お嬢様とケット・シー
ボクは猫ニャ。でもただの猫じゃにゃい。誇り高いケット・シー。それがボク。人みたいに二本足で歩けるし、言葉だって話せる。そんじょそこらの猫と一緒にされちゃ、困るのニャ!
自分の名前だってちゃんとある。ディオと名づけてくれたのは、お屋敷の奥さま。雨に濡れて、ずぶ濡れの濡れ鼠(猫にゃのに鼠だにゃんておかしいけど)ににゃってたボクを拾ってくれた奥さまに、ボクはお礼ににゃんだってするニャ!って言ったニャ。そしたら奥さまは大きにゃお腹を擦って、これから生まれてくるこの子のお友達ににゃってほしいって言ったニャ。だから、ボクは誓ったニャ。その子のそばにずっと一緒にいるって。
そうして生まれてきた子はおきれいな奥さまに似て、それはもう可愛らしい珠のようにゃ女の子だったニャ。まだ子どもだったボクとそう変わらにゃいくらい小さいその子を見たとき、ボクはこの先ずっとこの子を守っていくんだって改めて決意したのニャ。だから、ボクがその子――ご主人の友魔ににゃったのも、自然にゃ成り行きだった。
そして、ボクがそんな特別にゃ人を得てから、十年が経った。ご主人はちょっとおとにゃしいけど、読書好きにゃ賢い子に育ったニャ。毎日のように図書館へ行っては、猫が出てくる物語を借りてくる。つまり、ご主人は猫がお好きにゃのニャ。ボクはにゃんでもにゃいようにゃ顔をしているけど、やっぱり嬉しくてたまに尻尾がピーンと立っちゃうのはご愛敬ニャ。そんにゃ感じで、ボクとご主人の仲は極めて良好にゃのニャ。相思相愛ってやつニャ。
でも、近頃のボクはちょっぴり不安だったりする。もちろんボクのご主人への愛は変わってにゃい。だけど、ついつい考えちゃうことがある。ボクはご主人の隣に並ぶのに相応しい友魔にゃのかって。
そんにゃことを考え始めたきっかけは、一週間前。あれは、ちょっと特別にゃ晴れた日のことだったニャ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ご主人、おっはようニャー!」
ロマンチックにゃ天蓋付きの、ふかふかのベッドで眠るご主人を起こすのはボクの役目。毎晩寝る前に読書の習慣があるご主人はついつい夜更かしをしがちだから、早起きは苦手なのニャ。実を言うと、ボクもあまり朝は得意じゃにゃいんだけど、ボクはご主人よりもお兄ちゃんだから頑張って毎日早起きしてるのニャ。今日はご主人がお家のことで大事にゃ用事があるから、ボクも特に気合が入っている。
「ご主人! 起きるのニャ! 今日は大事にゃ日にゃんだから、お寝坊はまずいのニャー!」
にゃかにゃか起きないご主人を揺さぶると、毛布がもぞもぞと動いてまだ半分眠ってるみたいな顔が出てきた。
「…………もう朝?」
「そうニャ! いつまでも寝てたらダメニャ! 顔を洗ってお着替えするニャ!」
「んー……わかった……」
まだ眠いのに頑張って起き上がるご主人は偉いニャ。ボクは寝惚け眼のご主人の仕度を手伝って、そのまま食堂へ向かった。大きにゃテーブルで一緒に朝ごはんを食べたら、いつもはご主人の学校に行くのだけど、今日はお休みだからいつもと違う。
朝はあまり食欲のにゃいご主人がマーマレードをつけたトーストをぽっちり食べている間に、ボクは新鮮にゃミルクとクロワッサンを食べ終わって食後のお髭の手入れをする。口のまわりもきれいにしたけど、心にゃしかまだミルクとバターの香りがするようにゃ……。
念入りにペロペロしていると、ご主人のお母上、つまり奥さまが食堂にやってきた。奥さまは今日もお美しいお姿で、十年前と変わらにゃい笑顔をお見せににゃった。
「おはよう、アリス、ディオ」
「おはようございます、母さま」
「おはようございますニャ、奥さま」
お優しい奥さまはボクにも挨拶をしてくれたニャ。十歳の子どもがいるとは思えにゃい、春のお花の香りがする奥さまに声をかけられると、ボクはもうメロメロにゃのニャ。でも、お嫁さんにするにゃら白い毛並みに青い瞳のお嬢さんって決めてるから、奥さまはあくまで崇拝対象にゃのニャ。そのへんはちゃんとしてる猫にゃのニャ、ボクは。
「お仕度は終わっているかしら」
「はい、大丈夫です」
「そう。そうしたら、出発しましょうか」
奥さまの言葉にご主人は頷いて椅子から立ち上がった。いつの間にかトーストを食べ終わっていたみたいニャ。ボクも奥さまの隣りに並んだご主人についていく。詳しいことはよく知らにゃいけど、今日は大事にゃ用事でお出かけにゃのニャ。ボクもお出かけ用の帽子とマント、それから長靴を身につけて、オシャレはバッチリにゃのニャ!
