工作員とグレムリン
「2049号、参りました」
「入れ」
殺風景な部屋。極秘の牢獄。新たな任務を与えるとだけ聞かされて赴いたその場所。
無駄な動きは一切なく、叩き込まれた隙のない動作で室内へ入る。
「貴様に任務を与える。この魔物を懐柔し、異形が集いし人魔の国の全貌を解き明かせ」
淡々と告げられた任務内容へ忠誠を示す敬礼を返し、視線を牢獄の暗がりへ滑らせる。
そこにいるのは醜く貧相な魔物。その姿を眺めながら、魔物は御伽噺だけでの存在ではなかったのだなと他人事のように考えたのだった。
まともな生物とは思えぬその容貌は触れることすら躊躇われたが、任務のためだと割り切り、その場で抱き上げてみせた。すると、枯れた木の枝のような腕が、その見た目からは思いもよらぬ力強さをもって、しがみついてくる。急なことに驚いて思わず突き放そうと体が動きそうになったが、日々の訓練で培った忍耐で思い止まる。拒絶されなかったことが嬉しいのか、魔物はさらなる必死さで抱き着いてきた。
けれど、意外なことに醜い魔物の温かさに嫌悪感を抱かなかったのは、確かだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事を終え、割り当てられた宿舎の自室に戻る。部屋に入った瞬間に背中にしがみついていた友魔のパオがするりと降りて、嬉しそうに床を転げまわった。こいつはいつでも楽しそうだが、俺はさらにパオが上機嫌になることを伝える。
「パオ、今日は冷蔵庫を壊していいぞ」
「ぶぎゃ!?」
グレムリンという魔物であるパオは機械に悪戯することを好む。しょっちゅう壊されちゃ困るが、俺はたまには好きなうようにやらせることにしていた。案の定、久々に許可を得たパオは潰れた鼻を鳴らして、それはもう嬉しそうに備え付けの小型の冷蔵庫へ駆け寄っていった。
それを横目で見送りながら、俺は本棚の下から二段目、前後に二列となるようにズラリとしまわれた書物の中から、後列の一冊を選んで取り出す。タイトルは『楽園へと続く道』、何年か前に若者の間でちょっとした流行となった小説だ。その何の変哲もない本を開く。すると、そこにはこの国ではまず見かけない、手のひらサイズの超小型端末が、多くのページを犠牲にするようにくり抜かれた穴の中に収まっている。これは、俺と祖国を繋ぐたったひとつの連絡手段。
俺は、ケーストースに送り込まれた他国の工作員だ。
ケーストースへ送り込まれたのは五年前。十一歳の時だった。
祖国で幼くして家なし子であった俺は物心ついた頃には、国が営む極秘の養成所で鍛錬を積んでいた。身寄りのない餓鬼を集めて工作員としての技術を叩き込み、国にすべてを捧げる従順な手足とするための施設だ。そこでは誰も個人の名前を持たず、すべて番号によって管理されていた。
十分な修練を積み、十歳の時にカモフラージュと道案内のために必要な魔物とペキ・シーという名を与えられ、その一年後、俺はケーストースがその姿を潜ませる〈魔の白き森〉へ放たれた。
潜入は容易だった。即席とはいえ友魔を連れていた、それも小さい餓鬼だった俺を疑う者はこの国にひとりとしていない。常日頃から森と霧に守られているせいか、中の人間はあっけないほど危機管理のできないやつばかりだ。幾重にも疑心が複雑に交差している外の世界から見れば、平和ボケ以外の何物でもない。
そして、あろうことか身寄りのない俺に軍役を進めてきたのは、この国を守っているはずの軍だった。それについて特に思うことはない。工作員を自国の中枢に自ら引き込むなど間抜けでしかないが、それで国が滅んでも自業自得というものだろう。最初は罠だと思っていたため、監視の目もなく盗聴されている形跡すらないのには、さすがに拍子抜けしたが。
