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リィナと変態

 リィナと二人、庭園の奥に進むと予想通りの展開になっていた。

 令嬢や付添人たちを引き連れているのは、クラリス・ゲイルード公爵令嬢。そんな彼女の足元に倒れ伏すのは、あまり見え覚えのない令嬢。格闘着には泥の染みがあり、クラリスに敗北したことが察せられた。


「ドブネズミの分際でわたくしに逆らうからよ! 身の程を知りなさい!」

「ちょっと、何をなさってますの!」


 堪らずテレーゼは口を挟む。クラリスは訝しげにこちらを見てくる。

 なるほど、かなりの美貌だ。深紅の格闘着を着こなしており、彼女の周囲にはビリビリと目に見えない緊張の糸が張り巡らされている。


(この人……やるわ……!)


 クラリスはリィナを見つけたのか、目を丸くする。


「……んまぁ……平民の分際で『足技禁止部門』で優勝した無礼者じゃない。ちょっと有名になったからと言って、何様なの?」

「もう一度ここで勝負しますか、クラリス様?」


 リィナも負けじと言い返す。ぼきぼきと、両手の関節を鳴らして。


「組み手の練習と言えば、鬱陶しい衛兵も飛んでこないでしょう。いかがですか?」

「おまえ……! クラリス様に何という口を!」

「あの日は偶然、クラリス様がかかとを痛めていたから勝てただけだというのに!」

「声帯潰されたいの!?」

「眼球抉られたいの!?」

「内臓引っこ抜かれたいの!?」


 気が付いたらクラリスの取り巻きたちが騒いでいる。というか、クラリスの子分がいたことに今気づいた。

 クラリスはフンと鼻を鳴らし、足元に倒れる若い令嬢を爪先で軽く蹴り飛ばす。


「御免被りますわ。この小娘も、わたくしに盾突いたからこうなったのですわ。伯爵令嬢の分際でわたくしにタイマンを張るからですわよ」

「タイマンしたのですか」

「そう。それがこの様。おまえたちも、痛い目に遭いたくなかったら退散したらどう? 大切な儀式の前に骨折したくなければね!」


 きゃはは、とクラリスの取り巻きたちが爆笑する。興奮のあまりバシバシと近くにあった木のベンチを叩くものだから、粗末なベンチが大破した。

 テレーゼはムッとして、クラリスを睨み返す。


「……クラリス様、大攻殿下のリングは大攻妃にふさわしい女傑を選ぶための戦場。力だけが全てでは、ないのでは?」

「……なんですって?」

「代々の大攻妃は、その腕力もさることながら、夫である大攻を完全に尻に敷き、調教してきたと言われています。となれば、当代の大攻を御せるか否かは、なにも腕前だけでは決められません。それをお忘れでなくって?」


 テレーゼは大攻妃の椅子には興味がない。目指すは覇道。大攻妃の右腕である女漢。そもそも大攻妃と女漢では、必要とされる素質が違うのだから。


 持論に水を差されたのが気にくわないのか、クラリスの顔が歪む。そこへ――


「……おい、何の騒ぎだ!」


 遠くからガシャガシャと耳障りな、鎧の音が響く。どうやらはっちゃけすぎて、近衛が来てしまったようだ。

 その場にいる女性全員がちっ、と舌打ちする。なんと、クラリスに敗北したはずの伯爵令嬢までもが。


「鎧と剣だけが頼りの男共が来ましたわ」

「鬱陶しいわね……蹴散らしてもいいかしら?」

「いけません、クラリス様。男性対女性ではあまりにも張り合いがなさ過ぎて、近衛兵の負傷者が出まくるから、私闘は禁じられています」

「それもそうね……ちょっと、そこのあなた、なんとかしなさいよ」

「えっ、私?」


 いきなり決定権を委ねられ、テレーゼは戸惑う。

 そして、あまり使うことのない脳を必死に動かす。


(えーっと、騎士さんたちを捻り上げてしまうから私闘は禁止。私闘はだめだから……あ、そうだ!)