お屋敷の玄関まで行くと、ご主人のお父上である旦那さまが見送りにやってきた。
「あなた、行ってまいります」
「うむ。気をつけてな」
旦那さまは軍人さんで無口にゃ人だから、言葉はいつも最低限ニャ。ちょっと怖い顔をしているけど、ボクは旦那さまが猫好きだって知ってるニャ。猫好きに悪い人はいにゃいから旦那さまもいい人にゃのニャ。
ご自分の奥方の頬へ軽いキスをした旦那さまの手がご主人の頭を撫でて、自然にゃ動作で次にボクの頭を撫でた。あったかくて大きにゃ手に撫でられてボクはつい喉をゴロゴロと鳴らしてしまった。
「アルシェリーナ」
「はい、父さま」
旦那さまはボクがどうしても訛ってしまうご主人の正式にゃ名を呼んだ。でも、少し迷ったようにゃ素振りを見せて、口ごもってしまったニャ。一体どうしたんニャ?
「……気をつけるのだぞ」
「……? はい」
結局それだけ言った旦那さまに見送られて、ボクらはお屋敷を出た。お出かけ用の馬車でちょっぴり酔っちゃったのは内緒にゃのニャ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「母さま、今日は森に何をしに来たのですか?」
馬車に揺られて国を囲う広大にゃ森のそばまでやってきたボクたちは、今度は徒歩で森の中に入っていったニャ。森には今日も深い霧が立ち込めていて、一寸先は真っ白って感じニャ。ボクら魔物はこの霧の中でもそれぞれの力で迷うことはないけれど、人間は一度入ると出てこられにゃくにゃるらしいニャ。方位磁石ってやつもこの森では狂っちゃうから意味がにゃいのニャ。不便にゃ生き物ニャ。ちなみにボクは音やら匂いやらを追っていつでもケーストースに帰れる。だから、ご主人と奥さまが迷子ににゃらにゃいように、ふたりに挟まれるようにして手を繋いでいるのニャ。責任重大にゃのニャ!
そうやって森の中を歩いていると、濃い霧にちょっと不安ににゃったご主人が心配そうに奥さまへ質問した。ボクとご主人は奥さまに手を引かれるようにしているのだけど、奥さまは霧の中も迷わず進んでいる。きっと手に持っているペンダントの中に進むべき道が記してあるに違いにゃい。
ペンダントと睨めっこしていた奥さまは、ご主人の質問に厳かにゃ調子で答えた。
「アリス、私たちの家系がどういったものなのかは知っていますね?」
「はい。ケーストースを築いた開祖のひとりから続く血筋ですよね」
奥さまからの質問返しにもちゃんと答えられるご主人はさすがだニャ!
これは学校とかでも教えられることだけど、ケーストースは色んにゃ国から人が集まってできた国にゃのニャ。だから、大体の人たちはあまり血筋とかそういったことは気にしにゃい。でも、ご主人と奥さまは別ニャ。この地にケーストースの基盤をつくった偉ーい人の血を引き継いでいるのニャ。優秀にゃ軍人さんの旦那さまと開祖の血族の奥さま。つまり、そのふたりの愛の結晶であるご主人はエリート中のエリートにゃのニャ! 友魔としてボクも鼻が高いニャ!