だが、おかげで任務は順調に進めることができた。軍の情報部に潜入した俺は怪しまれない程度にこの国について学び、細々と調査を続けていた。その結果、この国の人口、技術力、大まかな戦力などを始め、古くから秘密裏にケーストースと同盟を結んでいる諸外国や貿易と言うには規模が小さすぎるが物資交換をおこなっている近隣の人里の情報などを得ることができた。そして、先日ついに祖国が最も欲している情報――ケーストースの位置を割り出すことに成功した。
これまであまりにも広すぎる森と深い霧に守られていたケーストースが地図上で何処に位置するのかということを知る者は誰ひとりとしておらず、祖国を始めとする強国はこの地に放られている豊富な資源を前に指をくわえることしかできずにいた。しかし、俺はついにその秘密を暴くことができたのだ。
あとはこの通信に電波を用いない特殊な小型端末で連絡すれば、俺の任務は完了する。知り得た情報のすべてを報告すれば、祖国はより強大な存在となって世界に名を轟かせるだろう。それこそが俺の存在意義。幼い頃より刷り込まれた俺の命の価値。祖国にすべてを捧げることに疑問はない。祖国の繁栄こそが俺の望みであり、使命だ。それはケーストースの住人として五年もの歳月を過ごしても変わることはない。
――……だというのに、俺はいまだに祖国へ連絡できずにいた。
安物のベッドに腰かけて、手の中の端末を見つめる。これで祖国に報告すれば、俺の役目は終わる。
ケーストースは外界を遮断した国だ。外の国々がどれほど進歩したかなんてわかっちゃいない。森の外ではもうほとんど魔物が姿を見せないなんてことにも気付いていないだろう。機械が人を乗せて空を飛び、星の外へ飛ばした人工衛星からいつでも何処でも監視ができ、片手で弄れるほど小さな端末で連絡を取り合える。魔物が住む土地は減り、もはや大昔の言い伝え程度にしかその存在を認知されていない。それが今の世界の姿だ。そんな世界から置き去りにされたこの国に抵抗の余地はない。
まったくの原始的生活レベルってこともないが、この国にある機械らしきものなんてせいぜい冷蔵庫などの家電くらいだ。それも何十年も昔の型がずっと使われている。戦闘機もなければ自動車もなく、テレビどころかラジオすらない。他所から技術力や知識を持ち込めないこともあるが、国を守っている森が電波や磁気を狂わすことも、ケーストースの技術面での進歩を妨げているのだろう。方位磁石や人工衛星すら阻む古の森、魔の白き森。その人智の及ばない不思議な力が働く土地は古くから他国の干渉を寄せ付けずにいたが、それももうおしまいだ。
俺が祖国にケーストースの情報を知らせれば、祖国の強大な軍事力でこんな小国などいかようにもできる。森に守られていたが故に慢心し、進歩せずに滅ぼされる。なんて皮肉なのだろうか。だが、俺にはそれについて特に思うことはない。ただ任務を全うするだけだ。
第三特務機関所属2049号。特別任務下における別称ペキ・シー。それが俺だ。祖国に身も魂もすべてを捧げるのが俺なんだ。
だというのに、なぜ報告できねぇんだ。手の中の端末を睨みつけて、俺は歯を食いしばった。重要な情報はとっくに揃えられている。なのに、この端末を弄って祖国に知らせることができねぇ。なぜだ。どうして。
そう焦るたびに脳裏に過るのは、この国の人間たち。俺はコミュニケーション下手を演じて、人と深く関わり過ぎないようにしているというのに、そんなことなどお構いなしといった調子で構ってくるお人好しども。特に軍人のくせに食堂で料理人の真似事をしているユッサ・スモランスという男は俺の調子を狂わせる。俺の祖国についてあれこれ聞きたがるから怪しまれているのかと思いきや、料理以外のことを一向に訊いてくる気配もねぇ。それで頼んでもないのに祖国の味を再現しては俺に食わせたがる。意固地になって断るのも怪しく思われるかもしれないからおとなしく食ってはいるが、あいつは一体何なんだ。
ユッサだけじゃねぇ。どいつもこいつも馴れ馴れしくしやがって。俺はお前らが常日頃から戦っている外界の人間だぞ。少しは疑いの心を持たねぇと国が滅ぶっていうのに、なんて暢気なやつらだ!
