一章、三幕
ヒカルは中庭にある花壇の淵に座っていた。
クレイから特に指示もなく、なにもすることもない。
「ヒカル、久しぶりね」
「あ? っと、誰?」
突然声をかけられ、首だけを後ろにむける。そこにはローブを着た、銀軍の制服を着た、女が立っていた。
見覚えのあるローブ。ナディアで共に過ごした――そう、ウィング。
「私もβテスト、参加してたのよ」
「あーそっか。そんなのも聞いた気がしなくもないな」
現実でも連絡をとっていた。そのときに聞いたことがあった気がした。
ウィングは笑うと、街に出ようとヒカルを誘う。
ギルドホームに来るときに通った程度で、あまり散策はしていない。いい機会だと思い、それを了承する。
「さて。どこいきましょうか」
「オススメは?」
ギルドホームの外へ出て、二人して街へ繰り出す。
ウィングが最初に案内したのは俗にいう、クエスト掲示板のようなところだ。
まだ始まったばかりで、クエストはあまりない。
しかし、その中でヒカルの興味をひくものがあった。
《月明かりの下で
作成者:カグヤ
クエスト難度:B
報酬:“エース”のマップ
概要:
報酬は微々たるものですが、この広い街を散策するには使えると思います。
ここ最近、下町の方でPKが多発しています。
その根源を断って頂きたく、このクエストを立てました。
暇つぶしにでもかまいません。夜に訪れる脅威を取り除いてください》
「クエスト参加って、無許可でもいいのか」
「ええ。これ、受けるの? あまりいいものではないわよ」
「ああ、同業者の匂いがする」
報酬はいらない。ただ、同業者を片っ端から潰していきたいだけだ。
それに夜なら気配や姿を隠しやすい。
クエスト受注アイコンを押し、クエストを受ける。これは夜がメインなので、下見が出来る。
「この下町、いこうぜ。お前も参加しろよ、相棒」
「わかったけど……いいの、私なんかが……」
ウィングの賛同を得て、下町へ向かう。
下町はヨーロッパの下町のようだ。路地裏などがあり、隠れやすい。暗殺にはもってこいだ。
「ここは、アレか。面倒臭いマップか」
「そうね、あまりよくないマップよ。トラップを仕掛けないと仕留めるのは難しいわね」
「俺はそんなことしねえっての」
ヒカルはどれだけ難しくても、トラップなんていう、姑息な手段は使わない。正面きって闘うか、気付かれぬうちに殺すか。その二択だ。
下見は大体一時間かそこらで終わった。隠れるのも逃げるのも楽だ。今回の暗殺には不向き。それがヒカルの評価だった。
一旦ギルドホームに戻り、装備を整えて戻ってくる。
それから、クエストをこなしに向かう。
そう考えていた。――ついさっきまでは。
人が降ってきたのだ。身の丈以上の刀を携えて。服は和装なのに、頭と足は西洋のプリンセスのような格好。
ギリギリで鬼丸を出すことに成功する。
「貴方が、殺人鬼ヒカル?」
「はっ、殺人鬼とは。随分な呼び名だな」
街中だ。スキルを使う必要もない。
クエスト《月明かりの下で》の犯人役を押し付けられてしまったようだ。ヒカルは華麗なPKを好む。夜に奇襲なんて格好悪いことはしない。
「名を名乗れ。それが礼儀ってもんだろ」
「RIRA。それが私の名前」
リラは、野太刀を構えて名を名乗る。
多分、十キロはあるだろう野太刀をたやすく持ち上げている、この女は危険だ。ヒカルの本能がそう告げている。でも殺人鬼なんていう、アホらしい二つ名は頂戴したくない。だってヒカルは、
「“暗殺者”だからな?」
“暗殺者”の二つ名にかけて。この勘違いしているリラを殺す。
「卑怯だ。ヒカル!」
リラが野太刀をおもいっきり振り抜く。それはヒカルにはあたらなかったが、近くの家の壁を破壊した。
先ほどの本能が告げた危険は本物だった。この女は危険だ。
野太刀の攻撃力に加え、彼女自身の力も想像を絶するものだった。
「派手にやるなぁ、リラ。一応、褒めておくぜ」
「結構」
褒めたのは本心からだ。ここまでの攻撃力を誇るのは久しぶりだ。とても、楽しい。
二人は踊るように闘う。それをウィングは遠くから眺めていた。
その顔はとても楽しそうな顔で、笑っていた。
「やっと帰ってきたわね、私の――ヒカル。それでこそ、貴方よ」
ウィングは制服を脱ぎ捨てると、その場から身を翻して、去って行った。
「ウィング……?」
ヒカルが振り返ると、そう問う。気配が一つ、消えたのだ。それに気付いたヒカルが、振り返ったのだった。でもそこにはもう誰もいない。脱ぎ捨てられた銀軍の制服があるだけだった。
「どうしたの、戦意喪失?」
「いいや、ツレが居なくなってね」
再びリラと向き合う。鬼丸を正眼に構える。
「容赦はしない、でいいのかな」
「構わないよ。私も同じ。必ず貴方を殺す」
リラのその言葉を聞いて、ヒカルはニヤリと笑った。この世界は楽しいことだらけだ。
ヒカルが踏み込む。リラも間合を詰めるため、足を出す。
強制ログアウトされたって構わない。まだ、間に合う。たったの三十分だ。この世界では二時間程度。
まだ夜にはならない。ギルドホームから出ても間に合うだろう。
通りすがるNPCやプレイヤーがぎょっとしている。プレイヤーにとっては開始時のクエスト《力試し》のとき、圧倒的な強さだったヒカルが“軍”の制服を纏い、街中でプレイヤーと対峙している。
“軍”の制服を着ている時点で、異様だ。
鬼丸を振り上げる。
結果はあっけなかった。リラが崩れ落ちる。
どれだけ強かろうが、楽しませようが、やるときには殺る。それがヒカルだ。
「言っておくが、俺は《月明かりの下で》のプレイヤーサイドだ。犯人ではない」
そう吐き捨ててヒカルはギルドホームに向かって歩き出した。
くだらない。本当にくだらない。
「楽しいこと、ないかな」
呟いた言葉は快晴の空に消えた。