だけど、ご自身ではそんなことは一切自慢なさらにゃい、謙虚にゃ奥さまはあくまで自然に話を続けた。
「そうよ。これから向かうのは、そのご先祖様の代から続くとても大切な場所なの。アリスももう十歳だから、教えておこうと思って……」
そう言うと奥さまは不意に言葉を切って黙ってしまった。どうしたんニャ?って思ったら、ボクの耳が何かが動く音を捉えた。
「にゃ、にゃんだ!?」
「ディオ……」
随分近くで聴こえたそれが山のように大きにゃ気配だと気付いて、ご主人がボクの手を握る拳に力を込めた。その感触にハッとして、ボクはふたりを守るように一歩前に出た。この中ではボクが一番小さいけど、魔物だから人間よりも戦うのは得意ニャ。それに、ボクはオスだニャ。紳士たるもの、女性のひとりやふたりぐらい守り通すものニャ!
そんにゃ覚悟を決めたけど、奥さまは一向に慌てにゃい。それどころかその音の原因が近付いてくるのを待っているみたいニャ。そんな奥さまの様子を見て、これが危険にゃことではにゃいとわかったけど、一応警戒は続ける。
そうやって怯えるご主人を背に、音の主を待ち受けると、そいつは木の葉をガサガサと掻き分けて霧の向こうから姿を見せた。
「うわあ……!」
「彼はこの森の主、フォレストドラゴン。ケーストースを守護する守り神よ」
思わず声をあげたご主人に、奥さまが説明する。
現れたのは森の木々とそう変わらないようにゃ、巨大にゃドラゴンだった。苔色の鱗に覆われた体はしにゃやかで、金色の瞳には穏やかにゃ知性が宿っている。森の主という言葉がピッタリ当てはまるようにゃ、雄大にゃ姿だった。たたまれた翼を広げたらもっと大きく見えるかもしれないけど、ボクには想像がつかにゃいニャ。
「迎えにきてくださったのですね。こちらが私の娘、アルシェリーナですわ」
「あ……アルシェリーナ・イービスです。お見知りおきを……」
驚きすぎてまん丸おめめでドラゴンを見上げることしかできないでいるボクの横で、奥さまに促されたご主人がびっくりしにゃがらも、お出かけ用の水色のワンピースの裾を持ち上げてキチンと挨拶した。さすがはご主人ニャ。お行儀は完璧にゃのニャ。
ボクがすっかり感心していると、ドラゴンはグルルと喉を鳴らして来た道を戻り始めた。
「ついてきなさいですって」
「……フォレストドラゴンは母さまの友魔なのですか?」
随分と慣れた様子の奥さまに、ご主人が遠慮がちに質問した。
奥さまはこの国では珍しく友魔を持たにゃい。その理由を話してもらったことはにゃいけど、よんどころにゃい事情というものがあるんだろうってことは、ボクもご主人も察していた。だから、ご主人は恐る恐る訊ねたのニャ。
すると、問われた奥さまはゆるゆると首を横に振って、そうではにゃいことをボクらに伝えた。
「いいえ。私は友魔を持ちません。……選ばれなかったの」
それだけ言うと、奥さまは黙ってしまわれた。その瞳は影を帯びて、何処か遠くを見つめている。並々にゃらぬ奥さまのご様子に、ボクもご主人もそれ以上のことは訊けにゃかった。生涯を通して友魔を持たにゃいことの意味が重くのしかかってくるようだったニャ。
それからは誰もおしゃべりすることにゃく歩き続けて、ドラゴンに導かれるようにして、やがてボクらは今まで見たこともにゃいようにゃ巨大にゃ洞窟に辿りついた。その洞窟はこのへんでは珍しい小さにゃ山にポッカリと口を開けていて、蔦や苔にゃんかの植物に覆われて、森の一部として周囲に溶け込んでいた。大きにゃドラゴンも潜り抜けられそうにゃ亀裂の奥は薄暗くて、その先に何があるのかはわからにゃい。ゴォオオオと風が吹き抜けて唸る音に思わず怯んでいると、奥さまがそっとご主人の背中を押した。