「チッ……クソッ」
舌打ちして髪を掻き毟る。この国の人間の平和ボケした顔にイライラする。こんなに心を乱すなんて俺らしくない。感情のコントロールや目的のために己の心を切り捨てる訓練なんざ、嫌と言うほど叩き込まれてきている。
感情を殺せ。端末を起動するだけでいい。指一本ですべてが終わる。
そう自分に言い聞かして、俺は震えに気付かないふりをして、指を動かし……
「ぎゃう」
聴こえてきた鳴き声に、端末を起動させようとした指が止まる。視線を向けると、パオが心配そうな表情で俺の顔を覗き込むようにして立っていた。その姿にまたしても苛立ちがぶり返してくるのを感じて、俺は唇を噛んだ。
ケーストースへ潜入するために宛がわれたパオは〈魔の白き森〉の外では今やほとんど見かけることのなくなった、稀少な魔物だった。科学が発展するにつれ、姿を消していった魔物たちは人びとの記憶からも消え、今ではその存在を信じない者すらいる。そんな世界で、子どもだったせいか運悪く捕まってしまったグレムリンこそがパオだった。
人の手に捕らわれてからのパオは過酷な環境に置かれていたようだ。秘密裏に祖国の軍部へ引き渡され、任務のために俺の前へ連れてこられた時、パオは痩せ細り、あちこちに生傷をつくって、ひどく怯えていた。任務に差し支えない程度に懐かせろと上層部から命じられた俺は、嫌々ながらその醜い魔物をその場で抱き上げた。すると、おそらく反射的なものだろうが、そいつはその細い腕で必死に俺の体へしがみついてきた。それから何かにつけて抱き上げろとせがむようになった魔物に、俺は〈抱く〉と名付けた。ユッサが友魔につけた安直な名前に呆れたこともあったが、俺も人のことは言えないかもしれない。
元来の性質なのか、甘えたがりのパオは少し優しくしてやるだけで、すぐに俺に懐いた。おそらく縋れるものを欲していたのだろう。頭はそこまでよくなかったが、俺の言っていることをパオなりに理解しようと努力する姿を見せるようになった頃、俺もお世辞にも愛らしいとは言えないがよく見るとそれなりに愛嬌がある、豚鼻の魔物にようやく嫌悪感を抱かなくなった。もしかしたら、そのひたむきに俺を頼る姿にほだされたのかもしれない。だが、任務のためだという意識は当然あったために、心の奥底まで入れ込まないように自分に釘を刺したのもこの頃だった。そして、パオとの関係は今に至っている。
人に虐げられたくせに人である俺へ無邪気な好意を向けるパオは、いつだって笑っている。しかし、今のパオは不安げだ。どうしたらいいのだろうと迷っているような表情をしている。俺はそんなパオへ何でもないと声をかけようと口を開いた。だが、俺が言葉を発するよりも早く、何かを決意したような顔になったパオが人外らしい瞬発力で床の上を跳ねた。
「ぎぎー!!」
「パオ!?」
今まで聞いたことのないような険しい鳴き声とともに襲ってきた衝撃に、俺は思わず驚くままに声をあげた。それからすぐに、パオの体の割には長い腕が、手に持った小型端末へ向かっていることに気付いたがもう遅い。
端末にパオの長いかぎ爪が触れ、その瞬間、バチリと音を立てて電流が弾けた。手に鋭い痺れと痛みを感じ、反射的に持っていた端末を投げだす。端末はもう一度、ボンと音を立てて小さな爆発を起こし、床へ激しく打ちつけられた。
自分の顔からサッと血の気が引いたのがわかった。無意識に嘘だと胸の中で呟く。だが、無情にも端末の画面は砕け、スピーカーが内蔵されたボディは焦げ、内部はだらしなく露出し、どう見てももう使い物にならない状態となっている。