 テレーゼはぽんと手を打った後、我先に近衛たちの前に飛び出した。


「頼もーっ!」

「テレーゼ様!?」

「今、わたくしたちは研鑽のため、組み手をしておりました! なんと、近衛の方々も参加してくださるのですね! 有難いことです!」


 テレーゼはひっくり返った声で叫び、にやりと捕食者の笑みを浮かべた。

 テレーゼの脳内の大半は、筋肉である。よって、考えることは苦手である。


 私闘が禁止されているならば、こちらの事情に近衛たちを巻き込んでしまえばいいもの。相手はプレートメイルを着込んでおり非常に固くて重量もあるが、それだけ歯ごたえがある。

 ア喰らうド公国の女性は非常に逞しい。そして、男性が女性の意思を尊重するという風潮は残っている。

 よって、テレーゼがこれを「近衛も参加している武闘練習会」と名付けてしまえば、それが正義となる。私闘ではなく、飛び入り参加者が出てきた練習会、の名目を立てられるのだ。


 ……というわけで。

 クラリスたちは互いに顔を見合わせる。徐々にその顔に笑みが浮かび、ボキリバキリとあちこちで間接の音が鳴る。


「ふ、ふふ……そういうことですわね。やりますわね、小娘」

「わたくしはテレーゼ・リト覇ルトです」

「何でもいいわ。……行きますわよ、皆!」

「はいっ!」


 クラリスの号令で、一斉に近衛たちに飛びかかる令嬢たち。まさかの展開に、ぽかんと立ちつくすしかできない近衛たち。

 広々とした訓練場に、阿鼻叫喚の悲鳴が巻き起こった。









 ――夜。


(クラリス様たちの実力が、これほどだったなんて)


 リィナ・ベルチェは薄暗がりの中に佇んでいた。その足元には、堆く積まれた煉瓦が。


「……せぇい!」


 煉瓦の一点、一番脆い部分に拳を叩き込む。相手は物言わぬ無機物といえど、それなりに硬度はある。殴る場所を間違えば、リィナといえど拳を痛めてしまう。

 バキバキグシャ、と鈍い音を立て煉瓦が砕け散る中、リィナは苦い顔で煉瓦の残骸を見下ろす。


(武術大会の時は、確かクラリス様は鍛錬のしすぎでかかとを痛めていた。となると、本気になったクラリス様にテレーゼ様が勝てるかどうか……)


 ゲイルード公爵家の売りは、関節技。腕力だけならテレーゼの方が上だろうが、一度掴まって間接を決められてしまったらテレーゼに勝ち目はない。

 テレーゼが女漢となるには、誰よりも強くなければならない。リィナより勝るのはもちろん、クラリスよりも。


 リィナはテレーゼの戦闘能力を高めるため、自らを鍛え上げる必要がある。テレーゼには一度、フェイントをかいくぐられている。となれば、テレーゼが己を追い抜く日も遠くはない。

 リィナは、テレーゼにとって壁でなくてはならない。より高みへと――覇王の道へとテレーゼが進むために。


 煉瓦を片付けた後、リィナは井戸に向かう。夜の裏庭は風通しもよくて涼しいが、運動をするとさすがにうっすら肌が汗ばんだ。テレーゼは今も腹筋腕立て伏せをしている頃だろうが、このままテレーゼの部屋に向かうわけにはいかない。こっそり事情を言っているメイベルにも、汗は流してから上がるように言われていた。


「……リィナ?」


 ふいに、暗がりの向こうから聞こえてくる声。井戸の滑車を持ち上げていたリィナは動きを止め、呼吸を浅くする。

 微かに眼を細め、足音から敵の人数とある程度の戦力をはかる。


(敵? ……足音は一人分。素人)


 殺れる。

 相手が近付いてくる。リィナのいる井戸まで、足音が近付き――


 ――リィナは振り向き様に、腕を伸ばした。胸ぐらをがっしりと掴み、引き寄せる。


「うっ!?」

「どぉりゃああああ!」


 相手の脚を払い、渾身の力で背中に担ぎ上げる。体重はそれほど重くない。いける。

 ゴッ! と凄まじい音。振り返ると、リィナが投げた男が井戸の縁に頭をぶつけ、きゅうっとへばっていた。俯せに吹っ飛んだため、顔が見えない。ただ、明るい金髪だけは見て取れた。


 リィナはそっと不審者に歩み寄り、つんつんとその体を突いた。背中が上下している。生きてはいるようだ。

 うーん、と唸るリィナ。ついつい投げ飛ばしてしまったが、丁寧に医務室まで運んでやるべきだろうか。


「…………ま、いっか」


 背後からやって来るのが悪い。

 ア喰らうド公国では、女性を背後から狙うのは「私はあなたの死角から迫りますから、どうぞ存分に戦ってください。私は変態です」との合図だ。来る方が悪い。


 そういえば名前を呼ばれた気もするが、きっと空耳だろう。変態に名乗る名はない。

 早くテレーゼのところに帰ろうと、リィナはさっさとその場と後にした。

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