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図書館受付とゴースト

「それじゃあ、お母さん。行ってくるね」


 ふたり暮らしの母親に挨拶して、家を出る。毎日変わらない光景だ。

 私の朝は学校に向かう子どもたちよりも少し遅く始まる。起きてからの仕度を終えたら、学校を卒業してから働いている仕事場へ出掛ける。職場までは大体徒歩三十分。少し歩くけど、遠すぎることもなく、毎日適度な運動をしてるって感覚かな。

 散歩がてらのんびりと歩いて向かうと、代り映えのないように見える日常にも様々な変化があることがわかる。昨日はまだ蕾だった花が咲いていたり、毎日見かけるおじいさんが遊びに来るお孫さんたちのためにいつもと違うパンを買っていたり。今日の発見はついこの間まで赤ちゃんだと思っていたような小さな子が自分の友魔を見つけたのか、隣に可愛らしいカーバンクルの幼獣を連れていたことだった。

 この国ではほとんどの人が魔物と生涯をともにする。此処は幼い頃から周囲に魔物がいる環境が当たり前の国だから、数多い人間の中から友人や恋人を見つけ出すのと同じように、人びとは自分の友魔をつくる。早いと生まれて間もない赤ちゃんの頃からずっと魔物がそばにいたって人もいる。今も道行く人たちの傍らには友魔が寄り添っている。そんな中で、私の隣に魔物の姿はない。

 人と魔物の日常の風景をちょっぴり楽しませてもらいながら、私は仕事場へ辿りついた。先に出勤している館長が鍵を外してくれている扉を開けて中に入る。すると、視界には幾千もの本の山が映る。見慣れているはずのその光景にいつものように心が踊る。

 人類が誇る知識の結晶。その宝物庫、つまり図書館が私の仕事場だ。




 誰が来てもいいようにきれいに掃除をして、本に埃が被っていないかチェックする。そうして何も不備がないことを確認したら、お昼前になってようやくこの国の図書館はやっと目覚める。

 とは言っても、午前中に誰かが来ることはほとんどない。子どもたちは学校で勉強しているし、おとなたちは仕事や家事で忙しい。だから、私は外から見える位置に設置されている受付に陣取って、この時間は好きな本を読むことにしている。今日の一冊は『ちびペガサスのぼうけん』だ。子ども向けの児童書だけど、楽しい読書を提供するためにいつでも誰にでもピッタリな本をおすすめできるようにしておくのも私の仕事。昨日は『ケーストースの歴史』を読んで、一昨日は『これであなたも料理上手!基本の家庭料理』、その前は『どうして空は青いのか』だったかな。ジャンルは問わずに色々な本を読むようにしている。

 今日も山のようにそびえたつ本棚から選んだ一冊の表紙を開いて、文字で構築される色鮮やかな世界に旅立った。利用者のいない図書館に、時おり紙をめくる乾いた音だけが響く。この静けさが私は好きだった。

 でも、読書しているだけでは仕事にならない。私はそれなりに本の内容に夢中になりながらも、視線は時々受付からも見える外に向ける。十中八九は誰も来ない時間帯だけど、それでも図書館の前には人が通る。今は通りかかっただけの人も、いつか本を必要とするときがくるかもしれない。そのときに少しでも気楽に図書館へ立ち寄れるよう、私は素通りしていく人にも愛想よく微笑む。

 そうしていると、知ってる顔を何人か見かけることもある。今日もそろそろかなと思っていたら、その予想通りに毎日見かける人と魔物が通りかかった。その人はとってもきれいな人で、二年前から教会に通うのに毎日ずっとこの道を通る。いつも長い髪をキッチリと三つ編みにして肩に垂らしている彼は脚が悪いらしく、杖をついてひどく苦労しながら歩く。でも、その傍らに控えている彼の友魔のミノタウロスが歩行を手伝っているおかげで、ゆっくりだけど着実に前に進んでいる。そんな彼らの様子をガラス越しに見守っていると、不意に彼と目が合って慣れた調子でお互いに会釈し合った。そうして、彼はそのまま屈強だけど可愛らしいリボンを身につけているミノタウロスに連れられて、無事に図書館の前を通過していった。