「さあ、行ってらっしゃい。私は此処であなたを待っているわ」
「……私ひとりで行くの?」
思わず聞き返したご主人は少し怖がっているみたいニャ。確かにこの中をひとりで行くのはボクでもちょっと怖いニャ。でも、奥さまは穏やかな微笑みを浮かべてそっとご主人の頭を撫でた。
「もちろん、ディオは連れていってもいいの。あなたの友魔ですもの。だけど、私がついていけるのは此処まで。だから、あなたたちふたりで行ってらっしゃい」
「……はい」
ボクも一緒でいいと言われて、ご主人は少し安心したようだニャ。ボクはご主人の掌に包まれている肉球にキュッと力を込めて、ご主人を励ました。
「ご主人、大丈夫ニャ。ボクも一緒にゃのニャ!」
「うん、そうだね。ディオが一緒だもんね」
ご主人は自分を励ますようにそう言うと、ボクの肉球を握り返してくれた。ちょっと冷たいご主人の手の感触に安心する。何のためにこの洞窟に入るのか、どうしてドラゴンが案内してくれたのか、何ひとつわからにゃいけど、ふたり一緒にゃらきっと大丈夫ニャ。
「アリス」
奥さまが進むことを決意したご主人を呼び止めた。その瞳は静かで穏やかにゃものだった。
「自然体でね。フォレストドラゴンは大きいけれど、とても優しいから、心配しないで行ってらっしゃい」
「はい、母さま」
お母上の言葉に頷いて、ご主人は大きにゃ洞穴へ歩み出した。手を繋いだままのボクも一緒に進むと、此処まで連れてきてくれたドラゴンが先導するように薄暗い亀裂の中に滑り込んでいった。
視界いっぱいに広がる緑色のドラゴンを前に、ボクとご主人は転ばにゃいように気をつけながら黙って歩いた。洞窟の中は岩壁ににゃっているのかと思ったけど、何処もかしこも植物が絡み合っていて、緑がにゃいのはドラゴンが踏み慣らした地面くらいにゃものニャ。つまりこの洞窟がある場所は山にゃんかではにゃく、植物だけでつくられた大規模にゃ囲いだったのニャ。こんにゃものが自然にできるとは思えにゃいから、きっとドラゴンがつくったに違いにゃい。それにしても規模が大きすぎて、どうやってつくったのかまでは想像がつかにゃい。
感心を通り越してちょっぴり怖くにゃっていると、いつの間にかボクらは洞窟の終わりまで歩ききっていた。眩しい光が視界に飛び込んでくる。
「わあ……!」
「にゃんと!?」
眩しくて眼をパチパチさせにゃがら、ご主人とボクは洞窟を抜けた先に広がる光景に声をあげた。
そこには、たくさんのドラゴンがいた。どうやらボクが予測した緑の囲いというのは当たっていたようで、何十頭ものドラゴンが悠々と過ごせるほど広い空間がそこにはあった。大きにゃドラゴンが楽々と隠れちゃうほどの植物の囲いに天井はにゃくて、雲のにゃい空からおひさまの光が注ぎ込まれてポカポカと気持ちいいニャ。此処はどうやらフォレストドラゴンの隠れ里みたいニャ。
そんにゃ中であまりに多くのドラゴンにご主人共々呆気にとられていると、一頭のドラゴンと目が合った。此処まで案内してくれたドラゴンよりもずっと年上のように見えるその方は、どうやらメスみたいニャ。柔らかな草木で組んだ巣に横たわっていた彼女はご主人を目にすると、起き上がってキュウと小さく鳴いた。彼女がご主人を待っていたのだと察したボクは、まだポカンとしているご主人の手を揺すった。
「ご主人、呼んでるみたいニャ」
「言葉がわかるの?」
「うーん、伝えようとしてることがわかる程度かにゃあ」
洞窟に入ってから初めて言葉を交わしにゃがら、ボクらは彼女の近くまで歩み寄った。さっきのドラゴンよりもひとまわり大きにゃ彼女を見上げて、ご主人がまたワンピースの裾を摘まんで挨拶する。
「あの、こんにちは。私はアルシェリーナ・イービスです。こっちは私の友魔のディオです」
