰も喋ることなく、息をすることすら忍ばれてるかのような空気になっていた。

 それもそのはず。最終決戦の舞台に立った二人の令嬢はゴングが鳴ってどれほど時間が経っても、びくとも動かないのだ。

 両者とも構えは取っているが、動かない。リングの両端に立ったままなのだ。


 二人は、待っている。


 テレーゼは、クラリスに肘を掴まれないように一撃必殺を。

 クラリスは、テレーゼの攻撃を受ける前に関節技を決めることを。

 下手に飛びかかれば必ず、返り討ちに遭う。それが分かっているからこそ、どちらも動かないのだ。


 誰かが小さく息を呑む。その音すら、広大なアリーナ中に響き渡る。

 誰も、音を立てない。誰一人として――


 ――動いた。


 クラリスの右脚が、わずかに下方に引かれ――


「っ!」


 テレーゼはじりりとした殺意を腕に感じ、ぐるっと回転するように身を捻る。間一髪、直前までテレーゼの腕があった箇所をクラリスの右手が過ぎっていく。


 ――始まった。


 テレーゼは身を翻し、リングのコーナーポストにぶつかる直前で体の向きを変える。ガッ! とクラリスの拳がコーナーポストにめり込む。

 テレーゼも防戦一方ではない。コーナーポストにクラリスが気を取られた一瞬を狙って、唸る回し蹴りを放った。クラリスは一瞬だけ体勢を崩したものの、しなやかに体をうねらせ、テレーゼの蹴りを回避する。

 敵同士であることが悔やまれるほどの、美しい武術だった。


(でも、負けない!)


 闘志の炎を瞳に宿したテレーゼは、くるりと身を翻した。豊かな金髪がアリーナの照明を受けて、輝く。一瞬、クラリスが眩しそうに目を細めた。

 ――隙ありだ。


「……せぇぇぇぇぇぇぇぇい!」


 懐に潜り込む。関節技を決めようと伸ばされた手を払い、もう片方の手でクラリスの戦闘着の胸元を掴み、力の限り振り回した。

 クラリスの長身が宙に浮き、そのまま勢いを付けてぶっ飛ばされる。


「うぎゃあああ!」


 クラリスが猛禽類のような悲鳴を上げ、審判席に頭から突っ込む。女性レフェリーがすばらしい反射神経で避けたため、クラリスの体は椅子や様々な器具をなぎ倒しながら、床に転がった。


「そこまで! 勝者、テレーゼ・リト覇ルト殿!!」


 カンカンカンカン! とけたたましく鳴り響くゴングの音。テレーゼは急ぎリングから飛び降り、床に大の字に倒れ伏すクラリスを助け起こした。


「クラリス様……」

「わたくし……未熟でしたわ。あなたの投げ技を受けて、なんだか、目の前がすっきりした気分ですの」


 大破した審判席からむくりと起き上がったクラリスがそう言って、深いため息をつく。


「わたくしが……?」

「そう。……力とは何なのか。わたくしたちが目指すべき覇道とは何なのか、それが見えた気がしますの」

「クラリス様……」

「でも! わたくしはゲイルード公爵家の姫! 今回は……そう! 勝ちを譲って差し上げましたが、これで終わりだと思わないことですわ!」


 そう言ってクラリスはびしっと指を突き付けてくる。髪もボロボロで息も切れているのに、凛とした姿が美しい。


「覚えていなさい、テレーゼ・リト覇ルト! わたくしはこれから諸国を回り、今以上の力を付けてきますわ! それまでせいぜい、わたくしに負けぬよう努力することね! オーッホッホッホ!」


 クラリスは高笑いと共に、くるりと踵を返した。救護班が手当てを申し出るが、尊大に手を振って拒否する。

 クラリスが堂々とした足取りでアリーナから去っていく。テレーゼはなんだかその背中が眩しくて、目を開けていられなかった。

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