 いつものことだけど、やっぱり少しホッとして、私はふたたび本の世界に意識を沈みこませた。





 お昼を少し過ぎた頃に、奥で事務作業をしている館長に受付を任せて裏方で持ってきたお弁当を食べる。食事が終わったら、私の仕事はちょっとだけ忙しくなる。

 食べ終わってすぐに受付へ戻ると、早速、本の返却をする人がやってきた。この近くに住む双子の兄弟のお母さんだ。返却されたのは『こどもがよろこぶおいしいレシピ』というタイトルの料理本。男の子がふたりもいるから、毎日の料理が大変なのだそうだ。図書館の利用カードと名簿に記録をつけてきちんと返却されたことを伝えると、彼女は今日もまた料理本のコーナーへ向かっていった。休むことなく献立と戦っているお母さんたちは大変だ。

 そんなことが皮切りになって、今までさっぱりだった客足も家事をひと段落させた主婦を中心にボチボチ増えてきた。料理本や育児本、それから裁縫や園芸といった趣味に関する本の出入りが活発になる。不備が出ないように気をつけながらひとつひとつ業務をこなす。そうしているうちにカーンカーンと鐘の音が聴こえてきたら、私は気合を入れ直す。少しすると学校を終えた子どもたちが次々に現れて、借りていた本を返却し、また新たに宿題で必要だったり自分が読みたかったりする本を選んで借りていく。一日で一番忙しい時間だけど、中でもよく図書館に来る人懐っこい子たちとはいくらかお話をすることもできて、私はこの賑やかさも好きだった。


「ミヤビちゃーん、本返しにきたよー!」


 特に珍しくもないありふれた魔物だけど、友魔にする人はほとんどいないスライムを連れた女の子が今日も明るい笑顔を見せにきてくれた。この間はなんだか暗い表情をしていたから心配だったけど、もう元気になったみたいで秘かに安心する。その子は近頃、海に興味があるようで、今回も物語のコーナーから『海が聴こえる国』と『人魚姫の宝物』の二冊を借りていった。どちらも面白い本だから、あとで感想を訊いてみよう。

 それからも散歩ついでのおじいさんや猫が登場する本を毎回選んでいくお嬢さんが顔を出してくれて、午前中の静けさが嘘のように図書館は賑わった。けれど、その喧騒にもやがて終わりがくる。




 最後に本を返しにきてくれた人を見送って、扉を閉める。外では東の空が夜の衣を纏い始め、黄昏という言葉が頭に浮かんだ。もとは私のご先祖さまが暮らしていたという遥か東の果てにある小さな島国の言葉らしい。この国では珍しい響きである私の名前もその国の言葉から名付けたと聞いた。そんな縁ある土地も今は月の光の下にあるのだろうかと考えながら振り向く。

 すると、足元に映った私の影がグニャリと不自然に動くのが見えた。外から差し込む自然の光と屋内の灯りに挟まれて肩身が狭いと言うように縮こまっていた影は、逃げ場を求めるように平面を脱出して確かな物量をもって盛り上がる。そして、それまで私の影と一体になっていた別の存在がズルリとそこから姿を現した。


「おはよう、ヒソカ」


 分離した影に声をかけると、その子は微かに笑うような気配を見せた。

 私の友魔、ゴーストのヒソカは太陽の光が苦手で、昼間は私の影に潜り込んで眠っている。陽が沈んでやっと目が覚める彼はまだ少し眠たげだ。それでもまだ残っている私の仕事を手伝おうと、しきりに私の行動を気にする素振りを見せた。ヒソカはお手伝いが大好きだから、早速、返却された本をもとの場所へ戻してきてほしいとお願いすると、嬉しそうに一冊抱えて浮遊していった。