「ケット・シーのディオだニャ! にゃんかよくわかんにゃいけど、今日はお招きありがとうニャ、マダム」
ボクの言葉にご主人が「あっ女の子なんだ……」って呟いたけど、彼女は多分女の子って年じゃにゃいニャ。熟した魅力が素敵にゃレディに対して失礼じゃにゃいかとハラハラしたけど、彼女は特に気にしてにゃさそうだった。よかったニャ。
内心でホッとしていると、マダムは長くしにゃやかな尻尾をゆるりと動かして、手招きにゃらぬ尾招きをした。
「む、ご主人。マダムがそばにこいって言ってるニャ」
「え? あ、はい……?」
ボクが通訳すると、ご主人はまだ状況がよくわかっていにゃいのか、おずおずと自信にゃさそうにゃ足どりでさらにマダムの近くまで寄っていく。マダムはそんな小さにゃご主人を踏みつけにゃいように体を端へ寄せ、今まで自分の体で隠れていた後ろの巣までご主人を導いた。呼ばれていにゃいボクは少し離れた位置からご主人を見守るニャ。
「……たまご?」
巣の中を覗き込んだご主人が不思議そうに呟いた。ボクも背伸びしてご主人の視線を辿ると、ふかふかの巣の中に大きにゃたまごがひとつあった。普段食べている鶏卵の何個分だろうにゃあ……。少にゃくともボクの頭よりは大きそうニャ。
すべすべしたクリーム色のたまごを前にキョトンとしているご主人に向かって、マダムが促すように尻尾の先でたまごを示した。
「えっと……くれる、のかな?」
「そうみたいニャ」
「じゃあ、ありがとうございます……?」
今度はちゃんと彼女の意思を理解したご主人は、おっかにゃびっくりたまごを両手で抱えて持ち上げた。か細い腕に抱かれたたまごは思っていたよりも大きく見えるニャ。色んにゃ本の知識や物語がいっぱい詰まったご主人の頭と同じくらいかもしれにゃい。
たまごを落とさにゃいように恐々とした足取りでご主人がボクのそばに戻ってくる。そしたら、この場所へ案内してくれた若いドラゴンが潜り抜けてきた洞窟のそばに座って、小さく鳴いた。どうやらお迎えだけじゃにゃくて見送りまでしてくれるみたいニャ。
「ご主人、彼が見送ってくれるって」
「あ、もう帰っていいの……? えっと、そしたら、ありがとうございました。たまご、大事にしますね」
最後にマダムへペコリと頭を下げると、ご主人はたまごを庇いにゃがら案内のドラゴンに続いて洞窟の中へ戻っていった。ボクもご主人に並んでこの場を後にしようとしたけど、ふと何か異変を感じて後ろを振り返ってみた。
すると、その場にいたすべてのドラゴンたちが、たまごを持ち帰るご主人に向かって頭を垂らしている異様にゃ光景が目に入った。そのあまりに荘厳にゃ情景に、ボクはにゃんだか胸がいっぱいににゃって、帽子を脱いで深々と頭を下げた。ご主人が託されたのはただのたまごにゃんかじゃにゃい。そんにゃ直感が脳裏を過ったニャ。
ボクは顔を上げて帽子をキチンと被り直して、たまごと自分の足元に全神経を集中させているご主人の後を追った。ドラゴンたちはボクらの姿が見えにゃくにゃるまで、ずっと頭を下げたままだった。
そうして静かだけど崇高にゃ見送りを受けにゃがら、ボクらはもと来た道を歩いた。ご主人は行きとは違う緊張のせいで、黙って足を動かすことしかできにゃいみたいニャ。たまごを抱えたまま薄暗い洞窟の中を歩くのは、確かに不安ににゃるニャ。ボクもご主人の足元を見守って、躓きそうにゃ小石にゃんかがにゃいか目を光らせた。でも、特に問題にゃく、やがて白い霧が充満する外の微かにゃ光が見えてきた。
「母さま」
少しずつ見えてきた奥さまの姿を見つけて、ご主人がホッとしたように声を漏らした。洞窟を無事に抜けて、奥さまのもとへ近寄ろうとすると、案内のドラゴンがもう平気だろうと言うように大きにゃ体を翻して里へ続く道を帰っていく。