「あ……ああ……」
間抜けなことに口から言葉にならない声が漏れる。
唯一の連絡手段を失った俺は、もはや祖国との繋がりを得ることは難しい。それほどにこの国は秘境であった。任務失敗の文字が真っ暗になった目の前に突き付けられる。
祖国の期待に応えられなかった絶望が、喪失感が、ズシリと体にのしかかる。そして、普段からこの端末にだけは触るなと言い聞かせていたし、これまで俺の言いつけを守らなかったことなんてないのに、なぜこの端末に限って壊したのだというパオへの困惑と怒りが湧きあがってきて、俺は感情のままに声を荒げた。
「パオ!! お前、何てことを……!!」
そう怒鳴りつけようとした声は、パオの顔を見た瞬間、尻すぼみに消えていった。
パオは、泣きそうな顔をして俺をジッと見つめていた。まだうまく意思疎通ができなかった頃、度重なる悪戯につい厳しく叱りつけてしまっても誤魔化すように笑っていたパオが、今は笑みの欠片ひとつなく涙を溜めた大きな眼に俺だけを映していた。その姿を見て、俺はこの六年間ずっとそばにいたパオの意思を理解した。
パオは俺を救いたかったのだろう。近頃ずっと端末と睨み合っては苦しんでいた俺の姿を見て、苦しみから解放しようと決意したのだろう。たとえ、言いつけを破って俺に嫌われたとしても。
そんなパオの心を理解して、体から力が抜けていく。へなへなと倒れ込みそうな体をどうにか支え、両手で顔を覆う。俺にはパオを叱ることはできない。だが、祖国にすべてを捧げていた俺の魂はもぬけの殻になってしまったようだ。体も、心も、魂も、ひどい喪失感に蝕まれていた。
それでも一瞬でも怒鳴りつけてしまったことに罪悪感を覚えた俺は、ポツリと呟くように謝罪の言葉を絞り出す。
「……怒鳴ったりして、悪かったな」
「ぎゃ」
「パオ?」
項垂れながら謝る俺にパオは短く鳴くと、俺の脚をよじ登って膝の上に跨った。それから俺の首元に腕をまわして肩に顔を埋めるようにして、ギュ―ッと抱きしめてきた。
急にどうしたのだと困惑しながらも恐る恐る腕をパオの体にまわす。すると、不意に何か濡れるような感触が頬を伝った。
「あ……?」
俺は、泣いていた。自分よりも遥かに小さな友魔に抱き締められ、涙をこぼしていた。
涙はボロボロと次から次へと生み出され、俺はようやく自分の中に喪失感とともに多大な安堵の気持ちが広がっていることに気付いた。認めたくなかった。祖国を裏切ったことで安心している自分を許せないとも感じた。けれど、それ以上に安堵が膨らみ、体の内から止まることなく溢れ出た。
俺は生まれて初めて心を許せる者に縋って泣いた。小さな体は細く頼りなかったけど、暖かかった。ずっと見ないふりをしてきたその暖かさが、祖国を失って空っぽになった器に染み込んでいく。
最初は任務のためだけの関係だった。だけど、いつの間にかにパオは俺にとってすべてを曝け出せる友魔になっていたんだ。
今さら情に流されるなんて、俺はこんなにも弱い人間だったのかと何処か冷めた目で見ている自分が呟いたが、それはパオの体温を前に涙の海に沈んでいった。今はただ俺に残された唯一の生きる意味に縋っていたかった。涙は尽きることなく俺とパオの体に降り注いだが、そんなことはもはや気にならず、ふたりで抱き締め合ってひたすらに泣き続けた。
何処か遠くの空で、朝日が昇り始めた気がした。