 そうやってふたりで手分けして残りの仕事を片付けていく。すべての業務が終了する頃には、外はすっかり暗くなっていた。


「よし、そろそろ帰ろうか」


 図書館の鍵を管理する館長へ挨拶して、私たちはやっと帰路につくことができた。明るいうちにも歩いた徒歩三十分程度の道のりを、今度はヒソカと一緒にゆっくりと歩んでいく。

 この国に住む多くの人たちが自分の家に帰宅している時間だから、通りに人の気配は感じられない。空にはもちろん月が浮かんではいるけれど、今日は雲が多くて地上に差す光が弱い。いくらこの国が平和だと言っても、女ひとりで暗い夜道を歩くのは気が退けるかもしれない。でも、私にはヒソカがいる。

 ゴーストと言うだけあって、夜の闇を好むヒソカは暗闇で見かけると慣れてない人には不気味に映るらしい。闇に紛れる実体のない体に、白く浮き出るような作り物めいた仮面みたいな顔。それに私自身も丈の長い黒いワンピースを着て、この国では珍しい黒髪だから、こんな時間に知らない人が見たら驚いて腰が抜けてしまうかも。つまるところ、私たちが怖がられる理由はあっても、私たちに夜道を恐れる理由はないのだ。

 私もひとりだったらもしかしたら帰り道に怯える毎日を送っていたかもしれないけど、私はひとりじゃなくてヒソカとふたりだから大丈夫だと思える。

 いつも通り囁くように(夜だからあまり大きな声で話すと迷惑になりかねないので、小さな声でしゃべるようにしてる)おしゃべりしながら歩いていると、あっという間に家に着いた。同じ道なのに出勤の時よりもいくらか早く辿りつくことができたように感じる。

 私が自宅の扉を開くのを確認すると、ヒソカの姿がスー……と闇に溶け込んでいった。これから日課のひとり散歩に出かけるのだ。いつものことなので、私は気にせずに家に入って母親に帰宅を告げた。それからちょっと遅い晩ごはんやお風呂を済ませて、お母さんにおやすみなさいと伝えて、私は二階の自分の部屋へ戻る。そして、いつもそうしているように部屋の窓を開くと、見慣れた影がまたしても姿を現すんだ。


「おかえり、ヒソカ」


 散歩から戻ってきたヒソカは窓からスルッと屋内に入ると、見た目からは想像できないほど人懐っこい仕草で私に寄り添ってきた。そんなヒソカとしばらくお話をして、私の代わり映えしない一日がようやく終わる。




 人によってはなんてつまらない人生なんだと言うかもしれないけど、私はこの変哲のない日々を愛している。同じように、友魔と夜にしか会えないのは寂しいねと言う人もいるけれど、私はそうは思わない。

 確かに昼間はこの眼で見ることはできないし、実体がないから手で触れることもできない。だけど、ヒソカが眠りにつくときは、必ず私の影の中に潜り込む。影はいつだって私のそばにある。ヒソカが苦手な陽の光が強まれば強まるほど、影もまたハッキリとそこにある。

 他の人たちのように、隣に並ぶ時間は少ないかもしれない。でも、私の影の中で眠るヒソカの存在を感じているとき、私は間違いなく幸せだと思える。経験がないからわからないけれど、私たちはもしかしたら妊娠しているお母さんとそのお腹の中の赤ちゃんのような関係なのかもしれない。他人には見えないけど、確かな絆がそこにはある。

 だから、私の人生は物語のように面白いものではないかもしれないけれど、自信をもって幸福だと言い切れる。大好きな本に囲まれて、すぐそばにヒソカを感じる。そんな毎日の繰り返しこそが、私にとって一番のハッピーエンド。

これからも私はこの国でハッピーエンドな日々を綴っていく。明日も、明後日も、その先も、ずっと。


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