「あっさよなら……!」
「バイバイニャー!」
ご主人とボクは感謝の気持ちも込めて彼へ別れを告げると、改めて奥さまのそばへ近寄った。すっかり安心した顔ににゃったご主人は、両腕に抱えたたまごを奥さまに見えるように少し持ち上げてみせた。
「母さま、ただいま。あの、女の子のドラゴンがたまごを……母さま?」
洞窟の先であった出来事を報告しようとしたご主人が、母上の異変に気付いて言葉を切った。
奥さまは、泣いていた。子どもみたいに騒がしい泣き方ではにゃいけど、きれいにゃ瞳に涙を浮かべて、感情が昂っているのか頬を薔薇色に染めていた。
狼狽えるボクらを前に、奥さまはジッとご自身の娘を見つめ、囁くように言った。
「……ああ、アルシェリーナ。あなたは、選ばれたのね」
ひと粒の涙が、はらりとこぼれ落ちて、霧の中に消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帰りの馬車の中で、ボクらはドラゴンに託されたたまごにまつわる話を奥さまから聞かされた。
ご主人たちの祖先である開祖のひとりは女性で、フォレストドラゴンを友魔にしていたこと。代々ご主人たちの一族は女の子が生まれてその子がドラゴンに認めてもらえると、ひとつのたまごをもらって友魔とにゃるドラゴンを育てること。それがこの国を守ることに繋がること。ここ何代かは一族が女の子に恵まれにゃかったこと。そして、一族待望の女の子であった幼き日の奥さまはドラゴンに選ばれず、一族の期待に応えられにゃかったこと。ご主人がつらい想いをしにゃいように、今まで一族の使命については黙っていたこと。その結果、心構えもにゃいうちにご主人に使命を突きつけるようにゃ形ににゃってしまったのを謝りたいこと。
そんにゃことを奥さまはゆっくりとたくさんの時間をかけてお話ににゃられた。ご主人は黙って最後まで聞いていたけれど、特に何を言うでもにゃく、それから時間が許す限りはずっとたまごのそばにいる。それが、一週間前の話ニャ。
ボクはあの日から妙に落ち着かにゃい気持ちでいる。胸の中がざわざわと騒がしい。普段からそんにゃにおしゃべりってわけでもにゃいけど、たまごを託されてから明らかに口数が減ったご主人を見ていると、心臓がキューッて痛くにゃる。自分の気持ちがまったくわからにゃいほどボクも子どもじゃにゃいから、最初はたまごにやきもちを焼いているのかニャと思った。ケーストースの人たちはほとんどがひとりに一匹ずつ友魔を持つけど、中には二匹や三匹連れている人もいるし、そんにゃに珍しくもにゃい。ご主人に友魔が増えたところで、これまでのボクらがにゃくにゃるわけでもにゃいけど、構ってもらえにゃいのはちょっと面白くにゃい。
そんな気持ちがあることは認めるニャ。だけど、ボクはそれだけではにゃいようにゃ気もしている。嫉妬とは別の、もやもやしたものがボクの中で膨らんでいく。でも、それが一体何にゃのかまではわからにゃくて、ボクはにゃんだかスッキリできずにいるのニャ。
そうやって今日もお気に入りのクッションの上でくさくさしていると、後ろから聞き慣れた足音が聴こえてきた。こっちに向かって真っ直ぐ歩いてくるその人の気配に、ボクは立ち上がって振り返った。
「ディオ」
「奥さま」
あの日、涙を見せた奥さまはそんにゃことが嘘だったかのように、いつもと変わらぬおきれいにゃ微笑みをボクに向けていた。
「なんだか元気がないようだけれど、どうかしたのかしら」
「いえ、特に何もにゃいんですけど……」
奥さまのお気遣いの言葉に、ボクはもごもごと口ごもってしまう。自分にすらうまく説明できにゃいのに、ましてや言葉にして人に伝えられるわけがにゃい。ちょっぴり困っていると、奥さまはそっと優しくボクの頭を撫でた。ご主人の幼さの残るひんやりとした手とも、旦那さまの大きくてゴツゴツした手とも違う、白魚のようにゃ美しい指が慈しみに満ちた手振りでボクの頭の毛を梳かすように動く。
「ディオ、あなたは不安なのね」
鳶色の穏やかにゃ瞳にボクの姿を映しにゃがら、奥さまは言った。ボクはその言葉を何度も口の中で繰り返す。
不安。そうにゃのかもしれにゃい。ボクは不安にゃのニャ。
ご主人がよく読んでいる物語のようにゃ一族の使命とか、あの壮大にゃ存在のフォレストドラゴンがご主人の友魔になることとか、そういったことに対してボクは不安を感じているのニャ。急にご主人が遠い存在ににゃってしまったようで、ドラゴンに比べて明らかに見劣りするボクは彼女に相応しくにゃいような気がしてしまって、ボクは不安にゃんだ。
確かにこれまでのボクとご主人の絆や思い出は消えることはにゃい。でも、それは過去のこと。じゃあ、未来はどうにゃるニャ? これからボクはご主人に必要にゃ存在ににゃれると言えるのか? 遥か過去から約束された絆にゃんてにゃい、ただ拾われたに過ぎにゃいケット・シーのボクは、ご主人の友魔に相応しいのか?
そんにゃボクの気持ちを察したように、奥さまは静かに言葉を続けていく。
「これからアルシェリーナは、この国の要としてフォレストドラゴンの子を育て、強い絆を結ぶことになるでしょう。それは遠い昔から決まっている約束事だから、変わることはないわ」
奥さまの言葉に、ボクはつい項垂れてしまった。悔しいけど、それは事実だったから、ボクは何も言えにゃい。やっぱりボクはご主人にとって必要のにゃい存在にゃのかもしれにゃい。この一週間、ずっと感じていたことではあるけど、やっぱりショックは大きいニャ。
だけど、奥さまはそこでお話を終わらせにゃかった。十年前に濡れ鼠だったボクを拾った奥さまは、あの時から変わらにゃい優しい声音で、哀れにゃボクへ語りかけた。
「だけどね、ディオ。私はあなたがいるから、安心できたのよ。たとえ、アリスが選ばれなかったとしても、私と同じ想いをしたとしても、あなたがいるから大丈夫だって思えたのよ」
ボクはハッとして奥さまを見上げた。それから優しいけど、いつも何処か影のある奥さまの眼差しを思い出す。
一族の期待を背負いにゃがらもそれに応えることはできず、それから友魔を持つことのにゃかった奥さま。きっとつらかったはずニャ。この国で友魔を持たにゃいという選択肢が意味するものは、あまりにも重たいものを感じさせる。
でも、今の奥さまの瞳からは影は感じにゃい。ご主人がたまごを託されたあの日、奥さまは重すぎる鎖から解放されたに違いにゃかった。娘が自分と同じ道を辿るのではという不安もあっただろうけど、ご主人は選ばれた。そして、奥さまはたとえ違う結果になっていたとしても、ボクがいるから大丈夫だと思えたとおっしゃった。その意味がわからにゃいほど、ボクは鈍くにゃい。
「だから、これからもあの子のそばにいてあげてちょうだい。お兄さん」
ボクは奥さまにお辞儀をすると、廊下を駆けた。マニャー違反だけど、今回は大目に見てほしい。それほど今のボクの気持ちは昂っているのニャ。
ボクは馬鹿だニャ。本当に馬鹿だニャ。たとえこれから生まれるドラゴンとご主人の絆が特別だとしても、それとボクとご主人の絆は比べられるものじゃにゃい。これまで培ってきたものがいきにゃりにゃくにゃるにゃんてことはにゃいのニャ。物静かだけど優しいご主人が、ボクをいらにゃいと思うことにゃんてあるはずがにゃい。そんにゃことは彼女が赤ちゃんの頃からずっとわかっていたはずにゃのに。ひとりで悲観に暮れたりにゃんかして、ボクは本当に大馬鹿ニャ!
お屋敷の中をお行儀悪く走ったボクはすぐに目的の場所にたどり着いた。少しだけ扉の前で深呼吸する。ちょっと気持ちを落ち着けて、ボクは『アルシェリーナ』ときれいな字で書かれたネームプレートがはめ込まれた扉をノックして開いた。
「あっディオ!」
扉から現れたボクの姿を見て、ご主人が安心したようにゃ顔を見せる。
……やっぱりボクは馬鹿だったニャ。このご主人がボクをいらにゃいにゃんて思うはずがにゃい。
ついさっきまでひとりで勝手にうじうじしていた自分が恥ずかしくて、ボクは誤魔化すようにわざと明るい声音でご主人に笑いかけた。
「ご主人、たまごの調子はいかがニャ?」
「ああ、えっと……フォレストドラゴンのたまごは温めなくていいんだって。自然の温度で孵るから……」
何処かぎこちにゃい微笑みを浮かべたご主人はそう説明するものの、言葉尻を濁して俯いてしまった。その様子はいくらおとにゃしいご主人とは言っても、あまりに元気がにゃいように見える。
「ご主人?」
「ねぇディオ。私にあんな大きくなるドラゴンを育てるなんて、できるのかな。私、自分のことだってちゃんとできないのに……。朝だっていっつもディオに起こしてもらわないと起きられないし、セロリだって食べられない……。なのに、育てるとか、お母さんみたいなことできるのかな」
心配ににゃって声をかけると、ご主人は今までその体の内側に溜め込んでいた、たくさんの不安を溢れ返すようにして言葉にした。
……ああ、ボクは本当に馬鹿だニャ。不安にゃのはボクひとりだと思ってた。でも、ご主人もまた、ずっと不安だったのニャ。ご主人はまだ十歳ニャ。いきにゃり使命とか国を守るとか言われたら、不安で堪らにゃくにゃって当然ニャ。にゃのに、ボクときたら自分のことばっかり考えて。本当に馬鹿!
ボクはたまごの隣で泣きそうにゃ顔をしているご主人のそばに近寄って、その手に肉球で触れた。それから、特別にゃ子が内側で眠っているたまごにも、もう片方の肉球で触れてみて、ボクはにゃーんだって笑った。その感覚は、十年前、奥さまの大きにゃお腹に触れたときと同じものだった。近い未来、姿を現すドラゴンは、あの小さくてすぐに壊れてしまいそうだった赤ちゃん――ボクの大事にゃご主人と一緒にゃのニャ。
今さらそんにゃことに気付いて、ボクはボクの大切にゃ人にそっと囁くように誓う。
「大丈夫ニャよ、ご主人」
ご主人も、これから生まれてくるドラゴンも、ボクよりずっとずっと大きく育つニャ。だけど、そんにゃの関係にゃい。
だって、ボクはふたりのお兄ちゃんだから。
「ボクがずっとそばにいるから。ご主人はひとりじゃにゃいから。だから、絶対に大丈夫」
ボクはもう一度、誓いを立てた。十年前、まだ見ぬご主人に誓った約束をもう二度と忘れにゃいように、自分の魂に刻みつけるように、もう一度、誓いを立てた。
この先ずっと、何があったとしても、ボクは貴女のそばにいる。
たったひとつの大事にゃ誓いを胸に刻み込んで、ボクはご主人に笑いかけた。大丈夫。ふたり一緒にゃら、どんにゃことでも乗り越えられる。そう伝えたくて。